浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:ネロ伝 6

2009-06-14 15:43:52 | ローマ人列伝
ネロがローマ大火の真犯人と言う濡れ衣を着せたのは当時まだユダヤ教の新興一派だったキリスト教徒でした。

彼は非常に極端な解決策を取ります。

まずは目立ったキリスト教徒を捕らえ、そこから芋づる式にキリスト教徒を捕らえ続けます。捕らわれた場合には裁判は起こせず問答無用で死刑。

このキリスト教徒弾圧により、ネロの名は長く「キリスト教徒の敵」として知られます。新約聖書「ヨハネ黙示録」で「獣の数字」として知られる「666」はネロのことを示しているとされています。

この弾圧により殺されたキリスト教徒の一人がイエス・キリストの弟子たちのリーダー、ペトロ。

彼は逆さ十字の刑により殺されたと伝えられています。彼の死んだローマの郊外には後にヴァチカン市国が作られ、彼の名を取ったサン・ピエトロ(聖ペトロ)大聖堂が建築されています。ちなみにロシアの都市、サンクトペテルブルクも彼の名から。

多くのキリスト教徒の断末魔を聞きながらも太り続けるネロ。

(こんな絵画も残っています。ぜひ大きい画像でどうぞ⇒こちら

残念ながらこのキリスト教徒弾圧は「ローマ大火の真犯人をなすりつける」という本来の目的を果たすことは出来ず、むしろ異教徒とはいえ罪の無いキリスト教徒への残酷な仕打ちによりローマ市民のネロの評判は更に下がる一方でした。

「こんなはずではない」とネロも思ったことでしょう。彼の精神は少しずつ崩れ、そしてその決定打となる出来事が起こります。

反ネロ派によるクーデターの計画が露見したのです。もっとも彼の精神を蝕んだのはクーデターの計画自体ではありませんでした。なんとそのクーデター協力者の名の中に古くからの側近、今では政界を引退し学問の世界に生きているはずのセネカの名があったことです。

もしかするとセネカの名は自分が助かりたいばかりに他の犯人があてずっぽうで出しただけかも知れません。しかしそんなことは関係ありません。幼い頃から自分の家庭教師として、皇帝即位後は一番の側近となった師すらいまや自分の敵。ネロの精神が崩壊するにはその疑惑だけで十分でした。

彼はセネカに自害を命じます。当のセネカ、弁明どころかネロに対する言葉ひとつ残さずこの世を去ります。

残ったのはこのようなローマ市民の揶揄の言葉です。

「弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込んだネロにとって、あと残った殺す相手は師だけだろう」

不幸は続きます。待ち望んでいた妻ポッペアとの間に生まれた女子は1歳になるのを待たずに死亡、続いて妻ポッペア自身も病によりこの世を去ります。

これでネロは愛した人をすべて失いました。今のネロにとって身の回りすべては敵。

彼のナイーブな性格は裏返り単なる残虐さだけが表われます。

猜疑心の塊となった彼は少しでも彼に逆らうものを次々と殺していきます。

そして皇帝ネロの名は地に堕ちました。



堕ちた皇帝、どんな時代も最高権力者が落ちればその地位を狙うものが生まれます。

もしアウグストゥスが巧妙に仕掛けた「皇帝の血統」という「ルール」が生きていれば血統を持たない者が皇帝の座を狙うことは無かったかも知れません。

しかしこの「皇帝の血統」というルールを自ら捨て去っていたのはネロ自身でした。

彼は皇帝につながる血筋を2つ持っていました。ひとつは初代皇帝のひ孫に当たる母アグリッピナ。そしてもうひとつは第四代皇帝の娘に当たる妻オクタヴィア。

どうあれ彼は「初代皇帝のやしゃ孫であり、第四代皇帝の娘婿」であるから皇帝になる資格があったのです。

その正統性を彼は自ら母殺し、妻殺しによって失います。

彼は自らの力を過信し「自分が皇帝であるのは血筋によるものではない。そもそも過去の皇帝も血筋でなったものではないではないか。自分が皇帝であるのは『実力』によるものだ」ということを行動を持ってローマ市民に伝えたのです。

間違いではないのかも知れません。アウグストゥスが巧妙に作った皇帝システムのベールを剥いだだけなのかも知れません。

しかしこれは逆に皇帝であるネロの首を絞めることになります。

つまり、「血統が無くても実力があれば皇帝になれる」ということだからです。


これを利用したのが辺境にいたガルバという軍人。

既に60歳になっていましたが名家の出身で若い頃は初代皇帝アウグストゥス、第二代ティベリウスに才能を認められた男です。

彼は軍団を従え、ネロの処刑と自らの皇帝就任を要求しローマ本国へと攻め入ります。

ガルバ反乱を聞いたネロと元老院、早速ガルバを「国家の敵」と任命し、討伐部隊を差し向けることを計画します。

しかし、元老院にはひとつのトラウマがありました。それは約100年前、同じくガリアからルビコンを越えローマに攻め入った一人の英雄のこと。そう、紛れもないユリウス・カエサルのことです。辺境の軍勢がローマ本国を目指し進軍するのは彼によるもの以来。

ガルバ軍の蹄の音がローマに近づくにつれ元老院に動揺が走ります。が、老練な元老院、きわめて冷静に状況を確認します。

100年前のユリウス・カエサルは元老院を敵としてローマに攻め入りました。結果、元老院主導の共和政は終わり、皇帝を中心とする帝政が始まりました。

一方、今回はどうでしょう? 

ガルバは元老院を敵とみなしているわけではありません。あくまでガルバの要求はネロの退任と自身の皇帝就任。ネロに替わりガルバが皇帝になったところで元老院にとって何か不都合があるでしょうか?

元老院全員、翻って皇帝ネロを見つめます。

考えてみればネロは力を認められて皇帝になった男ではありません。あくまで母アグリッピナの策略の「皇帝家の血統」によるもの。その血統もネロ自身が母殺しという方法で断ち切っていました。『実力』が優れるものが皇帝になることに何の問題があるでしょう。

今、明らかに『実力』を持っているのは、軍備の無いローマにいる皇帝ネロよりも、国境を守る屈強な軍団を従えたガルバ。

元老院はガルバを選択します。

ガルバに対する「国家の敵」宣言を取り消し、返す刀で現皇帝ネロを「国家の敵」とします。

結果、ネロはローマを追われ、逃亡の地で自害することとなります。

ネロの最後の言葉は

「これで一人の芸術家が死ぬ」

だったと伝えられています。享年31歳。



ここにユリウス・カエサルから続いた皇帝の血統「ユリウス・クラウディウス朝」は終焉を迎えます。初代皇帝アウグストゥスの共和制復帰宣言、事実上の皇帝就任から95年後のことでした。

以後、皇帝の座を血統ではなく実力で争い1年間で4人の皇帝が交代し、後に「四皇帝の一年」と呼ばれる一年が始まりますが、それはまた別の話。



「国家の敵」ネロの遺体は歴代皇帝の墓である皇帝廟に埋葬されることは許されず、彼の乳母と一人の女性によって広場の片隅に埋葬されます。その女性は生涯、ネロの墓に花をささげ続けたと言います。

しかし、ネロの墓は到底彼女一人がささげたとは思えないほどの花が常にあふれていたそうです。その花をささげたのは他ならぬローマ市民でした。

確かにネロの最後の称号は「国家の敵」でした。確かに彼は義理の弟を殺し、母を殺し、妻を殺し、師を殺し、多くの罪無きキリスト教徒を殺しました。それは許されるべきことではありません。

が、一人の友人としては決して悪い人間ではなかったのでしょう。事実、若き日、彼には多くの友人がいました。市民にとっても決して悪政を行った皇帝ではありません。どちらかと言えば善政でしたし、たまに市民が思いもつかないような愉快なことを行う若者でした。

もし彼の母が皇帝の血統でなければ、彼は愉快な若者として、もしかしたら本当に彼が望んだとおり一人の芸術家として生涯を終えたのかも知れません。

悲しい人でした。

しかし小さいけれど救いは一つだけあります。

最後に、そしてささやかに。

彼の乳母と共に彼の遺体を広場に埋葬した一人の女性。生涯、ネロの墓に花を捧げ続けた女性。




その女性の名はアクテ。皇帝ネロの初恋の女性。




<ネロ伝 完>
コメント (4)
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