ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

見た! 凄い鉄橋!

2006年11月30日 | ちっちゃな旅
           城崎の秋 四所神社の銀杏 
          見事な黄色に目の覚める想い
              自然は凄い!

海から戻り、電車で10分、駅数にして2っ目。此処で面白い事に出会った。観光バスがやって来た。皆さん荷物を持っていない。「???」聞いてみると此処で降りて「鎧」「余部」と電車に乗って、鉄橋を渡り、先回りして待っているバスに再び乗るというツアーだそうだ。時間が限られているから、私達個人旅行者が周りを撮影している間に、アッと言うまに居なくなってしまった。

「高いな~」と言うのが皆の第一声。遙か下に屋根が連なっている。41mと言う事は10階建て位だろうか。当然駅から下っていかなければならない。雨上がりの勾配の強い坂道をゆっくりと下る。

主人が「靴は久し振りに登山靴を履こう」と言った。私はそれは大げさすぎるので遍路の時に履いたウォーキングシューズでいいと言った。雨上がりの滑りやすくなっている道には登山靴が正解だった。たまには亭主の言う事を聞くものだ。ハッハッハ。

「余部の鉄橋」の事を知ったのは昭和61年12月28日のあの悲しい事故のニュースだった。30mの風にあおられ鉄橋から7両の電車が落下、下にあった「かに工場」の従業員5名と運転手が死亡。幸いな事に回送車だったために乗客は居なかった。海側からの風だったからか、反対側の山側に転落した。その場所には地蔵さんと石碑が立っている。

宿は橋脚に一番近い所にある。テレビでこの宿から夜の通過列車を見ると「銀河鉄道999」を見るようだという言葉で決めた。旅に出る時は天気予報とにらめっこで宿の手配をするが、「鉄橋のよく見える部屋」に泊まりたい為に早めに申し込んだ。2日とも雨の予報だったが、自分の「晴れ女」を信じて決行した。時々時雨はしたが曇り時々晴れの天気だった。
 ☆ 銀河鉄道999:松本零士のアニメ。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を下敷きにしている。

夜は半時間ごとに通過する列車を、最終22時頃まで、時刻表を頼りに電車を待った。あっという間に通り過ぎるので、一回に4枚撮れればいい写真を、飽く事無く撮り続けた。神様も私の熱意にほだされたのか、たった1枚乍、どうにか気に入った「銀河鉄道999」が撮れた。主人は美味しい「かにすき」とお酒で早々に夢路を辿っていた。

今の時期を選んだのは「松葉がに」の時期を考えてである。11月6日の解禁を待って予定を組んだ。

先日「かにさし」の初食いに感激したが「本場のかにさし」はそんなものではなかった。「とろ~りと甘く、もちっつ」としていた。料金に2種類あって高い方には「かにさし」「やきがに」が「かにすき」と別についている。しかし「かにすき」のカニも「さしみ」として食べられます、と書いてあった。そんなに多くは食べられないので普通料金を選んだ。

「かにのあし」は全部「刺身」として食べた。「爪と体」をカニスキとして食べたが充分の量だった。「かにみそ」も出た。私はほんの少しだけで、後はのんべ~さんの酒の肴に。後のおじやの美味しかった事。毎年カニを食べに行く人の気持ちがよ~く解った。朝は「カニの味噌汁」「カニ飯」「甘エビ」まで付いて、堪らんね。

朝は朝で人気スポットで来る電車行く電車と橋を(昨日の写真)写した。アレは中学生を乗せた通学列車で後11時頃まで電車は無い。中学生は皆驚くほどゆっくりと坂道を登っていく。生活の知恵なんだろうな~。

帰りは特急が「城崎発」の為時間待ちに一寸散歩。温泉町の昼はうらびれた感じだ。夜のネオンが入ってこその温泉町だ。夕食の為に買った「カニ弁」美味しかった。

「余部鉄橋」と「蟹」の旅は「渋~い紅葉」にも恵まれ満足でした。


コメント (6)
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