浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:ネロ伝 2

2009-06-09 23:04:41 | ローマ人列伝
ネロの母に対する始めての反抗、それはネロの初恋から始まりました。

ネロの妻は母に強引に結婚させられたオクタヴィア。しかし彼女のことをネロは気に入りませんでした。もともとネロは単なる兄ちゃん、友人たちも皇族よりも若い兵士たちや身分の高くない平民ばかり。そんな彼が見初めたのはアクテと言う女性。皇室育ちでおとなしいオクタヴィアに比べ、彼女は街中で一緒に楽しめるような明るく、心安らぐ女性でした。

普通であれば母の策略によって結婚したオクタヴィアを別れアクテと結婚すればいいだけの話でしょう。しかしそううまくは進みません。問題は二人の身分。

ネロは既に大ローマ帝国の皇帝でした。もしアクテがどこぞの元老院議員の娘などであれば話は簡単でした。しかし、残念ながら彼女の出自は違いました。彼女は解放奴隷だったのです。解放奴隷というのは元々は辺境の蛮族の出身でローマ人の奴隷だった人々が、雇い主の恩赦あるいは金によって解放された奴隷あるいはその子孫のことを言います。

一応、ローマ市民権は持っているものの、皇帝の交際相手として適切ではありません。

この2人の恋を知った母アグリッピナは烈火のごとく怒り、ネロを呼び寄せ強く叱責します。曰く「お前が皇帝になれたのはだれのおかげか!?」 ネロを強く叱り、更には相手アクテの身分を厳しい軽蔑の言葉を投げました。

常に母の言うことを聞き、そのとおりにしてきたネロ、母からの叱責は生まれて初めてのこと。加えて自分の愛した女性にいくつもの軽蔑の言葉を投げかけられたことによってネロはネロ自身も母から軽蔑されたように思ったのです。

以後、ネロは母との関係性において非常に屈折した複雑な感情をいだくようになります。

(余談ですが現代心理学上の仮説のひとつにこのアグリッピナの名を冠した「アグリッピナ・コンプレックス」というものがあります。)

残念ながらネロは普通の男として母離れが出来ぬまま皇帝となりました。それはネロのせいではないのかも知れません。恋愛ひとつにしても母アグリッピナから離れることが出来ないまま皇帝になりました。

それまでネロは何も考えず母の言うとおりに生きてきました。しかし、ここでネロは母からの自立をしなければいけません。

通常の母子関係であれば話はもっと簡単だったのかも知れません。

しかし、相手である母は自分を皇帝に仕立て上げた張本人、更にはローマ帝国におけるアウグスタという女性においては最高の称号を持った女性です。

この複雑な状況にネロの相談相手はセネカとブルスしかいませんでした。


(アグリッピナについて話し合うネロとセネカの像。是非、大きい画像でどうぞ。⇒こちら

ネロから相談を受けたセネカとブルスは積極的にネロに協力しました。2人にとってみればアグリッピナはこの身分に引き上げた恩人のはず。彼らの心中は分かりません。良く捉えるのであれば自分たちの仕えるべきは皇帝ネロであり、若き皇帝の自立のために協力したのか。悪く捉えるのであれば彼ら2人もアグリッピナの横暴に辟易としていたのか。

とにかくネロと2人の側近はこれ以降、アグリッピナを公職から遠ざけるよう画策します。

血統が良く、更には聡明、権力もある、何でも自分の思い通りに行くと思っている、そして事実、自分の思うような地位を自らの力で手に入れてきた女性が最も嫌うこと、それは「無視」です。そしてそういう女性は「無視された」という事実の前に、「無視しようとしている」という気配に敏感に反応するものです。

彼らの気配を感じ取ったアグリッピナは更にネロを厳しく叱責します。こうなればアグリッピナは止まりません。ネロに対して「お前など産むのではなかった。ましてや皇帝に据えるのではなかった。皇帝候補ならば前皇帝クラウディウスの実子ブリタニクスのほうがよっぽど役に立つ!」とまで言い放ちます。

本来ならば皇帝継承順第一位のブリタニクス、彼は前皇帝クラウディウスの実の子でした。皇帝になれなかったのは偏に自分の子供ネロを皇帝にしたがったアグリッピナの策略によるもの。

性格もおとなしく身体も弱かったブリタニクスは皇帝ネロの即位を決して恨んではいなかったかも知れません。もともと野心の無い者は猜疑心も少ないものです。

一方、ネロには母親譲りの野心と猜疑心がありました。そしてアグリッピナの行動力を誰よりも知っていました。ここでネロに生まれた感情は相反する2つ。

ひとつは憎しみ。母アグリッピナならば自分を殺し再度ブリタニクスを擁立する可能性もゼロではない、いや、そうに違いない。もしそうなればアグリッピナは既に自分にとって敵だ、という憎しみ。

もしそれだけであれば彼はただアグリッピナを遠ざけただけでしょう。しかしネロにはもうひとつの感情がありました。母アグリッピナは自分の行動を制限する疎ましい存在、、だがしかし、自分はアグリッピナの愛に育てられ、愛ゆえに(それがアグリッピナの自己愛だとしても)皇帝になれた。その愛をもしかしたら彼女はブリタニクスに向けるかも知れない。という歪んだ愛情。

憎しみと愛情、感情は相反していますが結局のところその向かう先は一緒です。

ここで哀れなブリタニクスの運命は決まります。

ある日、ネロを含めた皇帝一家が食事の最中、ブリタニクスは腹痛を訴え倒れます。そしてそれが原因で帰らぬ人となります。もちろん、毒をもったのはネロでした。


アグリッピナがブリタニクス擁立を本気で考えていたかどうかは分かりません。ただブリタニクスの死が決して自然死でないことには気づきました。更にはそれがネロによるものであることも。もはやネロが自分の操り人形ではないことをアグリッピナは知ります。アグリッピナは強い女性でした。ネロが自分から権力を奪っていくのであれば自分の身は自分で守る、とばかりに猛反撃に出ます。

まず物を言うのは資金。アグリッピナは私財を転売し資金を確保します。

そして次に自分の身を守る武力。蓄えた資金をライン河付近の殖民都市に寄付しそこにいる軍団を味方につけます。

三つ目に人気。彼女は市民から彼女自身の人気が無いことは重々承知していました。その人気を補うのために、皇帝ネロにないがしろにされ市民から同情を集めていた若妻オクタヴィアに接近します。


ネロはネロで母の動きを察知しつつ、少しずつ母の権力を奪って行きます。

この母子間の冷戦はネロが20歳になるまで続きます。

その冷戦の終わり、残念ながらそれは和解ではなく母子という関係自体の終焉でした。



…to be continued...

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ema)
2009-06-10 00:34:48
ああ面白い~~~。
ネロの話は本当にギリシャ悲劇のようですね
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Unknown (show)
2009-06-10 01:06:37
emaさん、ありがとうございます。

僕のブログ、ローマ人列伝が始まるとコメントが激減するのでコメントうれしいです。

クレオパトラとアントニウス、よりもネロとアグリッピナをシェイクスピアに書いて欲しかったなぁと思ってます。
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Unknown (クメ)
2009-06-10 02:00:17
いやいや、毎回わかりやすくて、続きを楽しみにしてるんだよ!
でも、下手なコメは入れたらダメだな~って思っちゃうんだよね。
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Unknown (よね3)
2009-06-10 11:56:49
こうして魔肖ネロがネロ魔身に変わっていくのですね。
わかりやすいです。
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Unknown (show)
2009-06-10 23:07:17
>クメ

ま、確かに本文も遊びがないからねー。でもさー、コメあるだけでがんばるよー。

>よね3

これからが山場です。
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