ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネ・シマール物語③パパの病気

2006年10月20日 | ルネ・シマール物語
 ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパーアイドル ルネ」は、現在でも私ルネ・コレクションであり、宝物です。

 その中から、特集記事「ルネ・シマール物語」を紹介したいと思います。

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パパの病気

 パパが病気になったのは、ルネが7才の時でした。パパの病気はぜんそくでした。現在は良くなったものの、その頃はひんぱんに起きる発作のため、ほとんど働くことはできない状態でした。このため、もちろん一家の生活は苦しいものになり、まず、それまで借りていた、大きな二階建ての家から、ケベック市内の小さなアパートの地下の4部屋に移りました。姉さんたちも働きに出ました。でも、何と言っても食べざかりの子供が7人。国からの保助や、姉さんたちの仕事だけでは食べるだけがせいぜいです。

 ルネと1つ年上のレジスは、小遣いかせぎのために素晴らしいアイデアを思いつきました。それは、歌うことです!ケベックの街の小さな酒場には、夕方ともなれば、丁度、ロンドンのようにたくさんの仕事帰りの人々が集まります。そして、お酒を飲んだり、話し合ったり、歌ったり、そんな憩いの一時を過ごす習慣があるのです。
 8才になったルネが歌を歌い、、9才のレジスがギターを弾いて、たくさんの拍手と、新しいレコードを買うお金を獲得しました。この時ルネは、決心したのです。歌手になることを。
 それまでのもうひとつの憧れは、世界一流の建築家になることでした。きれいな自然の木材と、新しい科学的な材料を使って、楽しい生活のできる家を、楽しい音楽の聴ける劇場を造れたら・・・・それが彼の夢でした。でも、建築家になるにはたいへんな学資が必要です。その時のルネには、パパの病気のために、自分の夢をかなえてゆくことがいかに不可能であるかがわかっていました。

 大好きな歌を歌って、人々に楽しんでもらって、それでお金が稼げたら、こんなに素晴らしいことはありません。”そうしたら、パパとママに、ぼくが思っているような新しくて、素敵な家を建ててあげられるかもしれない。”ーー小さなルネは、こうして決心したのです。

 ルネは、大きな野心を抱いて歌い続けました。最初は酒場で歌うことは、パパにもママにも秘密でした。ところが、いつしかその”天使の声”は、ケベックの評判となり、二人の耳にも入ってしまいました。パパもママも驚いて、ルネとレジスをやめさせようとしました。でもルネは、自分の固い決心を、はっきりと言いました。これは、子供の好きなお菓子のように、甘くてもろい夢ではありません。人間が一生に1度か2度しかすることのない、真剣な決意なのです。もう、ルネの選んだ道は、誰も変えることはできません。パパもママも、そして他の兄弟たちも、次第にルネを応援するようにさえなりました。

 どこの都市でも、最近は、アマチュアのコンテストが多く行われていて、それは、歌手になるためのひとつの権威ある登竜門であり、また、実際たくさんの歌手が、そんなコンテストから生まれています。
 ケベック市のアマチュア歌手のコンテストも、そんなコンテストのひとつとして定評のあるものでした。ルネとレジスは、このコンテストに出場し、最終予選まで残りました。そして、最後に優勝したのは、ルネでした。8才の時のあの決心をして、1年余後のことです。

コメント
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