藤棚 (岡山・後楽園 08-5-1)
庭園内の茶店の藤棚です
この写真ではあまり長さが感じられないのですが
翌日の「由志園」でも見ましたが こちらに軍配を・・・
私が始めて「マリー・ローランサンの絵」を見たのは、長野県・蓼科のホテルの一部にあったときです。今は25年前マリーの生誕100年を記念して「マリー・ローランサン美術館」として開館された建物です。と言う事は私が行ったのは25年以上前という事になります。マイカーの旅として日本のアチコチを旅していた時のようです。
今回、大阪・天保山・サントリー・ミュージアムで催されたのは生誕125年を記念しての「マリー・ローランサン展」で、3月8日~5月11日迄と言う長期間だったのですが、いよいよ今度の日曜日が最終日となります。
今日を逃すと行けなくなると、一寸しんどかったのですが、思い切って行ってきました。地下鉄を使うともっと早くいけるかも知れないのですが、乗換えが面倒くさくて、今回もバスを使いました。眠り病に罹っているような私は行きも帰りもこ1時間トロトロと眠りをむさぼっていました。
隣に「海遊館」があるので、小学生の遠足や、海を見つめての写生会やらをしていました。子供って、とてもエネルギィッシュですね。見ていて私まで何となくしゃんとするようです。これを若いパワーを貰うというのでしょうか。
マリー・ローランサンはパリっ子ですが、結婚により、一時ドイツ国籍になり、第一次世界大戦のとき、フランスに居れなくなり、戦争をしていないスペインに暮らしたようです。当時のスペインはフランスに比べて大変な田舎、意に染まぬ生活だったようです。やがて離婚してパリに戻ります。どんな時も絵は書き続けていたようです。
一目見て「マリー・ローランサンの絵」と解るのはパステルカラーと9分がた黒目と言う瞳と肌の色の白ではないでしょうか。肌は白いんですが、其れが厭味でも病的でもなく、黒目勝ちと言うよりほとんど黒目と言う瞳に合っていると思いました。パステルカラーといえば、東郷清司の絵もそうですね。何らかの関係があるのでしょうか?
初期頃の顔の輪郭は特徴的です。頤の尖ったところはお母さんの顔の様な気もします。だんだん頤の尖りは無くなります。彼女は美人ですが、彼女ほど自画像を多く残している画家を私は知りません。
一枚の絵を通して、肖像画が世に認められました。その何枚かも陳列されていましたが、九分どおり黒目の瞳は変わらず、目の特徴はその人を語るような気がしますので、私にすれば、どの肖像画も同じような顔に見えました。この頃の肖像画と言うのは似ていなくてもよかったのだろうか? 他の人との違いは服装だけのようだと感じます。服を見て、「私だわ!」と思ったのだろうか?
マリーは男性を書くのを嫌がって、わざと値を吊り上げたりしたそうです。友人である、若き日のマチスの肖像画は好評だったようです。
マリー・ローランサンは家庭的には決して恵まれたとは言えないのですが、友人には恵まれていたようです。
マリー・ローランサンは一時の恋人の指導で、版画にも手を染めていたのですね。大変な評価を受けているようです。本の挿絵まで描いていたようです。
前回来た時、此処での食事が不味かったので、梅田まで帰ってきて、主人は「ホットとサンドイッチ」私は「焼きたてホットドッグとバナナジュース」の遅い昼食でした。美味しかった!
庭園内の茶店の藤棚です
この写真ではあまり長さが感じられないのですが
翌日の「由志園」でも見ましたが こちらに軍配を・・・
私が始めて「マリー・ローランサンの絵」を見たのは、長野県・蓼科のホテルの一部にあったときです。今は25年前マリーの生誕100年を記念して「マリー・ローランサン美術館」として開館された建物です。と言う事は私が行ったのは25年以上前という事になります。マイカーの旅として日本のアチコチを旅していた時のようです。
今回、大阪・天保山・サントリー・ミュージアムで催されたのは生誕125年を記念しての「マリー・ローランサン展」で、3月8日~5月11日迄と言う長期間だったのですが、いよいよ今度の日曜日が最終日となります。
今日を逃すと行けなくなると、一寸しんどかったのですが、思い切って行ってきました。地下鉄を使うともっと早くいけるかも知れないのですが、乗換えが面倒くさくて、今回もバスを使いました。眠り病に罹っているような私は行きも帰りもこ1時間トロトロと眠りをむさぼっていました。
隣に「海遊館」があるので、小学生の遠足や、海を見つめての写生会やらをしていました。子供って、とてもエネルギィッシュですね。見ていて私まで何となくしゃんとするようです。これを若いパワーを貰うというのでしょうか。
マリー・ローランサンはパリっ子ですが、結婚により、一時ドイツ国籍になり、第一次世界大戦のとき、フランスに居れなくなり、戦争をしていないスペインに暮らしたようです。当時のスペインはフランスに比べて大変な田舎、意に染まぬ生活だったようです。やがて離婚してパリに戻ります。どんな時も絵は書き続けていたようです。
一目見て「マリー・ローランサンの絵」と解るのはパステルカラーと9分がた黒目と言う瞳と肌の色の白ではないでしょうか。肌は白いんですが、其れが厭味でも病的でもなく、黒目勝ちと言うよりほとんど黒目と言う瞳に合っていると思いました。パステルカラーといえば、東郷清司の絵もそうですね。何らかの関係があるのでしょうか?
初期頃の顔の輪郭は特徴的です。頤の尖ったところはお母さんの顔の様な気もします。だんだん頤の尖りは無くなります。彼女は美人ですが、彼女ほど自画像を多く残している画家を私は知りません。
一枚の絵を通して、肖像画が世に認められました。その何枚かも陳列されていましたが、九分どおり黒目の瞳は変わらず、目の特徴はその人を語るような気がしますので、私にすれば、どの肖像画も同じような顔に見えました。この頃の肖像画と言うのは似ていなくてもよかったのだろうか? 他の人との違いは服装だけのようだと感じます。服を見て、「私だわ!」と思ったのだろうか?
マリーは男性を書くのを嫌がって、わざと値を吊り上げたりしたそうです。友人である、若き日のマチスの肖像画は好評だったようです。
マリー・ローランサンは家庭的には決して恵まれたとは言えないのですが、友人には恵まれていたようです。
マリー・ローランサンは一時の恋人の指導で、版画にも手を染めていたのですね。大変な評価を受けているようです。本の挿絵まで描いていたようです。
前回来た時、此処での食事が不味かったので、梅田まで帰ってきて、主人は「ホットとサンドイッチ」私は「焼きたてホットドッグとバナナジュース」の遅い昼食でした。美味しかった!