ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

お肌美人

2006年11月07日 | 今日この頃
           傷口のぱっくり開いた様を
          「ザクロの割れ口のよう」と
           余り良い譬えでないが言う
      私はこのたび始めてみたなんと美しい色と粒の形
        人間の傷口もこんなに美しいのだろうか?

第三日曜日に市長選挙がある。その幟が字が読めないぐらいはためいている。自分の体重はそんなに軽かったかと錯覚するほどに強風で前につんのめりそうになる。秋を通り越して冬?と思うほどの今日の風だった。

気功の先生は言われる「年を取るのはお正月では在りませんよ。今の時期です。今の時期に年は取るのです。年を取らないようにするには「睡眠」を取りましょう。「今の寝不足」は年を取りますよ。呼吸はしっかり吐き出しましょう。悪いものやいらないものを口から吐き出しましょう。そうすれば自ずから新鮮な空気が入ってきます。新鮮な空気は一杯の幸をも連れてきます。眉間を人差し指でマッサージしましょう。此処は第三の目といわれています。両眼で見えない物も見える(感じる)といわれています。柔らかくしておかないと働きません。

昨日、月参りでお坊さんが来られた。私は正座が一番楽な姿勢なので、何時ものように正座していた。何処を度の様に動かしたと言うわけでもないのに、脹脛に何となく異常を感じた。「もしかして、こぶらがえり?」もそっと動かしてみた。つつっと攣るようだ。「やっぱり、こぶらがえりだ!」立ち上がろうと中腰になる。「痛い!」思わず腰を落とした。幸いな事にその瞬間傷みは消えた。

ジムで友人に話した。「これって、こぶらがえり?」「気をつけや。一度なったらくせになるで~」「痛かったわ~」「年取ったら誰でもなりやすくなるねん。冷えだけではないで、疲れてもなるで~」と先輩。そうか年を重ねる事は色んな所が傷んで来るのを知る事なんだ。それを少しでも先送りすべく運動しているんだ。先生が何時も「無理はしないように、嫌な事して体に良い事はありません。嫌だと思ったら遊んでいてください」と言われるように、それが許される年代に入ってきたんだ。我儘の様で我儘ではないんだ。保身の為であり、人に迷惑を掛けない為でもあるんだ。

「10代に一度泳いでいる時になって、それから海に行きたくなくなったのよ。足が攣って、動かなくなって怖かったもの」「準備運動不足や・・・」同じこぶらがえりでも年代によって起こる条件は違うんだ。だんだんあちこちが痛んでくるのを感じる、それが季節の変わり目、特に秋から冬への今の時期なんだ。先生が言われる「年は今の時期に取る・・・」と言う事なんだ。

同期会で感じたのは、女の人の肌に関して、美人であるとか無いとかは二の次なんだ。その人が若く感じるか年相応に、いやそれ以上に老けて感じるかは、肌の艶にあるような気がした。

天然に手入れをしないでも肌艶の良い方も稀には居るかも知れないが、やはり、休み無い日頃のお手入れの様な気がした。私達の肌の艶は、高級な化粧品を使い、エステに通って保たれている肌(女優さんたちの一種独特の肌の共通の感じ)とは違っている。

私達の綺麗な肌と言うのは、一日の汚れを残さないように丁寧に洗顔し、たっぷりと水分を補給しておくだけの事、それをしている人としてない人の肌の違いは歴然としていた。私達の年齢になると「女を捨てたくない」と言う言葉を良く聞くが、一番効果があるのが、誰でもできるお肌の手入れだと感じた。美人なのに美しいと感じないのは艶の無い肌だ。生まれついての美形でなくとも、「お肌美人」にはなれる。頑張ろうっと!
                           (210回)
コメント (4)
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