ミドリ色の屋根は永遠に~René Simardに首ったけ~

ルネ・ファンのルネ・ファンによるルネ・ファンのためのルネ・ブログ シマ姉のルネ・データ・バンク

美しい星

2006年07月16日 | ルネの仏語の歌
 ルネの日本のファースト・アルバムに収録されている「美しい星」は、ユニセフのキャンペーン・ソングとして村井邦彦氏が作曲したものであり、ルネと村井氏を結びつけるきっかけとなった曲でもあります。仏語盤は"Laissez-nous au moins les soleil"。私も大好きな曲です。http://www.bebo.com/MusicAlbum.jsp?MusicAlbumId=2602890252
 「ルネ・シマール ファースト・コンサート」のプログラムにある村井氏のメッセージにも、そのことが書かれています。

       ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 

 2年前に私は山上路夫氏と共に”美しい星”といううたを作りました。古垣鐵郎氏がインスピレーションを私達に与えてくれました。できるだけ多くの人にこのうたを知ってもらうためにたくさんの歌手のみなさんにお願いしてレコード吹き込みをしてもらうほか、NHKの方々に協力していただいたり、いろいろ手をつくしました。フランスでポピーズという少年合唱団がレコードを発表し、その発売記念のパーティーを行なった時、カナダ人のプロデューサーがやってきてこのうたの楽譜をカナダに持ち帰りました。そして数ヶ月後に私は”美しい星”のカナダ盤を受け取りました。そしてまた1ヶ月たって私はモントリオールからの国際電話で”美しい星”がカナダでヒットしていることを知りました。
 私は親友でアルファ・アンド・アソシエイツの製作課長の川添象郎君と相談してルネを日本に呼んで東京音楽祭に出場させることを決め、”ミドリ色の屋根”を作曲しました。ルネはフェスティバルのリハーサルの時からグランプリ候補でしたが、期待にたがわずグランプリを受賞、ついでにフランク・シナトラ賞までとって”ミドリ色の屋根”は日本中になりひびくヒットになりました。
 そして今日、ルネ・シマールは日本のステージに立って、くもりのない美しい歌声を皆様にお聞かせするのです。当然のことながらルネ・シマールと私達の仲人をしてくれた”美しい星”にならって、今日のリサイタルの収益はユニセフを通じて世界中の子供達に送られます。

   アルファ・アンド・アソシエイツ株式会社
   アルファ・ミュージック株式会社
              代表取締役  村井邦彦

     ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

           美しい星

              作詞:山上路夫 作曲:村井邦彦

あなたと私は 生まれてきたよ
大きなこの宇宙のなか
地球に 地球に 生まれてきたよ
蒼く光る星へと
緑がもえて花が咲き 鳥はとびかい
いつの日も回るよ この星は

誰でも一つの命を持って
生きているのさ 星の上で
地球に 地球に 生まれて知った
生きることの楽しさ
夜と朝とをくりかえし 人々を乗せ
いつの日も回るよ この星は

愛と夢とをくりかえし 今日も明日も
いつの日も回るよ この星は


 こちらは日本盤の歌詞です。仏語盤のルネの歌を聞き慣れている私には、ちょっと歌いにくく感じてしまいますが、美しい歌詞だと思いませんか。

※第3回東京音楽祭世界大会についての記事はこちら
http://www.tadahiko-nagasu.com/06essay/06-04essay.html
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ルネ・シマール ファースト・コンサート・イン・ジャパン

2006年07月16日 | ルネのコンサート
 ルネも日本でコンサート・ツアーを何度か行っています。ルネのファースト・コンサート"RENE SIMARD RECITAL IN TOKYO & OSAKA"のライヴ・アルバムはカナダでも発売されており、"25ans de carriere"のCDの中にも加えられています。

   ◆ルネ・シマール ファースト・コンサート◆

            第一部

      映画「RENE A TOKYO」監修 市川崑

            第二部

          オーヴァ・チュア
           翼を下さい
          僕の国においでよ
              鳥
            La mer
            雨にぬれても
          雨上がりのデイト
          ミドリ色の屋根
           L'ete est la
              YOYO
          エメラルドの伝説
            廃墟の鳩
            美しい星
            小さな生命
         Ne coupez pas les roses
           ミドリ色の屋根



   ルネ・ファン・クラブ「Maple Mates」会報№2より

   ”おめでとうルネ。とてもステキでした”
                期待のルネ、初コンサート

 第一部、映画"RENE A TOKYO"で東京音楽祭出場の緊張の中に、ときおりみせるルネのチャメッ気に会場は大笑い。なごやかな雰囲気のうちに、いよいよルネの登場です。連日、テレビ、ラジオに大張り切りのルネですが、やはりステージでの魅力は何物にもかえることができません。全身で歌いつづけるルネに会場には惜しみない拍手がなり続けました。翌日にはメープル・メイツにたくさんのお祝いの手紙がとどきました。


 このコンサートの様子は特別番組でテレビ放映されています。詳しく覚えていませんが、多分冬休みで、30分から1時間の番組だったと思います。
 ステージの端から端まで元気に動き回りながら、テンポの良い曲を歌うルネの姿が印象的でした。一番記憶に残っているのは"L'ete est la"。ライヴ・アルバムに収録されていない曲なのですが、曲中の「ウーウーウッ、パッパッパラ」を会場全体が一体となって手拍子を入れて歌っていました。CDに収録されている同曲でも、コンサート同様、間奏でルネが「もっと大きく!」と呼びかけています。
 もちろん、「ミドリ色の屋根」を熱唱するルネも目に焼き付いています。たどだとしい日本語で「雨にぬれても」の後に「雨、おしまーい!」なんて、チャメッ気たっぷりのルネもとっても可愛らしかったかな。

 ビデオ・デッキなんてまだ無かった時代。あの当時、もし有ったら絶対録画していたのに・・・・。今でも、ルネがテレビに出ているのに気づき、慌てて録画しようとしても間に合わないという夢を見てうなされる私です。


※ Mondayblue BBSの音源さま提供「ルネ・ファースト・コンサート イン・ジャパン」のライブ・アルバムより、「ミドリ色の屋根」をお聴きになりたい方はこちらから♪http://124.38.226.50/bbs/100300/img/0032021031.mp3 
musicographiesimardより”Rene Simard en concert”
http://www.bebo.com/MusicAlbum.jsp?MusicAlbumId=2602917259

※なお、「翼をください」が「翼を下さい」になっていますが、コンサート・プログラムどおりに打ちました。
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セリーヌ・ディオンとルネ

2006年07月09日 | ルネ・シマール
 セリーヌ・ディオンの方が、世界的にも知名度が高くなってしまいましたが、カナダ出身の歌手で最初に有名になったのは「ルネ・シマール」なのだと主張したい、ルネ・ファンの私。でも、誤解のないように最初に言っておきますが、私もセリーヌ・ディオンのファンなのです。


        ◆セリーヌとルネの共通点◆

・仏系カナダ人
・デビューは十代前半
・カナダの国民的アイドルでのスタート
・家族は信心深いキリスト教信者
・歌のルーツは家族全員が歌うことが好きだったこと
・国際的な音楽祭での受賞は十代の時、日本の音楽祭で
・ルネ・アンジェリル氏
・フランク・シナトラ氏
・オリンピックのテーマ曲を歌っている


<フランス系カナダ人>

 映画「タイタニック」のテーマ曲にしても、セリーヌの日本でのヒット曲は英語の曲ばかりですが、セリーヌはルネと同じフランス系カナダ人です。デビューからずっと仏語で歌っていますし、発音にうるさいフランス人にも受け入れられる仏語をマスターし(カナダ訛りが入っているとフランスではヒットしない。ミレイユ・マチューも訛りを直しています。)、フランスでも多くのコンサート・ツアーを行っています。対抗して言えば、ルネだってフランスに2つのゴールド・ディスクを持っているし、巨大なクリスマス・ツリーをジェット機で輸送してフランスのファンに贈ったりしています。ちなみにルネはケベック州のシクーティミ、セリーヌはシャルルマーニュ出身。

<カナダの国民的アイドル>

 ルネもセリーヌもデビューは早く、少年少女歌手でアイドルに。カナダではセリーヌの少女期のアルバムもCD化されていますが、日本では皆無ですね。家族が音楽一家であったこともあり、類い希な歌唱力とのびのある美しい声の持ち主で、ルネとどこか似ています。また、ルネがクルティエ氏に、セリーヌがアンジェリル氏にスカウトされた時、ふたりとも家庭的には貧しかったようです。(ルネの場合は、コックの父が病気療養中のため)そして二人とも、ファースト・アルバムの後すぐにクリスマス・アルバムを出しています。

<国際的な音楽祭での受賞は十代の時、日本で>

 ルネは13才の時、第3回東京音楽祭世界大会でグランプリとフランク・シナトラ賞を受賞。セリーヌも13才の時ヤマハ世界音楽祭で金賞を受賞しています。

<ルネ・アンジェリル氏>
 少女セリーヌを発掘し、世界的なスターに育て上げた夫のルネ・アンジェリル氏は、ルネが東京音楽祭世界大会参加のために来日した時、プロデューサーとして同行。当時ルネのマネージャーであったギー・クルティエ氏の友人でもあり、共同でノーベル・レコードを設立。本人ももとコメディアンという経歴を持っています。
 氏がセリーヌのマネージャーになった頃と、ルネが大人の歌手への転換期で行き詰まっていた頃がほぼ一致していたため、ルネの人気がなくなったのでセリーヌに鞍替えしたのだと思い込み、しばらくの間、私は素直にセリーヌの歌が聴けませんでした。当のルネとセリーヌは、デュエット曲を発表したり、家族ぐるみの付き合いをしています。ルネのファン・サイトでも、ルネとセリーヌのお母様のツー・ショット写真があったりするくらいです。また、氏がセリーヌの歌に魅了され、デビューのために家を抵当に入れてまで奔走させるきっかけを作ったのは、セリーヌの母が氏に送ったセリーヌの歌のテープでした。

<フランク・シナトラ氏>
 ルネは第3回東京音楽祭世界大会でフランク・シナトラ賞を受賞しています。グランプリもシナトラ氏の鶴の一声で決まったということです。ルネのアメリカでのビジネス・チャンスも氏の推薦があったから。セリーヌの方は、シナトラ氏とのデュエット曲をアルバムに収録しています。

<オリンピック・テーマ曲>
 ルネはモントリオール・オリンピック(夏季)、セリーヌはカルガリー・オリンピック(冬季)のテーマ曲を歌いました。ルネは、第3回東京音楽祭世界大会グランプリ受賞と、アメリカやフランスでの活躍が評価されての抜擢。セリーヌの方は(日本に限っては)ヤマハ世界音楽祭で金賞を受賞したり、オリンピックのテーマ曲やディズニー・アニメ「美女と野獣」の主題歌を歌ったりしていますが、世界的にその名を轟かすのは「タイタニック」の主題歌でだったと思います。


 セリーヌとルネには、ケベックの仏系カナダ人の代表として、また、カナダの国民的歌手(セリーヌは世界的な歌手としても)として、これからもずっと活躍していって欲しいと思います。

※セリーヌ・ディオンとルネのデュエット映像をご覧になりたい方はこちらから
”Celine Dion/Rene Simard-Medley ADISQ ”
http://www.dailymotion.com/relevance/search/rene%2Bsimard/video/x13ftj_une-colombe-le-temps-qui-court/1

※セリーヌのデビュー当時の映像や夫ルネ・アンジェリルを始めとする家族の映像をご覧になりたい方はこちらから
http://www.youtube.com/watch?v=vZuVcx8tG8M&mode=related&search=
http://www.tagtele.com/videos/voir/7257/1/
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変声期とオリンピックとドーピング疑惑

2006年07月08日 | モントリオール讃歌
<ルネの変声>

 ルネが来るべき変声期に備え、様々なジャンルの曲に挑戦したり、ヴォイス・トレーニングを積んでいたことは、日本のファン・クラブ「メープル・メイツ」の会報にも記載されておりました。
 ルネの日本の曲に「サヨナラ少年時代」という曲がありますが、少年時代の声は必ず失われるもの。だからこそ、繊細で美しく特別なもの。ルネの「天使の歌声」が失われてしまう時がいつ来るのか、変声後はどんな声に変わるのかは、当時のファンにとっても私にとっても、不安と期待の入り交じった最大の関心事だったと思います。
 そして、その時が来たことは、1975年 7月 1日に発売された「去年の夏」で明らかになります。サビの高音部はそのままでも、低音部は変声が始まってハスキーな声に・・・・!私は、ついにこの時が来てしまったと、レコードを聴きながら泣きました。でも、変声してもずっとルネ・ファンでいようと固く誓ったのでした。
 しかし、不思議なことに、その後発売された「みんなあなたに」(1975. 9.21)と「第21回モントリオール・オリンピック大会テーマ曲モントリオール讃歌」(1976.7.21)は変声前の声でした。


<モントリオール・オリンピック>
 モントリオール・オリンピックの開会式でルネがテーマ曲の「モントリオール讃歌」を歌うことを、ファン・クラブ情報で知っていた私は、早起きしてテレビにかじりついていました。でも、それを見ることは出来ませんでした。新聞にその記事が載るのではないかと、オリンピックの関連記事は隅々まで目を通しましたが有りませんでした。その後、ファン・クラブの会報では開会式でルネが歌ったという記事を載せていましたが、全国紙のものではありませんでした。しかし、日本であれだけのブームを巻き起こしたはずのルネが歌うというのに、あまり話題になっていなかったのは事実です。
 モントリオール・オリンピックでは、女子体操のナディア・コマネチが史上初の10点満点の演技で話題をさらい、一躍スターになりました。コマネチがルネに似ていると、非公認の福岡のファン・クラブでちょっと盛り上がって、ルネを見られなかった鬱憤を晴らしていましたが・・・・。


<ルネのドーピング疑惑>

 その後、「メープル・メイツ」もカナダのファンクラブも閉鎖してしまい、ファン活動のエネルギーをもてあましていた私は、友人とルネの来日を呼びかける署名活動を始めます。
 その友人は、当時流行った「ちびっ子物まね歌合戦」の関西地区チャンピオンで、「ルネの再来」を売りにデビューする予定でした。「スチュワーデス物語」で一世を風靡した堀ちえみと同期でデビューする予定でしたが、ヴォイス・トレーニング中のどを痛めデビューを断念。しかし、芸能界にコネがあり、その関係で私もルネの妹ナタリーと会うことが出来たのでした。
彼女が芸能界のコネクションを使ったのが良かったのか、署名の効果か、はたまたただの偶然かは分かりませんが、ルネは東京音楽祭世界大会の特別ゲストとして招かれ、私も彼女と共にアルファーレコードに行きました。しかし、私はルネには会えずじまいでした。(もちろん彼女の方は東京音楽祭に行き、ルネと空港で会っています。)
 その時、彼女から聞いた情報が「ルネのドーピング疑惑」。彼女は芸能関係者から「ルネはホルモン剤を使って変声を遅らせたのに、それでも好きなのか」と言われたそうです。確かに前述の「去年の夏」以降に発売された2枚のシングルは変声前の声でした。
 今でこそ違反行為で大問題ですが、当時のスポーツ界で「外国の女子体操選手が男性ホルモンの注射をして成長を遅らせている」ということは当たり前のように報道されていましたし、ドーピングで金メダルを剥奪されたベン・ジョンソンもカナダ人。責任感が強く、歌手としてのプロ意識が人一倍強かったルネが、モントリオール・オリンピックを前に変声してしまった時、ホルモン剤を注射することに踏み切る決断を下したのは、火を見るより明らかな気がして、私は複雑な気持ちでした。
 しかし、このブログを始めてから入った情報では、ルネのごく身近なスタッフの話によると、ルネの変声はとても緩やかに訪れたのだそうです。変声というと、ある日突然いきなりやってくるイメージがあります。そのため、「ドーピング」の噂が日本の音楽関係者の間で流れたのでしょう。また、オリンピックがモントリオールで開催されることは、前大会の開催前から決まっていることですから、テーマ曲も、それを歌う歌手も、早くから作られたり審議されているはずです。日本で発表される曲の順番が入れ替わっても不思議はありません。やはりルネは、ドーピングなどしていなかったのだと、私は確信しました

 今でも現役のルネ・ファンの私にとって、今では懐かしい思い出ですが、このブログを読んで、あなたはどう思われましたか?
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ルネのエピソード

2006年07月03日 | ルネ・シマール
◇いたずらっ子ルネ◇
 ルネは日本に来た時13才。
日本の学校で言えば中学2年生。
でも、かなりお茶目な悪戯をしています。
例えば、ルネの来日に同行した日本語が分からない
秘書さんに、
「こんにちは。」を「こんにちた。」
「こんばんは。」を「こんばんた。」
挙げ句の果てに、
「私はあなたを尊敬しています。」は
日本語で「バカ野郎」だと教えたり・・・・。
もちろん、秘書さんがそれを信じて、本当に
「こんにちた、バカ野郎。」
と言ってしまったから、さあ大変!
後でばれて、大目玉・・・・なんてことも。


◇ルネはラジコンや鉄道模型が大好き◇

 ルネは、スターと言っても普通の男の子と変わりません。
だからラジコン・カーを控え室で走らせたりしていました。
模型の機関車も大好き。東京音楽祭世界大会でグランプリを受賞したご褒美にも、模型のセットをおねだりしていました。
鎌倉での休日に漫画家の横山隆一先生のスタジオを訪ねて、模型のパノラマで遊んだりもしています。


◇ルネのプロ意識◇
 ルネだって13才の男の子。アイスクリームも好きだし、
コーラだって飲みたい。でも、のどを冷やしたり、声に悪いので絶対に飲みません。
 また、仕事のこととなると、例え、どんなに忙しくとも笑顔でやってのけました。東京音楽祭のリハーサルでは、1回の音あわせで、完璧に歌えたのはルネだけでした。


◇ルネは食べるのも好き◇

 ルネが日本の食べ物で気に入ったものについては以前書きましたが、ビーフ・ステーキもスイカも日本のものはとても美味しいからなのだそうです。
確かに、カナダのアルバータ牛はさっぱり系。スイカはその当時、アメリカのカリフォルニア産のものがカナダに流通していたようですが、日本のものの方がずっと甘いのですって。また、ケンタッキー・フライド・チキンも日本の方が美味しいと言って、2箱をペロリと平らげたというエピソードも残っています。


 どうです?ルネって、可愛いでしょう!
そりゃあ、今じゃ45才のおじさんですけどね。



資料:「ニュー・ソング・ブック臨時増刊号
          スーパーアイドル ルネ」
 表紙をご覧になりたい方は、ここにアクセスしてください。
  http://www.blogg.org/blog-14915.html
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