ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

合祀

2006年07月21日 | 新聞から
            サボテン
           これ葉?体?
     此処から長~く首を伸ばして花が咲きます
         何処にでもあるサボテン

昨日からテレビも新聞も「靖国神社の合祀(二柱以上の神や霊を一神社に祀る事)」を取り上げている。昭和天皇の呟きメモが出てきたから・・・。天皇だって人間なんだから時には腹に据えかねる事を側近に言われることもあるでしょう。それをメモした元富田宮内庁長官(故人)が口外しなかった事を19年も経ってから、今何故明るみに出してきたのか、メモを提出した長官の子孫の方の思いが私には解らない。

靖国神社にA級戦犯が合祀は1978年、昭和天皇は1975年戦後8回目の参拝、以後参拝はなく理由は憶測の域を出なかった。この度メモが現れた事によってお心が分かったと言うのである。富田元宮内庁長官のメモに寄れば靖国神社へのA級戦犯の合祀について昭和天皇が死去する前年の1988年『私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ』等と発言し、ご不快感を表された事をメモに残していたというのだ。

私個人の意見としては亡くなってしまえば皆同じではないかとも思うし、戦争を始めた人と、それによって自分の意思に関係なく国に命を捧げた人達は違うような気もするしと、どちらが正しいとは言えない。

「散るぞ悲しき」を読んだばかりなので、A級戦犯とは戦場に身をさらす事無く、机上で作戦を練り人々を戦場に送った人たちである。そうで在るならばその罪は重く、死に至るプロセスの違いからも同所への祀りはいかがかとも思えるが、A級戦犯以外の方の遺族の方達はどのように思われるのだろうか。

近年「小泉総理の靖国への参拝問題」が世論を賑わせている。他国からの圧力で参拝を止める事は良しと思わないし、個人の資格として参られるならなんら口出しすべき事ではないと考えている。

1月に東京に行った目的は国技館で国技の相撲を見る事、国会議事堂の見学の為だった。議事堂の見学を済ませ時間があったので「靖国神社に行って見よう」と言う主人の発案で靖国神社に参拝し、問題の「遊就館」にも足を延ばした。

靖国神社は私の想像したより小さかった。ガードしている人に聞けば「まともに神社奥にカメラを向けなければ撮影可」と言われたので写真も撮った。又滅多に見られないものにも出くわした。社殿に一番近い鳥居の横軸がクレーンで外されているのである。修理の為だろう。私は鳥居が修理の為解体されるなんて考えた事も無かった。「遊就館」からの帰りに見ると鳥居は跡形も無くなくなっていた。

「遊就館」を見た感想を残していたので転記してみる。
そういう時代とはいえ、私は息子を赤紙一枚で招集されるのに我慢できたか?遺書も沢山展示されていたが私の心を打ったのは「おかあさん」と言う字のみを数10回書いている手紙、その心を思い涙する。その彼の上官がその母に戦死を知らせる電報は「ヤスクニノミヤニ ミタマハシズマルモ オリオリカエレ ハハノユメニ」とあった。全般に見て、一部の人が言うように「戦争を美化している」とは感じられなかった。親を思う子の命の叫びがそこには在った。

ドキュメント映画「私たちはわすれない」も見た。歴史が苦手だった、いや嫌いだった私が知ろうとしなかった日清・日露・大東亜戦争が何故おこったかを今日しっかりと解った。小学4年生で終戦を迎えた私には不自由した事だけが記憶に残り、親世代の苦しみはわかっていなかった。朝鮮は逆恨みしていると感じた。子供や孫にも是非一度来て見て欲しいと思いメールした。自分で見て感じ判断して欲しい。
と記していた。

小泉さんの「参拝するしないはそれぞれの人の思いですから、心の問題ですから・・・」と言う言葉は私の心に響いた。














































コメント (4)
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