アウグストゥスが巧妙に作り上げた「皇帝」というシステム。
いくつかの皇帝の特権の中のひとつが「身体不可侵権」。つまり、何人たりとも皇帝を傷つけることが出来ない、ということです。この権利に基づき皇帝を殺すことはおろか傷つけることすら罰せられるのです。
そのシステムを使うものが公平でバランスの取れた人(たとえばアウグストゥス)であればローマ帝国のためになるものですが、ひとたびバランスのない人がシステムの上に立った瞬間、それは単なる独裁です。まさにカリグラの治世。
既にこの頃のローマでは、皇帝の悪口を言うだけで皇帝近衛軍団が襲い掛かるまでになっていました。
カリグラを守る屈強な近衛軍団。ここにいたのがカシウス・ケレア。最初に出てきましたが、平民出身ながらローマ軍で献身的な活躍をし、司令官ゲルマニクス(カリグラの父)に認められ百人隊長まで出世した叩き上げの老軍人です。カリグラ即位以降、彼は皇帝近衛軍団の大隊長、という平民としてはかなりの出世をしています。
ローマ軍人というのは規律が厳しいからか「献身的な名軍人」というのがたびたび誕生します。アグリッパもそうでしたしこのカシウス・ケレアもそうです。彼の心にあったのは自分を取り立ててくれたゲルマニクスへの忠誠、そしてゲルマニクスの子、カリグラへの忠誠。その忠誠心は責任感に変わります。若きカリグラを補佐することが今は亡き恩人、ゲルマニクスへの報恩であると。
彼はカリグラを補佐しながらたびたびまともな政治をやるように進言してきました。酒は飲むな、付き合う女は考えろ。しかしカリグラは聞く耳を持ちません。それどころか仕事に生き、年老いても妻を持たなかった彼を「同性愛者」とからかいます。
彼は思ったのでしょう、「もう無理だ」と。愛されるために何でもし、愛されないことは何もせず、酒とセックスにおぼれ、まともな助言には耳を貸さず、ひいては自らを神と呼ぶ若者。
責任感の強いカシウス・ケレア、恩人ゲルマニクスから「息子を頼む」と言われ、その恩に報いるために人生を捧げました。今はもう、その責任を全うする方法はひとつしか在りませんでした。
パラティーノの丘、アウグストゥスに捧げる祭事において昼食に向かうため歩き出したカリグラ。
背中を切り付けられ振り返ったカリグラの見たものは、まず彼の血で赤く染まったグラディウス(幅広剣)。
その持ち手は英雄である父の忠実な部下であり、自身が皇帝に即位して以降、常にもっとも近くにいた信頼の置ける老軍人、そして不可侵である皇帝を警護すべき近衛軍団大隊長、カシウス・ケレア。
誰からも愛されたカリグラはその老人からの愛を疑うはずもありませんでした。
カリグラの目に映るのは常に人々の愛情豊かな笑顔。しかし彼が最後に見たのは憎しみでした。
一方、カシウス・ケレアにとっては息子と同然とも言える若き皇帝。忠誠を果たすためにはここで彼の人生を終わらせるほかになかったのです。カリグラを息子のように、いや息子以上に愛した彼にとってカリグラの不始末を片付けるのも自分の責務と思っていたのではないでしょうか。赤い炎のように燃え盛る憎しみではなくしずかな青き夜のような憎しみもあるのです。
カリグラは生まれたときに持っていたすべての愛を失い、がっくりと膝をつき、絶命します。
あらかじめ近衛軍団の軍人に話をつけていたカシウス・ケレア。カリグラの絶命を確認するとすぐさま傍らにいたカリグラの妻を殺し、その胸にいた幼児を壁に叩きつけ殺します。自分が愛したゲルマニクスの血を絶つことでしか、彼の責任は果たせないのです。自分が忠誠を誓ったゲルマニクスの子、そしてまだ言葉も話せないその孫を殺すとき、彼の目には涙があったに違いありません。
そしてこの凶事を震えながら見ていたのはクラウディウス。

(この人、なんかいつも困った顔してます)
簡単に言うとカリグラの叔父(ゲルマニクスの弟)で、一応、アウグストゥスの血を継いでいます。しかし体が弱かったことと風采の上がらないことから政治の世界にはおらず歴史家として生きていた50歳です。もちろん今まで皇帝候補に上がったことなど一度もありません。
近衛軍団は彼の首根っこをつかみローマ市民の前に立ちます。右手にはカリグラの首、左手にうだつの上がらない歴史家。近衛軍団は「インペラトール(最高司令官)!」と叫びます。つまり前皇帝が死に、新たな皇帝が生まれた、という宣言です。カリグラの暴虐に不満を持っていた元老院とローマ市民、その声にこたえます。「インペラトール!」
ローマにおいてはあくまで主権者は元老院とローマ市民。彼らから承認され統治を任されているのが皇帝です。ここでクラウディウスは皇帝の承認を得たことになりますが、歴史上、こんな強引な皇帝即位式もありません。
カリグラ即位後わずか4年後の出来事でした。
皇帝は代わったものの、殺害犯である近衛軍団は警護兵に捕縛されます。悪名高き皇帝とは言え法に従えば彼に傷をつけたものは問答無用の死刑。ただしカシウス・ケレアはそれもわかっていました。あらかじめ話をつけ「首謀者大隊長カシウス・ケレアは死刑、それ以外は大隊長に命令されただけなので不問」という判決におさめます。(不問となった近衛兵たちは後に皇帝から多額の報償すらもらいます)
カシウス・ケレアは自分が権力を欲しかったわけでもありません。ただ自分の恩人ゲルマニクスの血統がこれ以上悪名にさらされるのを避けたかっただけなのです。死刑になろうがその点だけは達成できました。首をはねられる直前に思い浮かんだのはゲルマニア戦線で過ごした恩人ゲルマニクスとの日々。傍らにはその子、愛らしいカリグラ。ローマ帝国の平和のために戦う日々。つかの間の休息に語り合う彼らの夢。幼いカリグラに築かれつつあった皇帝への栄光の道。
彼らにとってその戦線での日々が人生最上の時だったのかも知れません。
愛されることが得意で愛だけを求めたカリグラ。存命中に数多くの自分の彫像を作らせローマ全土に送りました。神として崇めるようにと。
しかし死後、その彫像はことごとく徹底的に破壊されます。まるでローマ市民がカリグラを愛した自分たちの愚かさを悔いるかのように。後の世に残っているカリグラの足跡は只ひとつ、「悪名」だけです。

<カリグラ伝:完>
いくつかの皇帝の特権の中のひとつが「身体不可侵権」。つまり、何人たりとも皇帝を傷つけることが出来ない、ということです。この権利に基づき皇帝を殺すことはおろか傷つけることすら罰せられるのです。
そのシステムを使うものが公平でバランスの取れた人(たとえばアウグストゥス)であればローマ帝国のためになるものですが、ひとたびバランスのない人がシステムの上に立った瞬間、それは単なる独裁です。まさにカリグラの治世。
既にこの頃のローマでは、皇帝の悪口を言うだけで皇帝近衛軍団が襲い掛かるまでになっていました。
カリグラを守る屈強な近衛軍団。ここにいたのがカシウス・ケレア。最初に出てきましたが、平民出身ながらローマ軍で献身的な活躍をし、司令官ゲルマニクス(カリグラの父)に認められ百人隊長まで出世した叩き上げの老軍人です。カリグラ即位以降、彼は皇帝近衛軍団の大隊長、という平民としてはかなりの出世をしています。
ローマ軍人というのは規律が厳しいからか「献身的な名軍人」というのがたびたび誕生します。アグリッパもそうでしたしこのカシウス・ケレアもそうです。彼の心にあったのは自分を取り立ててくれたゲルマニクスへの忠誠、そしてゲルマニクスの子、カリグラへの忠誠。その忠誠心は責任感に変わります。若きカリグラを補佐することが今は亡き恩人、ゲルマニクスへの報恩であると。
彼はカリグラを補佐しながらたびたびまともな政治をやるように進言してきました。酒は飲むな、付き合う女は考えろ。しかしカリグラは聞く耳を持ちません。それどころか仕事に生き、年老いても妻を持たなかった彼を「同性愛者」とからかいます。
彼は思ったのでしょう、「もう無理だ」と。愛されるために何でもし、愛されないことは何もせず、酒とセックスにおぼれ、まともな助言には耳を貸さず、ひいては自らを神と呼ぶ若者。
責任感の強いカシウス・ケレア、恩人ゲルマニクスから「息子を頼む」と言われ、その恩に報いるために人生を捧げました。今はもう、その責任を全うする方法はひとつしか在りませんでした。
パラティーノの丘、アウグストゥスに捧げる祭事において昼食に向かうため歩き出したカリグラ。
背中を切り付けられ振り返ったカリグラの見たものは、まず彼の血で赤く染まったグラディウス(幅広剣)。
その持ち手は英雄である父の忠実な部下であり、自身が皇帝に即位して以降、常にもっとも近くにいた信頼の置ける老軍人、そして不可侵である皇帝を警護すべき近衛軍団大隊長、カシウス・ケレア。
誰からも愛されたカリグラはその老人からの愛を疑うはずもありませんでした。
カリグラの目に映るのは常に人々の愛情豊かな笑顔。しかし彼が最後に見たのは憎しみでした。
一方、カシウス・ケレアにとっては息子と同然とも言える若き皇帝。忠誠を果たすためにはここで彼の人生を終わらせるほかになかったのです。カリグラを息子のように、いや息子以上に愛した彼にとってカリグラの不始末を片付けるのも自分の責務と思っていたのではないでしょうか。赤い炎のように燃え盛る憎しみではなくしずかな青き夜のような憎しみもあるのです。
カリグラは生まれたときに持っていたすべての愛を失い、がっくりと膝をつき、絶命します。
あらかじめ近衛軍団の軍人に話をつけていたカシウス・ケレア。カリグラの絶命を確認するとすぐさま傍らにいたカリグラの妻を殺し、その胸にいた幼児を壁に叩きつけ殺します。自分が愛したゲルマニクスの血を絶つことでしか、彼の責任は果たせないのです。自分が忠誠を誓ったゲルマニクスの子、そしてまだ言葉も話せないその孫を殺すとき、彼の目には涙があったに違いありません。
そしてこの凶事を震えながら見ていたのはクラウディウス。

(この人、なんかいつも困った顔してます)
簡単に言うとカリグラの叔父(ゲルマニクスの弟)で、一応、アウグストゥスの血を継いでいます。しかし体が弱かったことと風采の上がらないことから政治の世界にはおらず歴史家として生きていた50歳です。もちろん今まで皇帝候補に上がったことなど一度もありません。
近衛軍団は彼の首根っこをつかみローマ市民の前に立ちます。右手にはカリグラの首、左手にうだつの上がらない歴史家。近衛軍団は「インペラトール(最高司令官)!」と叫びます。つまり前皇帝が死に、新たな皇帝が生まれた、という宣言です。カリグラの暴虐に不満を持っていた元老院とローマ市民、その声にこたえます。「インペラトール!」
ローマにおいてはあくまで主権者は元老院とローマ市民。彼らから承認され統治を任されているのが皇帝です。ここでクラウディウスは皇帝の承認を得たことになりますが、歴史上、こんな強引な皇帝即位式もありません。
カリグラ即位後わずか4年後の出来事でした。
皇帝は代わったものの、殺害犯である近衛軍団は警護兵に捕縛されます。悪名高き皇帝とは言え法に従えば彼に傷をつけたものは問答無用の死刑。ただしカシウス・ケレアはそれもわかっていました。あらかじめ話をつけ「首謀者大隊長カシウス・ケレアは死刑、それ以外は大隊長に命令されただけなので不問」という判決におさめます。(不問となった近衛兵たちは後に皇帝から多額の報償すらもらいます)
カシウス・ケレアは自分が権力を欲しかったわけでもありません。ただ自分の恩人ゲルマニクスの血統がこれ以上悪名にさらされるのを避けたかっただけなのです。死刑になろうがその点だけは達成できました。首をはねられる直前に思い浮かんだのはゲルマニア戦線で過ごした恩人ゲルマニクスとの日々。傍らにはその子、愛らしいカリグラ。ローマ帝国の平和のために戦う日々。つかの間の休息に語り合う彼らの夢。幼いカリグラに築かれつつあった皇帝への栄光の道。
彼らにとってその戦線での日々が人生最上の時だったのかも知れません。
愛されることが得意で愛だけを求めたカリグラ。存命中に数多くの自分の彫像を作らせローマ全土に送りました。神として崇めるようにと。
しかし死後、その彫像はことごとく徹底的に破壊されます。まるでローマ市民がカリグラを愛した自分たちの愚かさを悔いるかのように。後の世に残っているカリグラの足跡は只ひとつ、「悪名」だけです。

<カリグラ伝:完>
まさかこんな展開とは思わなかった、正直。
なによりも自分が忠誠を誓った先代と、そしてその未来のために今がなにほどのものであるか!みたいな熱い魂をみました。
こうしてみるとやっぱしオッくんやカエサルの
偉大さが解るね。
Ё
すいません、シャンプー送ってません。ばたばたしてて…。今週日曜にはなんとか。。。
>ドッピオ
無敵スペランカーのコマンドでしたっけ?
>UMEさん
カエサル伝を書かずにカエサルを語る、というのがこの列伝の裏テーマでもあります。実は。おそらく。