浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

女性曲の「君/僕」論

2011-07-08 21:16:15 | 
そうかー、渡辺美里は盲点だったなー。かなりCD持ってたのに。。なんで気づかなかったんだろうか。。

つーことで、長々書いた「日本語曲における人称代名詞論・序章」の続き。

皆さんもご存知だと思いますが最近ほら、秋葉原あたりから来た大人数のグループが流行ってますね。正式名称書くと変な人来るかも知れないから書かない。まぁ察してください。

一応、僕の仕事はマーケッターでもあるので流行っているものはその良し悪しだとか好き嫌いは別にしてなんとなく調べてみる。調べるったってネットのニュース検索してみたりするだけだけど。

あのグループの人気の理由はたぶんいくつかあるんだろうけど、ここで「歌詞」ということを取り上げます。

これはまだあまり言及されていないけど、あのグループの歌(全部見たわけじゃない、代表的なの。だからあんまり突っ込まないでね)には一番の大きな特徴がある。

それは「すべて男性視点の『僕/君』歌詞」ということです。

これは渡辺美里、浜崎あゆみと連なるいままでの「女性歌手による『僕/君』歌詞」とは明らかに違う。

どこが違うのか。

いままで女性が歌う歌で人称代名詞が「僕/君」の場合は、あくまで「男性っぽい女性が主人公(つまり君、は男性)」あるいは「中性的な人物が主人公(=僕も君も男性でも女性でもない)」の2パターンしかなかった。

少し話ずれるけど後者の「君」って英語における「You」に近いんだよね。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」的Youと言うか。

でも例のグループの歌詞は明らかに「男性である『僕』が女性である『君』を思って」歌っている。

たとえば例を出すとこういうの。

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カチューシャしてる君に
僕は長い恋愛中
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カチューシャは明らかに多くの場合女性がするものだろうからね。

この方法によりどういう効果が見込まれるか。それはこのグループのメインターゲットである「アイドル好きの男性(以下z群と呼びます)」からの「共感」を得やすい、という効果。

たとえば歌詞が「あなた(A)を好きな私(女性)」だとすると聞いている男性はそのAに感情移入するわけだよね。でも残念ながらz群からは「どうせ俺たちはそんな風に女性から思われたことないよ」と思ってしまう。z群の特徴は恋愛経験の少なさだから。

あるいは「君(A')を好きな僕(女性)」ならば「そんな強い女性が自分たちを相手にしてくれるわけないよ」と思ってしまう。z群において浜崎あゆみの人気が無いのはこういうことでしょう。

しかし例のグループの楽曲であれば「そうだよ、俺たちもそう思っていたよ」と思う効果が生まれる。

それを醸成するために楽曲内において人称代名詞のみならず、「僕」は基本的に「君」に声をかけられない、好きだけど見てるだけ、というストーリーにもなっている。つまり「僕」と「君」が明らかに恋愛中である、という歌はほぼ無い。これも正にz群からの共感を得るための仕掛けだろうね。

僕はこれに気づいたときに「なるほど!だから人気があるのか!」と思った。ここはやっぱりプロデューサーであり全作品の作詞をしている人の巧妙さだよね。

つまり、「女性が歌う男性視点の『僕/君』歌詞」という関係(仮にfm関係と呼ぶ)が例のグループの楽曲における歌詞の特徴だと思う。

そうすると翻ってfm関係の対偶とも言えるものは無いのか、と考えてみる。もしfm関係がヒットの法則であるならば、その対偶もまたヒットするはずだから。

考えてみるとfm関係の対偶は「男性が歌う女性視点の『私/あなた』歌詞」(仮にmf関係と呼ぶ)ということになる。

じゃあそのmf関係の歌詞はあるのか、というとこれが一杯ある(正確に言うとあった)んだよね。

たとえば松山千春の「恋」

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たぶんあなたはいつもの店で
酒を飲んでくだをまいて
洗濯物は机の上に
短い手紙そえておくわ
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「大阪でうまれた女」もそうだね。
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大阪で生まれた女やけど
あなたについて行こうと決めた
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「私/あなた」どころか「あたい/あんた」でもチャゲアスの「ひとり咲き」がある。
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あたいあんたに夢中だった
心からあんたにほれていた
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とにかくある一時期のムーブメントとしてそういう曲はたくさんあった。

僕の思考としては最近のグループのfm関係からmf関係へと思い至ったわけだけど、おそらくこれは歴史的順番が逆なんだろうね。

つまり、一時期のムーブメントとしてmf関係があり、それを現代に持ってきたのが例のグループのfm関係、ということが言えるんじゃないかと思う。

と、まぁ長々書いてきたけど歌詞の世界というのは奥深いもんです。