シンゴジューム
神戸空港で・・・
目が覚めるような鮮やかさ
「療養型病床群」と言う入院システムがある。私には始めて見る言葉です。福岡の開業医の方の投書の中の言葉です。慢性の病気を持つ虚弱な老人、一人暮らしで買い物や食事の準備が出来ない、在宅では生活が困難な人を対象にする病床。
「医療制度改革関連法」の成立により実質これらの入院が廃止となり、大量の「介護難民」の発生が起こる。病院を出された人の受け皿の準備も無く社会的弱者を病院から追い出すのが「改革」かとお怒りです。
平成元年4月1日に竹下内閣が消費税3%を導入、平成9年橋本内閣が原稿5%に値上げをし現在に至る。その時の消費税使用目的は「福祉」の為だったと思うのですが、それがいつの間にか「赤字解消」の為に使われている。これが福祉の為に使われていたら、もっとすみやすい世の中になっていたのではないだろうか。
「療養型病床群」とは「病室や廊下を広くするなど、長期入院患者の居住性に配慮し、介護を中心とした病院。通常の病院よりも医師や看護師の数葉少ないが、介護職員はおおい。平成5年の医療法の改正により設置。
尼崎に「療養型病床群」型の病院は何処かと調べると、兵庫県下では神戸市は特別として、姫路市18病院に次ぐ13病院もあるのである。続いて西宮11、宝塚3、伊丹1、芦屋1。気にかかるのは「あの病院に入院すれば死ぬようなものだ」と巷の噂の病院が数件入っている事だ。普通病院としては駄目でも「療養型病床群」となればいいのかな。立花病院は全国ホスピス病院(10床)151番目の認可を受けている。こんなに近くにホスピスがあるとは夢にも思わなかった。
尼崎厚生会立花病院に会社の先輩が入院していた。彼女の息子と私が同世代であるから母親の世代だ。尼崎に住んでいたが息子が関東に勤務の為、一人暮らし出来なくなり入院した。年賀のやり取りだけで特別親しくもなかった。
電話で「病院では持ち込む物の制限があり、季節はずれの物は置く場所がないので預かって貰えないか」と言うのである。主人に話すと「そこまでする義理は無い」と言う。そうかも知れないが、頼まれると引き受けてしまう私は預かった。季節の変わり目に入るもの入らない物の差し替えに病院に行った。何年続けた事か。
食事前の時間に行った事がある、その時に異常とも言える光景は私の心に暗い影を落としている。食事を運び込む為か扉は一斉に開かれている。何気なく見た私の目に一部屋8人ぐらいの人が、ベッドを起こされて話すでもなく皆一様に虚ろな目で前方を見ている。私は見るに耐えなく小走りに知人の部屋に走りこんだ。幸いな事に彼女は自分の足で歩ける人だった。
立花病院が建て直しする為彼女は退院を迫られ、息子の住む関東に行く事になった。彼女の富松の家は息子が売って、関東に家を買った為帰る家が無かった。彼女は関東に行く時も行ってからも一度の頼りも無い。「去る時ぐらいはお礼を言ってもバチは当たるまい」と同じ職場だった友に愚痴を言った事もある。私の空しいボランティアの思い出です。
独り身ではなく家族がいても入っている人が居るだろう。今は子が親を看るという事の少なくなった時代。親も子供一家に気兼ねして看てもらうよりいっそ病院に入りたいと思っている時代。私達の世代が一番損な役回りだと言われている。親は看るが子には見てもらえない。親を看た人は優先的に(病院を希望した場合)入れると言うようなシステムが出来ないかしら、そうすれば親を看る人も多少は増えるのではないだろうか。
神戸空港で・・・
目が覚めるような鮮やかさ
「療養型病床群」と言う入院システムがある。私には始めて見る言葉です。福岡の開業医の方の投書の中の言葉です。慢性の病気を持つ虚弱な老人、一人暮らしで買い物や食事の準備が出来ない、在宅では生活が困難な人を対象にする病床。
「医療制度改革関連法」の成立により実質これらの入院が廃止となり、大量の「介護難民」の発生が起こる。病院を出された人の受け皿の準備も無く社会的弱者を病院から追い出すのが「改革」かとお怒りです。
平成元年4月1日に竹下内閣が消費税3%を導入、平成9年橋本内閣が原稿5%に値上げをし現在に至る。その時の消費税使用目的は「福祉」の為だったと思うのですが、それがいつの間にか「赤字解消」の為に使われている。これが福祉の為に使われていたら、もっとすみやすい世の中になっていたのではないだろうか。
「療養型病床群」とは「病室や廊下を広くするなど、長期入院患者の居住性に配慮し、介護を中心とした病院。通常の病院よりも医師や看護師の数葉少ないが、介護職員はおおい。平成5年の医療法の改正により設置。
尼崎に「療養型病床群」型の病院は何処かと調べると、兵庫県下では神戸市は特別として、姫路市18病院に次ぐ13病院もあるのである。続いて西宮11、宝塚3、伊丹1、芦屋1。気にかかるのは「あの病院に入院すれば死ぬようなものだ」と巷の噂の病院が数件入っている事だ。普通病院としては駄目でも「療養型病床群」となればいいのかな。立花病院は全国ホスピス病院(10床)151番目の認可を受けている。こんなに近くにホスピスがあるとは夢にも思わなかった。
尼崎厚生会立花病院に会社の先輩が入院していた。彼女の息子と私が同世代であるから母親の世代だ。尼崎に住んでいたが息子が関東に勤務の為、一人暮らし出来なくなり入院した。年賀のやり取りだけで特別親しくもなかった。
電話で「病院では持ち込む物の制限があり、季節はずれの物は置く場所がないので預かって貰えないか」と言うのである。主人に話すと「そこまでする義理は無い」と言う。そうかも知れないが、頼まれると引き受けてしまう私は預かった。季節の変わり目に入るもの入らない物の差し替えに病院に行った。何年続けた事か。
食事前の時間に行った事がある、その時に異常とも言える光景は私の心に暗い影を落としている。食事を運び込む為か扉は一斉に開かれている。何気なく見た私の目に一部屋8人ぐらいの人が、ベッドを起こされて話すでもなく皆一様に虚ろな目で前方を見ている。私は見るに耐えなく小走りに知人の部屋に走りこんだ。幸いな事に彼女は自分の足で歩ける人だった。
立花病院が建て直しする為彼女は退院を迫られ、息子の住む関東に行く事になった。彼女の富松の家は息子が売って、関東に家を買った為帰る家が無かった。彼女は関東に行く時も行ってからも一度の頼りも無い。「去る時ぐらいはお礼を言ってもバチは当たるまい」と同じ職場だった友に愚痴を言った事もある。私の空しいボランティアの思い出です。
独り身ではなく家族がいても入っている人が居るだろう。今は子が親を看るという事の少なくなった時代。親も子供一家に気兼ねして看てもらうよりいっそ病院に入りたいと思っている時代。私達の世代が一番損な役回りだと言われている。親は看るが子には見てもらえない。親を看た人は優先的に(病院を希望した場合)入れると言うようなシステムが出来ないかしら、そうすれば親を看る人も多少は増えるのではないだろうか。
兎に角お金は何時も必要ですね。
医療が進歩して寿命が延びた分、介護の時間が長くなっていますが、延命治療は無しと話あっています。
やはり親子で見守りあえない世の中は変だと思います。お金10年預ければ倍になった頃が懐かしいです。自分の始末は自分で出来るそれが私の出来る最後の子孝行ですね。
その人は今の私と同じ年頃でした。無償の行為には無の心で返して欲しいと考える私には個人対個人のボランティアは無理と考えそれから一切行っていません。人の世話をしてストレス溜めるより、なるべく自分が人様のお世話にならないように心したほうが良いと考えました。
自分を思う自分の方が
だれかを幸せにできる気がした
まさにこの言葉どおりのちっちさんです。私も頭では分かっているのですが。
せめて、心からの「ありがとう」の言える人間になりたいと思っています。
自己中心と見えるかも知れませんが、自分を大切にする事は必要だと思います。
むなしい事です。古い言い方かもしれませんが、ちっちさんには神様が見守って下さいます。人に尽くす事って自己満足なくしては出来ませんね。
私がその人の年になっても今の様に元気にいられるのは幸せです。