ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

休日を安易に動かさんといて!

2010年05月07日 | 新聞から

          色んな色 咲き方のカネーションです  (10-4-30  サンチカタウン)


明後日が母の日ですのでカーネーションを出してみました。昔はカーネーシ
ョンと言えば「赤」だったのですけどね…。

本当に骨休めになった人、旅行に出て返って疲れのたまった人、それぞれ
の長かった連休も終わりました。少数の方はまだ後2日あるのでしょうか。

今から1ヶ月前、『「連休分散」といて大型連休を地域ごとに分散する構想が
鳩山政権のもとで急浮上した』と言う記事を読みました。

「九州・沖縄・中国・四国の休日」「近畿の休日」「中部・北陸信越の休日」
「南関東の休日」「北海道・東北・北関東の休日」等、日本中を5つのブロッ
クに分けて、それぞれの地方でそれぞれの休日を持とうと言うのです。

それだけではありません、秋には「海の日」「敬老の日」「体育の日」の休日
移動して、土・日をあわせて5連休にしようと言うのです。

そうすると、どういう計算かは知りませんが、1兆円の経済効果があるという
のです。誰が儲けるのでしょうね。観光地の混雑や、交通渋滞の緩和や潜在
的な旅行需要を掘り起こす狙いだそうです。

そんなに休日を集めて誰が喜ぶのです。サービス業の人は勿論休めませんし、
農業の人は農閑期にしか休めないでしょう。

サラリーマンにしても、大会社は日本中に支店がありますし、それぞれが違
った日に連休を取るとすれば、仕事に支障をきたすのではないですか?

ハッピーマンデーとかで、決まっていた休日を、特定の月曜日に移して、連
休を増やそうとしました。その効果は如何でしょうか。その結果として、意
味があってその日を決めていた、体育の日(東京オリンピックの開催日)等
まで動かして、意味のない休日にしてしまっています。それだけでも迷惑だ
と思うのに、連休するためだけににブロック毎に分散したりしたら、益々いろ
んな意味での混乱が起こりませんか。

自分の娯楽ぐらい自分で計画するわ! いらんお節介やわ!何でもかんでも
いじ繰り回さないでほしいですね。そんな暇があれば、少子化問題をじっくり
研究するなり、若者の就職難解消について考えてほしいわ!
ほんまに、ほっといて欲しいわ!!

私たちが小さい頃、気に入らんことをする子によく言った言葉を思い出しまし
たよ。

「ほっちっち! 構てなや! お前の子じゃなし、孫じゃなし、身内になったら、
又構て!」









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尼子騒兵衛さんの七福神

2010年05月06日 | 一寸そこまで
    

今日はマリンバのきみこさんとおデートでした。昨日「柏葉アジサイの花芽
が付きました。お渡しするのは何時にしましょうか?」と言うメールが届き、
6日なら何時でもいいと言うので、早速今日頂に行くことにしました。

一度いただいたことがあるのですが、枯らしてしまったのです。きみこさんは
花いじりをしません。ご主人にお願いしてもらったのです。「今度は育ててね」
と、パソコンからプリントして柏葉アジサイの「スノーフレイク」と言う名だ
と書かれた紙を持ってきてくださいました。今度は上手に育てないとね!!

待ち合わせが阪神尼崎だったものですから、すぐ近くの中央商店街のアーケ
ードの一部に先月「尼子騒兵衛さんの七福神」の絵がはめ込まれているとい
うので見てみたいと思いました。

約束の時間より早めに着くように家を出ました。商店街も考えましたね、入り
口近くにはありません。少々店舗を見せてから、その先にありました。う~ん!
商売人!!

尼子騒兵衛さんってご存知ですか? NHKのテレビで1993年からやってい
る「忍たま乱太郎」と言うギャグアニメの作家です。今年の4月から18期作品
として始まっているのですよ。すごい長期番組ですね。孫が小さい時、一緒に
見ていた記憶があるのですが、物語は全然覚えていませんが、個性の強い絵
ですから、「忍たま」と言う題名だけは覚えています。

その乱太郎の仲間の名前が、尼崎の地名からつけられているので、ファンが
(若い女性が多いそうです)その地名を見つけに尼崎を訪れるのが、静かなブ
ームになっているそうですよ。「わが町、七松」も6年生の「七松小平太」として
登場しています。近所の「七松神社」はこのお陰で、若い女性が訪れているそ
うです。「七松神社の絵馬」も尼子騒平衛さんの絵ですよ(このブログの2009
年10月9日に載っています)ブームってすごいですね。テレビの力はすごいも
のですね。







この商店街から南に下がったところに「寺町」と言うお寺が集まった場所があ
るんです。そのお寺と七福神が合わさっているんですね。??? デモね七福
神は神様ですからね~、お寺に下宿しているのかな~。細かいことは言わない
で、楽しんでくださいね。



写真を撮って、お約束の15分前には阪神尼崎に着きました。きみこさんも何
時も早めに来る人なんです。丁度の時間になっても来ないんです、私が待ち合
わせ場所を間違ったのかしらと歩きかけると、向こうからきみこさんがやってき
ました。早すぎたのでぐるぐる回っていたそうです。私もぐるぐる回っていたの
で、二人共早く来ていながら会わなかったのです。

きみこさんが見つけておいてくれた小さなお店でお茶しました。寒かったので
久しぶりに「ホット・ココア」がお供でした。半時間ほどのつもりだったのに、
気がつくと1時間半も喋っていました。

今度は安くて美味しいものを食べに7月にお会いする予定です。「それでは7月
にね…」とお別れしました。



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普天間基地問題

2010年05月05日 | 気にかかる

   よ~く見てください 金時さんの顔「真珠」ですよ  神戸・北野町の真珠店のウインドウから

          ちりめん細工の 「こいのぼりと菖蒲」  (西宮 10-4-30)


連休も終わりました。懐かしい故郷に帰った人も、楽しい旅に出ていた人も、
「あ~、やっぱり家が一番だね」と話している頃ではないでしょうか。

沖縄の基地周辺の方はそれどころではない、この連休でしたね。普天間基地
問題、振り出しに戻ったようですね。一旦は反対運動はあったというものの、決
まっていたのに、前自民党の案ではあるし、実行に移せなかったのだから、「一
旦白紙に戻して考えましょう」と鳩山さんが言い出したのですが、何しろ連立を
組んだ社民党が「沖縄から基地を無くして…」と言う党ですから、そちらにも気
を遣い決められず、迷走が続いていました。

やっと昨日「沖縄の基地は残し、国外への転出もない」と言うニュアンスの発言
が鳩山さんから語られました。一日経ちましたが、社民党は沈黙を守ったまま
ですね。「鳩山さんのことだから、又ブレるだろう」と思っているのでしょうか? 
何とも不気味な社民党です。

そもそも基地を沖縄と徳之島に分割すると言う案は、素人の私が考えても無理
があります。一つに固まって居ればこそ力が発揮できるのに、半分にすれば、
力は1/3に、いや1/4に落ちる可能性があるのではと思います。

鳩山さんがアメリカを怒らせるのではないかと心配でした。有事の際日本は守
ってもらわなければなりません。自衛隊は用を成さないし、年々防衛費を減らさ
れている自衛隊、貧弱ですよ。伊丹駐屯地(これでも日本では大きな規模の基
地だそうです)を見に行った帰り、主人と「あんなんで良いのかな?」と「心細い
な~」と話し合ったものでした。

日本は憲法で軍隊が持てないのですから、アメリカに頼るしかありません。何故、
沖縄に多くの基地がと言うことも考えますが、そもそも戦争に負けた時点で、沖
縄はアメリカの占領地になったのですよね。だからそこに基地があるのは当然
と言えば当然なんですね。それが証拠に、沖縄にはパスポートがないと入国出
来なかったのです。

アメリカ側にすれば基地を残して返してあげたんだ、と思っているかもしれま
せん。敗戦国だったという気持ちの薄れがあります。沖縄の人にすれば「何故
何時までも自分たちだけが犠牲に…」と言う気持ちかもしれませんが、すべて
の人が「基地反対」ともいえないのではないでしょうか?。基地によって生計
を立てている人も居るわけです。

確かに隣にある小学校は騒音とか、いろんな意味で大変だと思います。発想
の転換で小学校を移転しては如何なんでしょう。スクールバスで通えば出来
ないことは無いでしょう。

美しい沖縄の海を守ろうと言う環境破壊反対派の方も居るのですが、やっぱ
り自民党案が良かったように思います。

一つ事をには必ず負の部分があるわけで、このたびの戦争では、何の被害も
受けなかった人もあるし、爆弾ですべての財産が灰となり、その後の人生が変
わってしまった人も居ます。私もその一人だと思っています。でもそれも運命
だったのだと思っています。しかし私たちの親世代は本当に苦労をしています。
今から思えば、すべて焼き尽くされ、無一文になって、子どもを抱えて苦労し
た母、その苦労が母の命を縮めたと思います。

話がそれましたが、日本は敗戦国で沖縄は占領されていた、その時に基地が
作られた。基本に立ち返って、もう一度考えてみてはいかがでしょうか?私の
立場は「対岸の火事」だからと思わないで、そうであったとしても、すでに戦争
によって、犠牲を払い、運命を変えられた私が言っていると思ってください。
敗戦国ってそういうものではないですか…。




        熊ならぬ 「鯉にまたがった金時さん」  (尼崎・スポーツセンター・ウッディ)
    
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梅灯り(うめあかり)

2010年05月04日 | 読みました

  やっと咲きました いっささんが送ってくださった 「シラー」  ↑ (10-5-4)    ↓ (10-5-1)


連休もはや大詰めに近づきました。盆休みや正月休みと違って、春は故郷に
帰る人は少ないのでしょうか?

予想通り、奈良は大賑わいのようです。連休は遠方の人や、若い人に任せて、
私たち「毎日が日曜組」は連休後の平日に行こうと思っています。同じ古都と
言っても、いつもは京都に水をあけられている奈良です、遷都1300年の今、
頑張ってくださいね。

中国は上海で万博でにぎわっていますし、人間はお祭り好きなのでしょうか。

ところで日本館も3番人気だそうですが国を代表して行っているのにその建物
に、「日章旗」が掲揚されていないって、本当ですか? 何故? 理由は?他 
の国は揚げているのでしょう? 敵対視されている国だからですか? それな
ら初めから参加しなければいいのにね…。政府か省のどちらの考えかは知りま
せんが、一寸変ですよ。相手の気持ちに敏感なのも、度が過ぎると軽蔑されま
すよ。しっかりして下さいよ。



      梅灯り(橋廻り同心・平七郎控)     藤原 緋沙子     

この方の本は初めてです。唱歌の学校のはったさんが貸してくださいました。

いわゆる捕り物控えです。終戦後、貸し本屋がはやっていた頃、私は子ども
の本を読んでしまった後(今のように、多く出版されていなかった)は、大人
の本をよく借りました。捕り物帖は子どもの私にも理解しやすい読み物でした。

先日東京日帰り旅行の際、地下鉄の駅名に、日本橋、人形町、小伝馬町等、
捕り物に出てきたような地名を見て、「あ~本当にあった地名なんだ~」とな
んとも懐かしいような、変な気持ちになりました。

これは「控え⑧」3つのお話が入っています。女の人の捕り物帖は初めて読み
ました。直前にイライラするような本を読んだ後ですから、ゆったりした気持ち
で読めてありがたかったです。

藤原緋沙子:高知県生まれ、立命館大学を卒業後、シナリオライターとして活
躍中、小松左京主宰の「創翔塾」で小説を書き始める。「はぐれ刑事シリーズ」
は彼女のシナリオである。




      ↑ 一株だけ咲いた 「すずらん」        ↓ 「アッツ桜」 白は消えたようです
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北野坂の「インフィオレータ」

2010年05月03日 | 一寸そこまで




先日書きました「インフィオレータ」を見に神戸・北野坂に行って来ました。

いつもは昼前に着くので、すごい人出です。今日は朝早く行こうと、7時前には
家を出て7時半には三宮に着いておりました。誰も居ないだろうと思っていまし
たのに、思いは同じらしく、20人ぐらいは居られたと思います。

ご近所のご夫婦の方は脚立を持ってきて居られました。少しは坂になっている
とはいえ、脚立がないとなかなか全体像は写しにくいです。「うらやましい!」と
言いながら見ておりました。

今年で10年10回目だそうです。今年は人物がとても多いように思いました。












神戸で「モーニング」を食べようと言うことになっていたので、一通り撮ってから
三宮まで下りて行きました。パン屋さんでサンドイッチと菓子パン、コーヒで朝
食を済ませました。初めて入ったお店でしたが、とても美味しかったので満足
でした。

それから又、北野坂を通って、異人館めぐりをしました。と言いましても外から
見るだけです。私は一度は皆入っていますし、主人が、外観だけでいいと言う
ので外めぐりをしました。

そして又北野坂を通って帰ろうと言うことになりました。ずいぶんの人出にな
っておりました。そしてボランティアの人が脚立の上から取ってくれる(自分の
カメラを預けて)サービスがありましたので、並んで写していただきました。高
いところからの撮影ですから絵の全体が写ってありがたいです。去年までは1
ヵ所だけだったのですが、今年は3ヵ所もあって、嬉しかったです。

私たちの前に並んでいた女性2人は東京からで、今日は北野町界隈を見て、
明日は姫路城に行くといっていました。姫路城はもう修復工事が始まってるは
ずだから、ホテルでその辺のことはよく聞いてから行きなさいとアドバイスして
あげました。










そうこうするうちにお昼になったので「とんかつ武蔵」でとんかつを食べて帰り
ました。元はセンター街に在ったのですが、かの震災で半壊になり、その場所
ではなく、近いのですが小さなビルの2階に引っ越しました。キャパシティー
も前の何分の一かの小ささですが、美味しいものを出していると客は行くもの
ですね。私たちもそうですが、昼時は並ぶほどの盛況振りです。

しかし、とんかつは小さくなりました。私たちの若い頃は、食べるのに一寸多い
な~と言う量でした。「今は年取って、食が細くなったので、この量で満足だけ
ど、若い人なら足りないね」といつも話します。

目も口も満足な世間で言う連休の一日でした。






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遍路  (97回)

2010年05月02日 | 思い出話
              平成17年11月17日

      距離:20K  ささや旅館 … 八栗寺 … 志度寺 … 民宿 ながお路  (2)

八栗寺の帰り、ケーブルから少し下がったところに「石の民族資料館」に行
ました。小高い丘のような場所にありました。残念なことに月曜日で休館日で
した。前庭までは入れましたので登ってみました。其処からの景色はすばらし
いものでした。屋島、牟礼野町が一望できるのです。この場所は屋島に沈む
夕日を見るスポットだそうです。



景色を見た場所の横には下の写真の「響き」と言うかわいい楽器を持った石
像がありました。帰宅して、調べたところ、ここには20人ぐらいの作家の石像
(人の形をしていなくとも石像と言うのだろうか?)が芝生の庭に置かれてい
るらしい。


          民族資料館の庭に立っていた石像  「響き」  吉本豊氏(大阪)

吉本豊氏は有名な人だろうと思いネットで調べてみました。関西の人だそうで
す。1月(平成15年)に展覧会が大阪の茶屋町であったようです(書いている
今は2月)以下は能勢の「とよのコスモスの里」で「吉本豊石彫展」が開かれ
た時、見に行かれた人の書かれた文章の抜粋です。

『能勢黒いしで作った石彫画コスモスの里の会場に点在している(常設だろう
か、見てみたい)吉本氏の作風は(1)原石をあまり掘り込まず、浮き彫りのよう
に人の像を彫刻する。(2)どれも楽器を奏でている。(3)丹念に研磨されて表
面をなでると肌触りがすべすべしてい』

これもお遍路の出会いの一つです。同じ関西に居ても、一生知らなかったでし
ょうね。今年のコスモスの咲く秋、もし吉本豊氏の像に自然の中で再会するこ
とが出来たら…、どんなに嬉しいでしょう。

住宅街で子ども連れのお母さんに出会いました。しばらく立ち話をして、分か
れた私の耳に親子の会話が届きました。「あの人誰?」「お遍路さんよ」「お
遍路さんって?」「お遍路さんはね…」母が子に説明する声が聞こえて来まし
た。今日は私達は「社会化の教材」になっていました。このこも大きくなった
ら、お母さんが私たちに声を掛けてくださったように、お遍路さんに声を掛け
てくれるだろうか…。疲れた身体に優しい言葉と、微笑みはありがたい「お接
待」です。

自動車が止まって、運転席から男性が話しかけてこられました。「私も自動車
で回りかけたことがあるのですが、岩屋寺の手前で40度の熱を出して、必死
で運転して帰りましたが、そのままになっています。やはり一度は回りたいで
すね。でも歩きはとても無理ですから自動車ですがね」私たちが歩いているの
が目に入って、遣り残した遍路への懐かしさと、後悔が思い出されて、ついつ
い自動車を止めてまで、私たちに話しかけられたのでしょう。

しばらく行くと今度は道が不安にない、キョロキョロしていると、ご夫妻の乗っ
た車が止まってくださいました。「志度寺への道」を聞きました。「私達は志度
寺から来て帰るところなんで、良かったらお送りしますよ」と申し出てください
ましたが、「歩きですので…」と辞退しました。






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遍路  (96回)

2010年05月01日 | 思い出話
          平成15年11月17日  (月曜日)
       第85番札所 八栗寺   第86番札所 志度寺



         距離:20K  ささや旅館 … 八栗寺 … 志度寺  民宿 ながお路

同じく夕日を見ておられたご夫妻の案内で、無事宿に着くことが出来ました。

夕食前のお風呂で奥さんとご一緒しました。ここまでの経路をお尋ねすると、
2年前に歩き始めて、ご主人が胆管の癌で手術され、間が空いたこと、普段
は元気で荷物も持ってもらえるけれど、疲れると、急に発熱するので、それ
が怖くて10K以上の距離があって電車、バスの在る区間は乗り物を使うこと、
薬をいっぱい持ってきていることなどを話してくださいました。

夕食は食堂で、遍路は私たち二組の夫婦と工事現場で働いていて定宿にして
いるらしい人たち6人でした。あちらのご夫妻は「美味しい美味しい」と言う割に
は側芽補足あまり食べておられない。アルコールも飲まれないので、あっと言う
間に食べ終えて、部屋に引き取られた。

             ささや旅館  (3泊目)




ささや旅館から坂を下ってくると、このかわいらしい「琴電屋島駅」がありました。
東へ8K行けば、「八栗寺」です。川に沿って歩道があるので、その道を通りまし
た。会社員や高校生が自転車でびゅんびゅん飛ばします。





途中に牟礼の石材所が立ち並んでいました。その中のひとつに精巧に出来た
五重塔があったので、一寸庭に入らせていただきました。ここは「牟礼」です。

もう一つ「庵治(あじ)」と言う石場があるらしいのですが、気が付かない間に
通過してしまったらしいのです。実は我が家の墓石が「庵治の石」なので、そ
の石場に行ってみたかったのです。

食べたいと思っていた、有名な「うどんの山田や」の前を通りましたが、昼には
早すぎて、残念ながらおなか空いていなくて通過しました。


八栗ケーブル下でトイレ休憩を済ませ、ケーブルの左手の細い遍路道に入りま
した。ケーブルが付いているくらいですから、覚悟の上とはいえ、厳しい登りで
す。しかし、気持ちのいい、静かな参道でした。門前には、古い「旅籠」と呼ぶ
にふさわしいような宿がありました。




          ↑ 本堂        ↓ 本堂の後ろに聳える五剣山


第85番 八栗寺 の後ろのお山、五剣山は元は五つの小山だったそうですが、
昔昔、地震で崩れ落ちて、今のように四つになったそうです。お寺の境内から見
上げる実物は迫り来るような迫力がありました。山容からして、とても楽しみに
していたお寺でした。
                               (1360回)








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