浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:ハンニバル伝 3

2009-03-25 18:22:37 | ローマ人列伝
どうも、ハンニバル伝始まって以来アクセス数コメント数がウナギ下がりの浅草文庫亭です。

とはいえ始めてしまったものは最後まで続けますよー。

クレオパトラ伝書いてる途中に緊急入院したのはちょうど去年の今頃でした。入院しない限り毎日続きます。おそらく。


さて、ティチーノ川はイタリア北部を流れる小さな川です。

(現在のティチーノ川)

この川を挟んでハンニバル軍とローマ軍がお互いを認めます。

ハンニバルは敵軍の中に「ファスケス」という武器を持った兵士団がいることを見つけます。

これは当時、執政官を守る警士(リクトル)と呼ばれる兵士の目印でした。

  
(左「ファスケス」、右「ファスケスを持った警士(リクトル)」。ちなみに「ファスケス」、後の「ファシズム」の語源)


この警士が居る、ということはその軍の中に総司令官であるローマ執政官が居る、ということ。

一方、ローマ執政官コルネリウスも敵軍の中にカルタゴの若き智将ハンニバルの姿を認めます。

こうなれば偵察なんのとは言っていられません。

まず第一手を打ったのはローマ軍。カルタゴ軍に向けて矢を放ちます。

しかし、地力に勝るのは今の今までアルプス越えという地獄を越えてきたカルタゴでした。しかもカルタゴ軍はアルプスを越えてすぐ、騎兵を増強したばかりでした。

少し話がずれますが、第二次ポエニ戦争は「騎兵の発明された」戦争だと思います。もちろんそれ以前にも「ただ単に人が馬に乗っている」騎兵は存在しました。しかしこれまでその騎兵は単なる輸送手段でしかなく、場合によっては馬から降りて戦っていたことのほうが多かったようです。しかしこの第二次ポエニ戦争以降、騎兵の機動力を有利に使ったものが戦いに勝つようになります。

もちろんその発明は幼い頃から馬に慣れ親しんだハンニバルによるものであることは言うに及びません。どの時代においてもその当時最先端の機動力、攻撃力を持つ部隊を有効に活用したものが勝利を治めるのが戦争の常です。

古代マケドニアの重装歩兵(ファランクス)、この時代の騎兵、日本で言えば武田赤備え、長篠の合戦における鉄砲隊、更に時代を越えれば第二次大戦における戦車部隊、近代戦争におけるヘリ部隊。

ハンニバルは騎兵を両翼に置き、その騎兵の機動力を活かしローマ軍を攻めます。ローマ軍は双方から圧倒的なスピードで押し寄せてくる騎兵に恐怖を感じ、一気に退却を始めます。カルタゴ騎兵が敵の大将である執政官コルネリウスに迫ったとき、その日が初陣であった若兵がなんとか執政官を救い、退却に成功します。

偶然から始まった第二次ポエニ戦争第一戦目ティチーノの戦いはローマ軍の撤退によりカルタゴの圧倒的勝利で幕を下ろします。


ハンニバルは帰陣後、執政官コルネリウスを取り逃したことを大いに悔しがったといいます。しかし、本当に彼が悔しがるべきは執政官の撤退を手助けした若兵を取り逃がしたことでした。今回が初陣だった弱冠16歳のこの若兵、執政官の息子で名をコルネリウス・スキピオ。17年後にハンニバルとザマの会戦で戦うことになるスキピオ・アフリカヌスその人でした。


(スキピオ)


偶然であれなんであれ、ローマ執政官率いるローマ軍を打破したというハンニバルの名声は一気に広がりました。名声に伴いガリア人からの合流志願者も増え、ハンニバル軍兵士はどんどん増えていきました。

一方、守るローマ軍、ハンニバル軍の強さ、特に騎兵の威力を目の当たりにしたコルネリウスはいくらローマが兵力では勝っているとは言え、平地に宿営地を作ることは危険と判断し、ビアチェンツァ付近に強固な城砦を建築し、そこで援軍、もう一人の執政官センプローニウス軍の到着を待ちます。

当時のローマにおいては最高権力者はローマ市民と元老院、彼らの決定に従い政策を実行するいわば総理大臣のような役割が「執政官」という役職でした。この執政官は基本的に任期は1年、常に2名が選挙で選ばれていました。2名を選ぶのは「王嫌い」ローマの特徴。一人に権力が集中するのを防ぐためです。

援軍を率いてやってきたもう一人の執政官センプローニウスは平民出身の執政官でした。

彼は決して軽率な人間ではありませんが、比較的、強気な政策に出ることが多い人間でした。これは平民出身の執政官の特徴です。自らが背負っている平民と言う立場からなんとか功を成し遂げたい、そして自分に続く平民たちに道を開きたい、という気持ちの表れでしょう。(だからこそ初の黒人大統領オバマはこれから強気な政策に出ると個人的には思っています、良かれ悪かれ)

合流したセンプローニウスはコルネリウスと軍議を重ねます。

既にハンニバル軍の強さを目の当たりにしているコルネリウスの主張はあくまで冬越えを見越した防戦論。これから本格的な冬になり、補給路の無い敵将ハンニバルはおいそれとは攻められないだろう、だからあくまで防戦に徹すべき、と主張しました。

一方、センプローニウスはあくまで徹底抗戦を主張。なぜならもし冬を戦闘無しで終えてしまえば自分とコルネリウスは執政官の任期が切れ、一度、ローマに帰られなくてはいけなくなります。目の前にローマにとっての強敵がいながら、戦いもせず帰ったとなれば貶されはしないまでも何の戦果も残せないことになります。彼は決して自分の名誉欲のためではなく、自らの身分階級、後に続く平民たちのためにここで戦果を残すため、あえてここでハンニバル攻略を主張します。

ハンニバルにはすべてが分かっていました。まずローマ軍の規則を。執政官2名が同じ軍を率いているときにはローマ軍は規則上、1日交替で軍の指揮を執ることになっていました。しかし、片方が負傷しているときにはその限りではありません。

1日交替で指揮を執ってくるのであれば毎日戦術を変えなくてはいけませんが、ありがたいことに敵将が一人で済むのならその敵将の対策だけを考えればいいのです。

そしてセンプローニウスが平民出身の執政官であることもハンニバルは知っていました。

ハンニバルは功を焦るこの執政官に的をしぼることにします。

実はハンニバルが一番恐れていたのは冬越えでした。コルネリウスの考えどおり、ハンニバル軍に補給路はありません。馬の飼葉ですら現地のガリア居住地から確保するしかありません。今は緒戦の勝利により穏便に確保できます。しかし時が経てば経つほどその調達は難しくなります。

ハンニバルはセンプローニウス攻略を始めます。

まずはローマ城砦7.5キロのところまで兵を進めローマ軍とトレビア川を挟む場所に陣営を築きました。



更にしばしば小隊を繰り出し付近の食料を強奪させました。

この行動がセンプローニウスの目にどう写ったか? ハンニバル軍は付近の食料を強奪するほどに食料に困っている。今が攻め時である、センプローニウスはそう思ったでしょう。

防戦派コルネリウスの意見は日々弱まり、抗戦派センプローニウスの意見が強くなります。

そして本格的な冬が到来し、最も夜が長い冬至の前日、ハンニバルは自軍にいる信頼のおける末弟マゴーネを伴い、周辺の調査に出かけます。ローマ軍との間にあるトレッビア川周辺を入念に調査した後、林の付近を指差しマゴーネに指示します。

「1千の兵と1千の騎兵を選び、明日の夜明け前に宿営地を出て、わたしの指示があるまでここに身を隠せ」

そしてハンニバルは宿営地に戻り、2つの指示を全軍に伝えます。

・今晩は十分に食事と休息を取ること。
・明日の朝は夜明け前に食事を済ませ、身体を焚火でよく暖め、身体には油を塗っておくこと。



明くる日はいつも以上に寒さが厳しく、どんよりとした雨空でした。

(現在のトレビア川)

夜明け前のローマ軍内に「カルタゴ軍騎兵急襲!」の報が届きます。

朝食も取らずとりあえず防備を整えたローマ、センプローニウス軍は宿舎の外に飛び出し、彼ら自身はまだ見たことが無いハンニバル騎兵を探します。

しかし、ティチーノの戦いでの圧倒的なハンニバル騎兵の強さを聞かされていたセンプローニウスが目にしたものは予想と違うものでした。


…to be continued...

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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (バラマツ)
2009-03-25 19:00:51
大河ドラマ「ハンニバル ~すすれ!~」を
やってるのはここですか?
第3話「大好きピオ登場の巻」
面白かったです。
次回の、
「センプローニウスが目にした麺の正体は!」
楽しみにしてます
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Unknown (よね3)
2009-03-25 20:15:53
んーもー!

そこで切る!

そこで切るの!

本も面白そうだねぇ

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Unknown (show)
2009-03-25 23:21:31
>バラマツ

ぼけすぎてもうなにがなんだかww

とりあえず麺の正体はワンタンメンでないとだけ言っておく。

>よね3

切る場所を考えるときは「ここで切ったら悶々するだろうなー」と言うことです。

本も面白いですよー。これ書くのに読み返したらまた最高に面白いです。

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Unknown (よね3)
2009-03-26 13:23:10
なーる



とだけ言っておく。
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Unknown (ドッピオ)
2009-03-26 21:51:00
いやいや、面白いよ。

とだけ言っておく。
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