浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

早いってことが必ずしも善ではない

2007-05-19 22:10:10 | 
よく言われるけど本を読むのが早い。

新幹線とか飛行機とか他にやることがない、という時間だと大体2時間で1冊か2冊を読み終える。

「速読でもやってるの?」とか訊かれるけどやってないっす。

子供の頃から本を読んでいるので慣れてるだけ。

でもねぇ、本を読むのは早けりゃいいってもんじゃない。じっくりと噛むように、味わいながら本を読むってのもいいじゃないですか。

よく子供の頃「そんなあわてないでもっと味わって食べなさいよ」と言われた。母親に「あのね、カレーは飲み物じゃないから」とも言われた。

本を読んでて我ながら「そんなあわてないでもっと味わって読もうよ」とも思う。でもね、面白い本は手が止まらないのよ。「もっと先を!どうなんのさ次は!」と手と頭と目がフル回転。そういうのが快感。

そういう本はないか、と思って読むのが雑誌「ダヴィンチ」。

ついつい買っちゃうんだよね。

昔、目黒孝二(書評家、本の雑誌社社長)が、「無人島に持っていくならどの本、と聞かれるが本は持っていかなくてもいい。島の前の海を今月の新刊が入った箱が流れてその背表紙を見て『おお、今月は○○の新刊が出るのか、楽しみだなぁ』と思っているだけでいい」ということをエッセイで書いてた。その気持ちはわかる。

ダヴィンチを読んでて「あー、この本も面白そうだな、あ、これ続編出るんだ」とか思っているだけで楽しいもん。

さて今月のダヴィンチの特集は「都市伝説」

大好きです。消えたヒッチハイカー、喉の詰まったドーベルマン、とかのアメリカの都市伝説も好きだし、噂やデマとの違いもあまり明確じゃない日本の都市伝説も好き。メアリ・セレステ号の話なんかもいいねぇ。いいじゃないですか、なんか怪しくてね。

(アメリカの都市伝説はここにまとまってます。)

考えてみるとJOJOの奇妙な冒険にはよく都市伝説がモチーフになってる。ぱっと思いつくだけでも「メアリ・セレステ号」「ベッドの下の犬」「運の悪い男」。

UMA(ネッシー、ビッグフット、スカイフィッシュ、、、)なんかもよいね。

子供のころ学研漫画(覚えてます?オレンジ色の本で知的なんだけど漫画。よく図書館にあった。僕は大体の人の伝記はこれで読んだ)で「いる・いないの秘密」だとかいうやつがあった。ネッシーとかシーサーペントとか、ビッグフットとかね。子供心に「うーん、世界にはいろんな生物がいるもんだなぁ」と思ったね。

そうそう、モーニング。藤田和日郎が短期連載開始。こちらもイギリスの都市伝説「バネ足ジャック」の話。これもいいねぇ。

妖怪も好き。人間の思考のメカニズムってのはすごいもんだと思うんだよね。たとえば「べとべとさん」。夜道を歩いていると後ろに人の気配がする、振り向いても誰もいない。それはべとべとさん、っていう妖怪。という話なんだけど、誰もいないのに気配がすると怖い、でもその現象(何にも起こってないけど)に「べとべとさん」という概念を与えるだけで「なんだ、べとべとさんか」と安心できる。すばらしいのは現象に名前を与えることで、解決策まで見出せちゃうことだよね。べとべとさんはこの辺りで死んだ人の恨みが妖怪になったので、このへんに神社を建てて供養しよう、とかね。
人間はこうやって恐怖を克服してきたんだね。えらい。

ダヴィンチの話に戻すと、京極夏彦のインタビューが載ってました。

「巷説百物語」「続巷説百物語」「後巷説百物語」「前巷説百物語」で、終わりかと思ったら次は「西巷説百物語」ですって。わーい♪まだ続く、ってだけでうれしい。前、後、と来たんで次は「左」?とか思ってたんだけどね。

Do you love you?

2007-05-19 03:37:06 | 日記
あらかじめ言っときます。今日はまとまりがありません。

ふと思うところあって、最近いろいろ考えている。

何を考えているかというとまぁいろんなことなんだけどさ。

最近、いい意味でも悪い意味でも「うーむむむ」と考えさせられることが多くてね。

ひとつは、(いい、すごいこといいますからね)「生きる意味」ってこと。

いや、死にたいとか生きる気力がわかないとか人生に迷いだした、というわけではぜんぜんないのよ、ほんと心配しないでね。
ただまぁ、31年間生きてきて、いろいろな人と出会って、別れて、いろいろな経験をして、考えることは「自分は何者かになるのかね?」と言うこと。

何回か書いているとおり、手帳はほぼ日手帳を使っている。使えば使うほどやはり便利で常に持ち歩いているわけだけど、その1ページ目は真っ白、というか余白なので、そこに僕が「50歳までにやりたいこと」というのを書いている。2ページ目には「今年やりたいこと」。

差し支えのないものだけ例を挙げれば「イタリアに行きたい」とか「NYシティマラソンに出たい」とか。

実現したこと、まだしてないことがあるわけだけど、中には「もう実現不可能になってしまったこと」がある。それは修正液で消す。

話は変わるけど携帯電話のメモリーから番号を消すことがある。何度も何度もかけたし、そのたびに心に火が点ったけどもう電話することもない番号を。

そういう時には佐野元春の「someday」って歌の一節を思い出す。

窓辺にもたれ 夢のひとつひとつを 消していくのはつらいけど
若すぎて なんだかわからなかったことが リアルに感じてしまうこのごろさ


そういうことをしていると、うーん、このまま何にも変わらないんじゃないか、ともふと思う。

んじゃあ生きる意味なんてなんなんだろうねぇ、と思う。(人生に絶望した、とかじゃないからね、ホント)

昔、「実存主義とは何か」ってのを読んだときにはなるほど、と思ったね。

世の中の道具とか人間の作ったものは「存在」より「目的」が先行している。つまり「紙を切る」という目的のためにハサミという存在が生まれた。「音楽を聴く」という目的のためにiPodが存在している。
昔の人は「神が人間を作ったのだから、人間にも目的があるはずだ」と思っていた。それを「人間に生まれ持った目的はない。存在が先行している」という概念で覆したのが「実存主義」。

それとギリシャ悲劇の「デウス・エクス・マキナ(=機械じかけの神)」の話も思い出す。村上春樹の「ノルウェイの森」でほぼ意識のない緑のお父さんに「僕」が病室で話すんだけど。うろ覚えだけどギリシャ悲劇のなんとかって人の作品は、いろんな登場人物が出てきて、全員とんでもない状況に陥ってみんな八方ふさがりになるらしい。そこで「デウス・エクス・マキナ」が登場する。そして「お前あっちいけ、お前こっち来てこれやれ」と指示して、問題は一気に解決するらしい。

…らしいすよ、よ知らんけど。

残念ながら我々の生きている世界は実存主義で、しかもデウス・エクス・マキナなんていない(いないよな、多分)

今日はまとまらんと言ったでしょ。

でもまぁ続けるんだけど。

それで「うーむむむ」と考えるわけですよ。そして、いつも同じ結論に至る。「ま、大丈夫でしょ」

何でそう思うか?だって、僕、自分のこと好きだからねぇ。みんなはよう知らんと思うけどかなりキュートですよ、僕。この僕がこんなに大好きな僕だから大丈夫じゃないかと思っているんだけどね。なんかウロボロスの蛇みたいだけどさ。