ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

朝までテレビ

2007年10月20日 | テレビから
              バ ラ
         (大井戸公園 07-5-16)

何だか寝起きが悪いんですよ。身体の何処が悪いんではないんですが、知人の訃報に接するとなるんです。気分が落ち込むと言うのでしょうか。

その上読んでいた本が、精神科のお医者さんの書かれたもので「面白いから読んでみたら」とお借りしたものなんです。確かに内容的には面白かったんです。その先生は治療に御伽話や童話を使うと言う「目から鱗」的な内容で感心しながら読んでいました。

しかし自分の気持ちが落ち込んで、これが再々起きたりしたら「鬱」になるんではないかな~とか思ってしまうんです。そ~だ。高島忠夫さんの「9年間の鬱」のテレビを見たのも影響しているわ。色んな事が重なって一日ぼんやりと、昨夜の「朝までテレビ」のビデオを見ていました。

大相撲についてなんです。パネリストは相撲界関係と他色んな格闘技の現役、OBの方々でした。

アンケートでは朝青龍に帰って来て欲しくないと言うのが多かったですね。相撲を馬鹿にしてると感じる。品位がない。が圧倒的でした。

日本人の横綱がいい。と言う希望もありましたね。司会の田原総一郎さんが「日本人の心の狭さだ、イチローや松井はアメリカで快く受け入れられている」と言いました。そうかも知れない。しかし狭かろうと広かろうと国技である相撲の頂点に立つのは日本人であって欲しいと願うのが本心だわ。それにイチローや松井は規律を破ると言う、現地の人の反感を買うようなことはしていないわ。変に「自分は心の広い人間だ」的な発言はして欲しくないわ。

それに小錦、曙、武蔵丸の時は余り外人だからと言う差別はなかったように思う。勿論若貴兄弟が小錦たちを倒した時は喜びました、でも其れは外人を倒したからと言うより「大きい人を小さい人が倒した」事への喜びでもあったと思うのです。

今はある一定の大きな人しか採用されていませんが、小さな人も採用されるようになるそうです。そうすれば、入門者も増えるでしょうし、「小が大を倒す」技の相撲も見る事が出来るようになります。

モンゴルの記者が「今の大関陣は初めから朝青龍を倒す気がない。特に千代大海は突っ張るばかりで技がない」と言っていた。同感です。千代大海については私も何時もイライラしています。師匠は千代の富士なのに何故注意しないのかと思っています。過って曙にもその傾向がありました。「横綱のくせに!」と見ていました。

モンゴルの記者は「朝青龍は帰って来る。帰ってきたら、記者会見で理由を説明し謝るべきだ」と言っていましたね。帰国時にそうしてくれていれば、こんなに拗れなかったのではないでしょうか。「朝青龍はモンゴルでは英雄だから・・・」と言う人がいましたが、其れは言わないで欲しいわ。その英雄の肩書きは「日本の相撲」によって得たものなんだから、その肩書きを名乗っている限り、相撲界のルールは守っていただきたいわ。

私も覚えていますが、小学校には必ず「土俵」がありました。アレは戦時中、相撲は陸軍、海軍の管轄下にあったそうで、「土俵」さえ作れば体が鍛えられる、安上がりだったので「軍命令」で学校に「土俵」が作られていたそうです。

「ちゃんこ」と言うのは「ちゃん(親父)とこ(子)」が同じ鍋を囲むと言うところから付いた名だそうですね。ただ上位陣から食べるので下位になるとご飯はあるが「ちゃんこ」は汁が残っているだけだったそうです。今はそんなことないそうですし、給料も大幅に上がっているそうですよ。
コメント
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