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浅草文庫亭

"大哉心乎"
-大いなる哉、心や

ローマ人列伝:ティベリウス伝1

2008-01-23 23:09:42 | ローマ人列伝
ローマ人列伝、まだまだ続きます。

繰り返しますがこの列伝は個人的な趣味で書いているものですから歴史的間違いはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます。)

アグリッパ、ヴェルチンジェトリックス、ジューシーと続いてきましたがそれぞれ武将として優れまたドラマティックな人生でした。

しかし今回のティベリウス、あらかじめ言っときますが戦争での華々しいエピソードはありません。いや、正確に言えばアグリッパに負けず劣らず優秀な軍人だったのです。彼はローマという大帝国の中で運命を翻弄されます。しかし彼の人生は冷たく穏やかな鏡のよう。大きな台風の中でもその中心には風が吹いていないように彼の人生もまた静かに流れていきます。



生まれは紀元前42年ですから、カエサル死後2年くらい、ちょうどアウグストゥスがカエサルを継いですぐくらいです。
父は名門ティベリウス家の人。当時ティベリウスったらたくさんの政治家を輩出している名家でした。芸能界の海老名家みたいなもんです。
母はリウィア・ドルシッラ。クラウディウス氏族からリウィウス氏族の養子となったマルクス・リウィウス・ドルスス・クラウディアヌスの娘。うーん言葉の意味は良くわからんがとにかくすごい自信だ。

簡単に言うといいところの坊ちゃん、ということです。三国志で言うと名門袁家みたいなもんです。三代四公でしたっけ?四代三公でしたっけ?忘れたしどうでもいいけど。

もし50年前に生まれていれば彼は当然のごとく元老院入り(当時の国会みたいなもの)どころか文連委員長や学実委員長、そしてキャリアのトップであるローマ執政官(言わば総理大臣)にも当然なっていたでしょう。そういう家です。

しかし生まれた時代が悪かった。15、16、17と私の人生暗かった~、っと。

父は名門が故に体制派、時代はちょうどカエサルにより反体制が体制に移り行く時代です。長年にわたり5世紀にも渡る共和制という「体制」が崩壊を迎えつつある時代。カエサルの死を継いだアウグストゥスとは対立する勢力にいた父に連れられティベリウスは生まれたときから各地を転々とすることになります。

母に抱かれ敵から逃げる名門の子。本来であればローマのど真ん中でぬくぬくと育っていてもいい人です。それが辺境の町から町へ。当時、ティー坊はまだ乳児と言っていい年齢ですからどんな思いだったのかはわかりません。ばぶーとだけ言っていたでしょう。

戦乱が終わり、一家はローマへと戻ります。敗北者とはいえ名門は名門。キャリアはこれから、という話ですがそこに運命の偶然が起こります。

母リウィアを皇帝アウグストゥスが見初めたのです。

(リウィアとアウグストゥス)

この辺は結構適当な当時のローマ人。バツ一、バツ二とかあんまり気にしない人たちです。人の妻を取るのもまぁお互いが納得しているんならいいんじゃなーい、という感じです。皇帝とは言え無理をすればいちいちうるさい元老院とスキャンダル好きのローマ市民が黙っていません。このことからもこの結婚は一応、妻も旦那も納得の上だったと考えられます。

ティー坊の父母はアウグストゥスにより離縁され、母は皇帝の妻となります。そしてティー坊は父に引き取られ、母の愛を知らずに育つことになります。このときティー坊3歳。またもやばぶーと言っていたでしょう。

成長した彼はまず軍人としてキャリアをスタートさせます。奇しくも父の敵だったアウグストゥス軍の一員として。彼はずいぶん優秀な軍人だったようでいくつかの凱旋式にも参加しています。ばぶーと言いながら。いや言ってないけど。

彼は現皇帝の奥さんの実子です。もし普通の世であればどんどん出世したのかも知れません。現皇帝のアウグストゥスはすべてにおいて公平な人でした。しかしひとつだけ、執着したことがありました。それは自分の「血」です。ティー坊は今の奥さんの子ですが自分の血は引いていません。邪魔な存在ではありませんが愛する相手でもありません。ティー坊は一将軍として生きていくことになります。

結婚もしました。相手は皇帝の右腕アグリッパの娘ウィプサニアです。しかしその頃にはアグリッパはその娘の母とは離婚し、アウグストゥスの娘と結婚していました。ぱっと見、いい結婚のように思えますが、よくよく考えるとなんと言うか余りモノを押し付けられたような感じもします。ただティー坊自身は幸せでした。息子もばぶーと言ってましたし。

しかし、運命は彼を幸せなままにしておいてくれないのです。

…to be continued.

ローマ人列伝:ヴェルチンジェトリックス伝 4

2008-01-06 23:28:11 | ローマ人列伝
アレシアが陥落し、敗北を悟ったヴェルチンジェトリックス、すべての将、兵を集めこう告げます。

「この戦いは己の栄誉のためではなく、自由のための戦いだった。運命が私に敗北を与えたのならば、それに従うことにしよう。私を殺すか、あるいは生きたままローマ軍へ引き渡すか、諸君らが選択したまえ」

ガリア連合軍は彼をカエサルに引き渡すことに決め、彼を先頭にカエサルの元に出向きます。負けたとはいえガリア王、全裸で、いや全裸じゃないけど馬に乗ったままカエサルの前に立ちます。

ガリアの若き獅子対ローマの昇竜、初の対面。

この絵はヴェルチンジェトリックスがカエサルの前で武器を捨てたシーン。この瞬間、若きガリア王は単なる若きガリア人となりました。

まだ戦火の消えきらぬガリアの聖地アレシアを背に、どのような会話が交わされたのかは想像するしかありません。このローマ人列伝はほとんど僕の想像みたいなものですからここでも想像しましょう。

カエサルはまず若きガリア王の健闘を称えます。カエサルはもしかすると伝説に残るカルタゴ軍の天才、ハンニバルと自国の英雄スキピオにお互いを重ねていたのかもしれません。

神将の思わぬ言葉を聞いたヴェルチンジェトリックス。ひとまず感謝の気持ちを伝えます。良かれ悪かれ彼と戦うことにより自分の愛した部族は部族を超え、曲がりなりにも「国」の形を取りつつありました。戦いに負けはしましたが心から望んだ「団結」の結果です。何を恥じることがあるでしょう。
また戦乱の中でカエサルの戦略に触れることは武に生きる自分にとって何よりも興奮することでもありました。もし違う形でカエサルに会っていれば。二人は年齢を越えてよき友人になったかも知れません。あるいは「血統」に何一つこだわらなかったカエサルのこと、30歳下のこの若将を自分の後継者にすらしたかも知れません。

しかし今は勝者と敗者。敗者には何も残りません。戦争において勝利なき健闘に何の意味もないのです。カエサルは自分を奴隷にするか、それともこの場で首をはねるか。敗者はただ勝者の意志に従うだけです。若きガリア人はカエサルの目を見据えたまま、言葉を待ちました。

カエサルの言葉は、

「部下になれ」

でした。

カエサルはそもそも敵武将を殺さないことで有名でした。「自分は好きなようにやる、お前も好きなようにやれ」が口癖の男です。理由があって自分の敵になろうともそれは好きなようにやった結果です。怨みなど一切ありません。決着が着いてしまえばみんな友達。友達の輪。

ヴェルチンジェトリックスは驚きました。そして心が揺れました。

しかし、すべてを捨ててカエサルの部下になるには彼は若すぎました。もう少し年を取っていれば、残り少ない人生を惜しんで降ったかも知れません。若き彼が惜しむものは部族の誇りのみ。まっすぐさだけが若さのとりえ。彼の答えは「Non」(フランス人だからね)。

そのまっすぐな一言だけでカエサルは彼の思いを理解しました。そして二人の会話は終わりました。

ヴェルチンジェトリックスは捕縛。ガリア連合軍は後に遺恨を残さぬよう一部は解放、一部をローマ軍に併合。これによりカエサルの私軍は更に強固になります。

※私軍強化及びガリアからの税収による自身の財力強化がカエサルがガリアを攻めた目的ではあります。が、強大になったカエサルを元老院が恐れ、結果、軋轢を生むことになりますがそれはまた別の話。

カエサルは捕縛したヴェルチンジェトリックスと強大になった私軍を従えローマに凱旋します。

凱旋式の先頭を行くのは鎖につながれたガリアの若将。ガリア人を話では聞いても見たことは無いローマ市民は好奇の目で彼を見ます。そして最後尾のカエサルに最大の賞賛を与えます。

僕の勝手な想像ではカエサルはヴェルチンジェトリックスをローマ市民の目にさらしたかったわけではないと思っています。むしろ、自分の愛した敵将に自らの愛するローマを見せたかったのではないか。さすがに最後尾、カエサルの隣に敵将を座らせるわけには行きません。ならばせめて、一番良く見える最前列に。ルールに従い鎖に繋がれているとしてもそんなことでは傷つかない高い誇りをその若者は持っているはずです。

その後のヴェルチンジェトリックスを多くの歴史家はこう伝えます。

「6年間ローマの牢につながれた後、処刑された。敵将を処刑しないことで有名だったカエサルにとってですら、ヴェルチンジェトリックスは生かしておくには脅威だったに違いない。」

さてそうだったのでしょうか?

僕が想像するのは恐れ多いですがおそらくカエサルは6年間、事あるごとに牢に出向き、ヴェルチンジェトリックスの翻意を待ったのではないでしょうか。部類の人好き、人たらしで知られたカエサル。何度も何度も話をすればヴェルチンジェトリックスも考えを変えてくれるかもしれない、そう思って6年間待ったのではないでしょうか。

しかし思いというものは硬ければ硬いほど、年月が和らげるものではありません。逆に頑なになっていくものです。

6年目、「部下になれ」と言うカエサルの言葉にやはりヴェルチンジェトリックスの答えは「Non」(フランス人だからね)。そしてヴェルチンジェトリックスは続けたのでしょう。「獄に繋がれ恥の人生を送るのであればカエサル最大の敵として殺してくれ」。敵ながら愛した人の願いをかなえることはその人の死。カエサルは万感の思いを胸に処刑執行書にサインしたに違いありません。

こうしてガリア戦争は終わりました。





ガリアの獅子の死から2000年、かのアレシアの地にはフランス史上初の英雄、自由と解放、そしてガリア民族「団結」のシンボルとして彼の像が建てられています。

今もなお、ガリアの地に響くカエサル軍の蹄の音を聞くかのように。




<ヴェルチンジェトリックス伝 完>

ローマ人列伝:ヴェルチンジェトリックス伝 3

2008-01-06 00:29:25 | ローマ人列伝
一度は王手をかけながら掟破りの逆さそりで負けたヴェルちん、ガリア人にとって聖地とも言えるアレシアという都市に立てこもることにします。かたやカエサル、一度南下し兵糧と兵を補給します。ここに来てヴェルちんの戦略は裏目裏目。敗北を気にせず追走していれば得意のゲリラ戦に追い込めるかも知れなかったのに。。。

この年(紀元前52年)のカエサル軍の動きを見ておきましょう。
(右側の矢印は56年のものなので気にしないでください。)

北から始まり南下しジェルゴビア(赤線引きました)でヴェルちんを撃破、ヴェルちんは北東のアレシア(黄線)に敗走、カエサル追走、という動きです。これが後に「カエサル"し"の動き」とはぜんぜん呼ばれてはいませんが、各年のカエサルの動き(こちら)と比べると今までの矢印が比較的まっすぐだったのにくらべ、この年は明らかに動きが「ヴェルちん追走」に動いていたのが分かります。

アレシアに立てこもったガリア軍は8万、囲むローマ軍も8万。ただしガリア軍には援軍の当てがあり約30万がアレシアに向かっています。

アレシアを囲むローマ軍は工作上手のところをきっちり見せます。まずアレシアの周囲18キロに土手を築きます。土手には茨をつけて人が登って来れないように。その後ろには水を貯めた堀。更に落とし穴、穴の底には槍。更に落とし穴の手前には「棘」と呼ばれる細工。

棘を飛び越えたら落とし穴、スーパーマリオの9面を思い出します。

こちらは復元されたアレシア包囲線。

エキサイトバイクを思い出します。

こちらにまた違うアングルからの写真があります。(これ) よーう作ったなぁ。

史実に残るアレシア包囲網を見ておきましょう。

内側の紫の線が城壁、外側の青い線がカエサルの築いた包囲網。

恐れをなしたアレシアからは元の住人が脱走しカエサルに許しを乞います。しかし答えぬカエサル。住人は包囲網の中でぼこぼこと落とし穴に落ち死んで行きます。スペランカーを思い出します。

結果的にヴェルちんの篭城作戦はローマ人の一番得意技を使わせるだけに終わってしまいました。「兵站のローマ」と言われるだけあってこういううんしょ仕事は大得意なのです。

城壁の外からは落とし穴に落ちたアレシア住人の苦痛の声、その外側にローマ軍の怒声。もはやヴェルちんの頼みの綱はガリアの援軍のみ。援軍のみ、とは言え見込まれるのは歩兵25万、騎兵8千。ローマ8万を相手にするには十分な数、しかもガリアは内側と外側、包囲するローマ人を挟み撃ちに出来るのです。「花京院とじじいはDIOから逃げながら戦う、俺たちは追いながら戦う、挟み撃ちの形になるな…」
上記の図で言うと南西にガリア4個大隊が到着、包囲網突破部隊として待ちます。

ヴェルちん率いるアレシア部隊と突破部隊はカエサルによる包囲網の「穴」を見つけます。上図で言うと北西、○をつけてある場所があります。ここは川と山に挟まれ包囲網を築くことが出来ませんでした。

ガリア全軍はここを攻めることにします。

内から8万、外から30万、それがローマ軍唯一の穴を攻めるのです。

長年にわたり部族間抗争を繰り返して来たガリア人、ここに来て初めて心がひとつになります。戦える年齢にあるほぼすべてのガリア人が聖地アレシアに集いカエサルの「穴」を見つめています。ガリア全人民の団結。勝利ももちろんですが、ヴェルチンジェトリックスが望んだものはまさにそれでした。

いよいよ、アレシア攻防戦の火蓋が切って落とされようとしています。






塩野七生著「ローマ人の物語」の物語にこんな一節があります。

「なんであれその人の性格にあったやり方がもっとも巧く出来るのである」

団結に縁の無かったガリア人30万がひとつになりカエサルの「穴」を攻める、この攻め方は性格にあっていたでしょうか?

やはりガリア人の性格にあったやり方は「ゲリラ戦」、一点集中よりもフィールドを広く使った各個撃破が向いていたように思えてなりません。一方、希代の人たらしカエサルにとっては相手の心理の先を読むということでこれ以上性格にあったやり方はありません。

今までガリアがローマ軍に勝てた要因は「団結」、しかし歴史において勝てた要因が後に負ける要因になる、ということが起こりうるのです。

ガリア軍の無秩序さ、それは弱さであり同時に強さでした。理屈無視神出鬼没愉快痛快怪物君フランケンフンガードラキュラざーます。軍として強かろうと弱かろうとやりにくい相手であったことは確かです。ヴェルチンジェトリックスのおかげでガリア軍は団結して強くなりました。軍としてのレヴェルが上がりました。しかし残念ながら如何にレヴェルが上がろうが軍と軍の戦いであれば百戦錬磨のカエサル軍に敵うわけがありません。無秩序な部隊よりも秩序だった部隊のほうが強い反面、「読める」のです。

話は飛びますが歴史上名高いカンネーの戦い。ハンニバル軍4万がローマ軍8万を完璧に包囲し倒した戦いですが、ここにおけるハンニバルの戦術の成功要因のひとつに「ローマ軍の秩序」があったように思えます。ルール無用でやたらめったらかかってくる軍であればこのように綺麗にハンニバルの戦術にははまらなかったのではないでしょうか。ルールのある軍同士の戦いでこそ戦術は活きるのです。






地上最強の生物、範馬勇次郎は言いました。

「4人に勝てれば100人に勝てる」

さすがオーガ、意味が良くわかりません。

つまり100人対1人の戦いでも同時にかかってこれるのはせいぜい4人。他の96人の攻撃は届きません。一度に4人と戦うことが出来ればあとはそれを25回繰り返せばあら不思議、100人に勝ててしまうのです。

幅1キロにも満たないカエサルの「穴」、そこにガリア30万が攻め込みます。一見怒涛の攻撃、しかし実は一度に戦える兵数としてはローマと同等になっていました。あとはローマ軍のスタミナの問題ですがそこは「兵站のローマ」、不安はありません。

勝負事には常に「流れ」がつき物です。一度は引き寄せた「流れ」をヴェルチンジェトリックスは失いました。どこで?今までずっと避け続けてきた会戦を受けた故郷ジェルゴビアに流れがあったような気がしてなりません。やはりホームで負けてはいけないのです。

30万対8万という道内の人口にたとえれば函館対岩見沢という圧倒的な数的優位を持ちながらアレシアは陥落します。

…to be continued.

ローマ人列伝:ヴェルチンジェトリックス伝 2

2008-01-05 00:13:17 | ローマ人列伝
9年にわたるガリア戦争。7年目まではペナントレースみたいなものです。いろんな部族がカエサルと戦い勝ったり負けたり。

そしてヴェルちんがでてきての8年目からは有る意味クライマックスシリーズ、ここまでは2勝2敗。最初はカエサルの連戦連勝、続いてヴェルちんをリーダーにしたガリア連合軍が巻き返し連勝でタイ。

先に4勝したほうが勝ち、という勝負であれば、実は大事なのは4勝目ではなく3勝目ではないでしょうか。先に王手をかけたほうが次の一手を容易に出せます。逆に王手をかけられたほうが後が無くなり精神的にも余裕がなくなります。

いわばイーシャンテン、勝負を決める5戦目、舞台はヴェルちんの故郷、ジェルゴヴィア。

まさにこのジェルゴヴィアの戦いはお互いにとっての3勝目をかけた戦いでした。

ヴェルちんにとっては王手か否ももちろん、自分の故郷。ここで負けるわけには行きません。居酒屋富士でのG5みたいなもんです。一方、カエサルにとっては相手の将軍の故郷、ここを取れば一気に形勢逆転。正に天王山。


フランス語版wikiから取ってきた画像なのでよくわからんちんなのですが多分「ジェルゴヴィアの戦いの跡の写真ザーンス」なんだと思います。

はっきり言ってしまえばゲリラ戦でなく攻城戦で常勝将軍カエサルが負けるわけがありません。しかし「負けるわけがない」と思ったときこそ、運命の神は微笑むのです。

戦いの前にカエサル軍では兵糧確保に問題が起こってしまいます。「ローマは兵站で勝つ」と言われたそのローマ軍に兵站の問題が起こるのですから皮肉なものです。ローマ軍の兵糧確保を担当していたヘドゥイ族に内乱が起こったのです。完全にヘドゥイ族を当てにしていたカエサル、さすがにこれは「俺は好きなようにやる、お前らも好きなようにやれ」とは言ってられません。攻城戦となれば長期戦、兵糧不足は深刻です。一時退却を余儀なくされます。しかしここで退却してはガリア軍を勢いづかせるだけです。単に尻尾を巻いた、と思われないように一発当ててから退却することを思いつきます。

ジェルゴビアは当然重要地なので周りは高さ2mの城壁で囲まれています。しかし一箇所だけ小西、じゃない小山につながっている箇所があります。カエサルはここに目をつけました。まずここに背が高くて目立つよね3とドッピオを、じゃない騎兵隊を集めます。また夜中には敵から姿が見えませんから兵士ではない荷物運び用のシジマ、じゃない平民まで動員し足音をさせます。


現代のジェルゴビア。右の小山がその小山。うそですが。

もちろんヴェルちんは元からその小山を警戒をしていました。しかし騎兵の姿や兵士の足音を聞き、想像以上の兵がいると思い、そこに隣接する城壁内部に更に兵を集めます。

もしカエサルが長期戦を考えているのであればそんなことはしなかったでしょう。警備はしているとは言えその小山を猛スピードで攻めていたはず。しかし今回は奇襲さえ与えればよかったのです。小山に敵の目が集まっているうちに別の城壁から歩兵が攻めます。本気になれば城壁は2m、警備が手薄なら昇れない高さではありません。

この作戦は成功。やすやすと城壁内に進入します。小山を守っていたヴェルちん、後ろからローマ兵の歓声と自軍の悲鳴を聞いて驚きます。「まじムンド!?」

カエサルにとってはここで退却すれば大成功。敵の裏を攻めて一発当てて風のように退却、これで敵軍に恐怖の記憶を与えることが出来るでしょう。しかし運命は皮肉。カエサルの命じた退却ラッパが双方の軍勢の怒声により聞こえなかったのです。いや正確には一部分には聞こえたのです。それによりローマ軍は大混乱。退くのか?攻めるのか?A列車B列車、ドッキリドキドキ。カエサルと目があっただけで酒を飲むほどに徹底的に統制されたローマ正規軍、神将カエサルの指令が届いている限り敵はありませんが、逆に指令が届かなくなった瞬間その強さを失います。混乱している部隊に猛将ヴェルちんが迫ります。

一発当てて逃げるつもりだったローマ、百人隊長含め兵を失います。

ガリアクライマックスシリーズ第5戦はガリアの勝利。秋味で王手です。

ヴェルちんの勝利に気を良くしたガリアの各部族は更に兵を差し出します。また今までヴェルちんの味方をせず戦況を静観していた中立部族も続々と集いだします。
カエサルは兵糧問題がたたり動けず。兵站の確保に精一杯。

カエサルは動けぬまま、ヴェルちんは体制を増強し1ヶ月が経過します。結果、兵力はローマ軍5万、ガリア連合軍10万。更にガリア連合軍には各部族からプラス30万の兵力増強を約束されます。5万対10万プラスバックに30万。え~~。まぁカエサルの書いたガリア戦記に基づいているので多少誇張が入っているとは言えその差はかなりガリア有利だったんでしょう。

ここで、さぁここでですよ。ガリア軍がここまで勝ってきた要因がオセロのように裏返って敗因になりだします。

カエサルはこれ以上、ジェルゴヴィアでの戦いを長引かせたくありませんでした。既に兵糧は尽きつつあり兵士たちは水コンパを始めています。時間が経てば経つほど自軍に不利。更に敵兵は援軍で増えるに決まっています。ジェルゴヴィアの城壁の中から敵を誘い出し平野での会戦を望みます。

一方、今までヴェルちんは会戦の申し出をことごとく断ってきました。なぜならガリア軍の強さと言うのはやはり森の中でのゲリラ戦。平野での会戦となれば今までまともなものをしたことがありません。用兵でカエサルに敵うわけがありません。

ヴェルちんはただ待っていればよかったのです。時間さえ経てば援軍が届き兵力差は更に圧倒的になります。またこれはヴェルちんが気づいていないことですが相手は兵糧が無いのです。ほっとけば自滅です。

残念ながらここでヴェルちんは会戦を受けてしまいます。あーあ。

ヴェルちんは何故今まで避け続けてきた会戦を受けてしまったのでしょうか。

これは想像ですが今までの利点がすべて裏目に出た結果だと思います。

まず、ヴェルちんの若さ。ぶっちゃけ20代半ばなんすよ。恐れを知らないヴェルちんの若さはガリア連合軍の大きな武器でした。その恐れを知らなさがひとつの勝利に後押しされ「いける!」と思わせたのではないでしょうか。

そしてガリア連合軍の大きなキーワードだった「団結」。ヴェルちんが最も大事にしていたことです。しかし、ヴェルちんは今までの経験や力量で軍を団結させてきたのではありません。カエサルを恐れるガリア人に「俺が勝つ!いや、むしろ俺が勝つ!」と約束し、とにかく目の前の戦いに「勝つ」ことで文化の違う各部族を団結させていたのです。こういう団結力は往々にしてプライドや勢いだけで保たれます。逆に言えばプライドが損なわれたり勢いが失われた瞬間、もとの全裸に、いや全裸ではないけど単なる「部族」に戻ってしまうのです。このジェルゴビアの会戦は勝利の後の兵の少ない敵からの誘い。敵兵は口々に繰り返します、「びびってんじゃあないの~?」 ここを受けなければヴェルちんへの信頼が失われ団結は一気に失われる可能性があります。「お前ほどじゃねえよ!」と叫ばなければ。飲まなければ。

会戦を受けたガリア軍。会戦が苦手とはいえ兵はこちらのほうが多いのですが相手は常勝将軍カエサル。会戦であれば負けるわけがありません。三方をガリア軍に囲まれながらも熟練した用兵で勝利を遂げます。結果ヴェルちんは敗走。あーあ。


フランス語wikiから(中略)たぶん「ローマ軍が使った武器の写真ザーンス」なんだと思います。

カエサル、ガリアクライマックスシリーズを3対3のタイに持ち込みます。

いよいよ決戦の舞台はガリアの聖地、アレシアへ。ここでもまた「勝った要因が負けた要因に」なります。

…to be continued.

ローマ人列伝:ヴェルチンジェトリックス伝 1

2008-01-04 00:51:03 | ローマ人列伝
このローマ人列伝は基本的にローマ人の話ですが第二回にしていきなりガリア人の話。

繰り返しますがこのシリーズは個人的なものなので歴史的間違いなどはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます)

ガリアの若獅子ヴェルチンジェトリックスのお話がは~じま~るよ~。

かっこいいですね~。レニー・クラヴィッツじゃないですよ。

まずは簡単にwikiから要約しておきましょう。

生まれは紀元前72年。カエサルが紀元前100年生まれですからだいたい30歳年下、ということになります。名を上げるガリア戦争は紀元前58~49年ですから20歳そこそこの若将ということです。帝国の英雄カエサルと辺境に咲いた乱の花。曹操と馬超を重ねてみるのも一興かも知れません。
生まれは当時ガリアと呼ばれた今のフランス。当時のフランスはまだまだ未開の地でサークル会館のESSくらいのかんじでした。100を越える部族がひしめき合っているだけでした。髪は長髪、口にはヒゲ。

一応、ガリアとはどこか、ということを書いておくとフランス、ベルギー、スイス、オランダ、ドイツあたり。

ローマ人の間で「長衣(トーガ)のガリア」と言えばガリア地方の中でも早くからローマの属州となりローマ化した地方。トーガは当時、ローマ人にとっての正装でした。一方まだまだ野蛮なガリア、という意味では「ズボンのガリア」「長髪のガリア」「全裸のドッピオ」。

ヴェルチンジェトリックスが生まれたのは正に全裸のドッピオ、じゃなくて長髪のガリア。完全なる未開の地の一部族の中に生まれました。

彼の生まれた部族はオーヴェルニュ族。今ではその部族の名をとり「オーヴェルニュ」という都市になっています。フランスのタイヤメーカー、ミシュラン本社があるそうです。よう知らんけど。

名を上げはじめるのは、カエサルがガリアに攻めてきてから。結果的に9年にわたることになるこのガリア戦争はカエサルにとって最大の戦いとなります。ミノルハイツ春の乱とは規模が違います。

ガリア地方の各部族とカエサルの戦いが続いたガリア戦争7年目、オーヴェルニュ族は比較的カエサルへの反抗心は弱かったようです。大きな戦いはありませんでした。そんな部族内で反ローマ派と親ローマ派の戦いが起こります。カエサルに屈するか、部族の誇りを胸に戦うか。

この部族内抗争は一応、親ローマ派の勝利で終えます。負けた反ローマ派のリーダーは部族の広場で公開処刑。戦乱を避ける方向で落ち着いたかに見えます。しかしそのリーダーには息子がいました。それがヴェルチンジェトリックス。なんと言うか反ローマ過激派になるのも当然、という感じの出来事です。彼は反ローマ派のリーダーの息子ということで部族を追放されますが在野に潜み仲間を集めクーデターを起こします。このクーデターが即成功してしまうあたり、彼の軍才を感じます。

カエサルに対するガリア全土の課題が「部族同士の団結力の無さ」にあると感じたヴェルちんはガリア全部族に決起の使節を送ります。話が通じない部族とは「飲んだやつがエライ」とばかりに酒で勝負、それでも言うこと聞かない人には人質を取り脅迫までして自分に従わせます。そして若くして「ガリア王」を名乗ります。方法はどうあれヴェルちんのおかげで今まで烏合の衆だった軍が初めてチームになったのです。

広大なガリアの大地に育った彼は力も強く、若くしてぐんぐんと武功をあげていきます。

当時のガリア人の戦い方と言えば基本的にはゲリラ戦。敵が来る森に身を潜め待ち、見つけた瞬間、襲い掛かる、というもの。この戦法は今まで、ガリア人同士の小競り合いやその他の部族との戦いでは非常に有効でした。何せ彼らは「森で育った」といわれるほど森を知り尽くしていましたから。

ただし、ローマ人との戦いではその戦法がまったく通じませんでした。ローマ人はどれだけゲリラ的に叩こうともどんどん後続部隊がやってきます。ガリア人はずるずると戦線を下げていくしかないのです。

秘訣はローマ人の戦い方にあります。当時から「ローマは兵站で勝つ」と言われていました。ローマ部隊は常に補給路を確保していましたし、駐屯地の建設方法に関しても明確なマニュアルがあり短時間ですぐに建設していました。一部隊をゲリラに叩かれても痛くも痒くもなかったのです。

ヴェルチンジェトリックスはそれに気づいていました。もぐらたたきをしても勝てないのです。臭いニオイは元から断たなきゃダメ。彼の戦い方はゲリラ戦と兵站叩きの二本立て。

攻めてくるローマ部隊を森の中で叩くとともに別部隊を進軍させ、戦線の裏側に行き、補給部隊を叩きます。またローマの駐屯地を攻めた場合には単に兵を殺すだけではなく、食料、家畜もすべて奪い、奪いきれない分は焼きました。とにかくローマ軍の兵站を断ったのです。このあたり、結果論で言えば「そりゃそうだ」と思うかも知れませんが、結構難しいです。20歳そこそこのヴェルチンジェトリックスは優秀だったのです。名前長いだけのことはあります。

更に彼が力を入れたのが騎兵隊の増強。それまで基本的にトボだったガリア人。ローマの騎兵隊に敵うわけがありません。森に生まれた彼らが馬を持つことによって更に強くなっていきます。

カエサルにとってここまでのガリア戦争は退屈でした。行くところ行くところ連戦連勝。だってガリア人たいしたことないんだもーん、と思っていました。そこに出てきたヴェルチンジェトリックス。敵であれ味方であれ人好き、人たらしのカエサルにはたまりません。「面白くなってきたね~」とでも思ったんでしょう。

カエサルにとってはガリア全土は将棋盤みたいなものでした。

(当時のガリア地図とカエサル軍の動き)

圧倒的な天才は「神」の視点でガリアを睥睨していたのです。ただし、この将棋には足りないものがありました。それは「相手」です。今までのガリア武将は所詮は将棋の駒。何も考えずに将棋盤の上を走りまわっているようなものです。そんな将棋が楽しいか?あ、楽しいんだ、じゃいいけど。
カエサルは退屈でした。そして退屈さのあまり盤から目を離し前を見たときに、おぼろげながら盤の向こうに人を見たのです。長髪で髭を生やした全裸の、いや全裸ではないけど、とにかく若者を。それがヴェルチンジェトリックスという長い名前の武将でした。

もともとガリア連合軍は各部族の強い人たちの集まり。一人一人は強いけども「チーム」としての強さはありませんでした。僕らが一年の頃のアズテックのドンパたちみたいなものです。こういう部隊はいつか瓦解します。その直前で強いリーダーが出てきたことはガリアにとって幸運でした。

ガリアの若き獅子対ローマの昇竜。

カエサルによって書かれた「ガリア戦記」によればその戦力はガリア連合軍8万、ローマ軍6万。 ただし、カエサルが書いた本ですから敵軍をちょっと吹いている可能性があります。まぁその辺差っぴいてだいたい同じくらいの戦力だったのではないでしょうか。同じ戦力とは言えローマ軍は長年の統治により鍛え上げられた正規軍。前ならえの仕方からぴっちりそろってます。一方、ガリアは全裸、いや全裸じゃないけどちょっと前まで兎や鹿を追いかけてた野蛮人、バルバロイたちです。

※話はちょっとずれますが現代英語の単語にもなっている【barbarian】(バーバリアン、野蛮人)はもともとギリシャ語でバルバロス、「わけの分からない言葉を喋る人」という意味。ローマ時代にもその言葉は野蛮人を意味しガリア人など異民族のことを指していました。(バルバロイ、はバルバロスの複数形) バルバロイは擬音語、という説もあります。つまり「バルバルと喋る人」という意味。異邦人の「バルバル、バル!バルバル!」という言葉はわけが分からなくて恐怖だったのかも知れません。だから来訪者バオーは「バルバルバルッ!」と喋るのだ、と僕は信じています。

しかしそのバルバロイがヴェルちんというリーダーを得、ガリア連合軍は連戦連勝。そもそも個人でも結構いい戦いをしていた軍にリーダーが生まれたのですからそりゃ当然、という感じもします。

しかし、歴史においては勝った要因がその後負ける原因になる、ということが往々にして起こりうるのです。

ガリア戦争のすべてを決める戦いが始まろうとしていました。

…to be continued.

ローマ人列伝:アグリッパ伝 3

2008-01-03 00:36:08 | ローマ人列伝
アグリッパの親友であり皇帝であるアウグストゥスは非常にバランスが取れている人でした。


権力を持っていても濫用することはまったくありませんし、元老院とも非常にうまくやっています。市民との関係も良好。ただし、ひとつだけ他の人があきれるくらい執着したことがありました。それは「血」です。

アウグストゥスは人生をパクス・ロマーナ(ローマの平和)にささげました。そのために彼がやったことはすべてのシステム化。税制も政治もすべてシステムを作りました。彼の後を継ぐ人がそのシステムをメンテナンスすればよいようにしたのです。その彼がもっとも作り上げたかったのは皇帝の世襲システム。彼自身は皇帝の立場をカエサルからタナぼた式にもらいました。それには感謝しています。その代わり苦労も多かったのです。生まれたときから「自分は将来皇帝になる」と思っていたらもっと学べたかも知れません。自分の後を継ぐものがよく分からない人であればせっかく作ったシステムが無駄になってしまうかも知れません。皇帝の世襲システムを作り上げ現皇帝が次の皇帝に生まれたときから帝王学を叩き込む。それが連綿と繰り返されるようにしたかったのです。そのためには継ぐものは自分の子供でなくてはいけない。

もしかしたらアウグストゥスは決して名家ではない自分の家への引け目もあったのかもしれません。皇帝でありながら(この時代の皇帝は総理大臣くらいなので)元老院議場では名家出身の元老院議員からたびたびやり込められることもあったそうです。

カエサルを継いで以降、彼にとって子作りは手に入れた権力を自分の家に留め置かせるための重要な仕事になりました。

ここで、想像がつくかも知れません。

他のものすべてを捨てても手に入れたいと思った物は手に入れられない、というのが世の常です。そしてその手に入れたいと思っているものがささやかであればあるほど手に入れられないのです。

残念ながらアウグストゥスは男子に恵まれませんでした。生まれたのは女の子、ユリアのみ。仕方なくアウグストゥスは姉アウグスタの息子マルケッルスに嫁がせます。しかしマルケッルスは子を生む前に19歳で死亡。未亡人となったユリアをアウグストゥスはアグリッパに嫁がせることを考えます。

アグリッパはこの提案を快諾。妻と離縁しユリアと結婚します。アグリッパ40歳ユリア19歳。(調べるの面倒なので年齢適当。21歳差というのは正解)

あらかじめ言っておくとローマでは離婚と言うのはそんなに恥ずべきことではありませんでした。離婚した女性と結婚することも普通のことなのでアグリッパが元の妻によっぽどひどいことした、という感じではないです。

アグリッパは「血」にこだわるアウグストゥスの気持ちをしっかり理解していました。子供を望みながら女の子一人しか持つことの出来なかった友人アウグストゥス。カエサルとアウグストゥスに会わなければ騎士階級の自分は百人隊長(足軽頭くらいだと思っていてください)になるのが関の山だったでしょう。それが彼らのおかげで皇帝の右腕にまでなれたのです。娘と結婚し子供を産むことくらいお安い御用です。アウグストゥスは病弱だったため常に死の不安と戦っていました。一方アグリッパは子供の頃から頑丈がとりえ。アウグストゥスの血に自分の頑丈さが入ればアウグストゥスの考える皇帝家系は更に強固なものになるでしょう。

更にアウグストゥスはもし子供が生まれる前に自分が死んだら次の皇帝はアグリッパにお願いしたい、とも言ってくれているのです。中継ぎ的な皇帝とは言えアグリッパには異存のひとつも在りません。

アウグストゥスの血にこだわるが故の政略結婚ですが娘ユリアとの結婚は決して悪いものではありませんでした。幸福なものだったと伝えられています。(アグリッパ死後、ユリアは悲しい運命をたどるのですがそれはまた別の話)

さすが頑丈なアグリッパ、ユリアとの間にどんどん子供をもうけます。子供が生まれるたびに「おめでとう、アグリッパ」という友のねぎらいが嬉しくもあり悲しくもあり。

長男ガイウス・カエサル、次男ルキウス・カエサル、長女小ユリア、次女大アグリッピーナ。

※この時代、女の子はだいたい母の名前をそのまま名乗るか、父の名前を女性系に(…ーナ)して名乗るのが普通でした。だから日本語にすると一応区別するため大とか小がつきます。
※また長男ガイウス・カエサルですがあのカエサルと同じ名前、Gaius Julius Caesar。将来の皇帝となることが約束されていたことが分かります。

大アグリッピーナが生まれ更に5人目の子(三男アグリッパ・ポストゥムス)の妊娠が分かった紀元前13年が彼らにとって一番幸せだった年かも知れません。ローマ帝国はとりあえずOK、直系の男子を欲しがったアウグストゥスにとってもとりあえず2人の男孫を授かりました。その2人の男孫はアウグストゥスの養子となり帝王学を叩き込みます。アウグストゥスの幸せは自分の幸せであるアグリッパにとっても友人が一番欲しかったものを自分が与えることが出来たのです。
子供の歓声と友人の笑顔に囲まれたアグリッパ、至福の時間だったに違いありません。

50歳になっていたこのとき、アグリッパが考えていたことは多分3つ。

ひとつはローマ帝国のこと。これからも自分の仕事である公共事業をきっちりやって更によい国にしていこう。友と誓ったパクス・ロマーナ(ローマの平和)。

二つ目は友人アウグストゥスのこと。多分、病弱な友人は自分より早く死ぬだろう。彼が50まで生きられた、ということだけでも感謝しなくてはいけない。自分は友情の証として養子に出した長男と次男をしっかり育て、彼の後を継がせなくてはいけない。万が一、長男次男が若いうちにアウグストゥスが死ぬようなことがあれば中継ぎとして自分が皇帝を継ぐことも考えなくてはいけない。

三つ目は前の二つに比べるとまぁどうでもいいこと、自分の家。今度生まれる子が男であればそいつに継がせよう。もし女の子だったらどっかから婿でももらえばいい。アグリッパ家は長男次男どっちかが皇帝になるのだから皇帝を出した家、ということで名家の仲間入りも出来るだろう。出来れば次に生まれる子は男の子で、兄である皇帝を補佐して、自分と友人アウグストゥスみたいな関係になってくれれば言うことないなぁ。

ローマ帝国と皇帝アウグストゥスに人生をささげた男のささやかな3つの願いは残念ながら1つしか叶いません。

1年後、アグリッパは死にます。病死。

頑強で鳴らしたアグリッパ、彼の寿命は50歳だったのです。病弱でいつまで生きられるか分からない、と言われたアウグストゥスよりも早く死んだのです。紀元前12年のことでした。(ちなみにアウグストゥスは77歳までの大往生を遂げます)

アウグストゥスは悲しみます。そして最高の友人のために今は養子となった二人の息子をしっかりと育てることを誓います。

その誓いを神はかなえません。

紀元前4年。まず次男ルキウス・カエサルはこれから、という15歳で病死します。軍人としてのキャリアをスタートさせるべくスペイン方面に向かう船の上でした。

更に紀元前2年。長男ガイウス・カエサルは24歳の年にトルコ付近で戦闘中で負傷。その怪我が原因で旅先でローマを見ることなく死にます。

アウグストゥスはあせります。自分の「血」を継がせるためにアグリッパに産んでもらった後継者がこの2年の間に死んでしまったのです。もはや自分の血を継ぐ男子はアグリッパの忘れ形見である彼の三男アグリッパ・ポストゥムスしかいません。名前にカエサルとついておらず、アグリッパであることからもこの三男はアグリッパ家を継がせる予定でした。

しかしそんなことは言ってられません。手段は選んでられません(このへん、アウグストゥスの外観イメージはパルパティーンでお願いします)。アウグストゥスは即刻、彼を養子にし次期皇帝として育てます。

しかし運命は皮肉です。

唯一生き残ったアグリッパ・ポストゥムスは養子になってすぐ、性格の問題により牢に幽閉されることになりました。正確なことはわかりませんが幽閉されるほどの性格、というのですからかなりのもんでしょう。もしかすると精神的な病であったのかも知れません。また皇帝の跡継ぎ争いに巻き込まれた策略だった、という話もありますが正確なところは分かりません。
分かっているのは彼が紀元14年、アウグストゥスの死とともに処刑された、ということだけです。

結果、ローマ初代皇帝アウグストゥスの跡を継いだのはアウグストゥスの妻、リウィアが前夫との間に作っていたティベリウス。アウグストゥスとは血はつながっていません。

更にアグリッパの娘、長女小ユリアですが、ずいぶん奔放な娘に育ってしまったようで様々な人と浮名を流します。アウグストゥスは浮気を規制する法律を作っていましたがその彼の孫娘がその法律に違反しているものは市民の間ではずいぶんうわさの種になりました。結果、父が作った法律で娘が追放される、ということになりました。

次女、大アグリッピーナは結婚し6人の子を産みますが、そのすべては成長して権力闘争に巻き込まれ殺されます。

(大アグリッピーナ)

大アグリッピーナ自身も流刑された地で死にます。更に大アグリッピーナの娘、小アグリッピーナは暴君ネロの母として名を馳せ、「アグリッピーナ」(アグリッパの娘、の意)は悪女の代名詞となります。

アウグストゥスのためにすべてをささげたアグリッパのたった一つの喜びはアウグストゥスの願いをかなえることでした。ローマのためにすべてをささげたアウグストゥスのたった一つのこだわりが「血」。アグリッパは快く自分の人生を差し出しました。たぶん、そのとき二人は笑顔だったでしょう。

ローマ市民は最高の皇帝であるアウグストゥスとその忠臣アグリッパに常に笑いかけました。戦いの神ヤヌスですらもアグリッパには微笑みました。ただ彼らの「血」だけが彼らに笑顔をもたらしませんでした。


(死後発行されたアグリッパの彫られたコイン)


<アグリッパ伝 完>

ローマ人列伝:アグリッパ伝 2

2008-01-02 01:05:11 | ローマ人列伝
ギリシャからローマへの船旅の長さは良くわかりません。地図で見るとまぁ2、3日な感じもするし紀元前の船なら数ヶ月かかったのかもしれないし。ともあれオクタヴィアヌスとアグリッパは船の上で飲んでばっかり…、というわけではなくていろいろ話し合います。まぁそのほとんどはオクタヴィアヌスは船酔いでだるそうにしてたはずですが。

彼らが話し合うべきは四つ。

①今後のローマ帝国をどうしていくか。

終身独裁官を継いだオクタヴィアヌスは当然、ローマ帝国のリーダーとしていろいろやっていかなければいけません。どうするかね~という話です。こりゃまぁなるようになるか~としか考えられません。やったことないしね~って感じなので2人とも「ま、いいじゃん」で終わり。

②元老院たちへの対処方法

若く無名のオクタヴィアヌスがカエサルの後を継いだのであれば元老院は反発をしないまでも冷たく当たってくることは明らかです。「オクタヴィアヌス?しらねーよ」って感じでしょう。更にオクタヴィアヌスがちょっとでも権力のニオイをさせれば自分たちの権力が無くなることには敏感な元老院、じゃまくさそうです。
このへんはオクタヴィアヌスの得意なところ。アグリッパは良くわかんないので(つーか元老院の人たちなんて会ったこともねーし)「おっくん頼むわー」と言う感じ。

③アントニウスへの対処

カエサルと地位的にはほぼ一緒だったアントニウスですがカエサルの後をオクタヴィアヌスが継いだことで勝手にライバル視してくる可能性があります。アントニウスは軍勢も持っているのでそれも面倒くさいです。更にアントニウスはカエサルの愛人だったクレオパトラに言い寄ってるみたいです。クレオパトラはクレオパトラで「カエサルの子を産んだのに認知もされないなんて!どうして30分だけなのよォォォォ!」と怒ってます。アントニウス&エジプト連合軍になりそう。うわ、めんどくせー。ただし戦うのは得意なアグリッパ。戦うよ~。

④カエサル暗殺首謀者について

二人にとっては父以上の存在であるカエサルを殺したやつらを許しては置けません。

「ブルータス、お前もか」のブルータス。

アグリッパは「ぜってー殺す!」と思っていましたがおっくんは何故か「ま、ほっときゃいいじゃん」と言い張ります。「え~~」という感じですがおっくんには考えがありました。まず、カエサルが死んだことに元老院が少なからず喜んでいるはず。更に殺した人間に対しては表立っては言えないまでも感謝している人も多いでしょう。ならば自分たちがローマに着く前に元老院が何かしら保護をしているはず。そんな人たちをいちいち探して殺して、とやっている暇はありません。だから放置。
(結果的にこの予想は正解でした。カエサル死後、犯人たちはすべて国外追放の刑にされていました。国外追放ということはつまり生きてていい、ということ。元老院は犯人たちを守ったのです。しかし幸か不幸かカエサルの恨みか犯人たちはろくな死に方しませんでした。結局、追っかける必要はなかったのです)

ローマに着いて以降ですが、まず③から。

結構大きな戦いになりました。ただしここはアグリッパが得意とするところ。ばっしばっしと戦功を重ねていきます。更にありがたいことにアントニウスがクレオパトラと付き合い始めたことでローマ人の中でのアントニウスの人気はがた落ち。というのもローマでは昔から外国の女王が来ると良くないことが起こってきました。権力者が外国の女王を連れてくる、と言っただけでローマ市民はブーイングだったのです。更に今回、アントニウスはローマのけっこういいところの娘だった嫁をほったらかしてカエサルの昔の女、しかも本妻ではなく愛人を連れてきたのです。その上、クレオパトラは絶世の美女。うーむ、突っ込みどころ満載ですね。「妻をほったらかし」で女性からは総すかん。男からも「マヌーサ入ってるね~」。付き合う相手ってのは結構大切ですなぁ。


アントニウスとクレオパトラ。後ろの侍女たちですらひそひそ話。

おかげでアントニウス指揮下の兵も士気はがた落ち。そこに武人アグリッパが行ったのですから負けるわけがありません。

またさっきも書いたとおり④は放置でOK。

そして①と②ですがこれは明らかにオクタヴィアヌスの功績なので今後、オクタヴィアヌス伝を書くためにとっておきます。簡単に言うと誰が想像していたよりもオクタヴィアヌスはうまくやった、と言うことです。

オクタヴィアヌスは持ってる権力を手放したり、いらない権力をもらったりちまちまやることで実質的なローマ帝国の支配者となって行きます。アウグストゥスが素晴らしいことはそういう権力闘争を一切、戦争なしでやったこと。なんか平和的に話し合ってるうちに何でか偉くなっていっているのです。

戦争では負け知らずのアグリッパ、権力闘争では負け知らずのオクタヴィアヌス、超いいコンビです。元老院は「結構、話分かるやつじゃ~ん、オクタヴィアヌスってさー」と思うようになり、ローマ市民も「若いけど偉い人やね」と言い出し始めました。

この頃、オクタヴィアヌスは名前を「アウグストゥス」に変えます。戦争から帰ってきたアグリッパ、もう友人をおっくんとは呼べません(いや、多分最初から呼んでないけどね)。お互い30代間近。ローマ時代には男は30代になったら一人前、という感じですからおっくんどころかおっさんです。

アントニウスも倒し元老院もとりあえず抑えた二人、合言葉を決めます。それは「パクス・ロマーナ」、パクス、は平和、ロマーナはローマの、という意味なのでつまり「ローマの平和」、そのまんまかい。

弱小国だった昔とも、国境沿いの蛮族と小競り合いをしていたカエサルの時代とももう違います。蛮族はとりあえずカエサルが倒してくれました。更にカエサルは遺言で「ガリア地方はこれ以上広げるな」とも言っていました。領土拡大の時代はとりあえず終わったのです。これからはローマ帝国をどれだけ磐石にしていくか、ということが大事。アウグストゥスとアグリッパはそれに生涯をささげることになります。

…とここで、もしかするとこう思う人もいるかも知れません。武人アグリッパにとって戦乱の時代が終わったと言うのであれば活躍の場所もなくなったのではないか、と。

これは僕の個人的な考えですが古くから名武人と言われる人には2つのタイプがあると思っています。

ひとつは戦いが好きで好きで~大好きで~刀を持ったらはなさない!って人。たとえば呂布や張飛なんかですね。こういう人は戦場ではバンバンやってきますが内政になるとなかなか活躍できません。活躍できないどころか「ひまだぁ!」とか言いながら隣の人ぶん殴って余計なトラブル起こしたりします。いますよね、こういうトラブルメーカー。

もうひとつのタイプは戦いもひとつの手段と考えていてそのほかのことでもそつなくこなす人。「治世の能臣、乱世の武人」とでも言いましょうか。武力80知力75くらいの人です。

アグリッパは正に後者。戦争も忠誠を示すための一つの手段でした。

幸福なことにアグリッパはパクス・ロマーナを目指す時代にも自分の仕事を見つけます。それは公共事業。平和のためにはさまざまなインフラが必要です。みんなが集まる広場も必要ですし、水道だって必要です。アウグストゥスはアグリッパの「国に尽くす気持ち」と「細かいところにいろいろ気づくところ」をしっかり知っていましたから様々な公共事業を任せます。まぁ戦場で兵士たちに「いけー!」と命令するのがうまいんだから工事現場で「わっしょーい!」と指示するのもうまかったんでしょう。それに元老院議会なんかに出て小難しい話聞いているよりは現場で労働者たちと仕事の後にぶどう酒飲みながら目だし帽かぶってるほうが楽しいし。

今のイタリアにはアグリッパが残した公共施設の遺跡がたくさん残っているそうです。

そのうちのひとつ、フランスに残る水道橋、ポン・デュ・ガール

今でも下の部分は道路に改装され使われています。さらに世界遺産にもなっています。

アグリッパの献身とアウグストゥスの冷静な判断力でローマ帝国の力はどんどん強固になっていきます。相変わらず2人は仲良し。アグリッパにとってアウグストゥスは上司としても友達としても欠点は何ひとつありません。それはアウグストゥスも一緒。たぶんアウグストゥスはいつも自分の相談に乗ってくれ、自分が出来ないことをちゃんとやってくれるアグリッパに感謝の気持ちを忘れたことは無いでしょう。

でも、このアグリッパ伝の最後は少しだけ悲しい結末を迎えます。悲劇はアグリッパの献身によって生まれるのです。

…to be continued.

ローマ人列伝:アグリッパ伝 1

2008-01-01 12:50:43 | ローマ人列伝
ドッピオ三国志をまねてローマ人物語もはじめていきます。

個人的なものなので歴史的間違いなどはご容赦ください。(ご指摘はありがたくいただきます)

基本的には歴史を追うよりも人物伝として書いていきます。

第一回の今回は忠臣アグリッパ。


まずいつの時代のどういう人だったか、ということをwikipediaから要約でざっと書いてみましょう。

紀元前63年生まれ。その時代というとどういう時代だったかと言うとちょうどカエサルが軍勢を率いてガリアに向かっていたころ、ということになります。ローマ帝国は共和制がほころび始めた時代。
アグリッパの出生地は良くわかっていませんが騎士階級の生まれ、ということは分かっています。当時の騎士階級といえば一応、平民よりは上ではあるもののトップクラスと言うことでありません。当時の支配者層はなんと言っても元老院であり、元老院を排出するクラスは「パトリキ」、つまり「貴族」でした。騎士階級というのは正に貴族を守る「騎士」と言うことになります。
またさらに彼がそんなに身分が高くないことは名前からも分かります。当時のローマ人の名前というのは何かを成した人は「なんとかス」と名乗ることが多く、それを世襲することが多かったのです。たとえばアフリカ遠征を成功させた人はアフリカヌス、「偉大なる」という意味のマグヌスというように。ユリウス、タキトゥス、やだス。
対してアグリッパはアグリッパ。ゲロッパ。つまりそんなにいい身分の人ではなかった、と言うことです。

身分は低いとは言えアグリッパの武勇は若い頃から有名でした。特に当時のヒーロー、ユリウス・カエサルの部隊で一兵卒として戦ううちにその武勇で次第に名を知られるようになってきました。

そしてその軍務において彼は彼が一生涯をささげる人物と出会うことになります。そう、後のローマ帝国初代皇帝アウグストゥスです。
 
奇しくも同じ紀元前63年生まれのこの若者は、頑強なアグリッパとはまったく違い力も弱くすぐおなかを壊していました。一応、軍の最高司令官カエサルの血縁(カエサルの姪の子)でありながら父が騎士階級のことから決して身分は高くありません。(アウグストゥスはこの頃まだオクタヴィアヌスと名乗っていました)

もしカエサルが身分にこだわる人間であればまがりなりにも自分の血をひいているオクタヴィアヌスを特別視したかもしれません。しかし司令官であるカエサル(最高司令官といっても軍はたくさんあるのでこのときのカエサルは「カエサル組の親分」くらいだと思ってください)は自らの家系も高くないため身分にあんまりこだわらない人でした。何せ「自分は好きなようにやる。だからお前らも好きなようにやれよ」が口癖の人でした。(結果的にその考えにより暗殺されることになるのですが)

カエサル軍の雰囲気は自由闊達言いたい放題。名誉有るローマでの凱旋式でも正装したカエサルの前を歩く兵士が「ハゲの女たらしが通るぞ!嫁隠せ!!」と笑いながら連呼したくらい。
(凱旋式の時には自軍の司令官に好きなことを言ってもいい、という伝統がありました。とはいえこの文句はさすがにひどいものでカエサルも「ハゲはやめてよ~」と言ったとか。)

そんな雰囲気の中でアグリッパとオクタヴィアヌスは友情を育んで行きます。たたき上げの若き軍人と軟弱な男。「行くぞ、おっくん!」「パッちゃん、ホントマジ待って、昨日寝てないから」「しょうがないな~~」

現場では一切使い物にならないおっくんですが話は面白いし頭がいいことは軍でも知られていました。何せ「たぶんこの戦いではこっから敵が出てくるよ~」というアウグストゥスの予想がぱしぱしあたるのです。(言いたいこと言った後には「俺、8時間寝ないとダメなんで~」とすぐ寝ちゃうわけですが) あとなんか母性本能くすぐるところもあります。

子供心(16歳くらい)にアグリッパは「やっぱおっくんスゲーなー」と思うようになりました。

そしてその頃、ローマ帝国にとっても二人にとっても大きな戦がありました。それはアグリッパにとっては尊敬する司令官であり、おっくんにとっては大叔父であるカエサルの「ルビコン渡河」です。今回はカエサルの回ではないので細かい話は省きますがカエサルとローマ帝国元老院の戦いです。カエサルは古くからの友人、ポンペイウスと戦うことになります。

そこでもやはりおっくんのおかげでアグリッパにとってのボケ&突っ込み的な出来事が起こりました。同じ舞台にいた二人は、カエサルに一応船を一隻任されます。が、オクタヴィアヌスがポカって船が漂流してしまいます。(当然おっくんは「いや、僕はちゃんと見てたんだけどね~」とか言ったんでしょう、ほんとは寝てたくせに) 夜があけて着いた場所はなんとポンペイウス軍のど真ん中。ここでアグリッパは獅子奮迅の活躍をします。結果、失敗からとは言えカエサルはミスを怒らない人だったので2人の活躍に「お前ら今日から1.5年生!」と大喜び。おっくんは当然「あざーっす、つーか計算どおりです」と言い張ります。ここからカエサルは「お前らコンビね、コンビ名ライト兄弟とてるおはるおどっちがいい??」と言い出し始めます。さらに「お前ら二人さー、ギリシャ行って勉強してこいよ」と2人にギリシャ留学を命じます。当時最高の学問の都市であったギリシャへの留学は騎士階級の青年にとっては最高の名誉(おっくんは「うわーマジいきたくねー」とぶつぶつ言っていましたが)。
アグリッパはそんなに頭は良くありません。頭で考えるよりも「オラオラオラー!」と体が動いてしまうタイプです。ただし騎士階級として生まれ育った彼にとって一番大切なことは頭に叩き込まれていました。それは「忠誠」という精神。騎士、とは何かを守る、ということです。このときアグリッパはローマと言う国とそしてカエサル、という人物に忠誠を誓ったに違いありません。

そしてその2年後、カエサルが暗殺されます。


カエサルの死を二人はギリシャで聞きます。さらに、何日か遅れで届けられたカエサルの遺言に二人は驚きます。

そこには、「カエサルの持つ権力をすべてオクタヴィアヌスに譲る」と書いてあったのです。

これには驚きました。この辺もカエサルの回ではないので省きますが、次の権力者は執政官のアントニウスかあるいは愛人の子とは言えカエサルとクレオパトラの子が後を継ぐものと思われていたので。

アグリッパは幼馴染と言ってもいい友人の出世を喜びました。昔はいろいろ困らせられたものですがいいコンビでした。彼があのカエサルの跡取りとして出世してしまうのは少し淋しいですがそれでもめでたいことです。

アグリッパが「おめでとう」と言い出す前に、しかし、オクタヴィアヌスはカエサルの手紙の続きをアグリッパに見せます。

「オクタヴィアヌスの後見人にアグリッパを指名する」

カエサルはすべてお見通しでした。

冷酷な意味で言えばオクタヴィアヌスの戦の下手っぷりを。自身の跡取りは頭のよさだけでは不足なのです。自身が最高の政治家であり、最高の軍人であったが故にオクタヴィアヌスの体の弱さ、軍才の無さは明確に分かっていました。だからこそ彼の補佐が必要だったのです。

感情的な意味で言えば最高権力者には右腕が必要だと言うことに。カエサルの不幸はカエサルが天才でありすぎるが故に彼の本当の理解者がいないことでした。カエサルはたびたび敵の武将を愛してきました。ガリアの若将ヴェルチンジェトリックスしかり最大のライバル、ポンペイウスしかり。それは彼らだけがカエサルを理解してくれたからでしょう。本気でカエサルと戦わなければカエサルを理解できないのです。さらにカエサルはたくさんの愛人を作りました。エジプトの女王、クレオパトラはじめローマの政治家の奥さんとか(俗説では元老院議員600人の三分の一がカエサルに奥さんを寝取られていた、という話もあります)。それも彼が孤独だったからでしょう。自分の後を継ぐ人間にはそんな孤独を味あわせたくない、と思ったのかも知れません。幸いなことにオクタヴィアヌスにとっては兄弟同然に育ってきたアグリッパがいます。名実ともに彼らをコンビにしよう、と考えたのです。

どの科目も80点取る人間一人よりも、英語100点数学0点の人と数学100点英語0点の人が力を合わせたほうがいいです。2人がお互いを理解しあっているのであれば。

このときのアグリッパの気持ちは想像できます。まず、身分が低い自分をここまで育ててくれたカエサルへの感謝の気持ち。さらにそのカエサルが後を託したオクタヴィアヌスへの忠誠。16歳の頃から彼の行動を決めていたのはカエサルへの忠誠でした。そのカエサルが後を託したのであれば、オクタヴィアヌスに一生忠誠を誓おう、とここで決めたのでしょう。幸運なことにオクタヴィアヌスにはその忠誠に答えられるだけの才能がありました。そしてもうひとつ、アグリッパの心にある感情が生まれます。それはカエサルを暗殺した元老院たちへの憎悪です。

天才カエサルから後を頼まれたアウグストゥスとアグリッパは古代からの都市、当時の最先端都市ギリシャの町並みを背にぐっと手を握ります。留学中の身でしたが二人にもう学んでいる暇はありません。時代の表舞台が必要としているからです。そして一刻も早く、まずは我らがカエサルの背中を指したやつらをぶっ殺し、さらにそいつらの後ろで笑っている元老院をぶっつぶさなくてはいけません。

18歳の彼らは船に乗りました。ローマに向けて。

…to be continued.