ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

旅立ち 中田英寿さん

2006年07月15日 | テレビから
             なに?       
       名を忘れた。針山を思い出す小花の集まり
         頂いた時は一本大きな塊でしたが
          今は7本になり花も小ぶり

そこには私が始めてみる優しい笑顔の中田さんが居た。今までは試合中の彼をテレビ画面で見ていたので、こんな優しい顔を見たことが無かった。テレビの彼の目は「鷲の目」首を左右に振る時も「鷲の動作」に似ていた。一つの大きな節目を越えた安らぎがそこに見えた。

特別中田さんのフアンと言うわけではなかった。しかし気になる存在ではあった。

日本チームについて「ジーコ監督は自由にをモットーにしていた。しかし自由には責任が伴う。このチームがその考えに沿うのはまだ早すぎたようだ。トルシエ監督のようにスケジュールを組みその通り練習をこなしていくほうが合っている」なんとなく解るような気がする。与えられたものをこなすのは、その事のある程度の力、理解力があれば出来るが、責任を持って向上していくためには、実力と理解力が数段上でなければならない。監督差配と日本チームの落差を言っている。

リーダーとの確執もあったらしい。その場合チームメートはやはりリーダーの意見に賛同するだろう。自分の言い分が正しいと思っていても通らない悔しさ、むなしさを感じていただろう。日本チームの選手は十分実力はあるのに、それを100%出すすべを知らない。この4年かんそのことを伝えようとしたが、上手く伝える事が出来なかったと言う。

中田さんと比べるのはおこがましいが団体生活において私も幾度と無く経験している。事を新しく変えるのはすごいエネルギーが要る。でも思い余って「こうした方が・・・」と言っても大半は「長いものには巻かれよ」感覚で「わかるど・・・」と自己保身に傾き争いは避ける。何も争う事は無いが話し合う機会は持たないと進歩はないしマンネリになる。時には思い切った変化も必要ではないか。

中田さんはイタリアから「連帯の星勲章」を貰っている。これは色んな分野の人をイタリヤに紹介し、イタリヤにプラスになった人に送られるらしい。

怪我をしても公表しない事について訊ねられると「此処が痛いから・・・」と公表するのは「本当はもっと出来るのだが痛いからゴメンと言い訳しているようで言いたくない」「それを言うくらいなら出ないほうが良い。プロだから何時も体調をベストに整えるべき」と言う意味のことを言っていた。何時も弁解して事を成す人が居るが私の嫌いな人の部類だ。先に弁解するなら引き受けるなと言いたい。

何かで読んだが、中田さんが事業家だとも言われているが、その一つにイタリアに彼の店が在ったらしい。全て食材に至るまで彼の目に叶った物で、彼とファンとの架け橋の様なお店らしい。店にはパソコンがありそれに触れる事によって、彼のことを知り、また書き込みも可能らしい。実は東京にもワールドカップ中限定でお店「nakata.net.cafe]がオープンされていたらしい。感じの良い店のようだ。フアンを大切に思っていた彼の心の現われだったのだろう。明日、閉店される。

今後についての質問には「世界中を旅する」と言っていた。「自分が『こうだ』と思っていたことも実際には違うかも知れない、それを実際に見て、経験する為にも、世界中を見て廻りたい」まだ若い彼だ、時間はたっぷりある「百聞は一見にしかず」を実行してもらいたい。これから益々目の離せなくなった「他人の息子さん」だ。こんなしっかりした息子を産み育てたのはどんな親御さんだろう。しっかりした方だろうと思う反面、やっかみから反面教師かも?なんて意地悪い事も考えて。

日本中を旅することは?の問いには「外国で生活して、日本の事を聞かれた時『それはこうです』と答えられず恥ずかしい思いをしたので、日本中を旅することもしたい」と答えていた。

一つ事の頂点に達した時その位置を守り続ける事も良いが、思い切って過去を脱ぎ捨て新しい世界に飛び込むのも一つの生き方だ。彼にとって「サッカーは生活の中心だったし、プロでなくなってもその誇りは忘れず生きていく」と言っていた。

素晴らしい日本青年に倖多かれと祈りつつ。


























コメント (3)
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