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浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:スッラ伝3

2008-05-03 01:24:10 | ローマ人列伝
以前、イタリアの歴史の教科書に載っている一節を紹介しました。

「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、この全てを持っていた。」

僕はスッラにもこの五つの資質があったと思っています。しかしスッラには六つめの重要な資質が欠けていました。それは「時代を読む能力」です。

2000年後の現代からローマ史を見る我々は勝手なものです。「共和制なんてもう無理じゃん」、今の我々なら簡単にそう思うでしょう。しかし共和制のおかげでここまで強大になったローマに生まれ育った人間にとって共和制は絶対です。

たとえば日本の幕末を見ても「尊皇攘夷!」の旗の下、死んでいく人々を見て、「開国に決まってるじゃーん」と現代の我々が思うのは簡単です。しかし「徳川こそが絶対。徳川のおかげで今の自分がある」と生まれ育った人にはやはり尊皇攘夷だったのでしょう。

共和制を信じ、そのために粛清を行ったスッラの気持ちは分かるような気がします。

共和制を万全なものにするために、スッラは終身独裁官に就きます。もともと独裁官とはあまりに権力が強いため非常時にしか任命されない官職でありしかも任期は1年と定められています。それをスッラが掟破りの逆さそりで任期を終身にしたのです。もう共和制のためにはルール無用。

更に彼の粛清は続きます。

王嫌いのローマ人(後に終身独裁官となったカエサルは「カエサルは王になろうとしている」と暗殺されます)ですがさすがの彼らもスッラには何も言えませんでした。今となってはスッラのなすことに意義をとなえるだけで処刑者名簿に名を載せられてしまうのですから。

終身独裁官としてとりあえずの粛清を終え、共和制を万全なものにしたスッラ、普通の人であれば後は自分の思うとおりに政治を行っていく、という欲にかられるでしょう。

しかし彼は自ら終身独裁官を辞任します。せっかく就任した終身独裁官を1年で辞任。なんでやねん、という感じです。

なぜなら彼の目指すものは権力が一人に集中しない、合議制による政治。ここでスッラが権力を持ったままでは自らの信じた共和制に反することになります。すぱっと辞任&引退&キック&ラッシュ。僕はここに彼の「自己制御の能力」を感じます。

スッラが信じ磐石なものにした共和制ローマ。現代に生きる皆さんは既にご存知だと思いますがその共和制は脆くも崩れます。スッラが殺さなかった一人の若者によって。

彼の正式な名はルキウス・コルネリウス・スッラ・フェリクス。最後の「フェリクス」は仇名のようなもの。「幸運な」という意味です。彼は幸運でした。権力のすべてを手にし敵という敵は粛清したのですから。しかし幸運なのは彼一人だけ。彼の粛清により処刑された人は何百人にも及びます。

そして、確かに彼は幸運でした。自分が信じ人生をかけた共和制の滅びる姿を見る前に死んだことも。

敵、そして敵となる可能性があるものをすべて殺したスッラ、晩年は引退し家族に囲まれ過ごし、そして家族に看取られながら人生を終えます。すべての敵を許したカエサルが彼が許した敵の手によって暗殺されたのとは対照的です。
そしてカエサルの名が2000年後の現代も英雄として残り、スッラの名は残っていないことも。

彼の墓碑には彼の希望でこう記されているそうです。

「味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」



<スッラ伝:完>

ローマ人列伝:スッラ伝2

2008-05-02 14:35:39 | ローマ人列伝
その若者、とはユリウス・カエサル。当時18才。彼の妻の父の親戚(あー、もうほんとどうでもいいじゃん、と思うつながり)はガイウス・マリウスでした。そしてガイウス・マリウスはスッラにとって殺しても殺し足りない、忘れようにも思い出せないライバルです。

当然のことながらスッラはユリウス・カエサルを民衆派として処刑名簿に載せます。

しかし功績も金も何もない(借金だけは莫大)にも関わらず市民からの人気だけは誰にも負けないカエサル、スッラの元には「彼を助命してくれ」という嘆願が続々と届きます。
たしかにこのときカエサル18歳。まともな政治活動は行っておらず、しかも彼が民衆派というわけでもなく単に民衆派リーダーの遠縁、というだけです。それだけで殺される、というのは少し酷な気もします。

多くの助命の声を聞いたスッラはカエサルを呼び出し、妻との離縁と引き換えに助命を告げます。しかし「自分はやりたいようにやる、他人もやりたいようにやれ」が口癖のカエサルは拒否。処刑を命じますがやはり市民の反対にあいます。スッラの部下の中にもカエサルの助命を願ったものがいたそうです。当時のカエサルはまだ何もやっておらず単に愉快な青年。そんな青年を殺すことはない、と口々に言ったそうです。
当時のカエサルをスッラはこう評しています。

「君たちには分からないのか。あの若者の目の中には100人のマリウスがいることを」

英雄は英雄を知る、スッラだけが18歳の若きカエサルの非凡を見抜いていました。

標的とされたカエサル、ここで民衆派を巻き込み打倒スッラを誓えばカッコイイのですが、「カエサル家に伝わる伝統の戦法があってな…それは………逃げる!」とばかりに一路エジプトへ逃亡。スッラが死ぬまでローマに戻ることはありませんでした。

ちょっと話はずれますが、英雄の重要な資質として「引き際の見事さ」があるような気がします。負ける勝負はしない、逃げることを恥と思わない、というのは大事ですよね。
この逃亡の際、エジプト行きの舟に乗ったカエサルが海賊に襲われて面白いエピソードがあるのですがそれはまた別の話。

カエサルに逃げられたものの、スッラの考える共和制の確立は成功します。

こうやって書いているとつくづく「人の成すことは結果がすべて」、という思いがします。

共和制こそローマ最上の政策と信じたスッラ。共和制に反対する人は次々と粛清していきます。もしこれで共和制が磐石になりローマが栄えていたら、スッラは英雄になっていたでしょう。

しかし既に時代は変わっていました。強大になった当時のローマにおいて多数の元老院議員が合議制によって政治を行う共和制の限界が来ていたのです。




…to be continued...

ローマ人列伝:スッラ伝1

2008-05-01 03:22:38 | ローマ人列伝
ローマ人列伝、今回は「幸運な」スッラ。

何度も繰り返しますがこのローマ人列伝は僕の個人的な趣味で書いているものですから歴史的間違いはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます)



このローマ人列伝も結構続きとうとう「普通の人はしらねーだろー」という人を出すことになりました。

僕自身も「ローマ人の物語」を読む前に知っていた古代ローマ人と言えばカエサル、アウグストゥス、クレオパトラ、ティベリウス、ロムルスくらいです。もちろんその人たちが何をやったか、は知らず「ま、名前だけは」という感じ。

今回のスッラは名前すら知りませんでした。しかしローマ史を語るには外せない人物。どのように外せないのか?それはこの列伝を読み終えたときにご理解いただけるはず。おそらく、たぶん。

スッラ、本名はルキウス・コルネリウス・スッラ・フェリクス。はい、長いですね。覚えなくていいです。とは言えスッチーと呼ぶのも軽々しいのでスッラで通しましょう。素っ裸とは違いますからね、いっときますけど。

生まれは紀元前138年。ポエニ戦役(ハンニバル率いるカルタゴ軍とローマ軍の戦い)が終わりローマが地中海の覇権を握りだした頃。

コルネリウス一族ということで家柄は悪くはありませんが決して名家でもありません。

若い頃は持ち前の人当たりのよさで近所の親分格。女性にもずいぶんもてたようで学費なんかも女性から貢いでもらっていたようです。シジマみたいですね、…はい、失礼しました。

彼が頭角を現し始めたのは、北アフリカで起こった反乱、ユグリタ戦争の頃。当時の司令官であるガイウス・マリウスの副官として反乱軍を征伐し政治の表舞台に立ちます。


(ウォーケン、じゃなくてガイウス・マリウス)

続く同盟市戦争(ローマ帝国の下で同盟を結んでいた都市が続々と反乱を起こし始めた戦争)でも戦果を挙げ、執政官となります。

※執政官、皆さん覚えてますか?忘れた人はこちらで復習を。→「ローマ史をもっと楽しむために」

ポエニ戦役を終え、地中海最大の国家となった当時のローマ。しかし領土が広くなればなるほど綻びは目立ちはじめます。今までは強大な都市国家(カルタゴ)があり、そこと戦っていることで国民を団結させることが出来ました。それが今となっては反乱反乱の日々。敵が居るときは味方が増え、敵がいなくなれば味方が敵になる、という皮肉。

そんな時代に執政官になったスッラ。更に戦争は続きます。

続いてはポントス王国(イランあたりですかね)との戦争であるミトリダス戦争。執政官であるスッラは当然最高司令官としてこの戦争に向かいます。

この戦争は計3度、足掛け20年にわたりますが、軍才のあったスッラ、何とか勝利を手にします。敵が居なくなったと思ったここで思わぬ人が敵となります。

ここでスッラの敵となったのはかっての上官ガイウス・マリウス。執政官スッラに権力が集中することを心よく思わなかった彼は当時の護民官と結託し、スッラの権力を奪います。

戦地でその報を聞いたスッラ、掟破りの逆さそり、手元の軍勢と共にローマを攻めます。

当然のことながら大きな戦争中ですから兵士はすべて戦地に出ています。つまりスッラの指揮下。それを持ったスッラがローマに攻め込んできたわけですらローマは当然無防備。権力奪還に成功します。ガイウス・マリウスはすたこらさっさと逃避行。

ここでスッラのイデオロギーが確定しました。

憎きガイウス・マリウスは民衆派。バックには多くの平民が居ました。ならば対するスッラの立場は決まっています。民衆派ならぬ元老院派です。ここから彼は民衆派の政治家の粛清を始めます。

取った方針は密告制度。民衆派と評される政治家の名を名簿にし、ローマの広場に張り出し「民衆派を密告したものには褒美を取らす。かくまったものは全裸、じゃない死刑」と宣告します。

市民からの密告によりスッラの元には民衆派の名前が続々と集まってきます。スッラはその情報を元に処刑者名簿に名を加えていきます。

そこに名を加えられたのは人物の中にはガイウス・マリウスの親戚の娘の旦那である若者も居ました。もうそんな遠縁どうでもいいじゃん、と思いますがスッラの処刑名簿は徹底していました。とにかく民衆派は皆殺し、日本酒は鬼殺し。

そう、その若者とスッラの出会いこそがドラマなのです。


…to be continued...

ローマ人列伝:カリグラ伝3

2008-04-04 00:29:15 | ローマ人列伝
アウグストゥスが巧妙に作り上げた「皇帝」というシステム。

いくつかの皇帝の特権の中のひとつが「身体不可侵権」。つまり、何人たりとも皇帝を傷つけることが出来ない、ということです。この権利に基づき皇帝を殺すことはおろか傷つけることすら罰せられるのです。

そのシステムを使うものが公平でバランスの取れた人(たとえばアウグストゥス)であればローマ帝国のためになるものですが、ひとたびバランスのない人がシステムの上に立った瞬間、それは単なる独裁です。まさにカリグラの治世。

既にこの頃のローマでは、皇帝の悪口を言うだけで皇帝近衛軍団が襲い掛かるまでになっていました。

カリグラを守る屈強な近衛軍団。ここにいたのがカシウス・ケレア。最初に出てきましたが、平民出身ながらローマ軍で献身的な活躍をし、司令官ゲルマニクス(カリグラの父)に認められ百人隊長まで出世した叩き上げの老軍人です。カリグラ即位以降、彼は皇帝近衛軍団の大隊長、という平民としてはかなりの出世をしています。

ローマ軍人というのは規律が厳しいからか「献身的な名軍人」というのがたびたび誕生します。アグリッパもそうでしたしこのカシウス・ケレアもそうです。彼の心にあったのは自分を取り立ててくれたゲルマニクスへの忠誠、そしてゲルマニクスの子、カリグラへの忠誠。その忠誠心は責任感に変わります。若きカリグラを補佐することが今は亡き恩人、ゲルマニクスへの報恩であると。

彼はカリグラを補佐しながらたびたびまともな政治をやるように進言してきました。酒は飲むな、付き合う女は考えろ。しかしカリグラは聞く耳を持ちません。それどころか仕事に生き、年老いても妻を持たなかった彼を「同性愛者」とからかいます。

彼は思ったのでしょう、「もう無理だ」と。愛されるために何でもし、愛されないことは何もせず、酒とセックスにおぼれ、まともな助言には耳を貸さず、ひいては自らを神と呼ぶ若者。

責任感の強いカシウス・ケレア、恩人ゲルマニクスから「息子を頼む」と言われ、その恩に報いるために人生を捧げました。今はもう、その責任を全うする方法はひとつしか在りませんでした。


パラティーノの丘、アウグストゥスに捧げる祭事において昼食に向かうため歩き出したカリグラ。

背中を切り付けられ振り返ったカリグラの見たものは、まず彼の血で赤く染まったグラディウス(幅広剣)。

その持ち手は英雄である父の忠実な部下であり、自身が皇帝に即位して以降、常にもっとも近くにいた信頼の置ける老軍人、そして不可侵である皇帝を警護すべき近衛軍団大隊長、カシウス・ケレア。

誰からも愛されたカリグラはその老人からの愛を疑うはずもありませんでした。

カリグラの目に映るのは常に人々の愛情豊かな笑顔。しかし彼が最後に見たのは憎しみでした。

一方、カシウス・ケレアにとっては息子と同然とも言える若き皇帝。忠誠を果たすためにはここで彼の人生を終わらせるほかになかったのです。カリグラを息子のように、いや息子以上に愛した彼にとってカリグラの不始末を片付けるのも自分の責務と思っていたのではないでしょうか。赤い炎のように燃え盛る憎しみではなくしずかな青き夜のような憎しみもあるのです。

カリグラは生まれたときに持っていたすべての愛を失い、がっくりと膝をつき、絶命します。

あらかじめ近衛軍団の軍人に話をつけていたカシウス・ケレア。カリグラの絶命を確認するとすぐさま傍らにいたカリグラの妻を殺し、その胸にいた幼児を壁に叩きつけ殺します。自分が愛したゲルマニクスの血を絶つことでしか、彼の責任は果たせないのです。自分が忠誠を誓ったゲルマニクスの子、そしてまだ言葉も話せないその孫を殺すとき、彼の目には涙があったに違いありません。

そしてこの凶事を震えながら見ていたのはクラウディウス。

(この人、なんかいつも困った顔してます)

簡単に言うとカリグラの叔父(ゲルマニクスの弟)で、一応、アウグストゥスの血を継いでいます。しかし体が弱かったことと風采の上がらないことから政治の世界にはおらず歴史家として生きていた50歳です。もちろん今まで皇帝候補に上がったことなど一度もありません。

近衛軍団は彼の首根っこをつかみローマ市民の前に立ちます。右手にはカリグラの首、左手にうだつの上がらない歴史家。近衛軍団は「インペラトール(最高司令官)!」と叫びます。つまり前皇帝が死に、新たな皇帝が生まれた、という宣言です。カリグラの暴虐に不満を持っていた元老院とローマ市民、その声にこたえます。「インペラトール!」

ローマにおいてはあくまで主権者は元老院とローマ市民。彼らから承認され統治を任されているのが皇帝です。ここでクラウディウスは皇帝の承認を得たことになりますが、歴史上、こんな強引な皇帝即位式もありません。

カリグラ即位後わずか4年後の出来事でした。

皇帝は代わったものの、殺害犯である近衛軍団は警護兵に捕縛されます。悪名高き皇帝とは言え法に従えば彼に傷をつけたものは問答無用の死刑。ただしカシウス・ケレアはそれもわかっていました。あらかじめ話をつけ「首謀者大隊長カシウス・ケレアは死刑、それ以外は大隊長に命令されただけなので不問」という判決におさめます。(不問となった近衛兵たちは後に皇帝から多額の報償すらもらいます)

カシウス・ケレアは自分が権力を欲しかったわけでもありません。ただ自分の恩人ゲルマニクスの血統がこれ以上悪名にさらされるのを避けたかっただけなのです。死刑になろうがその点だけは達成できました。首をはねられる直前に思い浮かんだのはゲルマニア戦線で過ごした恩人ゲルマニクスとの日々。傍らにはその子、愛らしいカリグラ。ローマ帝国の平和のために戦う日々。つかの間の休息に語り合う彼らの夢。幼いカリグラに築かれつつあった皇帝への栄光の道。

彼らにとってその戦線での日々が人生最上の時だったのかも知れません。

愛されることが得意で愛だけを求めたカリグラ。存命中に数多くの自分の彫像を作らせローマ全土に送りました。神として崇めるようにと。
しかし死後、その彫像はことごとく徹底的に破壊されます。まるでローマ市民がカリグラを愛した自分たちの愚かさを悔いるかのように。後の世に残っているカリグラの足跡は只ひとつ、「悪名」だけです。



<カリグラ伝:完>

ローマ人列伝:カリグラ伝2

2008-04-03 00:08:53 | ローマ人列伝
カリグラを襲った病がなんだったのかは分かりませんが、生死の境をさまよう大きな病でした。

当時、首都ローマはもちろん属州のガリアやエジプトでさえも民衆は口々に言ったそうです。「やぁ、こんにちは、ところでローマの皇帝は大丈夫だろうかね?」と。

もしここで彼が死んでいれば、「ローマ帝国一愛された皇帝」という称号のまま死んだかも知れません。しかし彼は回復します。

生死の病をさまよったカリグラ、どれだけ愛されていても人はいつか死ぬ、という当たり前のことを悟ります。「だったら好きなように生きるぜ!」とダメなロックンローラーみたいな感じになっていきます。

政治は適当、やることは酒とセックス。そばで見ている元老院は眉をひそめますが公邸内部のことなど何も知らないローマ市民、未だにカリグラのことは愛しています。相変わらず税金は安いし剣闘大会は頻繁に開催されていますから。

当たり前ですが、財政は破綻。

さすがのローマ市民もカリグラの政治を疑い始めます。

愛されることが得意な人間は愛を失うことに敏感です。カリグラはすぐに気づきます。「あでー??おかしーなー、みんな愛してくれなくなったよ」

愛され上手で愛されていないと満足できないカリグラ、誰からも愛される方法を思いつきます。

当時の市民から愛された皇帝の代表といえば既に死んでいる神将カエサルと神君アウグストゥス。自分の血のルーツである2人のことを思い出したカリグラはこう思います。「そうだ、神になればいいんじゃん!」

皆さん当然突っ込みたくなると思いますがカエサルもアウグストゥスも「神だから愛された」のではなく「愛されたから神になった」のです。それを若きカリグラ(20代前半)はわかっていません。彼は全ローマ市民に宣言します、「俺は神だ!」

神を自称するカリグラは更にやりたい放題、セックス、ドラッグ&戦車レース。「だって俺、神だもーん」

政治的なことで言えば公共事業を行いましたがそれも競技場や戦車レース場、自らを祭る神殿を作っただけ。


財政難、元老院からの非難、市民の不満。それらは結果としてひとつの形を成します。


紀元前四十一年一月二十四日。

ローマ、パラティーノの丘では神君アウグストゥスに捧げる祭事が開催されていました。祭の五日目であるこの日は演劇大会の日。ローマの俳優たちが舞台を演じます。こういうイベント事に顔を出し市民に挨拶することが皇帝としてのいや、市民から愛されるための重要な責務と考えていたカリグラはきちんと出席します。このときカリグラ28歳。



午前の部が終わり、昼食に向かおうとしたカリグラ。彼の身の回りを固めるのは屈強な近衛軍団。何人たりともこの若き皇帝に触れることは出来ません。

そう、近衛軍団兵以外は。

突然、カリグラの背中が血に染まります。


…to be continued...

ローマ人列伝:カリグラ伝1

2008-04-02 02:36:52 | ローマ人列伝
めいしょうさ~ん、ジーステのめいしょう、あ、チョイもーしーほーで。
タイトルドン!マーロー人でんれつ、グ~ラカ~リー。

というわけで今回はローマ帝国第三代皇帝、カリグラ。最近、夙川アトム最高じゃないですか?

ほんと何度も繰り返しますがこのローマ人列伝は僕の個人的な趣味で書いているものですから歴史的間違いはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます)


本名はガイウス・ユリウス・ゲルマニクス。ガイウス・ユリウス・カエサルと名前の前の方が一緒。とは言えこんなの忘れてください。カリグラ、あるいはカッちゃんで大丈夫。

家系図はこんな感じ。

うわーぐちゃぐちゃー。面倒な方は飛ばしてもいいです。このあたりは「カエサルの血」を求めたおっくん(アウグストゥス)により家系がかなり入り組んできていますから。なんとなく、「おっくんの孫かなー」くらいでOKです。

一応ちゃんと言っとくと、初代皇帝アウグストゥスの娘とアグリッパの間に生まれた大アグリッピーナの息子、ということになります。だから正式に言うとアウグストゥスのひ孫。母はアウグストゥスの孫で、父は第二代皇帝ティベリウスの弟の子、父方も母方も皇帝の血が入っているわけで血統的には素晴らしいものがあります。

更にカッちゃんの父は血統だけでなく実績も優れていました。父の名はゲルマニクス。名前はとおり当時のゲルマニア(現在のドイツ)を征服し、また蛮族を平定したことで「ゲルマニアを制覇したもの」という意味です。

ちょうど父のゲルマニア遠征はカッちゃん2歳のばぶーの頃。幼いカッちゃんも父と母に連れられ幼児期をゲルマニアで過ごします。ずいぶんと可愛らしい赤ん坊だったようで兵士からも軍隊のマスコットとして可愛がられます。兵士たちは暇なときに軍装である短衣を小さく仕立て、カッちゃんに着せていたそうです。そんなことしてないで働けよ、って感じですが。ここからカッちゃんの名、「カリグラ」が生まれます。軍装サンダルのカリガの小さいの、「子供用カリガ」という意味です。


(カリガ)

成人して以降、カッちゃんは自身の「カリグラ」という仇名を実は嫌っていたようですが。そりゃそうです。「カリガちゃ~ん」みたいなもんですから。

※ここでひとつ、ゲルマニクス軍にカシウス・ケレアというたたき上げの軍人がいたことだけ覚えといてください。平民の生まれながら献身的な彼は百人隊長、今で言えば大隊長くらいまで出世しました。これだけちょっと頭に入れて置いていただけると最後楽しめます。

勇猛な武将ゲルマニクス、そしてその愛らしい子カリグラ。

こんなエピソードがあります。当時の皇帝アウグストゥスの死を聞いた兵士たち、ここまでの不満とこれからの待遇への不安が爆発し司令官への反乱を起こします。妻と子の身を案じたゲルマニクスはひとまず彼らを安全な場所に避難させます。それを見ていた反乱兵士たち、自分たちが自分の子のように、あるいは年の離れた弟のように可愛がっていたカリグラが軍を離れていくのを見て大変な寂しさを覚えます。そして口々に叫びます。
「俺たちが悪かった!カリグラを他の場所に連れて行かないでくれ!」
どうにも当時のローマ兵というのは戦場では勇壮な割に涙もろいところがあります。つーか働けよ。


世の中には「いつの時も誰からも愛される人」というのがいます。天真爛漫天衣無縫森さんお酒が大好きで~好きで~好きで~大好きで~、誰からも愛され、またその本人もその愛を受けることを当然と思っているかのような人。「愛してくれ」などと口にするまでもなく、まるで降り注ぐ太陽のように愛を注がれることが日常である人。カリグラもそんな人間でした。

父ゲルマニクスの死後、母や兄弟の追放という悲しい事件が起こり、結果カリグラは当時の皇帝ティベリウスに引き取られカプリ島で住むことになります。一説には彼の母や兄弟の追放は皇位を望んだティベリウスの策略によるもの、という説もありますが真相は分かりません。

ただしはっきりとしているのはティベリウスはカッちゃんを思いのほか可愛がった、ということです。

老境を迎えた皇帝ティベリウスは孫であるゲメッルスとカリグラを自身の後継者と考えます。しかし愛されることが当然のカリグラにはそれが許せなかったのでしょう。愛されるのは自分ひとりでいいのです。ティベリウスの死後、自身の暗殺を企てたという理由にゲメッルスを処刑します。

そしてここに第三代皇帝カリグラが誕生します。


名門に生まれ、あのユリウス・カエサルとアウグストゥスの血を引く24歳の青年(一応、ティベリウスの家系でもありますが当時ティー坊は嫌われていましたからこのことに言及する人はいませんでした)。

精悍な体と愛くるしい笑顔、しかし実績は何一つありません。軍を指揮したことも政治を行ったことも。しかし元老院とローマ市民は大喝采でこの皇帝を迎えます。ローマ史上これだけ歓迎された皇帝もいないのではないでしょうか。その理由は前皇帝ティベリウスの不人気の裏返しでもあります。カエサル、アウグストゥスの血も引かず、ローマから離れたカプリ島に引きこもり恐怖政治を行ったティベリウス、その次を継ぐものが「カエサルの血」を継ぎ、また英雄ゲルマニクスの実子。民衆に異存は一切ありません。

愛された男カリグラは民衆の心をつかむ方法であれば誰に教えられるとなく知っていました。

就任挨拶の第一声は「私はティベリウスと反対のことをやる」でした。熱狂する民衆。更に「ローマを居とすること」「減税」「ティベリウスが行わなかった剣闘大会の開催」などとにかく民衆の欲しがっている政策を声高々に発表します。
愛されること、愛を更に増やすことにかけては天性のものがありました。

しかし残念ながら彼にはその愛を継続させるためのプランは何一つありませんでした。

カリグラの政策でただひとつ評価されていることがティベリウスが築き上げた属州支配システムを一切いじらなかったことです。ティベリウスが長年にわたり築いたそのシステムは見事なもので一切のトラブルが起こりませんでした。カリグラはそのシステムを何一つ変えることがなかったのです。
しかし裏を返せばいじるプランもいじるつもりもカリグラにはなかったのです。属州の司令官を変えたところで民衆はそんなの気にしないからです。愛されるためには何でもする、しかし愛されないことは何もしない、これがカリグラの政治です。

たびたびカリグラは古代ギリシャ風の格好や古代の英雄ヘラクレスを真似て獅子の毛皮をかぶった扮装をしていたそうです。コスプレです。うるさ型の元老院は眉をひそめますがローマの若者には大人気。

民衆の愛を得るための減税と華やかな剣闘大会を頻繁に開催。剣闘大会どころか戦車レースも開催します。

当然のことながら国家の財政は破綻します。しかし、そのことに気づくものは当時のローマには誰もいませんでした。

民衆にとって耳障りの良いことだけを言い、そしてそれを実行する若き皇帝。その彼を病が襲います。


…to be continued...

ローマ人列伝:クレオパトラ伝4

2008-03-04 23:53:10 | ローマ人列伝
クレオパトラの魅力に骨抜きにされたアントニウスはまず、妻と離婚しクレオパトラと正式に結婚します。

離婚された妻とは当然、このとき、ローマ市民から圧倒的な支持を受けていたアウグストゥスの姉オクタヴィア。同時代のローマ市民からも良妻賢母の象徴とされていたオクタヴィアという妻がありなら外国の女王と浮気をし、更には離婚したアントニウスに市民は非難轟々。

アホ面下げてクレオパトラと共にローマに戻ったアントニウスはローマ市民から総すかん。昔の故事により「権力者が外国の女王を連れてローマに来たら災いを起こす」という思い込みもありました。

想像ですがここまでのすべてがアウグストゥスの作戦だったようにも思えます。なぜならこの時点でアントニウスを「外国の女王を引き連れてきた災いの元」として、更には「自分の姉を理不尽な理由で離縁した酷い男」として、ローマにとっても自分にとってもアントニウスを討つ理由が出来たのですから。
アウグストゥスは常に自分の欲望よりも民衆が納得する「大義」を優先しました。そして「大義」がないときには辛抱強く大義を作る人でした。

大義、ということであればクレオパトラにもありました。それは「カエサルの血」カエサリオン。もちろんアントニウスにとってもアウグストゥスを打倒するためにカエサルの子、カエサリオンは格好の材料。血による正当継承者を主張できます。

またクレオパトラにとってはカエサルへの愛はそのまま怨恨へ。そして怨恨はエジプト王朝によるローマ帝国併呑という野望へ。愛情と利害がすべて一致した2人でした。

アウグストゥスとの戦いが始まります。


さて、遺言状でクレオパトラに一切触れなかったカエサル、彼女を愛していなかったのでしょうか?

このローマ人列伝はほとんど僕の想像というか妄想ですから僕はここでも妄想します。

カエサルはクレオパトラを本当に愛していたのです。だから、遺言状に名前を書かなかったのです。

もし遺言状にクレオパトラの名があれば、権力を狙うものが彼女とその子を盾に内乱を起こすかも知れない。

もしクレオパトラが「カエサルの妻」「カエサルの子の母」ではなく単なる「エジプト女王」として生きていれば。

後継者アウグストゥスは徹底的に現実的ですが決して冷酷ではありません。更に彼の得意技は「自分がやらなくてはいいことは一番得意な人間に任せる」こと。軍事と公共事業を親友アグリッパに一任したように、属州エジプトの統治も女王クレオパトラに一任したでしょう。もしそうなればカエサルの腕の中でクレオパトラが語った「祖国エジプトの平和」は保たれたのです。

残念ながらクレオパトラにその愛は伝わりませんでした。

愛を理解しない者に勝利はありません。そもそもアントニウスとクレオパトラの主張はカエサルの遺志に背くもの、正統性もありません。

舞台は海上へ。いざアクティウムの海戦へ。

もともと海戦が頻繁ではなかったローマ軍、この戦いはローマ史上最大の海戦と後に呼ばれます。

クレオパトラもエジプト軍司令官として戦場に出向きます。

しかし、敵は知略あふれるアウグストゥスと武名名高きアグリッパ。

交戦直後からアントニウスとクレオパトラは劣勢となります。

クレオパトラ率いる軍は一時退却、更にそれを追いアントニウスも退却。

総司令官アントニウスをアウグストゥス軍は「部下を捨て女を追いかけた」と嘲笑されます。

アレキサンドリアに退却したアントニウスに届けられたのは「クレオパトラ自殺」の知らせでした。

既に彼にとって心の拠り所は権力ではなく温かい彼女の胸だけでした。クレオパトラが死んだのであれば既に彼の帰る場所はありません。故郷ローマですら既に彼の敵。目の前にはアウグストゥスの正規ローマ軍、そして部下を捨てた自分に付き従う兵士は数えるほどになっていました。一度はカエサルの腹心として栄光に座にあった彼に残されたものはクレオパトラへの愛だけでした。そして彼は絶望とともに自らの胸に刃を突き立てます。

しかし実はクレオパトラ自殺の報は誤報。彼女はまだ生きていました。(想像ですからおそらくアウグストゥスの戦略でしょう。)

瀕死のアントニウスはアウグストゥス軍により彼女の元に運ばれました。そして何よりも望んだ彼女の胸で絶命します。

カエサルに無視された悲嘆から生まれた怨恨、それが肥大した彼女の野望。しかしそれはアントニウスの死と共に空しく散りました。

彼女の心に残ったものは何か?
それはカエサルと比べれば愚鈍でも彼女を心から愛し、最後まで自分のために生きてくれたアントニウスへの愛。最初はカエサルへの恨みから生まれた愛、しかしここに来て彼を愛している自分に気づきました。

そして気づいた時にはもうアントニウスはこの世に居ません。ならば生きていても仕方がありません。彼女は毒蛇に自分の身をかませ自殺をします。


彼女の最後の言葉は「アントニウスと共に葬って欲しい」でした。

現実的ではあれ、冷酷ではなかったアウグストゥス、この願いを聞き入れひとつの墓に二人を葬ります。更にクレオパトラとアントニウスの間に生まれた子も引き取り親戚として育てます。

しかし冷酷ではなくても現実的だった彼。カエサルとクレオパトラの子、カエサリオンだけは殺します。カエサルの名を継ぐものは自分ひとりでいいからです。

愛ゆえに遺言書にカエサリオンの名を残さなかったカエサルの思いは伝わりませんでした。

以後、大王朝エジプトはローマの一属州となります。



ユリウス氏族の女という意味のユリア、など自分の名前すら持たず、女王どころか政治の場である元老院にすら入る権利のなかったローマの女性たち。一方、女王として国を治めたクレオパトラ。
親の決めた結婚をし、政治のために離婚すらされたローマの女性たち。一方、自らの愛する人を自分で選んだクレオパトラ。その愛する人とは英雄ユリウス・カエサルと最愛の人アントニウス。そして敗者になったとは言え愛する人と葬られたクレオパトラ。

彼女の名は歴史上名だたる「美女」として残っています。


<クレオパトラ伝:完>

ローマ人列伝:クレオパトラ伝3

2008-03-03 23:20:13 | ローマ人列伝
エジプトに向かったアントニウスが出会った女性とはもちろんクレオパトラ。

アントニウスは一目で恋に落ちます。それはもちろんクレオパトラの美しさもあったでしょうが何より彼女はカエサルの女。彼女と結ばれることで彼はカエサルになれる、と勘違いしたのでしょう。ちょうど彼はクレオパトラと出会ったときのカエサルと同じ50代になっていました。

聡明なクレオパトラはカエサルの遺言状で無視された瞬間こそ憤怒に駆られましたが、ひとまず心を落ち着け次の手を練っていました。

彼女の武器はやはり「聡明さ」と「女であること」。次の一手は二つ考えられました。ひとつはカエサルの正当な後継者アウグストゥスを狙うこと、そしてもうひとつはカエサルの部下でありながら野望を持つアントニウスを狙うこと。


こっぴどく振られたときにあなたなら次の恋愛相手にどんな人を選びますか?「やっぱりあの人が忘れられない!」と昔の恋人と似た人を選んでしまう人がいます。
しかし聡明で自信にあふれる人であれば「あんな人、もともと私は好きではなかった。私の好きな人はこの人なの」と以前の恋人とまったく逆のタイプを選びがちです。なぜなら昔の恋人を好きだった自分を認めてしまえば、同じく自分の自信を傷つけられた思い出も認めることになるからです。

クレオパトラが選んだのはアントニウスでした。

カエサルが瞳に持っていた理想と似たものを持つアウグストゥス、一方、自分の野心だけに燃えるアントニウス。アントニウスはカエサルに比べれば凡庸な男でした。しかし凡庸であるが故にクレオパトラの魅力には落ちやすく、クレオパトラの言うがまま。
以前であれば「そんな退屈な男」と切り捨てたかも知れませんが、今のクレオパトラは違います。「もともと私はカエサルなんて愛していなかったわ。カエサルに権力があり言い寄ってきたから相手をしただけ。本当に私が好きなのはアントニウスのような男」と自分に言い聞かせます。

このときクレオパトラ30代半ば、カエサルと暮らした頃のピチピチした魅力は失っていましたが経験を重ねた女性としての魅力があったのでしょう。僕も女性は30歳からと思っていますよ、りちゅさん。カエサルさえも落としたクレオパトラ、アントニウスなど赤子の手をひねるようなもの。彼女とアントニウスは手を組みます。

話はずれますが、もし、ここでクレオパトラがアウグストゥスを狙っていたら。僕はクレオパトラの戦略は頓挫していたと思います。
そもそもカエサルは故郷ローマにユリアという妻がいました。ローマの女性らしくおとなしく貞淑な良妻。ある意味癒し系。その彼がエジプトと言う異国に来た時にこそ、妻とは違うタイプの女性を求めてクレオパトラとの逢瀬を重ねたのではないでしょうか。
一方、アウグストゥスは徹底的に現実主義者。自らの評判とローマ帝国の威信に傷をつけるような行いをするわけがありません。そしてアウグストゥスの妻はリウィア、後に「国家の母」と呼ばれる聡明な女性、ある意味どやし系。自宅にいる妻がそんな感じですからもしアウグストゥスが浮気をするのであれば彼女とは違ったおとなしい女性を選んだのではないでしょうか。つまり、クレオパトラにはアウグストゥスは落とせなかったと思います。

彼女が落とした男は愚鈍でも自らの意のままになるアントニウス。

ローマとエジプトという国の命運を二人が握ります。

彼らの生きた時代から役1,600年後、シェイクスピアは彼らを主役に戯曲「アントニウスとクレオパトラ」を書き上げます。

ロマンス悲劇として名高いこの戯曲のとおり、彼らは悲しい最後を迎えます。

…to be continued...

ローマ人列伝:クレオパトラ伝2

2008-03-02 11:31:06 | ローマ人列伝
クレオパトラの戦略は見事でした。落ち目のポンペイウスには目もくれず右肩上がりのカエサルを彼女の魅力と少しのサプライズで落とし、そのカエサルの仲裁を持って弟を抑え女王に返り咲きました。
更に彼女は女性にしか使えない同盟策を講じます。それはカエサルの子を身ごもること。生まれた子はカエサリオン、つまりカエサルの子、というそのまんまの意味の名をつけられます。

聡明な彼女のこと、こう思ったのかも知れません。
カエサルがローマ帝国の王まで後一歩、しかしカエサルの直系の男子はこのカエサリオンのみ。そうなれば当然、カエサルの後を継ぐのは我が子カエサリオン。ならば自分はエジプト女王のみならずローマ王の妻であり、更には母。

しかし紀元前44年、カエサル暗殺。

カエサルの死を知ったクレオパトラは疑っていませんでした、遺言書には当然「クレオパトラとカエサリオンにすべてを譲る」と書いてあることを。

しかしその期待は裏切られます。

遺言状を抜粋してすげー簡単に要約するとこんな感じ。

・カエサルの名と資産の四分の三を自分の姉の孫、アウグストゥスに譲る。
・残りの資産を全市民に譲る。

※アウグストゥスはこの頃まだオクタヴィアヌスと呼ばれていました。名を変えるのはまだ先ですがこの列伝ではアウグストゥスで通します。簡単だから。

クレオパトラのクの字もカエサリオンのカの字もシジマのキの字も出てきません。

女性、特にプライドが高く自信に満ちた女性が一番傷つくのは「無視されること」です。クレオパトラは悲嘆にくれ、その後、憤怒に駆られます。どうして30分だけなのよォォォ~。いや、言いたかっただけ。

そしてこの遺言状に同じく憤怒に駆られた男が一人。マルクス・アントニウスです。



長年、カエサルの腹心として働き、ガリア戦争にも参戦した古参武将、このとき40歳。武力だけではなく護民官、執政官などの要職も経験するほど政治力に優れた男です。カエサルの約20歳年下の彼は「カエサルの次は自分」と信じて疑わなかったに違いありません。実際、カエサル暗殺時にはカエサルと共に執政官(現代の総理大臣みたいなもの。独裁を防ぐため2人置くのが常。このときカエサルは終身独裁官兼執政官だったので、代表取締役社長カエサル&代表取締役副社長アントニウス、みたいな感じ)の職にありました。それが遺言状での記載はナッシング。代わってあるのはアウグストゥスという名。「誰だそいつは!?」と確認するとカエサルの姉の孫で若干18歳。これは頭に来ます。

無骨で直情的とは言え、アウグストゥスへの怒りを隠すくらいの知恵はあったアントニウス。ひとまずアウグストゥスと盟を結びます。更にはアウグストゥスの姉オクタヴィアと政略結婚。「俺とお前の友情パワー」と言い張り「よっしゃお前のためにカエサルを殺した奴らをやっつけてくるわ」と潔く東へ旅立ちます。しかしこの混乱に乗じて小アジア(エジプト、ギリシャ、ペルシャあたり)を一気に押さえアウグストゥスに対抗するのが彼の本心でした。

そしてエジプトで彼はある女性に出会うのです。

…to be continued...

ローマ人列伝:クレオパトラ伝1

2008-02-16 21:56:25 | ローマ人列伝
今回はクレオパトラ。ローマ人列伝初の女性。

何度も繰り返して申し訳ありませんが、この列伝は僕の個人的趣味で面白おかしく書いているものですから歴史的間違いはご容赦ください。(ご指摘はありがたく頂きます)
はっきり言ってこれは僕の「妄想」です。

クレオパトラと言う名だけは知らない人はいませんよね。んだけんども改めて考えると結局どんな人だったかって案外知らないもんです。彼女は何をした人なのか?どう生きたのか?何のために?

この列伝初の女性シリーズ。そもそもローマ時代の女性の社会的地位というのはそんなに高くないからあまり女性が出てこないんですよね~。

だいたい名前からして適当ですもの。ユリウス氏族に属する女性はみんなユリア、ドルッスス氏族の女性はみんなドルシッラ、(語尾が-aは女性形)みたいに同じ名前の人がどんどん出てくる。母と娘が名前が一緒、なんてのも結構あるので後の歴史では大ユリア、小ユリアみたいな区別。適当。サザエの妹がワカメみたいなもんです。
ぱっとローマ時代の女性で浮かぶ名と言えばリウィア(アウグストゥスの妻でティベリウスの実母)、アグリッピーナ(大アグリッピーナはアグリッパの娘でカリグラの母、小アグリッピーナは暴君ネロの母)くらいですかね。

そんな時代にも関わらず女性であるクレオパトラが女王になるんですから当時のエジプトというのは女性の権利が高かった国なんだともいえます。

ここからクレオパトラの人となりの説明を書きますが、面倒な人は飛ばしてください。大事なことは「大王朝に生まれた、若くて美しい女王」ということだけですから。

クレオパトラの生まれは紀元前70年。後にロマンスを繰り広げることになるユリウス・カエサルは紀元前100年生まれ(関係ないですがカエサルの生まれ年は分かりやすくていいです)ですから30歳年の差カップルということになります。

クレオパトラ、と言えばエジプト人というイメージがありますが、実はギリシャ系の人。

だから黒肌で黒髪のおかっぱ、というイメージも間違いで白い肌とウェーブのかかった茶髪。
クレオパトラ、という名もギリシャ語で「父の栄光」という意味。父は当時のエジプト王(ファラオ)、プトレマイオス12世。この時点でこの古代エジプト、プトレマイオス朝は約300年続く大王朝でした。

はい、こっから本題です。

彼女が歴史の表舞台に登場したのは、19歳の時。父の死に伴いプトレマイオス王朝を継ぎます。しかしそこに大帝国にありがちな血縁闘争が起こり、弟プトレマイオス13世を擁立する派閥との戦いが起こります。プトレマイオス派は同盟国ローマからやってきた名将軍ポンペイウスと手を結びクレオパトラを追放します。


(シジマじゃなくてポンペイウス)

プトレマイオス一安心、暮らし安心クラシアン、と思いきや実は時代の流れを読めていませんでした。

ポンペイウスが名将軍だったのは少し前の話。なぜ彼がエジプトにやってきたのか?
それは飛ぶ鳥を落とす勢いだったユリウス・カエサルが私軍と共にルビコンを越えローマに向かってきたから。ポンペイウスはいったん安全なエジプトで力を蓄えようと思っていただけです。勝ち馬に乗ったつもりのプトレマイオス、実は泥舟に乗っていました。

少し前には独裁官スッラの右腕として、スッラ死後はカエサル、クラッススと共に歴史に名高い「三頭政治」の一頭として、「偉大なる」という意味の「マーニュス」の尊称を受けたポンペイウス・マーニュス。
ローマ最高の武人と呼ばれた彼には武力、統率力、人をひきつけるカリスマ性、そのすべてがありました。しかし決定的に欠けていたのはビジョンを見る力。彼にはローマ帝国をどうするべきなのかどころか、今、自分が何を為すべきなのかもわかっていませんでした。元老院の言うがままにカエサルと手を切り、元老院の言うがままにエジプトへ。そんな彼がカエサルに敵うわけがありません。

カエサルはポンペイウス軍を一蹴。それを見ていたプトレマイオス、泥舟に乗っていたことに気づき、手のひらを返しカエサルへの服従を誓います。

王朝を舞台にした姉弟喧嘩、決め手はローマの昇竜カエサルをどちらが握るか、です。

プトレマイオスはポンペイウスの首をカエサルに差し出し、一度は敵として刃向かった自分の非礼をわびます。ポンペイウスに擦り寄った結果、負けはしましたがそれでもまだこちらが体制派、普通の軍人であればこちらを選んでくれるはず。

一方、追放されたクレオパトラ、彼女は敗者として多くのものを奪われました。地位も名声も。しかし誰にも奪うことが出来ない彼女だけの武器、それは「聡明さ」と「女であること」

いくらユリウス・カエサルが女たらしの禿とは言え「ねぇ~ん、助けてくださらな~い?」と色仕掛けで迫るのは下の下。それでは「旦那~、ポンペイウスの首を差し出したんだから助けてくださいでゲス、ゲヘゲヘ、アマ部の千葉です」と下手に出たプトレマイオスと一緒。更に共同戦略者として同等の立場で手を結ばないと自分の祖国エジプトがローマに降るだけです。彼女は単なる女ではなく女王なのです。

そこでクレオパトラは一計を案じます。

部下からの報告書に目を通すユリウス・カエサルの寝室に、ある夜、寝具袋が届けられます。「何だろう?」と思ったユリウス・カエサルがその寝具袋に近づくと、中から出てきたのは若く美しい女王クレオパトラ22歳、はい、おっぱいドン!


恋愛において大事なことは、、、いや正直良くわかりません。分かってたら土曜の夜にパソコンに向かってこんな文を書いていません。ただ、「恋」に大事なことのひとつは多分分かります。それはサプライズ。
「え!?こんなことを?」「え!?こんなところで?」なんて言う小さな驚きで人はいともたやすく恋に落ちてしまうものだなんてことをドッピオさんは言ってないけど。UMEさんは「え?足の裏まで!?」と言ったとか言わないとか。

女に関して百戦錬磨のカエサル50歳。自分に言い寄ってくる女、自分についてくる女はいくらでも居ます。その彼が求めていたのは美しさでも従順さでもなく、自分の好奇心をかきたててくれる愉快さだったのです。

知ってか知らずかクレオパトラの取った作戦はビタはまり、ローマの権力者52歳とエジプトの女王22歳は男と女になります。

カエサルの胸に抱かれ微笑むクレオパトラ、王朝の命運も、彼女の運命も、明るく見えていました。

このときは。

…to be continued...

ローマ史をもっと楽しむために。

2008-02-14 00:53:37 | ローマ人列伝
ローマ人列伝を気が向くままにつづっているわけですが、書きながら「あ~これ説明したいなー」とか「こういう基礎知識あればもっと楽しんでいただけるのに!」と思うことが多々あります。

ティベリウス伝を終えてひと段落ついたタイミングでもあるので、「ローマ史の簡単な基礎知識」を書き綴って行きます。

列伝形式ではないのでちょっと退屈かも知れませんが「ふーん」程度にナナメ読みしていただけるとこれからもっと楽しめると思います。

【基礎的な歴史】

超カンタンなローマ史を書いてみました。
よろしければどうぞ。

超カンタンローマ史(外部リンク)

【敗者の同化】

古代ローマが世界国家として最大の領土を誇った理由のひとつにこの「敗者の同化」というキーワードがあります。それまでの国家といえば基本的に侵略国家。隣に自分たちと違う民族があれば侵略し、略奪し、それ以降は土着の文化を認めませんでした。
一度は力に屈しても人間は「支配されている」と感じるだけで反抗したくなるものです。虎視眈々と支配者の力が衰えるのを狙い反乱を起こします。侵略し、支配し、反乱され、それを討伐する、という繰り返しでは領土を拡大し続けることは出来ません。
しかしローマは違いました。
たとえば安全のために隣国と戦争を行ったとしても勝った後にはその国の文化がそのまま存続することを認めました。
古代においておおきなイデオロギーの対立は「宗教戦争」ですがローマ人は土着の宗教すら認めました。それにはもともと「30万の神がいる」と言われたローマの多神教文化も大きく影響しています。

自分たちの文化、宗教も認められ、更に最強の軍を誇るローマ軍に安全を保証される。その見返りは決して無理のない税金のみ。

植民地(古代ラテン語ではプロヴィンチア、つまり属州、の意)の人々にとってローマ庇護の下にいるのは決して損なことではなかったのです。

だからこそ属州の内乱も少なく、背中から攻められる不安がなかったローマは常に「外へ外へ」攻めていればよかったのです。

なぜこの「敗者の同化」という考え方がローマに定着したのか?

それはそもそもこのローマという国の成り立ちから始まっています。

ローマの始まりは紀元前753年、ロムルスという若者が建国したことから始まります。


(ロムルスは双子で更に捨てられて狼に育てられた、という伝説があります。狼の乳を吸っているのがロムルスと兄弟レムス)

もともとトロイ戦争の敗北者たちの集まりだったローマ人。兵士の若者はたくさんいましたが嫁となる女性が不足していました。そこで王ロムルスは近所のサビーニ族に目をつけます。にぎやかな祭りを開催しサビーニ族の男性を招待しもてなします。そのすきに女性を強奪。

その様子をあらわした彫刻。がっつり強奪してます。しかしながら今でも欧米では結婚式後に新郎が新婦を抱き上げて家に入る習慣があります。それはこの故事から。

女を奪われたサビーニ族はもちろん激怒。しかしロムルスは女性たちを決して強引に扱わず正式な妻とします。
サビーニ族とローマの戦いは続きますが、そのうちにサビーニ族の女性は「ローマの男性は優しいし、わざわざサビーニに戻りたくないわ」と言い出します。
女性の声を武器にローマは和平を申し出ます。
その際の和平の条件が決してサビーニに手下になれ、ということではなく、「どうせなら一緒の国にしちゃおうぜ」ということ。
娘たちが決して邪険な扱いを受けているのではなく、むしろ幸せに生活している、更に屈強な男の多いローマと一緒になるならまぁいいか、とサビーニもこれを受け入れます。

この出来事からローマが始まりました。

以後、長い歴史の中でもローマ人は蛮族を決して邪険に扱うことなく、むしろ積極的に自分たちの知恵を与えその土地の発展に尽くすようになりました。

特にこの傾向が顕著だったのがカエサル。彼は平定したガリア(今のフランス)の部族を積極的に保護しました。更にはどんどんローマ市民権や自らの名(当時のローマでは氏族(後でかきます)が同じなら助け合う、という不文律がありました)も与えます。

【元老院】

古代ローマにおいて外せないキーワードがこの「元老院」です。

初代ローマ王、ロムルスは若いながらも常識のある人でした。自分ひとりでは真っ当な政治が出来ない、と気づいていたのです。そこで村の長老たちを集め意見を聞く助言期間を作ったのです。これが元老院。都度、彼らの意見をききながら政治を行っていきました。
当初は正式な期間ではなく単に井戸端会議に毛が生えたものでしたが、王政から共和制に代わるにつれ、その権力は増大していきました。
以後、元老院は名家の知識人の集まりとなり政治を行っていきます。簡単に言うと今の衆議院、参議院のようなものになります。

どうも「元老院」と聞くと権力にかられた頑固な老人たちの集まり、というイメージがありますが最初は王の助言機関、後にはたんなる議会、という感じです。

いろいろありましたが、ローマ発展の理由にはこの元老院が行った善政もあります。

ローマの元老院と市民、つまりローマの主権者を表す"Senatus Populusque Romanus"は「SPQR」という略語として今でもローマの街角で見ることが出来るそうです。


ローマのマンホールの蓋。

更には現代ローマ市の紋章にも書かれています。


【パトローネスとクリエンテス】

古代ローマを理解するための重要な人間関係(つまりは家関係)がこれです。パトローネス、とは現代も使われている、パトロン、の意味、一方クリエンテスはクライアント、の意。
パトローネスとクリエンテスは簡単に言うと「親分、子分」の関係です。
パトローネスは資産と軍勢を持っている家系。一方クリエンテスはパトローネスに保護される家系。保護、と言っても決して奴隷や子分ではありません。
パトローネスは何かあればクリエンテスを守ります。たとえばクリエンテスの家がどこかの家と争いになったときにクリエンテスが出張って「まぁまぁ」と仲裁します。喧嘩になれば当然、私軍も出します。そのためにクリエンテスはパトローネスに協力します。

そもそもそういう関係が普通だったのでローマは属州支配に関しても「ローマがパトローネス」と思えたのです。

当然のことながらパトローネスの家系の者が選挙に出ればクリエンテスは大きな「票」になります。

ガリア戦争以後、広大なガリア全土の民はカエサル個人にとっての「クリエンテス」となります。それが政治的にカエサルにとても役立った、ということは言うまでもありません。

【ローマ人の王嫌い】

ロムルス王から始まったローマ。ロムルス死後、そのときそのときで実力があるものが王となって行きました。この「王政ローマ」が約200年続きます。しかしタルクィニウスが王の時、ある事件が起こります。王の権力を傘に非道を行ったタルクィニウスをローマ市民が追放したのです。


王追放の首謀者ルキウス・ユニウス・ブルートゥス。(関係ないけど「ブルータス、お前もか」のブルータスはこの人の子孫。王を追放した英雄の子孫が王のような英雄を殺したのは歴史の皮肉でもあります。)

このときに一人に権力が集中することによる弊害を知ったローマ市民、ある宣言をします。
「以後、ローマは王を持たない。ローマの主権は元老院と市民にある」
ここから元老院と市民による政治、つまり「共和制」が始まり、同時にローマ人の「王アレルギー」が始まります。

アウグストゥスが皇帝となるまで、ローマにおいては王を目指した者、あるいは王座を欲していると疑われた者は続々と殺されていきます。

たとえば有名なところでは護民官(後で書きます)として平民の農地を守るため農地改革に取り組んだグラッスス。彼は市民集会(今で言う総選挙)の際に反対者にもみくちゃにされ、壇上から「自分はここにいる、助けてくれ」と仲間に示すために自分の頭に手をかざしました。それを見ていた元老院議員は「グラッススは王冠を求めた、彼は王になろうとしている」と避難し彼を殺害したのでした。

もちろん終身独裁官となったユリウス・カエサルが暗殺されたのも、「カエサルは王を目指している」と思われたからでもあります。

【執政官、護民官、独裁官】

ローマの政治は基本的に元老院によって行われていました。元老院によって法律が決められ、ローマ市民による市民集会で可決される、という流れです。
しかしたとえば戦争で最高指令官が必要、など一人のリーダーが必要な場合があります。

そのためにまず執政官という役職が設置されました。原語では「コンスル」。これは今の日本で言うと総理大臣。議長みたいなものです。任期は1年、そして常に2名体制。ローマ人は王嫌いですから一人に権力が集中しないための仕組みです。そして執政官になれるのは貴族階級のみ。

※ちなみにこの執政官=コンスル、もともとは相談する、熟考する、という意味です。「元老院と相談する人」という意味でした。それは現代でも相談する人、つまり「コンサルタント」として残っています。

執政官、というのは当時のローマにおいてはキャリアのトップですからかなりの栄えある役職です。更に前執政官(プロコンスル)という役職がありました。これはつまり選挙に当選し、来年からコンスルになる人、という意味。プロコンスルは慣例として属州の統治官に任命されました。属州の統治というと大変な感じもしますがそんなことはなくてとりあえずその土地に行って税金などの管理。場合によっては属州からの裏金ももらえましたから金銭的にもかなり割のいい仕事でした。

更にローマも肥大化してくると貴族階級と平民階級の軋轢が生まれてきます。
なぜなら平民は元老院には入れないわけですから政治になかなか参加できません。元老院は貴族ですから自分たちに有利な法律を作ることが出来ます。

というわけで平民の権利を守るために「護民官」という役職が設置されました。これは執政官と同じく任期は1年。しかしこちらは一人。

特権階級である元老院、執政官に対抗するための護民官特権というものを持っていました。

特権の一つ目は「身体不可侵権」つまり護民官を傷つけたり殺したりすることは誰も出来ない、というもの。更に「拒否権」という権利も持っていました。こちらは元老院や執政官が決めた法律でも拒否できる、という権利です。つまり護民官は「誰にも殺されず」「何でも拒否できる」というかなり強い権利を持った役職です。もともと平民の権利は薄いですからその代表である護民官の権利は大きかったのです。

後にアウグストゥスが「私は貴族だけどやっぱり市民の権利は大事だと思う。平民を守る護民官には(貴族だから)なれないけど特権だけくれ」と言って利用するのがこの「護民官特権」です。

更に「独裁官」という役職もありました。

こちらはたとえば戦乱時などの非常時に任命されるもの。特別なものですがすべての公職(元老院議員、執政官、護民官)はこの独裁官の命令に従わなければいけません。護民官最後の武器、拒否権も独裁官には無効。独裁官はローマ最強の役職です。最強だけに任期は非常に短く六ヶ月間。つまり非常事態にだけ任命され平時には解職される役職です。ローマ政治の最強カードとも言えます。

カエサルは執政官、独裁官の経験があります。もちろん貴族出身なので護民官にはなっていません。更にカエサルは掟破りの「終身独裁官」(任期六ヶ月、というルールを破りました)にも就任しています。これが「カエサルは王になろうとしている」と思われカエサル暗殺の要因となります。

【プリンチェプスたるインペラトール・カエサル・アウグストゥス】

カエサル、アウグストゥスは本来、個人名ですが後の世には称号として使われます。こういう称号とか尊称が多くなるから人の名前が長くなるんですが。

まずローマ人の男の名前は基本的に三つから成り立っています。

たとえば、

ガイウス・ユリウス・カエサル

ガイウスが個人名、ユリウスが氏族名、カエサルが家族名。つまりは「ユリウス氏族のカエサル家のガイウスくん」という意味です。
当時の名門氏族と言えばコルネリウス、クラウディウスあたり。

更にローマ人は人をあだ名で呼ぶのが好きでした。有名どころではザマの会戦でハンニバルを破ったスキピオ。この人の本名は、スキピオプブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス、えーっとつまり「コルネリウス氏族のスキピオ家のスキピオプブリウス、あだ名はアフリカヌス」ということです。アフリカヌスはアフリカ王の意味。

そのほかにはポンペイウス・マーニュス(偉大なポンペイウス)、スッラ・フェリクス(幸運なスッラ)など。

カエサル、アウグストゥスも称号として受け継がれていきます。

カエサル、は「皇太子」の意味、そしてアウグストゥスは「皇帝」の意味。つまり皇帝が後継者に決めた人物にはカエサルの称号を授け、皇帝になればアウグストゥスの称号を得る、ということです。
(元は逆に書いてました。。junoさんにご指摘をいただいて誤りを修正しました。)

そもそも皇帝、という役職はなかったのですが逆にカエサルが皇帝を表すこととなり、現在でもドイツ語「カイザー」、ロシア語「ツァーリ」など「皇帝」を表す言葉として残っています。

そしてもうひとつの称号が「インペラトール」。こちらはもともと「軍最高司令官」という意味。凱旋式の時などに兵士が最高司令官を呼ぶ呼び名として使われていましたが特に意味はないものでした。すごーくわかりやすく言うと「わっしょい、わっしょい」くらいな感じ。
ローマ市民の王嫌いをよく理解していたアウグストゥスは軍に対しての自分の呼び名にこのインペラトールを使いました。こちらも皇帝を表す名として受け継がれていきます。もちろん、現代英語の「エンペラー」の語源です。

更に「プリンチェプス」。これは「第一人者」という意味。こちらは単なる「代表」「議長」くらいの意味です。これもアウグストゥスがうまく利用し、「自分は王ではなく市民、元老院議員の代表」という意味で市民に対して使いました。現代英語でも「principal」といえば主要な人、という意味。バレェでも「主役」という意味で使われます。

こういうひとつひとつは決して大きな意味を持たない肩書きを巧妙に寄せ集めた結果、軍でも元老院でもローマ市民の中でも誰よりも権威を持った人間、それがアウグストゥスであり、結果として「皇帝」という強大な権力者になるのです。

ローマ人列伝:ティベリウス伝5

2008-01-27 00:00:15 | ローマ人列伝
アウグストゥスの神格化に伴い自動的に神となったのは後家、リウィア。えーっとつまりはティー坊の実の母です。幼い頃に自分を抱き辺境を逃げ、その後、アウグストゥスに見初められ実の父と離婚した母。そしてアウグストゥスの養子となったティー坊にとって再度、母となった人。夫が神になったのですから当然彼女も神格化されます。具合の悪いことに父は死にましたが母は生きているのです。元老院は亡きアウグストゥスに「国家の父」の称号を与えると同時にリウィアに「国家の母」の称号を与えます。



ローマ全市民の母となった人を「お母さん」と呼べるでしょうか?

聡明なリウィアはティー坊の政治にもたびたび口を出します。

母を知らずに育ったティー坊。だからと言って母を異常に愛するマザコンになったわけではありません。ただ彼は普通のお母さんが欲しかったのです。彼はたまに実家に帰って母のカレーライスが食べたかったのです。たくさん愛して欲しいと言っているわけではありません、カレーくらいいいじゃないですか、美味しいし。でも母リウィアはカレーを作ってくれませんでした。豚の角煮も、グラタンも作ってはくれませんでした。ただただ政治のことをちくちく言ってくるだけです。

カレーが食べられないのであれば家にいたって仕方がありません。「カレーないなら帰らないもんねーばぶー」とばかりにまた家出をします。今度はカプリ島。
いや、家出とかばぶーとか言ってますがこの頃、ティベリウス60歳くらい。(ちなみに母リウィア80歳くらい)


ローマからも比較的交通の便がいいこの島に居を移し、以降彼は死ぬまでこの島から皇帝の業務を行います。

カプリ島に居を移したとは言え彼の政治はうまく行っていました。(後の世に「ティベリウス・スクール」と呼ばれることになるティー坊が育てた若き政治家が有能だったおかげもありますし、それまでに彼が作った情報網がじゅうぶんに機能していたおかげでもあります。)

ここまで皇帝ティー坊の政治は概ね好評でした。いくぶん堅実で地味ではありますがそれでも大きな問題は起こっていませんでした。愛されなかったティー坊、ローマ市民だけは愛し続けていたのです。

しかし彼はその愛を失います。

その理由の一つ目は緊縮財政、公共事業の停止と増税。国のためとは言え実際の生活が苦しくなったローマ市民はティー坊を非難します。

そして帝位簒奪を企てたセイヤヌスを含む63人の処刑。これにより自らの権力を奪われることだけには敏感な元老院、身の危険を感じティベリウスを非難し始めます。
ここを少し弁護させていただくと、カエサルはガリア戦争において何万人もの兵士を殺しルビコンを渡ってからは何万人ものローマ兵を殺しました。またアウグストゥスはカエサル暗殺者を主とする共和制派を何百人と殺しました。

戦争で、あるいは「パクス・ロマーナ」の名の下に多くの敵を殺したカエサルとアウグストゥス。死んで彼らは神とあがめられます。一方、一応は尊厳毀損法という法律に基づいて63人を処刑したティベリウス。彼は元老院とローマ市民から嫌われます。

こんな一節を思い起こさずにはいられません。

「一人殺せば殺人犯、世界中の半分を殺せば英雄、全人類を殺せば神になる」


そしてもうひとつ、西暦33年、ローマ帝国属州の町パレスティナにおいて、ある新興宗教のリーダーが処刑されます。彼の刑罰はローマ帝国への反乱刑として十字架への磔。

もちろんそのリーダーとは、ナザレのイエス、後のイエス・キリストその人です。この出来事はティベリウスはほとんど関わっていませんが、彼の時代にキリストが処刑されたことは後のキリスト教徒が彼を非難する要因のひとつになったはずです。

当時のローマ市民が生活のために皇帝に求めていたものは「パンとサーカス」といわれています。まず「パン」とは食料。ローマ市民には常に国家から小麦が配給されていました。
それから「サーカス」とは娯楽。たとえばコロッセオでの剣闘大会など。ティべリウスはその剣闘大会をあまり好みませんでした。インテリの彼には奴隷同士を娯楽のために殺し合わせそれを見て熱狂する、という趣味がなかったのです。

人の喜ぶ顔が好きだったユリウス・カエサルは単なる一市民の頃から自費で剣闘大会を主催しました。(イメージで言うと普通の人が新日札幌シリーズの興行主になるようなものです。当然莫大な費用は全部借金)
現実的なアウグストゥスは剣闘大会自体は興味がありませんでしたが人気取りのために主催しちゃんと観客席に姿を見せました。市民に挨拶した後は観客席で自分の仕事をしていたそうですが。

しかしティベリウスは一度も主催せず観客席に出向くこともありませんでした。そういうの好きじゃないし~。

これもまたローマ市民から「ティー坊付き合い悪いよな~」と思われます。




現在、イタリアの歴史の教科書にはこういう記述があるそうです。

「指導者に求められる資質は、次の五つである。知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意志。カエサルだけが、この全てを持っていた。」

指導者に必要なもの、について僕は何もわかりません。その五つと言われればそうなのかもしれません。ただ僕は指導者として絶対に言ってはいけないこと、だけはおぼろげながら思っています。

それは、

「だったらお前がやってみろ」

です。

望んだ権力ではないにせよ、それを言ってはおしまいではないですか。つまり、指導者は絶対に投げてはいけないのです。誰かに譲ってもいい、辛ければ適当にお茶を濁してもいい、しかし投げてはいけないのです。
(という意味で僕は安部前首相を認めていません)

人生は不本意なものです。あっち行けーと言われればこっちに来いと言われ、やろうと思ったらやるなと言われ。一番好きな人とずっと一緒にいられることのほうが奇跡なのです。そんなことはわかっています。僕もわかっています。ドッピオさんもわかっています。

確かにティベリウスの人生は不本意なものでした。それでもそれを受け入れました。彼は言われたことを言われた以上にやりました。不器用だったかもしれません。それでも皇帝としての責務は何一つ投げませんでした。それで充分じゃないですか。市民に嫌われることが何だと言うんでしょう。

ティー坊が死んだとき、市民は口々に叫びました。「死体をテヴェレ河に放り込め!」と。しかし市民がおおっぴらに時の最高権力者を非難できる平和、というのもあるのではないでしょうか。そしてそれはその最高権力者によって保たれた平和であったことは間違いありません。

ティベリウスは皇帝でありながら人生最後の10年をカプリ島で過ごしました。それも市民が彼を嫌う理由のひとつでした。ローマ皇帝なのにローマにいないなんて、と。


「カプリ島、青の洞窟」

彼の気持ちを分かってくれるのはカプリ島の青い海だけだったのかも知れません。

僕はティベリウスが好きです。


<ティベリウス伝 完>

ローマ人列伝:ティベリウス伝4

2008-01-26 11:02:20 | ローマ人列伝
カエサルの血を重んじた皇帝アウグストゥスの血を引いた男子はこの時点で孫であるアグリッパ・ポストゥムスのみ。

ティー坊と共に、いや直系であるがゆえにティー坊以上にアウグストゥスが後継者として重んじたアグリッパ・ポストゥムスは精神的な問題を理由に幽閉された後、処刑されます。ティー坊以外の誰もが望む皇帝の座、それがどんどんティー坊に近づいてきます。

齢70歳を越えたアウグストゥス。若き日の彼の「直系親族への愛」は著しいものでした。子供は女であるユリア一人のみ。しかし彼女がアグリッパと産んだ三人の男孫、ガイウス、ルキウス、アグリッパ・ポストゥムスを異常なまでに愛したと伝えられています。一説には彼ら孫の彫像を作らせ家に帰るたびにその彫像に接吻をしたとも。

血への深い愛は反面、血を引かぬ者への冷遇となります。3人の孫が生きているときにはアウグストゥスの口からティー坊のテの字も出てきませんでした。いくらティー坊が優秀な将軍であれ重要なことは只ひとつ、「カエサルの血をひいていない」ということでだけです。

それがその3人が死んだとたん、ティー坊ティー坊。ティー坊星人か。

ローマ皇帝アウグストゥス晩年にティベリウス宛に送った書簡には。(このあたりアウグストゥスのイメージはパルパティーンが似合います。いや悪い人じゃないんですけどもう「妄執」という感じ)


「ティベリウスよ、戦地での活躍を嬉しく思う。ただ君が怪我をしていないか、ということを考えるだけで私は病に犯されそうだ」
「親愛なるティベリウスよ、私の健康状態など気にしないでくれ、君が健康でいてさえくれればいいのだ」

ティベリウスは、ローマ帝国とカエサルの血のことしか考えないこの老皇帝からの書簡をどんな気持ちで読んだのでしょう。

僕ならばこう思います。

「カエサルの血!と言いながらそれが途絶えた途端、求めるのは少しでも優秀な後継者か…」

そしてアウグストゥス崩御。実父の敵であり、実母の夫であり、何よりもローマ皇帝だった人の死。それはつまり「次の皇帝を誰が継ぐか」という問いの発生でした。彼の遺言書を開くとそこには「次はティベリウスだよ~ん」と書いてありました。はいはい、もう何でもやりますよ。

カエサルが切り開き初代皇帝アウグストゥスが確立した帝政ローマ、第二代皇帝の誕生です。


皇帝として彼が行ったことについてはあまり詳細には記載しません。僕自身も良くわからないし退屈だし。ただし当時の歴史家によれば「新しいことは何もやらなかった皇帝」。彼の統治期間は23年間続きます。

これについて僕は2点、記載したいことがあります。

ひとつめは「新しいことを何もしなくても23年間平和を保てたシステム」。経済にせよ法律にせよ23年間、特に新しいことは必要とせずティー坊がメンテナンスをすれば良かったのです。こればかりはこのシステムを構築したアウグストゥスの成果でしょう。

そしてもうひとつ、新しいことを何もやらなかった、ということは不要なことはやらなかった、ということでもあるのです。

思い返していただきたいのですがティベリウスは英雄カエサル、神君アウグストゥスの跡を継いだ男。普通であれば自分も彼らに負けずに、と何かを成し遂げたいところです。しかし彼はそういった偽りの名声というものをまったく求めない人でした。ティー坊の跡を継いだカリグラが偽りの名声しか求めなかったのと対照的です。

ティベリウス皇帝即位と共に、いやアウグストゥス崩御と共に、元老院とローマ市民はアウグストゥスに「神君」の名を送り神として祭ることを決めます。それ自体はたいしたことではありません。が、それにより自動的にもう一人、神が生まれることとなりその神がティー坊を悩ませます。

…to be continued...

ローマ人列伝:ティベリウス伝3

2008-01-26 00:15:44 | ローマ人列伝
ティー坊は数奇な運命をたどった人でした。名家に生まれたもののカエサルのおかげでばぶーのうちに辺境の地へ。ローマに戻れば母が皇帝の妻に。将軍として頑張っていたら皇帝の養子に。愛した妻と離婚され皇帝の婿に。

しかし彼は不平のひとつも言いません。

これは僕の想像ですが幼い頃に恵まれなかった人は2つのタイプに育ちます。何億もの人を2つのタイプにわけるのは不遜であることはわかっていますが分かりやすくあえて。

ひとつはすべてを求めて求めて何かを得ても更に求めるタイプ。後に書きたいと思っていますがローマ第五代皇帝、暴君ネロがその典型です。彼は常に言い続けます。「僕を愛してくれ!」と。

そしてもうひとつのタイプは今あるものに満足し幸福を見出すタイプ。ティー坊は後者だったのではないでしょうか。彼は子供の頃から知っていました、求めても求めてもすべては「カエサルの血」に妨げられることを。ならば、と彼は思ったのかも知れません。ならば何も求めるのはやめよう、ただ運命の輪の回るがままに任せよう、と。

そのタイプの人は一見穏やかですが不平や不満、ストレスがたまりにたまると爆発します。

ティー坊も「我慢して今に幸福を見出すタイプ」にありがちな一種の感情の爆発を起こします。今まで溜め込んだ不平や不満がどんと爆発する、そんな出来事です。彼の爆発は誰を傷つけるものではありませんでした。彼は家出したのです。

「今までちゃんとやってきたけどもう僕ちん何もしないちーん、ばぶー。カエサルなんて知らないぶー」とばかりにすべての職務を放棄しギリシャ領ロードス島に隠棲します。



元々インテリの彼のことです、大好きなギリシャ悲劇でも読みふけっていたに違いありません。さしづめティー坊の人生は機械仕掛けの神、デウス・エクス・マキナに操られるエウリピデスの悲劇のようなもの。男と女あやつりつられ、細い絆の糸引き引かれ~、けいこ不足を幕は待~たない、恋はい~つでも初舞台~♪

もうすべてが嫌になったのでしょう。妻ユリア(アウグストゥスの実娘)はローマに置き去り。結果彼女は浮気をし実父が成立させた結婚法に反した罪でローマから追放されます。

ユリアがいなくなったから、というわけではないでしょうが、気が済んだティー坊はローマに戻ります。アウグストゥスに「あーなんかすいませんした」とくわえタバコで謝り、軍の指揮官に10年ぶりに復職します。

軍に復帰したティー坊、兵士の前に立ちます。仮にも皇帝の婿でありながら指揮を放棄しいわば家出をしていた司令官。そんな司令官に兵士たちは駆け寄ります。そして口々に言います。

「将軍!覚えていますか?ゲルマンの戦線で将軍から勲章をいただきました!」
「また将軍と戦えるのですね!夢ではないのですね!」
「将軍と戦って恩賞を受けたおかげで家を建てたのです!」

ここで僕は思うのです。古代においては歴史のすべては字を書くことが出来る「知識人」によって書かれました。その「歴史」においてティベリウスの名は悪名とともにあります。しかしもしティベリウス軍の兵士たちが字を書くことが出来たら、彼の評価は違っていたのではないかと。

このときに、ティー坊はひとつ厳かな決意をしたのかも知れません。「どんなことがあっても自分はローマ市民のために生きる」と。家や血がなんだというのでしょう。実母は他人の妻となりました。愛した女、ウィプサニアもまた既に他の人の妻。その後、結婚したユリアとはうまく行きませんでした。ひとりぼっちの彼でもしかし、ローマ市民だけは彼を愛してくれるのです。

そして転がる運命はひとつの終着点へとたどり着きます。

…to be continued...

ローマ人列伝:ティベリウス伝2

2008-01-24 23:48:16 | ローマ人列伝
不遇の子供時代を経て「軍」と「愛する家庭」という自分の居場所を見つけたティー坊。運命の輪に巻き込まれます。


(タロット:運命の輪)

アウグストゥスが必死の思いで作った2人の孫が相次いで死にます。あせったアウグストゥスはアグリッパの三男、アグリッパ・ポムトゥムスを養子にします。それだけであればティー坊には関係ありません。

しかしそこは慎重なアウグストゥス。もし三男アグリッパ・ポムトゥムスに何かあったときのために保険でティー坊も養子にしておくことを考えます。一応、自分の妻の子ですから。この養子縁組には自分の血をひいた子を皇帝にしたかったリウィアの画策、という説もあります。
カエサルの敵の家系に生まれ、母をカエサルの血に取られ、今度は自分自身が家を捨て皇帝家に入らなければいけません。いや、それはないよね~、正直。

父の敵であったアウグストゥスを「お父さん」と呼び、実の母でありながら一度は忘れることを強いられたリウィアを「お母さん」と呼ばなくてはなりません。マドモアゼル唯先生を外人と呼んだら100円払わなくてはいけません。
このとき、ティー坊はどんな気持ちだったのでしょうか。いや、ぶっちゃけわかんないですわ。でも複雑な気持ちだったことは分かります。

それだけであれば、それだけであればまだ良かったのです。いや、良くないけどさー。

アウグストゥスは養子となったティー坊に言います。「ユー!今の奥さんと別れちゃえばいいじゃん!エンド ユー!!ミーの娘と付き合っちゃえばいいじゃん!子供つくっちゃえばいいじゃん!」

一度は一人のローマ軍人として生きることを誓ったティー坊。そのティー坊を愛してくれた妻。その2人の仲を単に「自らに流れるカエサルの血」だけを求める皇帝が切り裂きました。そしてその「血」のために自分の娘ユリアと結婚させたのです。

アグリッパ伝にアグリッパの親友として登場したおっくん、いや、もうおっくんとは呼べませんわ、僕の心情的にも。自分の娘を親友と結婚させ、その親友が亡くなったとたん後家となったその娘を今の奥さんの前夫との間に生まれた子に嫁がせる。あーもう書いているだけで良くわからなくなるわ!

参考までに家系図。


結局アウグストゥスは「カエサルの血」のことしか考えていません。そんなにカエサルカエサル言うならカエサルの家の子になっちゃいなさい! あ、なったんですけどね。

幸せに暮らした愛妻ウィプサニアとの離婚したティー坊。離婚後、町を歩いていると既に人の妻となったウィプサニアを見かけます。もし人たらし&女たらしカエサルであれば「どう最近?つーかさー今度飲まない?」とでも声をかけたでしょう。もし徹底的に現実的なアウグストゥスであれば「生活費は足りているか?」とでも言ったかも知れません。しかしティー坊は違いました。向こうから歩いてくるウィプサニアを見て、彼女に気づかれる前に身を隠します。それ以後、ティー坊はよっぽどのことがない限り町に出かけることはなかったと言います。

ここからティベリウスの女性嫌いが始まっていた、という人もいますが、アホか!お前分かってない!なんにも分かってない!死ねばいいのに。

ティー坊はウィプサニアを忘れようとしていたのです。でも…忘れられるわけないじゃな~い。ティー坊はいつでも探していたはずです。どっかに君のかけらを。旅先の店、新聞の隅、こんなとこにいるはずもないのに。二人で歩いた町に出てしまえばそこにウィプサニアの面影を見つけてしまう。ティー坊が単なる男であればそれもいいでしょう。ベージュのコートを見かけて指にルビーのリングを探してしまえばいい。その後、立ち飲み屋にでも寄って「やっぱあいつしかいねーんだよ!つーか早く焼酎お湯割り持って来いよ」とくだを巻いていればいい。

しかし彼は既に皇帝の養子であり婿。あーもうどうしろって言うのさ~。

更に運命の輪は転がります。


…to be continued...