三郎兼続の日記

趣味の写真で山登り・旅行を主体にした日記
最近は山登りが少なく、城郭・巨木へ

高田郡山城跡に行って来ました(毛利一族のルーツ)。

2019-12-08 07:42:14 | 城郭広島

2019年12月4日(火)に広島県吉田市高田の郡山城に行って来ました、此処は毛利一族の居城で此処から大きく羽ばたいたのです、毛利元就の居城の、吉田盆地を見渡す可愛川・多治比川の合流点の北側に築かれた山城です、山上と山麓部で構成された中世の城郭ですね。

広島のバスセンターから90分ですが朝の渋滞で2時間弱近くかかりましたかネ・・・雨が降ったり止んだりでハラハラ・・、帰りは途中のJR可部駅で下車し横川駅にでました。

歴史民俗博物館(上の地図左下)の脇から時計回りに山城へ(結局搦め手方面から)。

毛利隆元の墓所です、毛利元就の長男ー毛利隆元・次男吉川元春・三男小早川隆景・・・三本の矢の話は有名ですね、急死で毒殺説も?。

毛利一族のお墓と奥に毛利元就の墓がある洞春寺跡です・・・全くのお城裏側コースから入ってしまいましたね。

お墓の上横から、イザお城へ・・・・。

ハイキング気分で・・・目指すお城は右奥に見える向こう側の山です。

漸く着きました、お蔵屋敷の脇へ、曲輪ですが・・・・此処の呼び名は壇・・と呼ばれる。

此処は二の丸への上り路ですね、二の丸前に帯曲輪が有りますが。

帯曲輪から二の丸への虎口、上が二の丸で右側が三の丸方面です。

虎口から見た二の丸、奥の段丘上が本丸と続きます、右側下が三の丸。

二の丸から見た三の丸ですね。

二の丸です、奥の上が本丸と櫓台です。

二の丸虎口から見た本丸と奥が櫓台です。

本丸櫓台跡です。

櫓台から見た下が本丸、その先が二の丸、三の丸と続く連格式城郭ですが、他にも沢山の曲輪(壇)が尾根上に有ります。

二の丸から見た三の丸。

三の丸です・・・・この先にも小さな壇があります。

お蔵屋敷から下る路の横が最大の壇、勢溜の壇です、幾つかの段丘の開かれています。

段丘の先に展望が開けます・・・・高田の町が眼下に。

壇の横の道ですが急坂です上る敵を上から追い落とせますね、此処は毛利元就が天文9年(1540年)尼子勢3万の大軍をむかえうけ5か月耐えたお城なのです(郡山の合戦)、山全体が城郭で比高190mでの防御なのです。

途中にも尾崎丸の曲輪がありました、尾根を削平し堀切・切岸で囲ったものですね。

安芸高田市役所前から見た郡山390mの城山です、展望台に”いちもんじみつぼし”の長州毛利家の旗が、毛利輝元の時に広島城を築城し移り、その後廃城に、此れから、昨日どうしようかなと考えていた武田の銀山城を横目に見ながら岩国城へ向かいます、方向が違うので・・・・。

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