浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:ネロ伝 1

2009-06-06 12:24:09 | ローマ人列伝
はい、本当はネロから始めるつもりが母であるアグリッピナのことで長くなってしまいまいた。ここからがネロ編。

このローマ人列伝なんですが、書くときはだーっとワードに書いてってます。「ワードに書く」って言葉が伝わらない方はいらっしゃるのかしらん?? つまりまぁワープロソフトを使って書いてます、ということですね。あ、ワープロって言葉がすごく懐かしい。

一応、連載形式なんですが一話書いて一話アップ、というのだとなんだか書いているうちに整合性が取れなくなりそうで怖いのでいったん全部仕上げてしまってから都度都度アップしています。こうすることによって「やっぱりこの話はこっちじゃなくてこの回でしたほうがいいな」とか調整も効くし。

ね、マメでしょ。お金にならないことはね。

このネロ編も既に最後まで書き終えているわけですが、このネロ。多くの人にとっては「暴君」というイメージしかないかも知れません。ハバネロも彼をもじって「暴君ハバネロ」という商品名で出したくらいだし。

でもね、僕は今、哀しい人だったんだなー、と思ってます。

僕の文章が拙いからか、あるいは面倒なのでちょこちょこ端折ってるからかも知れませんが、僕のネロ伝を読んだ人は「なんだ、単なる悪人じゃん」と思う人もいらっしゃるかも知れません。それはそれで仕方が無いけどさ、でもさ。

「暴君」が彼の二つ名として知られていますか決して皇帝として無能だったわけではありません。彼の死後150年続く貨幣改革もしましたし、近隣諸国との外交あるいは戦争も決して下手ではありませんでした。有能ながらローマ市民には嫌われ続けたティベリウスとも違い、ローマ市民からも愛されます。その彼が何故、暴君と呼ばれるようになったのか?


ローマ人列伝を書くときにメインテキストとしているのは塩野七生の「ローマ人の物語」なんですが、僕がローマ人列伝を書く意味、というのはより深くその本を理解したい、というところも多少なりともあります。やっぱり自分の言葉で説明しようとすると曖昧な記憶では説明できなくて、何度も本を読み返すことになります。

その過程で「そうか、だからこの人はそんなことをしたのか」「うーん、そうだよな、それなら俺だってそーする、誰だってそーする」と本当に理解が出来ることもあります。

今回のネロだって僕とはまったく違うタイプの人間だし、彼の行動は僕ならそんなことはしないと思うことは多いけど、その時代に生まれそのような過去を過ごしてきたら、と共感、うん、共感とは少し違うけど、少なくとも理解できるところは多くあります。

というわけでネロ編。ネロ編の前にまずはアグリッピナ伝を読んでいただくと理解しやすいかも知れません。

何度も繰り返しますがこのローマ人列伝は僕の個人的な趣味で書いているものですから歴史的間違いはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます)


母アグリッピナの策略により第四代ローマ帝国皇帝に即位した時、ネロは16歳でした。


当時のローマでは政治の中心である元老院議員になれるのは30歳から。つまり事実上30歳が成人だったこの時代において非常に若い皇帝の誕生でした。(先々代皇帝カリグラも若くして即位しましたがそれでも25歳)

若すぎるほどの皇帝の誕生でしたがローマ市民と元老院はこの皇帝を歓迎しました。

理由はまず、先代クラウディウスの不人気。もちろんクラウディウスの政治には大きな問題はありませんでした。むしろ良くやっていたと言えるほどです。しかし、市民は問題が無いから皇帝を好きになると言うわけではなく、我侭なものです。風体の冴えない、妻(アグリッピナ)の尻に敷かれる60歳の皇帝に比べ、新たな皇帝は若くはつらつとしていたのです。

元老院からの支持はクラウディウスが確立した秘書官政治(クラウディウスは信頼できる解放奴隷を秘書官として採用していました)からの脱却により、再度、元老院が強い発言力を持てる政治が行われるのではないか、という期待から。

もちろん若く経験の無いことはネロ自身、わかって……いませんでした、一切。

ネロは何も考えてないんです。だって16歳ですよ。

そもそも皇帝になることはネロが望んだことではありません。ネロの母、アグリッピナの野望であり、ネロが何をしたわけでもありません。

ここにアグリッピナの完全なる傀儡、皇帝ネロが誕生します。

母アグリッピナは聡明な女性でした。彼女の望みは皇帝の母になることでしたが、ただなりさえすればよい、というわけではありません。一度、掴んだその座を出来る限り手放さないために多くの手を打っていました。

まず若く能力の無いネロを補佐する側近の任命。

歴代の皇帝に疎まれ、また政治での陰謀に巻き込まれ流罪となっていた当時の大哲学者セネカをネロの政治担当としてつけます。

(セネカ)

また軍事面ではブルスという忠実で武勇名高い軍人を後見人とします。ネロ即位前には反対勢力をこのブルスに暗殺させました。

話がずれますがこのあたりアグリッピナの戦略の巧さが伺えます。知識人セネカには「流罪から救った」という恩を着せることで、武力の人ブルスに関しては暗殺を命じ「共犯関係」となることで、それぞれの忠誠心を固めたのです。機を見て先んじ人を見て制す、アグリッピナは見事でした。

側近二人に加えてもひとつの策。アグリッピナはネロを一人前の男とするため、前皇帝クラウディウスの実娘であるオクタヴィアと結婚させます。

当時オクタヴィア12歳。「前皇帝の娘」という血統は輝かしいものでした。更には仲間と連れ立って夜の街を飲み歩くことが好きなネロへの一種の「虫除け」の意味もあったのでしょう。

(オクタヴィア)

政治はセネカ、軍事はブルス、妻はオクタヴィア、アグリッピナはネロの周りを迅速に固めます。

更にアグリッピナは通常、ローマ市内のフォロ・ロマーノ(今で言う霞ヶ関)の元老院議場で行われる元老院会議を皇帝の私邸で行わせるようネロの名で指示を出させました。もちろん、皇帝の母とは女性が立ち入ることが出来ない元老院議場ではなく、私邸であればアグリッピナが隠れて聞き耳を立てることが出来るからです。

ネロは何も考えていません。

ただ友人たちと酒を飲み街に出て遊びほうけていました。好きなことは歌うこと。そんな16歳の青年。彼がアウグストゥスが築き上げた皇帝システムの、そしてイタリア半島、ガリア(現代のフランス)、スペイン、エジプト、北アフリカと広大な領土を持つ大ローマ帝国の継承者です。

ネロ即位後の5年間はすべてがうまく言っていました。その多くは政治担当セネカと軍事担当ブルスのおかげによるものですが、とはいえ後にこの5年間は「ネロの黄金の5年間」と呼ばれローマにとって幸福な日々でした。

それに綻びが生まれるのは何も考えておらず今まで母の言いなりだったネロが初めて母に反抗する出来事からです。



…to be continued...

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