特に近年、癌患者の増加が著しい。それに伴って、痴ほう症の増加も激しい。
老人大国となっている日本は、かつて例のない速さで老いと戦っている。
就活ならぬ終活なる言葉が頻繁に週刊誌に載るようになった。
老いてその死様を、誰もが案じているのだろう?
今は、
年老いて尚、働かなければ生きていけなくなった日本社会。
苦し紛れに就活をしても、どこも‘お断り’が多い現実。
年金をもらったところで、生活が成り立たないほど社会は、金・金・金がかかる。
収支逆転して破たん老人が増えている。切り詰めて切り詰めて生活していても、
家を持っていれば固定資産税、そのうち、屋根の痛み、壁の痛みに補修費がかかり、
庭があればあるで、木の選定、除草など、老いにはこたえる手入れが必要。
金持ち父さんであれば、何でも金任せで、人に頼んで手入れはできるが、
貧乏父さんにはそうもいかないものだ。
若い頃はよしとしても、やがて負の財産と気づくこと、アッという間の時の流れの速さにたじろぐ。
やがて、あちらこちらと、いろんなところが(身体)病んできて、さらなる金がかかるようになってくる。
なのに、仕事はできない、あるいはない、国の年金毎年減らされて、若者は更に納める額が上げられて、
酷な社会となっている。健康で金があれば長生きはいいかもしれないが、そうはいかないイカの金玉である。
体も思うように動けない、動かせない、でも生きているには金がかかる。死ぬに死ねないのもまた世の常人の常である。
死にたいと思う人ほど死ねず、死にたくないと思う人ほど早死にするもので、何とも思うようにいかないものが俗世である。
さて、腰は重く、尻は重たく、口は軽くなるのが年寄りで、そして、こんな川柳を見たのを思い出す。
「飯食えば、食べこぼし愚痴こぼし、孫より行儀悪くなり」まったくもってである。
不動産なるもの、所有者としての優越感を持たせられているだけで、結局のところ国から借りているものという事になる。
払えなくなれば競売にかけられて、ぶんどられるのである。
金持ち父さんにしたところで、死に際、相続税などが発生することを知り、残された者達の相続争いなどが起こり、
すったもんだの醜い争いがあること多々である。死んだ後のことは知るもんかと本人は思えども、身内の争いが世間に知れ渡る。
金にまつわる醜さは身内にして、骨肉の争いになるのである。あぁ~、人というもの浅ましいものだ。
借りていても家賃発生、二年に一度契約更新で倍に家賃発生。
介護保険税やら健康保険税やら、足代わりのボロ車でも諸々の税、維持費がかかり、
運転もおぼつかなくなったとして廃車にしては、買い物も不便となって、孤立してしまい、
出不精となって更なるボケが進んでいく。負の連鎖となってくる。
老いては都会がいいというは便利だからだが、便利にはやはり多額の金がかかるのである。
そうこうしているあいだに、夫婦という名も崩れて、
どちらかが先に倒れ、悲しみにくれながらも、はたまた、
何年かの介護の末疲れ果て、独り身となる。そうして、不便に身を置いて人知れず死んでいくのだろう。
そのうちという間で、
訪ねてきた人に発見されて、死後数か月と診断されて人生を終わるのかもしれない。
多くある独居老人の現状でもあると思う。
灰皿と金はたまるほど汚くなるというけれど、まさにそう思う。
そんな金に縛られている人の一生は、銀河系どこの宇宙を見ても、
地球だけだと言われている。他の生物にそのような形態は無い。
知的であればあるほど、同種にして愛しみあって生きているという。
下等にしても、生きるために命の奪い合いがあるもので、
憎しみで殺し合うことはない。狡猾で生きてはいない。
老人大国となっている日本は、かつて例のない速さで老いと戦っている。
就活ならぬ終活なる言葉が頻繁に週刊誌に載るようになった。
老いてその死様を、誰もが案じているのだろう?
今は、
年老いて尚、働かなければ生きていけなくなった日本社会。
苦し紛れに就活をしても、どこも‘お断り’が多い現実。
年金をもらったところで、生活が成り立たないほど社会は、金・金・金がかかる。
収支逆転して破たん老人が増えている。切り詰めて切り詰めて生活していても、
家を持っていれば固定資産税、そのうち、屋根の痛み、壁の痛みに補修費がかかり、
庭があればあるで、木の選定、除草など、老いにはこたえる手入れが必要。
金持ち父さんであれば、何でも金任せで、人に頼んで手入れはできるが、
貧乏父さんにはそうもいかないものだ。
若い頃はよしとしても、やがて負の財産と気づくこと、アッという間の時の流れの速さにたじろぐ。
やがて、あちらこちらと、いろんなところが(身体)病んできて、さらなる金がかかるようになってくる。
なのに、仕事はできない、あるいはない、国の年金毎年減らされて、若者は更に納める額が上げられて、
酷な社会となっている。健康で金があれば長生きはいいかもしれないが、そうはいかないイカの金玉である。
体も思うように動けない、動かせない、でも生きているには金がかかる。死ぬに死ねないのもまた世の常人の常である。
死にたいと思う人ほど死ねず、死にたくないと思う人ほど早死にするもので、何とも思うようにいかないものが俗世である。
さて、腰は重く、尻は重たく、口は軽くなるのが年寄りで、そして、こんな川柳を見たのを思い出す。
「飯食えば、食べこぼし愚痴こぼし、孫より行儀悪くなり」まったくもってである。
不動産なるもの、所有者としての優越感を持たせられているだけで、結局のところ国から借りているものという事になる。
払えなくなれば競売にかけられて、ぶんどられるのである。
金持ち父さんにしたところで、死に際、相続税などが発生することを知り、残された者達の相続争いなどが起こり、
すったもんだの醜い争いがあること多々である。死んだ後のことは知るもんかと本人は思えども、身内の争いが世間に知れ渡る。
金にまつわる醜さは身内にして、骨肉の争いになるのである。あぁ~、人というもの浅ましいものだ。
借りていても家賃発生、二年に一度契約更新で倍に家賃発生。
介護保険税やら健康保険税やら、足代わりのボロ車でも諸々の税、維持費がかかり、
運転もおぼつかなくなったとして廃車にしては、買い物も不便となって、孤立してしまい、
出不精となって更なるボケが進んでいく。負の連鎖となってくる。
老いては都会がいいというは便利だからだが、便利にはやはり多額の金がかかるのである。
そうこうしているあいだに、夫婦という名も崩れて、
どちらかが先に倒れ、悲しみにくれながらも、はたまた、
何年かの介護の末疲れ果て、独り身となる。そうして、不便に身を置いて人知れず死んでいくのだろう。
そのうちという間で、
訪ねてきた人に発見されて、死後数か月と診断されて人生を終わるのかもしれない。
多くある独居老人の現状でもあると思う。
灰皿と金はたまるほど汚くなるというけれど、まさにそう思う。
そんな金に縛られている人の一生は、銀河系どこの宇宙を見ても、
地球だけだと言われている。他の生物にそのような形態は無い。
知的であればあるほど、同種にして愛しみあって生きているという。
下等にしても、生きるために命の奪い合いがあるもので、
憎しみで殺し合うことはない。狡猾で生きてはいない。