ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

日本は今

2007年10月06日 | 気にかかる
            マツバボタン
         昔からあるつめきり草は
          この牡丹色と白でした
       でも花の大きさは昔の培あります

日米対抗フィギュア'07をテレビで見ていました。男性軍は高橋大輔さんだけで、後の3人は知りませんでした。競技の世界では次から次と新人の台頭があるのですね。謹慎中の織田さんはどんな思いで中継を見ていたのだろう。

その点、女性軍はお馴染みさんばかりです。真央ちゃんも大人に成りましたね。アメリカ側の長洲未来ちゃん、両親は日本人ですが、アメリカ生まれのため、日米両国籍を持つ女の子、彗星の如く現れたそうだ。真央ちゃんより年下。何だか日本代表でないのが惜しいような気がするのですが。

男女とも日本は負けてしまった。国歌斉唱の時(歌うのは代表の歌手の方)、女性軍は心持唇が動いていたが、男性軍の口は結ばれたままだったのが少々気になった。

今、学校では如何なんだろう、5年前、孫娘の入学式の国歌斉唱の時、校長と教頭以外の先生は着席したままだったが、今もそうなんだろうか。勿論、父兄じゃなかった保護者も着席したままだった。

何処の国でも自国の国旗・国歌に対して敬意(親しみといっても良い)を払うことを自然に学んでいるだろうに、日本はこんなことで良いのだろうか? 大きな理由が「君が代」・「日の丸」を見ると軍国主義を思い出すからと言う考えだそうだが、たとえ老人人口が多いといえども、その様に考える人は少ないと思う。

国際社会の一国として恥かしいと思う。他にこの様な国旗・国歌を蔑ろにしている国はあるのだろうか?先般来の「軍の命令」の話にも繋がっているような気がしてきた。

戦争はいけないことは誰でも知っている。戦後生まれの人の増えている今、話でしか知らない戦争体験を伝える方法を間違えてはいないだろうか。戦争と国旗・国歌をイコールで結ぶ必要は何処にあったのか。イコールで結ばれるべき要素はないように思うのですが。

私は国旗・国歌がこの様に遇される経過を知らないで来てしまって、唖然としていると言うか、当惑している。私は純粋に「日の丸」を国旗と思い「君が代」を国歌として歌いたいと思っている。

「白地に赤く 日の丸染めて ああ美しい 日本の旗は」と学校で習った唱歌の通りだと思っているし、「君が代」を歌うときも、戦争経験として、親元を離れて集団疎開に行き淋しい思いをした。戦後の生活の没落を思い「戦争はいや」と言う気持ちは強いけれど、其れを国歌・国旗に繫げる事はないし、繫げる人の気持ちも解らない。

そういえば新内閣の認証式の時も、掲げられている国旗に対して、軽く頭を下げたのは町村さん、礼をしたのは石破さん(流石防衛大臣)だけだったそうで、続く2人は何となく石破さんに倣ったらしいが、他の大臣方は素通りしたそうだ。

日の丸は国の象徴、日本国の僕である国会議員がそんな事で良いのだろうか。福田総理はわが年代だから別として、他の大臣は国旗・国歌イコール戦争と教えられた年代の方なんだろうか? それとも習ってはいないが、肯定派ばかりが選ばれたのだろうか。大臣方の国旗・国歌に対する心情を聞いてみたい気がする。

人間形成の二本柱、家庭と学校が寄り添う事無く我道を行っている。過っては国の教育方針で社会の一員としてのルールを学び、家庭では人間としての躾けをすると分業していた。今はお互いに相手側に全てを押し付けて、責任を逃れようとしている様に見えるのだが。
                          (520回)





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