ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

YASUKUNI

2008年05月15日 | 映画の話
        バラ ウインドミル (荒牧バラ園 08-5-14)
          始めて見た品種 一重で5~6センチ
         バラとは思えなかったが 一番心引かれた

「靖国」を見に行ってきた。主人に「行く?」と聞くと「行かない」と言ったので、今日旅から帰ってくるまでに行っておこうと思った。

十三(じゅうそう)に着いて、地図を見ながら信号待ちをしていると、「XX町って知りませんか?」と訊ねられた「知りませんけど、<靖国>では?」感で聞いてみた。「そうなんですよ!」「私も行きますからご一緒しましょうか?」「地獄に仏です」なんと大げさな、それにこんな時にそんな言葉使う?何て考えながらも、ご一緒した。

30分前に着いたと言うのに、もう半分は埋まっている。椅子が96席、と補助椅子が12個あった。それでもたりずに立ち見の人も居た。立ったまま2時間はきついだろうと思う。帰りには次の会の人が並んでいた。160人までらしい。という事は40人ほどの立ち見が出ると言うことだ。こんなに大勢の人が見に来られるとは思っていなかった。

切符を買う為に並んでいる時、目の涼しげなスッタフが居たので、思い切って聞いてみた。「あの~、<ひめゆり>の再上映の予定は無いでしょうか?」「日にちは決まっていませんが、今年の夏にする予定です」あんなに見たかった「ひめゆり」今夏には見れそうです。

何故「靖国」を見る気になったのか?監督は中国人なのに何故日本国政府が、数百万円の援助をこの映画製作の為にしたのか?又、刀鍛冶師の訴えもあった。それらの事を自分の目で確かめたかった。

30分待ちの時、お隣の席の人が、パンフレットの「大村益次郎」の銅像を指差しながら、話しかけてきた。「戦争中は靖国神社のそばに住んでいたんですよ。この銅像はありましたが、終戦前に取り払われたんです。きっと鉄砲の玉になったんでしょう」「アメリカの飛行機、B29はとても早く、高く飛べたんです。日本の飛行機は追いつけなかったんです」「その飛行機は富士山を目標に飛んできたんです。そして関東に爆弾を落として、富士山に向かって逃げ、南下していったんです。富士山は高いからそういう使い方をされていたんです」初めて聞きました。

娘さん?の介添えで来ておられ、歩くのもやっとと言う方も居ました。でも案外若い方も多かったです。予想外でした。

この映画ほど、人によって見方の違う映画も無いかもしれない。刀鍛冶師の方が、自分の意に反しているので、自分の場面を使わないでと言う事でしたが、彼の日本刀(にっぽんとう)の製作場面の間に8月15日終戦記念日の靖国神社の風景を織り込んであるのでカットは出来ないと思いました。

起立して国歌「君が代」を歌っている日本人に対して、1人の中国人の青年が、其れを阻止しようとする。「何故?貴方は日本で、日本人が日本の国歌を歌う事を駄目と言うの?」憎いと言う感情より、悲しいと言う気持ちの高まりが、私の涙を誘った。「中国に帰れ!」と何処までも追いかける人、其れを執拗に追うカメラ、私は静に泣いた。

終戦の日の靖国神社では色んな事があったんだ。何も知らなかったんだと「目から鱗」の2時間でした。

何故「援助金」を出したのか解らなかったけれど、記録映画として残しておいていいものだとは思った。もし日本人の監督なら記録として残さないだろう場面もあった。私は上映禁止しないで、多くの人に見てもらえばいいと思った。その価値があるか如何かも人それぞれの感じ方だろうけれど。
コメント
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