カカが行った、と思ったらC・ロナウドも取りますか。お金あるね~、レアル。
えーっとなんの話でしたっけ?
あ、そうそう、ネロの話ね。
好きになれない妻オクタヴィア、付き合うなら結婚してくれというポッペア、とにかくうるさい母アグリッピナに囲まれてネロは悩みます。
そして側近であったセネカ、ブルスに相談することも出来ずに彼が決意した『短絡的な解決策』とは。
まずネロは母アグリッピナに丁重に謝罪を述べ、和解します。更には周囲のものに「どんな母であれ母だから」と和解をおおっぴらに宣伝します。
そしてその陰で少年時代の体育教師であった解放奴隷アニケトスに近づきます。彼はそのとき、海軍基地の長官を務めていました。彼は長年に渡りネロの友人ではありましたが、彼を軽んじたアグリッピナには怨念を持っていました。
ネロはアニケトスに一隻の小舟の作成を命じます。その舟は密かに簡単に沈没するような仕掛けがなされていました。
そしてある夜、ネロはナポリ近くにある別邸に和解の証として母アグリッピナを招きました。美しい星空の下、母子は和解の宴を楽しみ、ネロは海沿いの家に戻る母を抱擁した後、舟に乗り込む彼女を見送りました。
もちろんその舟とはすぐ沈む仕掛けをしてある舟。沖に出た舟は仕掛けが作動しすぐに沈没しました。
すべては予定通りでした。
予定通りではなかったことはたった2つだけ。
ひとつはその日は風の無い穏やかな日で波ひとつ立たなかったこと、そしてもうひとつはネロも知らなかったのですが、アグリッピナは皇帝カリグラの時代に流罪となったヴェントーテネ島(『強風の』という意味)で一年間、水泳を趣味として過ごしたために泳ぎの達人だったこと。
(ヴェントーテネ島。ラツィオ州ラティーナ県にあるんですって。写真だとバカンス地みたいですが、ローマ時代では流刑地だったようです)
夜の海とは言え波の無い海、アグリッピナは舟が沈没するとすぐに泳ぎだしまもなく夜の漁をしていた漁師に助けられ、自分が皇帝の母であることを告げ難なく岸に戻ります。
アグリッピナはネロの陰謀に気づいていませんでした。ただ、息子に手紙を送りました。
「運悪く舟が沈没したが私は少し傷を負っただけで無事だから心配をしないように」
と。
早馬の蹄の音を「暗殺成功」の報せかと思っていたネロは思いも寄らず、それが母からの手紙であることを知ると一気に血の気がひきます。
そして手紙の文面に更に恐れをなします。あえてネロへの批判を書かないことによって、冷酷な宣戦布告と受け取ったのです。
ネロはこの一連の計画を打ち明けていなかったセネカとブルスに打ち明けます。もうなりふりはかまっていられず、彼の相談相手はこの2人しかいませんでした。
ネロの計画、そして失敗を聞いた側近2名は長い間言葉を失いました。
沈黙の後、アグリッピナがすべてを知ったこと、そしてアグリッピナの性格からこれから何もおきない、というわけがないであろうこと、ならばここでアグリッピナを殺すしかないだろう、ということで3人の意見は一致しました。
まずアグリッピナの手紙を持ってきた使者が剣を携えていたことから(夜半に皇帝の母からの手紙を運んで来たわけですから自衛のため当たり前の装備なんですが)「アグリッピナの命令で皇帝を殺そうとした」と言う罪を着せ、問答無用で斬首に処します。
追って舟沈没作戦を行ったアニケトスに失敗を償わせるべく、数名の部下を率いさせアグリッピナの家に向かわせました。
寝室に侵入してきたアニケトスを見てもアグリッピナは寝床から起きること無く「息子からの見舞いならば心配ないと伝えよ」とだけ言い放ちました。
しかし武器を手にしたアニケトスと部下が寝床を囲んだとき、アグリッピナはすべてが終わったことを悟りました。
そして、息子ネロが本当に『乳離れ』したことを知ったのです。
彼女が「殺すならネロが宿ったここを指せ」と腹部を指し示すや否や全身に剣が刺さりました。
皇帝ネロの母離れは「母殺し」という極端で短絡的な方法でしか成し得なかったのです。
(若き皇帝ネロとその母アグリッピナが彫られたコイン)
ここに、ローマ最高の忠臣であるアグリッパの名を継いだ女の命が終わりました。未だにローマ帝国史上最高の忠臣として名を残すアグリッパに対し、『アグリッピナ』は悪女の代名詞となり、以後、歴史にその名が挙がることはありません。
残されたアグリッパの血統は皇帝ネロのみ。
そしてまた、そのネロの名も末代まで悪名として残ることとなります。もうひとつの極端で短絡的な解決策によって。
…to be continued...
えーっとなんの話でしたっけ?
あ、そうそう、ネロの話ね。
好きになれない妻オクタヴィア、付き合うなら結婚してくれというポッペア、とにかくうるさい母アグリッピナに囲まれてネロは悩みます。
そして側近であったセネカ、ブルスに相談することも出来ずに彼が決意した『短絡的な解決策』とは。
まずネロは母アグリッピナに丁重に謝罪を述べ、和解します。更には周囲のものに「どんな母であれ母だから」と和解をおおっぴらに宣伝します。
そしてその陰で少年時代の体育教師であった解放奴隷アニケトスに近づきます。彼はそのとき、海軍基地の長官を務めていました。彼は長年に渡りネロの友人ではありましたが、彼を軽んじたアグリッピナには怨念を持っていました。
ネロはアニケトスに一隻の小舟の作成を命じます。その舟は密かに簡単に沈没するような仕掛けがなされていました。
そしてある夜、ネロはナポリ近くにある別邸に和解の証として母アグリッピナを招きました。美しい星空の下、母子は和解の宴を楽しみ、ネロは海沿いの家に戻る母を抱擁した後、舟に乗り込む彼女を見送りました。
もちろんその舟とはすぐ沈む仕掛けをしてある舟。沖に出た舟は仕掛けが作動しすぐに沈没しました。
すべては予定通りでした。
予定通りではなかったことはたった2つだけ。
ひとつはその日は風の無い穏やかな日で波ひとつ立たなかったこと、そしてもうひとつはネロも知らなかったのですが、アグリッピナは皇帝カリグラの時代に流罪となったヴェントーテネ島(『強風の』という意味)で一年間、水泳を趣味として過ごしたために泳ぎの達人だったこと。
(ヴェントーテネ島。ラツィオ州ラティーナ県にあるんですって。写真だとバカンス地みたいですが、ローマ時代では流刑地だったようです)
夜の海とは言え波の無い海、アグリッピナは舟が沈没するとすぐに泳ぎだしまもなく夜の漁をしていた漁師に助けられ、自分が皇帝の母であることを告げ難なく岸に戻ります。
アグリッピナはネロの陰謀に気づいていませんでした。ただ、息子に手紙を送りました。
「運悪く舟が沈没したが私は少し傷を負っただけで無事だから心配をしないように」
と。
早馬の蹄の音を「暗殺成功」の報せかと思っていたネロは思いも寄らず、それが母からの手紙であることを知ると一気に血の気がひきます。
そして手紙の文面に更に恐れをなします。あえてネロへの批判を書かないことによって、冷酷な宣戦布告と受け取ったのです。
ネロはこの一連の計画を打ち明けていなかったセネカとブルスに打ち明けます。もうなりふりはかまっていられず、彼の相談相手はこの2人しかいませんでした。
ネロの計画、そして失敗を聞いた側近2名は長い間言葉を失いました。
沈黙の後、アグリッピナがすべてを知ったこと、そしてアグリッピナの性格からこれから何もおきない、というわけがないであろうこと、ならばここでアグリッピナを殺すしかないだろう、ということで3人の意見は一致しました。
まずアグリッピナの手紙を持ってきた使者が剣を携えていたことから(夜半に皇帝の母からの手紙を運んで来たわけですから自衛のため当たり前の装備なんですが)「アグリッピナの命令で皇帝を殺そうとした」と言う罪を着せ、問答無用で斬首に処します。
追って舟沈没作戦を行ったアニケトスに失敗を償わせるべく、数名の部下を率いさせアグリッピナの家に向かわせました。
寝室に侵入してきたアニケトスを見てもアグリッピナは寝床から起きること無く「息子からの見舞いならば心配ないと伝えよ」とだけ言い放ちました。
しかし武器を手にしたアニケトスと部下が寝床を囲んだとき、アグリッピナはすべてが終わったことを悟りました。
そして、息子ネロが本当に『乳離れ』したことを知ったのです。
彼女が「殺すならネロが宿ったここを指せ」と腹部を指し示すや否や全身に剣が刺さりました。
皇帝ネロの母離れは「母殺し」という極端で短絡的な方法でしか成し得なかったのです。
(若き皇帝ネロとその母アグリッピナが彫られたコイン)
ここに、ローマ最高の忠臣であるアグリッパの名を継いだ女の命が終わりました。未だにローマ帝国史上最高の忠臣として名を残すアグリッパに対し、『アグリッピナ』は悪女の代名詞となり、以後、歴史にその名が挙がることはありません。
残されたアグリッパの血統は皇帝ネロのみ。
そしてまた、そのネロの名も末代まで悪名として残ることとなります。もうひとつの極端で短絡的な解決策によって。
…to be continued...