ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

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ルネ・シマール物語④ギー・クルティエとルネ・アンジェリル

2006年10月21日 | ルネ・シマール物語
 ケイブンシャのニュー・ソング・ブック臨時増刊号スーパーアイドル ルネ」は、現在でも私ルネ・コレクションであり、宝物です。

 その中から、特集記事「ルネ・シマール物語」を紹介したいと思います。

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ギー・クルティエとルネ・アンジェリル

 ルネ・シマールが、いかに天才であろうと、あるいは、天才であればあるほど、その才能を認め、上手に伸ばしてやる人間が必要です。ビートルズに、ジョージ・エプスタインという巨人がいたように、ルネの成功の物語にも欠くことのできない2人の人物がいます。それが、ギー・クルティエルネ・アンジェリルです。

 ギー・クルティエは、プロモーターとして数人のアーティストを扱っていました。ルネ・アンジェリルは、ギーの10年来の友人で、それ以前の12年間というもる、名の通ったコメディアンでした。2人はその頃、共同で経営する新しいレコード会社を企画していました。有能なごく少数の、信頼できる人間だけで良い音楽を創っていくという、若い理想です。ギーとルネのコンビは、この事業を始めるのに最適でした。プロモートのベテランであるギーと、自分自身アーティストであるルネ。2人の理想は、ルネ・シマールという天才を発見することによって実現するのです。

 ルネ・シマールが、ケベック市のアマチュア歌手のコンテストに優勝して間もなく、ケベックの人気テレビ番組から出演の話が来ました。これもまた、コンテスト形式のもので、ルネは15週間、この”テレ4”という番組で勝ちぬき、優勝したのです。

 この番組を見ていた人の中に、ギー・クルティエの母親がいました。ギーの母親は、ブラウン管の中の少年の歌に感動して、涙さえ浮かべている自分に気づきました。そして、すぐに息子のギーに電話をかけたのです。”私はおまえの仕事は、よくわからないけど、おまえが音楽の仕事をしているんなら、どうして、あんなにきれいな声の、あんなに歌の巧い子と契約しないの?”

 ギー・クルティエが、この母親のアドヴァイスで、ルネ・シマールを訪ねたのは翌日のことでした。同じテレビ番組を見た10人以上のプロモーター、レコード会社、エージェントの人間が、ルネ・シマールを囲んでいました。ギー・クルティエは、ルネの保護者であるパパのジャン・ロックに説明しました。自分たちの理想と信念とを。そして、ここでもルネのパパは、ギーの眼の中の真剣さの前に、ルネをギーにまかせることに決めたのです。

 ギー・クルティエと、ルネ・アンジェリルのレコード会社は、ノーベル・レコードと名づけられました。これは、ノーベル賞のノーベルから取った名前だと言われ、ここにも2人の、世界のマーケットを対象とした仕事への姿勢がうかがえます。実際、このノーベル・レコードは、現在、カナダのレコード会社の中で、外資系の会社を除けば、ナンバーワンになりました。

 ルネ・シマールの最初のレコード「ロワゾウ」(鳥)は、こうして、ノーベル・レコードによって製作されました。

※コメディアン時代のルネ・アンジェリルの映像をご覧になりたい会はこちらから
http://www.youtube.com/watch?v=ZsdXwpxXVI0&mode=related&search=
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