ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

北青木遺跡説明会風景(スケッチ&コメント)

2011-07-10 11:07:41 | スケッチ


北青木遺跡説明会風景

江嵜企画代表・Ken



「発掘現場が見学出来ます!」「北青木遺跡現地説明会」、場所;本庄小学校北
側、7月9日(土)午後2時から、というチラシを高校・中学先輩のKさんからその日
の朝ファックスでいただき、楽しみにして出かけた。

現在、阪神電車は、芦屋、魚崎間の高架化工事を始めている。会場の様子を
炎天下だったが、あわただしくスケッチした。工事現場には鉄柱が左右前後に
打ちこまれており、画面左を阪神電車がひっきりなしに往復していた。

説明員の足元、画面向かって左(山側)から右(海側)へ線路側から「木棺1」か
ら「同4」その右に土器棺墓が並んでいた。「木棺1」は底板のみ、「同2」は左右
と手前の一部の板が残っていた。木棺はいずれも長さ1M前後、幅は0.4Mで比
較的規模が小さく、幼児や子供が埋葬されたものと見られると、神戸市教育委
員会文化財課の係員の説明があった時、見学会につめかけた熱心な考古学
ファンの間で、何とも言えないどよめきが起こった。

土器棺には生まれた直後の嬰児が葬られたと思われるとの説明があった。今
回の墳墓も子供のみが埋葬された可能性がある。このムラの有力者の血縁
にある子供ばかりが葬られたかもしれない。いずれにしろ貴重な資料であると
配布されたパンフレットにあった。

以前三内丸山遺跡の展覧会を大阪サントリーホールで見る機会があった。子
供のみ埋葬した墓があったことをその時初めて知った。丸山遺跡では、子供、
男女の骨も多数出土した。骨盤を見れば経産婦かそうでないかも分かる。
当時は嬰児の死亡も多かったと記憶している。

今回、いずれの木棺からも骨は見つかっていない。上蓋もなかった。朽ち果て
たりあるいは流されるのであろうと説明があった。材質はこうや松と言っていた。
右2つは左2つより保存状態が良い。子供の木棺の前方には土器の一部が顔
を出していた。

見学者の中には結構子供さんの姿も見られ、目を輝かせて発掘現場を眺める
姿が印象的だった。若い時の感動は、大人になってからもみずみずしく残る。
鉄は熱いうちに打て!!これぞ教育の原点であろう。

木棺は弥生時代中期末の方形周溝墓に埋葬され、縦7メートル以上横10
メートル以上規模である。今回の調査では弥生土器が多数出土した。近くの
調査区では弥生時代中期後半の銅鐸が出土し、現場で実物が展示されて
いた。大きさは目視だが縦20センチ規模の小さなものだったが二つ合わさっ
た切り口が極めて精巧で現代技術に劣らないと係員の方から聞いた。

発掘現場が、まさか母校、本庄小学校校校舎に隣接しているではないか。
阪神電車高架化は子供のころから聞いていたからゆうに60年経過してい
る。16年前の大震災で工事が大幅に遅れたことも影響した。命ながらえて
高架完成を祝いたいがこればかりは神のみぞ知る世界である。

実は今回の「説明会」があることを連絡してくれたKさんは本庄小学校の
先輩でもある。人生全て縁によって生かされている。素晴らしいご縁を
いただきKさんに感謝、感謝である。(了)


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