僕はあんまりロジカル(論理的)な人間だとは思わないけど、プラグマティック(実利的)な人間だとは思う。
僕の基準に「得か、損か」「使えるか、使えないか」という二分論がある。もちろん「損だから駄目」という訳じゃ無いですよ。「損だけど好きだからいいんだい!」「そりゃ得だろうけどなんか嫌なんだい!」と選択をすることも多々ある(ほとんどそんなんばっかりだ)、とはいえその前に「どっちが得か」「実利的か」を考えているところは確かにある。
仕事柄、ってのもあるかも知れないけど。。
最近、思うのは「ずる」や「嘘」は得か損か、という話。
ほら、最近、国有地を異常に安く購入、とかそういう話あるでしょ?それ自体に関しては僕はよく分からないから何も言わない。
だけどね、それ関連のニュース(うちにはテレビが無いのでだいたいラジオかネット)を目にしているととみに思う。
例えば、国会でそれ関連のお役人さんが答弁してたりする。そして「記録がありません」とか言ってるじゃないですか。
はっきり言うと、仮にその土地を手に入れるのに誰かが「ずる」をしてたとする。じゃ、その「ずる」は損か得かというとそりゃ得だよね。すげー安く土地買えているんだもの、そりゃ得でしょう。でもね、長期的に見るとそれは絶対に損だと僕は思う。
仮に、そのお役人さんが「嘘」をついていたとする、仮ですよ。なんか偉い人から金をもらうという「ずる」をしてたとする、仮ですよ。
じゃ、その「嘘」と「ずる」は損なのか、得なのか。
うん、得なのかも知れない、得だと思わなきゃ嘘もつかないでしょう。
でもねー、はっきり言うけどその「ずる」や「嘘」は絶対に身体に悪いよ。
僕は声はラジオでしか聴いてないけど、もうね、声だけで分かる。そのお役人さんが答えている声を聴いてるだけで「いや、ほんと悪いこと言わない、ぜったい寿命縮めてるから正直に言ったほうがいいよ」と。もうそんなの声だけで分かるでしょ?
もうね、とにかく「ずる」とか「嘘」は身体に悪い、絶対に寿命を縮める。科学的根拠は無いけど断言してもいい。
つまり、長期的な視点で見ると「ずる」や「嘘」は「損」だと思う。本当にそう思うよ。
もう少し、ロジカルに説明しましょう。
まず、「ずる」について。
例えば、「ずる」をする役人がいるとする。「ちょっとこの金やるからこの件、うまくやってよ」と言われて受けちゃう役人さんね。役人になるくらいだから絶対にその人は馬鹿では無いんだろう。だとしたら、本人も絶対に分かってる。「もしこの国の役人が全員オレみたいだったらこの国ダメになるな」と。そりゃそうだよね、役人全員が金で転ぶ国が上手く行くはずない。もっと言うと「こういうのに乗るのは自分だけのほうがいいな」と。例えば役人全員、金で転ぶなら、金を受け取れるのは自分だけじゃない。ということは自分に入ってくる金は減る、そうでしょ?論理的に。
つまり、何が言いたいかというと、「金で転ぶ役人」本人は「この世界にこういう人間(端的に言うと、ずるい人間)は自分だけである」ことを望んでいる、好むと好まざると。
もっと言うと「自分みたいな人間は(自分以外に)世界に居ないほうがいい」と思ってる。
例えば土地を「ずる」して安く買った人はもっとわかりやすくて、絶対にその人は「こういう"ずる"をする人間は(自分以外に)世界に居てほしくない」と思っている、潜在的にね。だって自分みたいにずるい人間が自分以外にいたら、自分は土地を買えないじゃん。
これはねー、健康に悪いですよ、本当に。だって、「世界に自分みたいな人間は居ないで欲しい」と願ってる、ってことでしょ。つまり自分の存在を自分自身で否定しているんだもの。はっきり言ってしまうと「自分で自分を殺してる」ってことでしょ。「自分の存在価値を自分で否定する」ってのは最後の最後の生死の一線で絶対に変わってくる。
そして「嘘」について。
「嘘」は効く、それは認める。便利だよねー、こんな便利なものはない。
だけど長期的に見ると絶対に効率が悪い。「嘘」の一番の問題は「自分の嘘を覚えて無ければいけない」ということです。
例えば、とある人が、2017年3月7日に、本当はAさんに会っていたとしましょう。でも嘘ついて「いや、Aさんに会ったことはない、その日はBさんに会っていました」と嘘をつくとしましょうね。数年経ってその人が「2017年3月7日に誰に会っていたんですか?」と訊かれたとしたら、「自分はAさんに会ってないと言った、Bさんに会っていたと嘘をついた」ということを覚えて無ければ行けない。これはしんどいですよー。もし嘘をついてなければ(「私はその日、Aさんに会った」と正直に言っていれば)、「忘れました、すいません、調べてください、記録は残ってるはずです」とだけ言えばいい。だけど嘘をついていたとしたら、誰かに調べられたら嘘がバレてしまう。だから、調べられる前に「私はその日、Bさんに会ってました!」と言わなければいけない。つまり、嘘をつく人は「自分の言ったことを忘れる」という自由を奪われることになる。これってさ、めっちゃストレスじゃない?(笑)違うかな?僕が自分の言ったこと忘れる人間だからかな??すいませんね。
自分で自分の存在価値を否定し、忘れる自由さえ許されない、そんな人間が長生きできるわけでないでしょ?
損だよ、「ずる」と「嘘」って。少なくとも、効率は悪い。そして絶対に健康に悪い。なんだっけ、理財局ですか、寡聞にして僕はそういう部署があることを知らなかったけど、あの理財局のトップの人いるじゃん?もうね、僕は責めてるわけじゃなくて単純に「もうさー、体に悪いよそれ」と思ってるから言うんだけど早めに諦めたほうがいいよ、ほんとに。死んじゃうから。もうね、声だけ聴いてても分かる。僕は(繰り返しになるけど)責めてるんじゃないの、同情して、心配してるの。僕だってそりゃそれなりに、ずるくて嘘をつく人間だからね。
「ずる」と「嘘」は確かに儲かる。でもね、そりゃあ、お金はたっぷりもらえるかも知れないけど、寿命はお金じゃ買えないですからねぇ。(少なくとも現代科学ではね)
僕の基準に「得か、損か」「使えるか、使えないか」という二分論がある。もちろん「損だから駄目」という訳じゃ無いですよ。「損だけど好きだからいいんだい!」「そりゃ得だろうけどなんか嫌なんだい!」と選択をすることも多々ある(ほとんどそんなんばっかりだ)、とはいえその前に「どっちが得か」「実利的か」を考えているところは確かにある。
仕事柄、ってのもあるかも知れないけど。。
最近、思うのは「ずる」や「嘘」は得か損か、という話。
ほら、最近、国有地を異常に安く購入、とかそういう話あるでしょ?それ自体に関しては僕はよく分からないから何も言わない。
だけどね、それ関連のニュース(うちにはテレビが無いのでだいたいラジオかネット)を目にしているととみに思う。
例えば、国会でそれ関連のお役人さんが答弁してたりする。そして「記録がありません」とか言ってるじゃないですか。
はっきり言うと、仮にその土地を手に入れるのに誰かが「ずる」をしてたとする。じゃ、その「ずる」は損か得かというとそりゃ得だよね。すげー安く土地買えているんだもの、そりゃ得でしょう。でもね、長期的に見るとそれは絶対に損だと僕は思う。
仮に、そのお役人さんが「嘘」をついていたとする、仮ですよ。なんか偉い人から金をもらうという「ずる」をしてたとする、仮ですよ。
じゃ、その「嘘」と「ずる」は損なのか、得なのか。
うん、得なのかも知れない、得だと思わなきゃ嘘もつかないでしょう。
でもねー、はっきり言うけどその「ずる」や「嘘」は絶対に身体に悪いよ。
僕は声はラジオでしか聴いてないけど、もうね、声だけで分かる。そのお役人さんが答えている声を聴いてるだけで「いや、ほんと悪いこと言わない、ぜったい寿命縮めてるから正直に言ったほうがいいよ」と。もうそんなの声だけで分かるでしょ?
もうね、とにかく「ずる」とか「嘘」は身体に悪い、絶対に寿命を縮める。科学的根拠は無いけど断言してもいい。
つまり、長期的な視点で見ると「ずる」や「嘘」は「損」だと思う。本当にそう思うよ。
もう少し、ロジカルに説明しましょう。
まず、「ずる」について。
例えば、「ずる」をする役人がいるとする。「ちょっとこの金やるからこの件、うまくやってよ」と言われて受けちゃう役人さんね。役人になるくらいだから絶対にその人は馬鹿では無いんだろう。だとしたら、本人も絶対に分かってる。「もしこの国の役人が全員オレみたいだったらこの国ダメになるな」と。そりゃそうだよね、役人全員が金で転ぶ国が上手く行くはずない。もっと言うと「こういうのに乗るのは自分だけのほうがいいな」と。例えば役人全員、金で転ぶなら、金を受け取れるのは自分だけじゃない。ということは自分に入ってくる金は減る、そうでしょ?論理的に。
つまり、何が言いたいかというと、「金で転ぶ役人」本人は「この世界にこういう人間(端的に言うと、ずるい人間)は自分だけである」ことを望んでいる、好むと好まざると。
もっと言うと「自分みたいな人間は(自分以外に)世界に居ないほうがいい」と思ってる。
例えば土地を「ずる」して安く買った人はもっとわかりやすくて、絶対にその人は「こういう"ずる"をする人間は(自分以外に)世界に居てほしくない」と思っている、潜在的にね。だって自分みたいにずるい人間が自分以外にいたら、自分は土地を買えないじゃん。
これはねー、健康に悪いですよ、本当に。だって、「世界に自分みたいな人間は居ないで欲しい」と願ってる、ってことでしょ。つまり自分の存在を自分自身で否定しているんだもの。はっきり言ってしまうと「自分で自分を殺してる」ってことでしょ。「自分の存在価値を自分で否定する」ってのは最後の最後の生死の一線で絶対に変わってくる。
そして「嘘」について。
「嘘」は効く、それは認める。便利だよねー、こんな便利なものはない。
だけど長期的に見ると絶対に効率が悪い。「嘘」の一番の問題は「自分の嘘を覚えて無ければいけない」ということです。
例えば、とある人が、2017年3月7日に、本当はAさんに会っていたとしましょう。でも嘘ついて「いや、Aさんに会ったことはない、その日はBさんに会っていました」と嘘をつくとしましょうね。数年経ってその人が「2017年3月7日に誰に会っていたんですか?」と訊かれたとしたら、「自分はAさんに会ってないと言った、Bさんに会っていたと嘘をついた」ということを覚えて無ければ行けない。これはしんどいですよー。もし嘘をついてなければ(「私はその日、Aさんに会った」と正直に言っていれば)、「忘れました、すいません、調べてください、記録は残ってるはずです」とだけ言えばいい。だけど嘘をついていたとしたら、誰かに調べられたら嘘がバレてしまう。だから、調べられる前に「私はその日、Bさんに会ってました!」と言わなければいけない。つまり、嘘をつく人は「自分の言ったことを忘れる」という自由を奪われることになる。これってさ、めっちゃストレスじゃない?(笑)違うかな?僕が自分の言ったこと忘れる人間だからかな??すいませんね。
自分で自分の存在価値を否定し、忘れる自由さえ許されない、そんな人間が長生きできるわけでないでしょ?
損だよ、「ずる」と「嘘」って。少なくとも、効率は悪い。そして絶対に健康に悪い。なんだっけ、理財局ですか、寡聞にして僕はそういう部署があることを知らなかったけど、あの理財局のトップの人いるじゃん?もうね、僕は責めてるわけじゃなくて単純に「もうさー、体に悪いよそれ」と思ってるから言うんだけど早めに諦めたほうがいいよ、ほんとに。死んじゃうから。もうね、声だけ聴いてても分かる。僕は(繰り返しになるけど)責めてるんじゃないの、同情して、心配してるの。僕だってそりゃそれなりに、ずるくて嘘をつく人間だからね。
「ずる」と「嘘」は確かに儲かる。でもね、そりゃあ、お金はたっぷりもらえるかも知れないけど、寿命はお金じゃ買えないですからねぇ。(少なくとも現代科学ではね)