ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

若いっていいな!

2006年11月15日 | 一寸そこまで
          小菊ってやっぱり好きです

神戸の国際会館こくさいホールに中村勘太郎、七之助兄弟の「錦秋特別公演」を見に行った。大勢の人でした。3階席まで詰まっています。私は5ヵ月ぐらい前に予約したが、それでも20列目でした。前の方は「ファンクラブの席なのでしょうか。

私の錯覚「江島生島」のお芝居だと思って行ったら「舞踏」だった。S席でも6,800円だったのだから感じるべきだったのです。若者のお勉強会だから安いのだと思っていた。

「江島生島」を見たときは、何だか損をした感じでした。私の見たかったのは歌舞伎芝居なんだって・・・。でも最後の「棒しばり」を見た時「やっぱり来てよかった」と思った。

彼らが若いだけではなくて、語り、三味線、囃子方全てが若い人たちなのです。
声も若ければ、撥さばきも力強い。本当の大歌舞伎を想像したら一寸物足りないかもしれない。

☆ 歌舞伎:日本独特の演芸で伝統芸能の一つ。重要無形文化財。世界無形遺産

「江島生島」 勘太郎の役者「生島」に七之助の大奥の御殿女中「江島」のご法度の恋の想い出を舞う。

「芸談」 白塗りのお化粧を落として背広姿の二人。兄勘太郎はムードメーカーでありナイーブな性格。休みはもっぱら家に居る。弟七之助は全く反対で休みはもっぱら外出。今父勘三郎を初めマイボールを持つほどのボーリング好き一家だ。「兄弟で恋人役は如何ですか?」「なれました」と異口同音。二人とも女形も立役もこなす。七之助は女形の方が多いのか声の出し方が女形的である。

「多摩川」 これは中村家のお弟子さんたちがダブルキャストで踊る。

「棒しばり」父親であり師匠である勘三郎さん(十八代勘三郎を襲名した。この名は400年続いている)と勘太郎さん、二枚目半の道化た仕草、身のこなし、口跡迄ソックリ。勘三郎さんは勘九郎チャンと言われた天才子役の時代から知っているし、この若さで似ているという事は、年取るとソックリになるのだろうね。でも先代の勘三郎と勘九郎親子ほどソックリではないね。母親似の所もある。

七之助の顔形は母親似だ。ソックリといってもいい。去年だったか「ラストサムライ」に明治天皇役で出ていたが、直ぐ七之助だと解ったという事は存在感ありと言う事か。

何しろ兄25歳弟23歳と言う若さである。太郎冠者・七之助、次郎冠者・勘太郎の踊りぶり、若いから軽々と舞う。若いっていいなとつくづく思う。

このような舞踊劇のことを「所作事(しょさごと)と言ったと思う。小さい時から歌舞伎には母に連れられてよく行った。小さいので歌舞伎の筋は解らないが綺麗な~と思っていた。だから所謂踊りが好きだった。その中でも特に「京人形」と言う所作事が好きだった。筋は解らないが箱から出てきた京人形が「人形振り」あのぎこちない振りで踊るのが大好きだった。

「人形振り」といえば京舞の井上流は「人形振り」と言われているそうだ。

この国際会館は震災で壊れて立て直された。新しくなって始めていった。エスカレーターで一旦上まで上がり、室内で下る傾斜の席となっている。

壊れる前私がここに来たのは地唄舞の「竹原はん」さんを見に来た時だ。出し物は「雪」だったと思う。

☆ 地唄舞:江戸時代後期上方では主に盲人の演奏に弾き謡いされていたのが「地唄」それに舞をつけたのが「地唄舞」芸者さんがお座敷で舞っていた。振り付け師が歌舞伎舞踊、能、人形浄瑠璃の動きを取り入れた。狭い空間で踊る「座敷舞」。ゆえに衣装は「芸者の着物姿」である。

軽い気持ちで「歌舞伎入門」出きる若者歌舞伎に又行こう・・・

コメント (2)
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