ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

教科書検定

2007年10月02日 | 新聞から
            シュウメイギク
          白がやっと咲きました
    
沖縄の「集団自決は軍の命令」と言う言葉を教科書から削除しないでと言うデモが11万人を集めてたそうだ。高校生までが「記事を削除しないで」と言っているらしい。当時、沖縄では2社しか新聞社が無く、どちらも「軍の命令」支持派らしい。さすればその新聞を読んで育った親達、その親が育てている子供達が、何の疑問もなく信じて無理もない。

曽野綾子さんが「沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実」(元は『ある神話の背景』は絶版だった)と言う本で、大江健三郎さんの「沖縄ノート」に書かれた「軍の命令」はウソだと書かれていたのを思い出した。又当事者が大江さんの「沖縄ノート」の記載事項の誤りについて裁判を起こしていると聞いた覚えもある。

大江さんは何を参考に書かれたのか沖縄の現地に一度の取材にも行かないで書いた様だ。又曽野さんが自費で現地取材に行かれた当時、まだ当事者が生きておられ、取材を拒否していないにも関わらず、沖縄のジャーナリスト達も現地取材する事無く「軍命令」と書き続けたらしい。

もし大江さんや記者達が当事者に取材して記事を書いていたならば、今の様な流れ(教科書に書いたり消したり)は起きなかったのではないか。ノーベル賞作家の大江さんがそんな取材もせずに歴史的にも重大な事を書くとは誰も思わないから、その影響は大きいだろう。

「沖縄ノート」は現存し、幾ら高名とはいえ曽野さんの「ある神話の背景」は絶版になっていたのだから、勝負にならない。今度、復刻版「集団自決の真実」は是非読んで見なければと思っている。

テレビで語っていた人は「軍の命令と言わなければ年金が下りなかった。だから「軍の命令」にして遺族が年金をもらえるようにした」と語っていたと私は記憶している。村民子供も老人も自決したというのに、誰が遺族年金を欲し、そして貰ったのか?私には不思議でもある。

では何故「軍の命令」でもないのに自決したのか?。当時の教育にあるという。日本人の全てが「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う教育を受けていた。そうした軍国教育の片棒を担いだ大きな力は、文部省と教師達、大手の新聞社であった。

大江さんが「軍の命令」として集団自決を命令したという赤松元隊長が「敵の艦砲射撃が始まった時、軍陣地内に逃げよ」と言っていて集まった村民を、隊長が「民間人を軍陣地内には入れられない」と追い返したという話、この事は「鉄の暴風」に書かれていた。其れを知った赤松元隊長の副官であった知念さんは記事のでたらめさに憤慨し、かつまともに聞いてこようともしない沖縄のマスコミに怒って曽野さんに会うまで口を閉ざしたままだったという。赤松隊の側の人に聞くと「軍陣地は攻撃目標になる危険なところであるから、最初から民間人を入れるという考えはありません」と言う。

村の有力者といえば、校長、村長、駐在巡査だそうで、曽野さんが取材に行った時は、村長も駐在巡査も生存されて、赤松元隊長が自決命令を出した事を否定したと言います。

明日、沖縄県知事が関係者に要請の為上京されるそうですが、何を信じて語られるのだろうか? 11万人の人ももう一度その根拠を考えてみるべきではないか?一方的な意見に踊らされていないか?若者は「沖縄ノート」「集団自決の真実」読み比べてみてはどうか。真実は一つ。

三国連太郎さんは10年間も沖縄戦について調べているそうだが、これについてはどういう見解なのか聞いてみたい。



コメント (2)
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