ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

待ってた本

2007年10月10日 | 気にかかる
              ば ら
          (大井戸公園 07-5-16)

フラダンス教室が少し華やいだ雰囲気になってきました。私のフラ友が前回率先してスカートを着てきたので、今日は2人の仲良しさんが、色違いのハワイの服(ムームーではない)を着てこられました。たった3人なんですけれど、教室の雰囲気が違ってきました。これから少しずつ増えていくでしょうね。

曽野綾子さんの「沖縄戦・渡嘉敷島 集団自決の真実 日本軍の住民自決命令はなかった!」を借りてきました。私の何時も行く図書館にはなくて、中央図書館にあり、借り出されていなかったので、取り寄せをお願いしていました。

この本は廃版になっていました。2006年4月に復刻して、再び日の目を見る様になったようです。「新版まえがき」が付いています。

その前書きに依りますと『沖縄の集団自決が悲劇だったことは言うまでもないが、決して歴史始まって以来、最初の特異で残酷な事件ではなかった。明確な、しかも遺物を伴う歴史として残っているのは、紀元66年に起こったユダヤ人の対ローマ反乱の最後の拠点となったマサダの集団自決が最初である。・・・中略・・・Y・ヤディンの「マサダ」は其処に残った960人のユダヤ人の運命を書いている。逃亡の望みも全くなく、あるのは降伏か死かの何れのみという事になったとき、人々は「栄光の死は屈辱の生に勝るものであり、自由を失ってなお生きながらえるという考えを軽蔑することこそ、最も偉大な決意である」と考えたのである。

彼らは辱めを受ける前に妻等を死なせること、奴隷の体験をさせる前に子供たちを死なせることを選んだ。彼らはマサダの「要塞の金銭に火を放つが、糧食は残していくことにした。其れはローマ人たちに、彼らが必需品の欠乏の為に負けたのではなく、我々の最初からの決意により、奴隷になるよりは死を選んだことを証明してくれるものだから」であった。

籤で10人の男が選び出されこの10人が、夫と妻が悲しみのうちに小供を擁して抱き合うあらゆる家族全員の命を絶っていった。その後この10人が再び籤を引き当った一人が残り9人を殺害し、その後自ら剣で自決した。こうしたことが全て明るみに出たのは、2人の夫人と5人の子供たちだけが、地下の洞窟に隠れて、この悲劇を生き延びたからであった。

日本人とユダヤ人の大きな違いは、マサダの自決をどう評価するか、において見る事が出来る。イスラエルではマサダの自決を、非人間性や好戦性の犠牲者としてみるどころか、そこで自決した960人の人々を、ユダヤ人の魂の強さと高貴さを表した人々として高く評価したのである

・・・中略・・・マサダは現在、イスラエルの国家の精神の発祥の地として、一つの聖地になっている。新兵の誓約も此処で行われ、国賓も此処に案内される。

しかし沖縄では、集団自決の悲劇は軍や国家の誤った教育によって強制されたもので、死者達がその死に依った名誉を購ったとは全く考えてもらえなかった・・・後略・・・』

昭和45年、25周年忌慰霊祭の時自決を命令したといわれている赤松元大尉は沖縄にやって来た。もし自ら自決を強制していたなら、慰霊祭に出て来るだろうか?しかし反対する人たちによって、渡嘉敷島に渡ることは出来なかった。元部下13人、遺族3人だけが慰霊祭に出られた。

集団自決とはいえ、生き残った人も多数居たから、「遺族年金」問題が起こってきたのですね。本文を確り読んで、心に刻み、じっくりとこの問題を考えてみたいと思っています。
コメント
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