ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

あの人は今

2006年07月27日 | 気にかかる
           ゼラニューム(八重)
      強い品種、でも一重のようには増えない

ジムのサウナで外を見ていた私の目に「???」妊婦さんのヌードが飛び込んできた。「随分大きいな~でもまだ下がっていないからこの夏を越して9月頃うまれるのかな~紀子様と同じくらいかな~」「私もあんなに大きなお腹を抱えて夏を乗り切った年があったんだな~。夏生まれは親不孝とは言うけどな~」色んな事を思い出しながら汗をかいていた。

風呂から上がって更衣室に入って「???」なんとその妊婦さんがドテ~ンと横たわっているではないか「まあまあこんな所に寝て・・・」「? 待てよ。横向いているとは言え、真っ裸で横たわるか?」私の頭も動き始めた。人間の頭って余りにも考え付かない事を見せられるとそのまま肯定しようとするものらしい。「気分が悪いのですか?」声を掛けた。「メヌエルです。」「メヌエルって、天井がぐるぐる廻るアレ?」「そう」意識は確りしている様だ。私の声に鏡の前に居た人が集まってきた。彼女はしっかり目を閉じて開けようとしない。目が廻って怖くてあけられないのだろう。

「受付に言いましょうか?」「そうして下さい」「それにしてもこのままではね・・・」「貴方のタオルは何処?」「ブルーの袋です」「タオルを出して掛けてあげて」何しろ他の人は身支度が出来ているが、私はバスタオルを巻いたままなので、口だけだ。「扇風機を掛ける?」「直接宛てるのは良くないし、解らない事は止めましょう」「それより水が欲しくないですか?」「飲みたい」「何方かコップを貰ってきてください」「頭の下にタオル敷く?」「いえ動かさないでくだい」「吐き気は?」「在ります」蚊の鳴くように小さい声ながらはっきりと答える。

受付の女の子が来る。「メヌエルである、水が飲みたい、吐き気がある」と伝える。「バスタオルも持ってきて」何しろ一寸太めの上に妊娠後期の身体、彼女のバスタオルだけでは覆えない。3枚のバスタオルでやっと包み込む事が出来た。やはり救急車を呼んだ方が良いと言う事になった。

私はまず自分が身支度しなければならない。受付から3人の女子職員が来たので、私達はお任せする事にした。私が服を着て、髪を乾かしていると救急車が着いたと連絡が来た。そうしている内にレッスンが終わった人やプールが終わった人が入って来た。女子職員が「救急隊員が入ってくるので、もう少し入るのを待って欲しい」と止めている。身支度を終えた私が帰る途中、男性職員と救急隊員の人たちが担架を持ってくるのとすれ違った。もう安心だ。

彼女はプールで歩いていたらしい。何故こんな大きなお腹でジムに?と思ったが、一寸太めなのでお医者様から少し運動するように言われたのだろうと想像した。

私が救急隊を呼ぶ場面に居合わせたのは3度目だ。一度は娘時代の料理教室で通路を挟んだ隣の席の子が試食中に椅子から落ちた。椅子から崩れ落ちようとする彼女を見た私は落としたスプーンを拾う為に身体が傾いたのかと思っていたら、床に落ちてから、口から泡をブクブクだした、癲癇(さまざまの原因で起こる慢性の脳疾患で、大脳神経細胞の過剰な放電から繰り返す発作。脳の中には微小な電気『脳波』が流れており、誰しもてんかん発作を起こす素質を持ち合わせている)だった。

二度目は「脳血栓の発作」の友人。そして今日である。私に取ってショックだったのはやはり「脳血栓の発作」だ。同じ「高血圧」の身としては人事に思えなかった。自分の体質を知ったからには、したいことも我慢する事も大切だし、必ずそれに変わる楽しみは見出せると思う。無理をせず、それなりの生活をしなければならないと強く感じた。自身の為でもあるし人様に迷惑を掛けない為でもある。

それにしても、彼女もお腹の赤ちゃんも大丈夫だったろうか?パパになる人も、ご家族もさぞ驚かれたろうな~



















コメント (8)
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