ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

あきらめないから失敗も無い

2006年11月18日 | 新聞から
            西宮戎神社の菊

雨の一日だった。佐藤愛子さんの小説の題名ではないけれど「戦いすんで日が暮れて」だ。選挙戦は終わった。最後の街頭演説は地元だった。雨の降る中大勢の人が集まった。「もっともっと変えよう」「尼崎を変えよう」「もっともっと変えよう」のシュプレヒコールでお開きとなった。後は熱い思いを一票に託して、天命を待つばかりだ。

ノーベル賞物理学者の小柴昌俊さんは東大物理学科をびりで卒業だそうだ。中学一年の時にポリオ(小児まひ)にも罹った。努力の結果東大に入ったが、一週間の内良くて一日半しか出席できなかった。家族を支える為のアルバイトの為である。平成14年3月東大で祝辞を述べた後、成績表をスクリーンに大きく写したそうだ。自慢できない成績を披露したのには理由があった。

「東大には試験の成績のいいやつが集まってきている。良い点を取るのは『受動的な認識能力』が高いという事。教えられた事を理解し、記憶して正解が書ける。それは受身の能力」しかし人間にはもう一つ、必要な能力があるという。「能動的な認識能力」社会に旅立つ学生に伝えたかったメッセージである。

「自分が何をやろうか決める能力が大事なんだよと。総合的な能力は、受動的能力と能動的能力の掛け算で決まるのではないか。だから成績がいい人はそれだけではダメ。成績が悪かった人もがっかりしないで、能動的な能力を充分に発揮すれば、立派な仕事ができる」「成績が悪くてもいいんです。但し、困難に出会ったとき、其処で諦めてしまったら、失敗。僕は諦めないで何とか乗り越えてきた。だから僕には失敗した経験がない」と言う。

小柴さんが本気で研究に取り込もうと決意したのは、良い就職口が無かった為に進学した大学院で「小柴に理論は向かない」と思った先輩が実験に誘ってくれた「是ならやれる」と実感したそうだ。

☆ 理論:科学研究において個々の検証や事実を統一的に説明し、予測する力を持つ事。湯川理論といわれるように湯川秀樹は理論物理学者といわれる。

良い就職口があったら大学院には行かなかっただろう。大学院に行かなかったら小柴さんの本質を見極めて声を掛けてくれる先輩にも出会わなかっただろう。実験の道に進まなかったら「ノーベル賞」はもらえなかった。

「人生に無駄は無い」と言われるが、本当にそうなんだ。最終的に行き着く所までには思うようにならない苦しみも味わう、その時には気付かなく、第二の道を選んでしまったように見えても、方向を変えざるをえなかったのは、最終目的地がその方向に在ったからなのだ。

又その道をどうして歩んでいいかと迷っている時、理解してくれる人に助けられて、自分で気付かなかった潜在能力を引き出してもらう事がある。

能力があっても自分では気付かない事も多い。又その能力を発揮する場所を与えてくれるのは、その道の先輩である。

人は後輩を持つ立場になれば、後輩を引き上げる事を考えるのも、力の上の者の仕事だと思う。所謂「人を育てる」という事だ。能力のある人でも自分の事だけを考えて、「人を育てる」事をしない人の周りには人の輪は出来ないし、結局は自分も行き止まる。

小柴さんも先輩の牽きで今日の自分があることを認識しておられるのだろう。今は現場で人を育てる事をしておられる。だから「私の研究を受け継いだ者の中からノーベル賞を受賞する研究を成し遂げる者が2人は出るであろう」と言う言葉が出たのだと思う。

人は人によって見出され、育てられていくものだと思う。私達の身近な仲間でも同じ・・・





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光のお花畑

2006年11月17日 | 思い出話
           鮮やかなツートーンカラー
          なんと可愛らしいキクでしょう

今日も唱歌の学校で「採りたて野菜」を頂いてきた。何時もは説明があり「お荷物になりますが、お持ち帰りください」の言葉があるのですが、今日の休憩時間は明後日のコンサート?の最終打ち合わせや来週の「コンサートの反省会」&「早めの忘年会」の打ち合わせで「野菜」の事はすっかり忘れておられたらしい。

其処は主婦の集まり、入り口に置かれた「野菜」を見て「何にも聞いてないけど、貰って行っていいのよね」「大変ね。こんなにパックするの・・・」とか言いながら誰からとも無く一袋づつ箱から持ち出す。私も頂いた。みづみづしい、柔らかそうなちしゃの様な二株が入っていた。何時もなら早速今日頂くのだが、サラダの用意はしていたので明日頂く事にした。

採りたての野菜の美味しさを知ってしまったので「ごとうさんの野菜」心待ちにしているのは私ばかりではないらしい。

何十年か前、私も少しだけ野菜を作ったことはある。きゅうり、なす、トマト、サラダ菜など野菜作りの定番である。本当に美味しかった。だから又作ろうと言う気はあるのだが、何故か花を植えてしまう。そうそう、南瓜も作ったわ。西瓜も薩摩芋も。思い出すと案外色々作っている。でも前者は食べられたが、後者は観賞用の感じで小さかったっけ。

花といえばそろそろ家の中に入れてやらねばならない。一日でも取り入れるのを延ばすのは水遣りのたびに外に出すのが大変だからです。見事な大株は良いのだけれど、だんだん重くて移動が辛くなってきた。これからはコンパクトに育てなければと思っている。

花といえば、光のお花畑(本当は星をあらわしているらしいが・・・)の「神戸ルミナリエ」が今年も始まる。12月8日~21日です。1995年1月に神戸・淡路大震災が起こった。その犠牲者の鎮魂の意でその年の暮れに始まり、今年で12回目になる。500万人の人が訪れるという。私は毎年行っている。「もう今年も終わりだ、もうじき新年だ」と心に刻む日でもある。

私は始まったのが翌年だと記憶していたのだが実際はその年の暮れからであった。11ヶ月後で粗方の整理は出来ていたとはいえ、まだまだ個人は溜め息の中に居た。その時に始まったのは、神戸の凄さだと思う。

膨大な数の電球で繰り広げられる空間であるが、其処には美しさはあっても煌びやかさは無い。鎮魂の願いに相応しく、静かな、心に染入る様な美しさである。

やはり費用が掛かる。会場でも募金箱がおいてあるが、郵便振込みで一口1,000円で募金の募集をしているらしい。私達も毎年「来年も見られますように~」の願いを込めて、ほんの気持ちだけ募金に協力してきた。今年はもう少し増額しようかな~。

初めの頃に点燈の時間に見に行った事がある。真っ暗だった空間に一度に光が現れるのである「ウォ~」と言う歓声が上る。拍手が起こる、今まで止められていた列が、警備員の誘導で動き始める。一度は見ておきたい瞬間であるが、それを人ごみで待つ元気はもう無い。経験しておいて良かった。

昔はカメラ、後にデジカメ、何年か前からは携帯で撮る人が増えてきた。

孫を肩車して見せた時もあった。その彼も高校生だ。身の丈も祖父を越えている。
我家の歴史とも重ねあわせる事の出きる「催し」である。

何しろ寒い時期であり、人での多さである。「今年が最後ね」といいながら行き続けている。光の前に辿り着く順路も考えてくれて、一時期のように恐いような混乱の中で動きが取れなくなる事は無くなって有難いし、毎年行く事の出来る理由でもある。

今年のテーマは「空の魅惑」だそうだ。今からわくわくしながら待っている。
                         
                           (220回)
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「育ち」と「愛情」

2006年11月16日 | 新聞から
            西宮戎神社の菊展

年賀状を買ってきました。先日作った賀状を見てみました。何だか気に入らないのです。直してみたのですがまだ気に入らない。やり直す事に決めました。

作家吉川潮さんは言う「育ち」は愛情の質で決まる
育ちの良い悪いは何を持って判断するのか。家柄でしょうか?いや良家の子女といわれる者にも、どら息子、バカ娘は大勢居ます。・・・中略・・・若者が幼年期にどれだけ質の良い愛情を受けて慈しみ育てられたかによって決まると考えています。貧富の差は関係ありません。

たとえ事情があって父親か母親の片方の居ない家庭でも、代わりに愛情を注いでくれる祖父母、親戚の方々、隣人などに囲まれていれば充分です。ここで肝心なのは愛情の量ではなくて質です。猫かわいがりするだけではなく、厳しいしつけをするのも愛情で、質の良い愛情を注がれた子は必ず育ちの良い若者になる。

そういえば昔は近所の人も他所の子教える事があった。私が一年生になった頃だと思う。お向かいにあさこちゃんと言う子が居て仲良しだった。ある日あさこちゃんのおばさんが私に言った「XXちゃん、自分のことを『うち』と言わない方が良いよ。『うち』は『お家』の事でしょう、だから女の子は自分の事は『私』と言った方が良いのよ」

おばさんはあさこちゃんの居ない時に私に注意した。だから私の心を傷つけなかった。でもやはり恐いおばさんだと思った。私と遊んでいる内にあさこちゃんが『私』と言わなくなって、私の言うように『うち』と言い始めたのかも知れない。
おばさんは困って私に注意したのかもしれない。

私は今でもはっきり覚えている、学校に行こうとあさこちゃんを誘いに行った時で、おばさんは机に雑巾掛けをしていた(法律事務所で机が何台か並んでいた)縞の着物の上にすっぽりと真白いエプロンを掛けていた。まん丸い顔にまんまるいメガネを掛けて、髪は後ろで束ね首筋で小さなシニヨンをピンで留めていた。

前にも言ったように想い出に声は無いが言葉もその場面も覚えている。帰って母に言いつけはしなかったと思う。母は『うち』といっても気にしなかったから。それから私はおばさんの言う事が良い事と判断したのだろう、何時の頃からか『私』と言うようになっていた。今では有難いと思っているが、優しく諭してくれたのであるが、恐いおばさんだっと思っていた。

あさこちゃんには一回りは違う大学生のお兄さんがいた。お兄さんは富士山で大きな木に落雷があり、そばに居て感電死したと聞いた。後日私が富士山に登った時、この事を思い出したが、富士山に高い木は無かった。きっと麓だったのだろう。

集団疎開から帰った時「あさこちゃんが死んだ」と聞いた。回虫が喉に詰まって窒息死だった。苦しかっただろうな~と思った。終戦後は子どもは皆回虫をお腹に持っていた。学校で毎月「虫下し」を飲まされていた。卒園写真にあさこちゃんはちょっぴりお澄まししています。

もう一人親戚のおばあさんにも怒られた。おじいちゃんに連れられて遊びに行った時のことだ。何かを溢した時だ。濡れた座布団を片付け乍叱られたその情景もはっきりと覚えている。この人も恐いおばあさんだと思っていた。母は忙しく、一人娘で祖父に我儘一杯を許されていた私をおじいちゃんの目の前で叱り導いてくれる人が居たというわけだ。成人してから会ったこの人は本当はとても優しい人だった。

この人達が居なければ、我儘一杯に育てられた私は今よりず~っと育ちの悪い子だったのだろう。この年になっても「言葉使い」や「行儀」を教えてくださった事を有難いと思うことがある。





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若いっていいな!

2006年11月15日 | 一寸そこまで
          小菊ってやっぱり好きです

神戸の国際会館こくさいホールに中村勘太郎、七之助兄弟の「錦秋特別公演」を見に行った。大勢の人でした。3階席まで詰まっています。私は5ヵ月ぐらい前に予約したが、それでも20列目でした。前の方は「ファンクラブの席なのでしょうか。

私の錯覚「江島生島」のお芝居だと思って行ったら「舞踏」だった。S席でも6,800円だったのだから感じるべきだったのです。若者のお勉強会だから安いのだと思っていた。

「江島生島」を見たときは、何だか損をした感じでした。私の見たかったのは歌舞伎芝居なんだって・・・。でも最後の「棒しばり」を見た時「やっぱり来てよかった」と思った。

彼らが若いだけではなくて、語り、三味線、囃子方全てが若い人たちなのです。
声も若ければ、撥さばきも力強い。本当の大歌舞伎を想像したら一寸物足りないかもしれない。

☆ 歌舞伎:日本独特の演芸で伝統芸能の一つ。重要無形文化財。世界無形遺産

「江島生島」 勘太郎の役者「生島」に七之助の大奥の御殿女中「江島」のご法度の恋の想い出を舞う。

「芸談」 白塗りのお化粧を落として背広姿の二人。兄勘太郎はムードメーカーでありナイーブな性格。休みはもっぱら家に居る。弟七之助は全く反対で休みはもっぱら外出。今父勘三郎を初めマイボールを持つほどのボーリング好き一家だ。「兄弟で恋人役は如何ですか?」「なれました」と異口同音。二人とも女形も立役もこなす。七之助は女形の方が多いのか声の出し方が女形的である。

「多摩川」 これは中村家のお弟子さんたちがダブルキャストで踊る。

「棒しばり」父親であり師匠である勘三郎さん(十八代勘三郎を襲名した。この名は400年続いている)と勘太郎さん、二枚目半の道化た仕草、身のこなし、口跡迄ソックリ。勘三郎さんは勘九郎チャンと言われた天才子役の時代から知っているし、この若さで似ているという事は、年取るとソックリになるのだろうね。でも先代の勘三郎と勘九郎親子ほどソックリではないね。母親似の所もある。

七之助の顔形は母親似だ。ソックリといってもいい。去年だったか「ラストサムライ」に明治天皇役で出ていたが、直ぐ七之助だと解ったという事は存在感ありと言う事か。

何しろ兄25歳弟23歳と言う若さである。太郎冠者・七之助、次郎冠者・勘太郎の踊りぶり、若いから軽々と舞う。若いっていいなとつくづく思う。

このような舞踊劇のことを「所作事(しょさごと)と言ったと思う。小さい時から歌舞伎には母に連れられてよく行った。小さいので歌舞伎の筋は解らないが綺麗な~と思っていた。だから所謂踊りが好きだった。その中でも特に「京人形」と言う所作事が好きだった。筋は解らないが箱から出てきた京人形が「人形振り」あのぎこちない振りで踊るのが大好きだった。

「人形振り」といえば京舞の井上流は「人形振り」と言われているそうだ。

この国際会館は震災で壊れて立て直された。新しくなって始めていった。エスカレーターで一旦上まで上がり、室内で下る傾斜の席となっている。

壊れる前私がここに来たのは地唄舞の「竹原はん」さんを見に来た時だ。出し物は「雪」だったと思う。

☆ 地唄舞:江戸時代後期上方では主に盲人の演奏に弾き謡いされていたのが「地唄」それに舞をつけたのが「地唄舞」芸者さんがお座敷で舞っていた。振り付け師が歌舞伎舞踊、能、人形浄瑠璃の動きを取り入れた。狭い空間で踊る「座敷舞」。ゆえに衣装は「芸者の着物姿」である。

軽い気持ちで「歌舞伎入門」出きる若者歌舞伎に又行こう・・・

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しがらみ

2006年11月14日 | 気にかかる
        一人の人がこんなに色々の菊を作って

市長選挙でお二人とも「しがらみ」と言う言葉を使っている。白井さんは「しがらみの無い公平で公正な政治が大事。国や県にお任せではなく、市民一人ひとりが力を合わせ、過去にとらわれない新しいやり方で尼崎を変えよう」と言い、一方谷川さんは「世の中に当然しがらみはある。個人のために使うのではなく尼崎と市民のために使うのが大事で国や県とのパイプを生かして尼崎の窮状を救いたい」と言う。

「しがらみ」私には良い事に使われる言葉とは思えない。何か陰湿な事を想像する。字引を引いてみた。

「しがらみ」:柵 
広辞苑:せき止めるもの、まといつくもの
角川辞典:まとわりついて離れないもの
ネット:まとわりついて引き止めるもの。関係を絶ちがたいもの。

やっぱりな~。暗いわ。マイナスだわ。白井さんの言葉の意味はそのまま納得。
谷川さん「世の中に当然しがらみはある」なるほどご尤も。私にだってしがらみはある。でもそれに振り回されはしない。この度の応援にしても「白井さんのお母さんをよく存じ上げているから。妹さんと私の次男が幼稚園から一緒で、おひな祭りに御呼ばれしたから。1月まで在籍した会のお仲間だから」是も「しがらみ」と呼べるかもしれない。でもそれが白井さんを支持する理由になっていない。

私は4年間の白井さんの仕事を見守ってきた。よくやって居られる。失礼ながら予想以上の働きであると思っている。だから続けて欲しいと思っている。元の道にユーターンしたくない。だから支援する。

私は人に頼まれて選挙の相手を選ぶものではないと思ってる。自分で考えた人を選ぶべきだと思っている。だから「白井さんに入れて」とはいい難い。だけど言われて入れる人も多い事も知っている。初めて(4年前はお手伝いはしたけれど、声は掛けなかった)声を掛けた。どうしても当選して欲しいから。住みよい尼崎にして欲しいから。それには彼女の力が必要だと信じているから。

谷川さん「県や国とのパイプ」何時引かれましたか?お父さんを媒体とした「パイプ」じゃないですか?市民は自分の手で足で行動してくれる人が欲しいのです。他力本願の人は要らないのです。自分で開拓した道なら(欲しくないパイプでも)一目置くでしょう。でも初めから人の引いた道を頼る指導者を持ちたくないのです。

「しがらみ」を調べていると織畑基一(オリハタモトカズ)さんの「戦略的経営思考」に説明があり、抜粋させていただく。

「しがらみ」こそ変革を妨げるもっとも基本的な原因だ。・・・革新の前提は自律心を養うことだ。・・・「自立」と「自律」の違い、「自立」は自己の独立心を養い、自己主張をする事、もっと言えば、我を張ること。「自律」とは独立心を養うことに加えて、周囲の状況を理解し、自己を律することも行って、周囲と付き合うこと。・・・・・革新にはまず、「しがらみ」を断ち切る勇気・気概が必要だが、そうして一旦裸の個人(自立)になった後、どうやって革新を起していくか睨んで、他人との新たな関係を築いて行く事(自律)である。

なるほどなるほど。白井さんは「自立」から「自律」に移行しているんだ。今夕、白井さんの「個人演説会」に行って来た。その時の応援弁士の方々が言っておられた白井さんへの賛辞は言葉は違うがこの事だと納得。

相手を知る為に、谷川さんの街頭演説を一度聞いてみたいと思っている。だが一向に出会わないのである。私宅が白井さんのご町内ゆえ諦めているのか、ビラの一枚も入らない。討論会の時には自分の陣営だけではない遠慮もあったろう、本音はいかに?と興味深深なんだけれど。開口一番「女に政治をまかせて良いのですか?」だって、よく言うよ!本人の口から直に聞いてみたい!女は強いよ!谷川さん!
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肥満度を食べてる時は忘れてる

2006年11月13日 | 新聞から
             佐藤さんっちの菊

寒くなりました。最後の球根と苗の植え替えをしました。これからの寒さに耐え春には綺麗な花を咲かせてくれるのです。ブログでお目にかけますね。

久し振りの川柳です。それも「肥満」です。今日で4日ジムをお休みしています。食べるだけの生活を4日も続けると覿面の増量です。週3回ぐらいが適当なジム通いと言われていますし守ろうとしています。食べるものを控えた週は何だか身も軽く良い具合です。私の場合食事は人並みだと思います。

いけないのは甘いもののつまみ食いです。解っているのですが中止しても10日と続かない。手元にあるからいけないのです。何故手元に?考えますと、ジムからの帰りお腹がグーグー鳴るような状態で買い物をして帰ります。是なんです。お腹がすいていますと、ついつい買い物が増えるのです。経験ありませんか?満腹で買い物に行くと「今夜の献立」が決まらないことが・・・

        ☆ 選者が選んだ一点
   
    ・偏差値が年月を経て血糖値

 学生時代悩んだ偏差値、離れてやれやれと思いきや今度は肥満から来る病の数値 に悩まされる。

        ☆ 私の好み
 
    ・金かけて太り金かけて痩せる妻

 外に出ては美味しいものの食べ歩き、家に居てはつまみ食いとお金を使い、肥満 に気付けばダイエットにお金をかける。

    ・ダイエット形状記憶体らしい

 メガネのコマーシャルにありますよね「・・・しても元通り」って。つまみ食い を控え、そこそこのダイエットに成功した。その心の緩みから、「是くらいな  ら」と食べた。気が付くと、あたかも形状記憶しているように元の肥満体に戻る 悔しさ!

    ・口癖が「モッタイナイ」で肥満体

 子どもが小さい時子どもの食べ残しを「勿体無い」と食べました。でもそんなに 太りませんでした。やっぱり体を使っていたからでしょう。

    ・ダイエット一歩進んで二歩下がる

 体重計に乗ったとき感じます。昨日は一昨日より減っていた。だのに今日は一昨 日より増えている! 「あ~ぁ!」ため息の出る一瞬。

    ・譲られた座席に躊躇肥満体

 善意で席を譲られても、目分量でも入りそうにない隙間、貴女ならどうします? 私? やっぱり有難いとまず浅く掛けて、大丈夫と感じれば奥にストンとはまり ます。

    ・ファスナーの悲鳴聞こえる試着室

 上着は9号パンツは11号のアンバランス。ズボンサイズが9号になったら買い ましょうと決心して何年?もう限界が来ている。何時になったら新調出きるの  か?前途多難・・・。

一昔前は肥満は女の悩みでしたが、今は男性も悩んでいる「あぶないぞベルトの穴は後一つ」。「飽食の時代」と言われて何年経つのだろう。デパチカの食料品売り場の品物、お惣菜、ケーキ、饅頭等残ったら処分するのでしょう。金銭的には「売れ残り」を計上して価格を決めていると思うので、会社は残り全部の損とは思わないけれど、品物自体が勿体無いと思う。

   ・肥満度を食べてる時は忘れてる

最後に自分の句を一つ。食べるまでは「間食はいけない」とわかっているのです。
でも食べ始めると、その結果がどうなるかはすっかり忘れている。時間の経過と共に自分の意思の弱さを痛感する。この繰り返しで残りの人生歩むのかな~。


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頑張って!!

2006年11月12日 | 今日この頃
             西宮戎神社

昨夜は遅くまで本を読んでいて今朝は寝坊をしてしまった。もう直ぐ8時「えらいこっちゃ!白井さんの尼崎市長立候補出発式だ!」9時から駅前である。ものの3分も掛からないから時間は充分あるが何となく気ぜわしい。

花登筐「あかんたれ」が図書館の返却日なのだ。平日の昼の「アンコールアワー」で「あかんたれ」が放映されている。30分番組ではあるがコマーシャルの多い番組で、その上初めに、昨日までのまとめが一寸入るので、中々進展しない。

主人が本があるなら読みたい(筋が知りたい)というので図書館で調べると、同じ考えの方があるらしく二人待ちである。と言う事は早くても1ヶ月は待たなくてはならない。「本が来るまでに終わってしまう!」といいながら待っていた。やっと届いた本、大坂船場の仕来たりが書かれていて面白そうなので私も読むことにしたが「見えない貌」を読んでいたので、つい遅れてしまった。

考え込むような難しい事は書いていないから、すらすらと読めるのだけれど何しろ字が小さいのには閉口した。「あかんたれ」と言うよりあまりの人の良さにいらいらする。本妻の子とてかけの子はこんなに差があったのかな~。昔はそれを我慢していたんだな~。今の世の中こんな差別は通らないだろうな~。

私が駅前コンコースに辿り着いた時は下の道路は人の通行の邪魔になるので、陸橋の方に上って欲しいと放送していた。私も陸橋に上ったが、写真を撮るには遠すぎるし、木が邪魔になってよく見えない。隣に居た一眼レフのおじさんも下に降りて行ったらしい。私も降りていった。

私のカメラでギリギリの所までにじり寄って写していると、さっきの一眼レフのおじさんが近づいてきて「勇気を出してもっと前に行き。私も行ってきたで~」と言った。それもそうかと、少しづつ少しづつ前進した「下手な鉄砲も数うちゃ当たる」の通りパチパチ撮った。何しろ数百枚は取れるのだから安心だ。

応援の皆さんにもカメラを向けさせてもらった。パソコンで見ると、写している時は解らなかったが、あの人もこの人もお知り合いの顔・顔・顔・・・

俳優(今は舞台が主かな)の三島ゆり子さん、尼崎に住んで20年だって。政治に関心は無かったのだが4年前白井市長の誕生頃から関心を持つようになったって。近くで見てもやっぱり綺麗わ。美人二人が並んで良い感じ。

選挙を手伝う人(なんて呼びます?)もピチピチギャルばかりで良い感じ。前回は素人さんとしてお手伝いしていた稲村県会議員が進行係を勤めていた。白井市長誕生に続いて県会に打って出た人。この人も若いがママさん議員。県議会報告を聞かせてもらっているが、よく働いておられる。

白井さんも昔は早口で話の間が無く、トーンも高かったが、今は早口も直りトーンも低くなり演説が上手になられた。「立場が人を造る」とはこういう事を言うのだろうか。応援演説の何方かも似たような事を言っておられた。

先日の公開討論で私は白井さんに勝ってもらいたいと強く思った。対抗馬の谷川さんについては余知らないので、是は私の直感だけだが、谷川さんは尼崎議会の最大派閥のマスコット的存在で多くの長老達に祭上げられて、もし市長になってもその派閥の傀儡市長になる可能性大の様な気がした。最大派閥は現市長の全てに反対しようとする派閥だ。公明党議員も多数居る。尼崎はどうなってしまうのだろう?傀儡市長と公明党に道を譲りたくない。

良識の民は白井さんに期待している。もっともっと変えて、住みつづけたいと思える尼崎にして!厳しい選挙だろうが、頑張れ白井さん! 19日、貴女の笑顔を待っています。
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ステンドグラス

2006年11月11日 | 今日この頃
             佐藤さんちの菊

たまちゃんと待ち合わせてよっこんの「ステンドグラス」の展覧会に行った。先日の同期会でご案内のお葉書を頂いていた。

ステンドグラスってとても綺麗。こじんまりしたお部屋に力作(全品電気スタンド)が揃う。よっこんは3点「ゼラニューム」「スイレン」「蜻蛉」と出品。たまちゃんは「ゼラニューム」が好きといい、私は「蜻蛉」が好き。よっこんは?「蜻蛉」だって。もうこれからは手に入らないような「ガラス」が使ってあるそうです。

出来上がりは華麗で優雅な作品だが、製作中は案外力が要りそう。費用も掛かりそう。一寸やそっとの家計では習えない趣味だと思う。「出来上がった作品も値はつけられないけれど、限りなく100万円に近い」と先生が話しておられるのをたまちゃんが小耳に挟んだそうだ。

お昼は南京町近くのおすし屋さんで昼食。この店は2度目。カウンター席だけで10人も入れば満席。大将とおばさん二人で経営。美味しく安い店と何かで読んで、たまちゃんを誘った。

前回は「握りずし定食」だったので、握りは6貫?しか載っていないので(バランに載せて出てくる)足りないから「ネギトロ」を一本とってたまちゃんと半分ずつしたっけ。私的には「うに」「トロ」といきたい所だが、それでは昼食の値段ではなくなるので、我慢。

今日は「バラ寿司定食」にした。ネタは新鮮で、海老も生きているのを湯がいて使っている。冷凍物ではない。まな板の上に大きなたわし、何に使うのか?と思っていたら「アワビ」をそれでごしごしこすっていた。誰かが注文したのだろう。それで850円は安いが、寿司飯の味が濃いのと、その上に載った椎茸の味付けが甘すぎる。二人とも「にぎり」の方がいいねと言う感想。

次から次と人が入ってくる。こんなに小さなお店でも口コミだろうね。

よっこんが「ジャム」のお土産と「にしむら珈琲」の珈琲券を下さったので(私達はほんの心ばかりの手土産だったので、一寸心苦しかったが)食後のデザートにケーキを取った。初めて入ったお店なんだけどケーキが380円なのに美味しい。
珈琲も私好み。大概のお店の珈琲は私には濃くて苦くて飲めないので残してしまうが此処は大丈夫だった。暫くお喋りを楽しんだ。

元町にはもう1軒、たまちゃんと行く珈琲店がある。其処は「三笠饅頭」が付いて来るのがお気に入りだ。歩きつかれた時「三笠饅頭」の甘みはありがたいよ。

新しく出来た神戸新聞会館の地下の阪神百貨店の食品売り場に行ってみたが、想像をはるかに超えた?小ささで何も買わないで来た。これなら唱歌の学校の帰り道に寄る西宮の阪神百貨店のほうが店舗数も多いような気がする。此処でたまちゃんとお別れ。またね。たまちゃんお疲れ様。

          ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

        見えない貌   夏樹静子  光文社

夏樹さんの本は久し振りである。推理小説である。殺人事件である。今風に携帯電話の出会い系サイトで知り合った男女の偶発的殺人と言うか、行きがかり殺人と言うか・・・、父子が殺人者、母娘が死者と言う設定も新鮮。本当に今は寂しい人が多くて「出会い系サイト」で「見えない貌」の交際が続くらしい。自己申告は詐称も多いらしいからそれを突き止めるすべも無いので私は怖いと思うが、考えを変えれば自分の理想の人生像を「携帯上」で生きるのか・・・と言う気もしなくは無い。

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西宮菊花展

2006年11月10日 | 新聞から
          県内の愛好家から選ばれた作品        

今日は大忙しの一日だった。西宮菊花展覧会が西宮戎神社であり尼崎の長崎さんが最優秀協会賞との新聞記事を見た。唱歌の学校の日で、戎神社は直ぐそばである。
尼崎の方が一等賞なら見に行かねばなるまい。何時もより30分早く家を出た。

戎さんは十日戎の時しか行かないし、当日は凄い人出である。今日は森閑としている。何時もと違う入り口から入ると大木が茂り古い神社の佇まいだ。菊花展は本殿を過ぎて反対側に在った。

七五三のお参りに来ている親子が5組ばかり、着物姿が可愛らしい。どういうわけか女の子ばかりだった。いずれもお父さんはカメラマンだ。

大変な努力の作品が並んでいる。一等賞を見つけた。12鉢が一組になっている。
私はどちらかと言うと、このもっこりした「あつもの」といわれるものより「くだもの」(昨日の写真)といわれるす~っとしたものが好きなのだが、これは綺麗だと思った。なんともいえない色とそれを引き立てる大きな葉っぱが一番下まで揃っている。

受付に人がおられたので一寸育て方を聞いてみようと近づいた。「昨日新聞で、尼崎の方が最優秀賞と言う事で見に来たんです。私も尼崎に住んでいますので・・・」「それは私です。有難うございます」偶然とはいえご本人に遇ってしまった。「お写真を撮らせて頂けませんか?」「いいですよ。菊の所に行きましょう」菊とご本人と写させていただいた。

「葉っぱが綺麗ですね」「良い所に気が付きましたね。葉が大きく育たないと良い花が付かないんです。葉の育ち具合で花の予想は付くんです」「私は小菊なんですが、今年のものをそのままでは来年いい花は咲きませんか?面倒でも差し芽をした方がいいですか?」「三月頃に芽が沢山出ますが、出来るだけ親株から離れている芽を取って鹿沼などに差せばいいですよ」「柳葉は摘めといわれますが?」「柳葉は8月半ばに普通の菊の葉の形はではなく細長い柳の葉に似た葉が出ます、その葉の先には花は付きませんから取るのです」もっと色々聞きたかったが学校の時間が迫ったので会場を後にした。

18時1 0分のバスであやこさんとアルカイックホールへ。19日日曜日に尼崎市長選挙がある。白井市長と対抗馬、谷川さんの「公開討論会」である。今朝の新聞で公明党も谷川さん支持と出た。これで自民、公明推薦となる。白井さんは無所属である。あえて言えば良識の市民の会推薦とでも言っておきましょうか。

色んな話題について夫々の意見を述べるのである。谷川さんは県、国とのつながりで、より早い情報をキャッチする事ができる(そろばん特区?になり、昔から「小野のそろばん」で有名な小野市が悔しがったとか)、それは市民の為になるという。そういえばポスターは安倍さんと握手していた。人の人気に頼らず自分の力で戦って欲しい。

白井さんは県、国にパイプは無いが市民の為に必要となれば自分の方から積極的に県や国に働きかけるという。そして成功をしている。(小学一、二年生の35人学級)等、国とのパイプの早耳で「そろばん特区」になるより市民の為になっていると思うよ。

白井さんに軍配を上げたい。何も情報を早く取ったから良いとは思わない、この財政難に早急には必要ないものまで引き込む必要は無い。白井さんのようにこれこそ必要と言うものを県や国に働きかけて貰いたい。

話し方も白井さんが上。谷川さんは煩わしい位「そして」を連発する。言葉にめりはりが無い。白井さんの言葉は聞いていて心にすんなり入ってくる。

一番驚いたのは白井さんの一期500万円の退職金(公約、議会は白井さんのみ500万円、他の人は元通りと言う、私には信じられない採決をした)に対して、谷川さんは元通り一期3,500万は貰うがそれは教育関係に寄付して、自分の取り分は0円でいいという。これはおかしい。勝手に使い道を教育関係と限定しないで頂きたい。白井さんと同じ最低の500万を受け取って、3,000万円は使用先自由にして置いて頂きたい。そのほうが市民は喜びますよ、対抗馬さん!
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孫とは?

2006年11月09日 | 気にかかる
         主人の友人のさとうさんの菊です
        今年は出来が良くなかったそうです
          お願いして写真を頂きました

こんな記事が目に止まりました。
「祖父から孫へ」 大阪 74歳 男性
「トラは死して皮を残す、人は死んで名を残す」と言うことわざは、祖父から教わった。しかし、われわれ庶民は死んだら終わり、名は残らない。それでも3代までは家族の間では、確実に残っていると私は思う。私の記憶にある祖父は、素晴らしい人だった。 ・・・中略・・・ 私も4人の孫を持った。その孫達に、どれだけの事を教えてやれるだろう。又心の中に、どれほどのウエートで残る事ができるだろうか。もう高校3年生を筆頭に、大きくなった孫達から教えられる事ばかりである。

時代のテンポが速くなっている。「負うた子に・・・」の時代があっという間にやってくる。私と祖父の時代の様なのんびりした関係はもはや望めないかも知れない。その上に核家族化が追い討ちをかける。一緒に生活しない孫と祖父母との間には距離がある。

私の息子達は祖母と同じ屋根の下で20年近くを過ごしたのであるから、思い出は持っていると思う。私の知らない繋がりがあると思う。私と祖父の間も母は知らなかったと思う。二人の秘密でない秘密である。それでいいと思っているので、あえて息子達にも聞かない。夫々が祖母を思い出してくれれば良い。

私は忙しい母に代わって何時も行動を共にしていたのは祖父だった。しかし、二人の間であった事は母に事細かに話はしなかった。祖父もそうだろうと思う。だから秘密にしているわけではないが「二人の秘密」と言う事になる。我家の孫達は親に話しているようだ。昔と今、同居と別居の違いだろうか?

この文章を書かれた方がどのくらいの関係を孫達と持っておられるかが解らないが「孫の心のなかに、どれくらいのウエートで残るか」と言う事に関しては、私の場合は上の孫の場合が10%とすれば孫娘は会う回数が上の子と極端に差があるので微々たる物だと思う。私はそれでいいと思っている。

孫娘との旅は楽しいが、孫の心に私を印象付けようとしているわけではない。私自身の心に刻みたい為である。この子は頭の良い子だと思う。色んな事を直ぐ吸収する。だから色んな経験をさせてあげたいという気持ちがある。ただ怖いのはこの子は自分が賢いと知っている事である。負けず嫌いだし、それが良い方に進んでくれたらいいのだが・・・。それを見届ける事が出来ないのが一寸さみしいかな?

そんな先よりも今4年生の孫ももうじき、友達の方が良くなり、会う機会も少なくなるだろう。その時に「今」が思い出として活きてくるのである。会える機会の少なくなる事を嘆くのは私の性に合わない。作った思い出で充分幸せが保たれるのは高校生の孫で経験済みである。思い出作りは自分自身の為である。自分が大好きだから、自分が寂しい思いをしないように溜め込んでいる。イソップ物語のアリとキリギリスのアリさんの様にやがてやって来るその冬のためにせっせと食料(絆)を溜め込んでいるのだ。

祖父の年代に近づいた今でも、私は祖父から有形無形色んな影響を受けた事柄や顔もはっきりと覚えている。しかし現代のように祖父母と孫の関係が希薄であれば如何だろうか?今ふっと気付いたが、あれだけ一緒に居て、夜は夜で寝物語をし、私を寝かせつけてくれた祖父なのに話は覚えているのに「声」が思い出せない。これは何故なんだろう?「言葉」としては覚えているのに「音」としては覚えていない。私だけだろうか?そんなこと無いですよね。記憶って遠くになれば「音」は消えるものなんだろうか?





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