ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号「スーパーアイドル ルネ」は、現在でも私ルネ・コレクションであり、宝物です。
その中から、特集記事「ルネ・シマール物語」を紹介したいと思います。
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生いたち
ルネ・シマールは、1961年、2月28日、カナダのケベック州、シクーティミに生まれました。カナダは、森林に囲まれた広い国土を持つ国で、英語を話す地域と、フランス語を話す地域に分かれています。これは、アメリカと同じく、ヨーロッパからの移民による建国の歴史によるもので、スイスのように、新聞も、雑誌も、テレビも、英語系、フランス語系に分かれています。ケベック州は、カナダ東海岸にあって、首府のオタワ、モントリオールと並んで、セント・ローレンス河を中心に発展してきた所です。
ルネの家族は、大家族です。まずパパのジャン・ロック、ママのガブリエル。ルネの上には、現在21才と、19才の姉、オデットとリン。18才と14才になる兄のマルタンとレジスがいます。下には、10才の弟、ジャン・ロジェと、5才の妹、ナタリーがいます。その他に、パパのママには、10人以上の子供たちがいて、その子供たちにも、またたくさんの子供たちがいると言いますから全員が集まった時には、総勢50人以上。たいへんな騒ぎです!
パパのジャン・ロックは、近くの木材工場で働いていました。と言ってもなかなか腕のいいコックで、しかも喉が自慢、工場で働く人々の人気者でした。パパもママも、敬虔なカトリック信者です。日曜は必ず教会に行きますし、その上、その頃パパは教会の聖歌隊のリーダーでした。
ルネは、生れた時から、他の兄弟とちょっと変っていました。まるで女の子のような小さなやさしい顔をして、ひどく静かな子供でした。ただ、歌が好きで、3才の頃にはひとりで、いろいろな歌、カナダの童謡や、いつの間にか覚えた聖歌のたぐいを歌っていました。
たとえば、「ル・プティット・ヴォアイエ」(小さな帆船)、「アー、ママン」(お母さん)、「ボンジュール・ラ・ヴィ」(今日は、人生)などと言う歌を歌って、家に集まった人々を楽しませていました。
7才の時には、ルネはもう聖歌隊に入って聖歌隊のリード・ソプラノになりました。
その中から、特集記事「ルネ・シマール物語」を紹介したいと思います。
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生いたち
ルネ・シマールは、1961年、2月28日、カナダのケベック州、シクーティミに生まれました。カナダは、森林に囲まれた広い国土を持つ国で、英語を話す地域と、フランス語を話す地域に分かれています。これは、アメリカと同じく、ヨーロッパからの移民による建国の歴史によるもので、スイスのように、新聞も、雑誌も、テレビも、英語系、フランス語系に分かれています。ケベック州は、カナダ東海岸にあって、首府のオタワ、モントリオールと並んで、セント・ローレンス河を中心に発展してきた所です。
ルネの家族は、大家族です。まずパパのジャン・ロック、ママのガブリエル。ルネの上には、現在21才と、19才の姉、オデットとリン。18才と14才になる兄のマルタンとレジスがいます。下には、10才の弟、ジャン・ロジェと、5才の妹、ナタリーがいます。その他に、パパのママには、10人以上の子供たちがいて、その子供たちにも、またたくさんの子供たちがいると言いますから全員が集まった時には、総勢50人以上。たいへんな騒ぎです!
パパのジャン・ロックは、近くの木材工場で働いていました。と言ってもなかなか腕のいいコックで、しかも喉が自慢、工場で働く人々の人気者でした。パパもママも、敬虔なカトリック信者です。日曜は必ず教会に行きますし、その上、その頃パパは教会の聖歌隊のリーダーでした。
ルネは、生れた時から、他の兄弟とちょっと変っていました。まるで女の子のような小さなやさしい顔をして、ひどく静かな子供でした。ただ、歌が好きで、3才の頃にはひとりで、いろいろな歌、カナダの童謡や、いつの間にか覚えた聖歌のたぐいを歌っていました。
たとえば、「ル・プティット・ヴォアイエ」(小さな帆船)、「アー、ママン」(お母さん)、「ボンジュール・ラ・ヴィ」(今日は、人生)などと言う歌を歌って、家に集まった人々を楽しませていました。
7才の時には、ルネはもう聖歌隊に入って聖歌隊のリード・ソプラノになりました。