ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

三浦雄一郎さんエベレストへ再び!

2008年05月26日 | 新聞から
              アマリリス
          あやこさんのヨーロッパ土産
          早、数十年前になるそうです

「はながら」摘みをしていても、そよ吹く風が心地よい日でした。

そして、お話も一陣の薫風が吹いたお話。そう「プロスキーヤー三浦雄一郎さんがエベレスト登頂成功」です。

登山家ではなくプロスキーヤーだという事がいやがうえにも凄い事。そして75歳だと言う、益々「すごい!」の一言。

何時だったか「徹子の部屋」でこの度の「75歳でエベレスト再挑戦」のお話を知った。その日の為に毎日、足に錘をつけ、リュックを背負っての練習は欠かさないといっておられた。この練習方法は父・敬三さん譲りだと思う。

敬三さんも「徹子の部屋」で語っておられたのを聞いた。奥様をなくされてからは、家族を頼らず、1人自炊生活で、発芽玄米を食べ、自分考案のスペシャルドリンクを飲み、カルシュームを摂り、「良く噛み、食べ過ぎない」事と話しておられた。

敬三さん100歳の時親子4代でアメリカ・ユタ州のスキー場の3000メーター地点から700メーターの高低差を滑走した事でも有名。敬三100歳、長男雄一郎71歳、孫・長男夫婦と次男、その子4歳と1歳を筆頭に日本からの友人知人120名、現地アメリカから50人が敬三さんの100歳を祝って滑った。そのときの曾孫・リオちゃん4歳の感想「とても楽しかった。ウルトラじっちゃん(敬三さん)スキー上手。リオもがんばる」DNAとは言え恐るべし、天晴れリオちゃん!

三浦さん、一度目の70歳の時の挑戦の時までは、立派なメタボ体型だったそうです。70歳でエベレスト初登頂、父・敬三さん99歳の時もモンブランの滑走についている。父・敬三さんに随いながら、私は足で登ってみようと考えられたのだろうか。

この度の「エベレスト登頂」までの行動記録のブログを私は読んでいた。チベット問題や、北京オリンピックの聖火の登頂などで、許可がおり難くなって、どうなる事かと心配もした。気象関係も計算の上での行程だから、ずれると言うことは足元の状況が違ってくるらしい。このことは「アルピニスト・野口健」さんのブログで心配されていた。

しかし、天は三浦さんに味方して、今日の登頂成功の日を迎えた。神様も三浦さんにご褒美を下さったそうだ。70歳の時の初登頂のときは、生憎視界がきかなかったそうですが、この度は視界良く、周りの山々が見渡せたそうだ。

付いて行った息子の・豪太さんの方が、前日になって、高山病(高地脳浮腫)に罹り、下山せざるを得なかった。6300メーターのキャンプ地まで下りると、高山病の症状は緩和され、雄一郎さんも「僕が頂上に到達するよりいい」とほっとされたという。親子の登頂は叶わなかったが、心を許しあった、会計から荷物管理まで、マネージメント役を司る五十嵐さん。カメラマン・記録係の村口さん、二人の裏方さんに支えられての成功である。因みに村口さんは日本人最多記録更新が掛かっていた。「俺は仕事。主役は三浦さん」と淡々としていると言う。

田部井淳子さん(女性で世界初のエベレスト登頂を果たした人)もこの度の業績を讃え、ご本人の努力と、本人の気持ちを支えようと言う家族のありようは、三浦家が日本の家族の形を示してくれたと喜んでいる。

本当にそうだと思う。昔なら、互いに支えあうべき家族と言う輪が崩れつつあるこの頃、親が子の子が親の命まで奪う悲しい事件の多いこの時代に、お互い守り導く姿は日本の本来の姿だと思う。
コメント
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