王位戦七番勝負第四局。深浦康市王位の封じ手は▲4三歩。予想していたとはいえ,この手は△5七銀成とされたときの金の処置が難しいかと思ってはいました。
どう対応すればいいかは深浦王位の指し手が答え。馬を2四に引くというのが肝要でした。この間,羽生善治名人も飛車を巧みに動かし,1歩多く取ることができましたが,第2図となると△4七飛成は▲4六金で無効です。
ここで後手は△5五角と打ち,▲2七飛に△4七飛成で飛車交換。成銀が先手玉と逆方向へ行くのでやや損な感じ。さらに▲2五馬からこの成銀も取られました。ここは先手がうまくやったように思え,1日目に△4六歩と仕掛けたタイミングがどうだったかという気はします。先手は▲9二銀と打って一気に寄せようとしました。
実戦はこれが決め手とはなりませんでしたので,厳密には指しすぎなのかもしれません。今日も遅くなって観戦できなかったこともありますし,ここから後の戦いは僕には難しすぎます。ただ全体的には,やや駒が不足と思える先手が,巧みに攻めを繋いでいったとは思います。
少なくとも第4図では先手が勝ち筋に入っているようです。ここから▲3四角と出て,△4三銀に▲4四銀と打つのは見事な順でした。そのまま押し切って先手の勝ち。第4図の△9五桂のところ,△5六馬で角はただ取れるのですが,これは後手がすぐに先手玉に迫れないのでやはり先手が勝てそうです。
地元への凱旋対局を制した深浦王位が3勝1敗として王位防衛に王手。第五局はお盆を挟んで26日と27日です。
明日からは別府記念が開催されます。ここは山崎選手が中心です。
僕たちがある推論をなすとき,もしもその前提が真であるなら結論のまた真であり,逆に前提が偽であるなら,とくにその内容を吟味するまでもなく結論も偽です。よって僕たちが何か真なる事柄を帰結させるためには,その結論の前提が真であるという必要があります。これが推論における前提と結論の関係です。
ところが,このことのうちには,確かに僕たちが真なる事柄を帰結させるような推論をなし得るということが含まれているとはいえません。というのは,僕たちが真なる事柄を結論させるためには,真なる前提が必要なのですが,人間の精神のうちに何らかの真なる前提があるということ,いい換えれば,人間の精神のうちに何らかの十全な観念があるということは,このこと自体のうちに含まれているとはいえないからです。したがって,もしもこの前提と結論との関係を,現実的に意味あるものとなすためには,人間の精神のうちに十全な観念があるということを示しておく必要があるのです。いい換えればこのことが,人間が真なる前提から真なる結論を必然的に帰結させることができるということの,現実的な意味での必要条件になるのです。
なお,人間の精神のうちに混乱した観念があるということに関しては,たとえば第二部定理一七だけでも十分であるといえると思います。したがってこうした観念を前提にある事柄を帰結させるならば,人間は容易に偽なるものを結論させるということになるでしょう。
どう対応すればいいかは深浦王位の指し手が答え。馬を2四に引くというのが肝要でした。この間,羽生善治名人も飛車を巧みに動かし,1歩多く取ることができましたが,第2図となると△4七飛成は▲4六金で無効です。
ここで後手は△5五角と打ち,▲2七飛に△4七飛成で飛車交換。成銀が先手玉と逆方向へ行くのでやや損な感じ。さらに▲2五馬からこの成銀も取られました。ここは先手がうまくやったように思え,1日目に△4六歩と仕掛けたタイミングがどうだったかという気はします。先手は▲9二銀と打って一気に寄せようとしました。
実戦はこれが決め手とはなりませんでしたので,厳密には指しすぎなのかもしれません。今日も遅くなって観戦できなかったこともありますし,ここから後の戦いは僕には難しすぎます。ただ全体的には,やや駒が不足と思える先手が,巧みに攻めを繋いでいったとは思います。
少なくとも第4図では先手が勝ち筋に入っているようです。ここから▲3四角と出て,△4三銀に▲4四銀と打つのは見事な順でした。そのまま押し切って先手の勝ち。第4図の△9五桂のところ,△5六馬で角はただ取れるのですが,これは後手がすぐに先手玉に迫れないのでやはり先手が勝てそうです。
地元への凱旋対局を制した深浦王位が3勝1敗として王位防衛に王手。第五局はお盆を挟んで26日と27日です。
明日からは別府記念が開催されます。ここは山崎選手が中心です。
僕たちがある推論をなすとき,もしもその前提が真であるなら結論のまた真であり,逆に前提が偽であるなら,とくにその内容を吟味するまでもなく結論も偽です。よって僕たちが何か真なる事柄を帰結させるためには,その結論の前提が真であるという必要があります。これが推論における前提と結論の関係です。
ところが,このことのうちには,確かに僕たちが真なる事柄を帰結させるような推論をなし得るということが含まれているとはいえません。というのは,僕たちが真なる事柄を結論させるためには,真なる前提が必要なのですが,人間の精神のうちに何らかの真なる前提があるということ,いい換えれば,人間の精神のうちに何らかの十全な観念があるということは,このこと自体のうちに含まれているとはいえないからです。したがって,もしもこの前提と結論との関係を,現実的に意味あるものとなすためには,人間の精神のうちに十全な観念があるということを示しておく必要があるのです。いい換えればこのことが,人間が真なる前提から真なる結論を必然的に帰結させることができるということの,現実的な意味での必要条件になるのです。
なお,人間の精神のうちに混乱した観念があるということに関しては,たとえば第二部定理一七だけでも十分であるといえると思います。したがってこうした観念を前提にある事柄を帰結させるならば,人間は容易に偽なるものを結論させるということになるでしょう。