ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

戦争と平和

2007年10月27日 | 新聞から
              ???
          (見~つけた 07-10-25)
          昨日の花の根元に咲いていた

本屋さんに行った。カレンダーや手帳の売り場を覘いてみた。気になっていることがあったので、確かめる為である。カレンダーは日曜日から始まるのに、手帳はどうして月曜日から始まるのかな~。この違いでもう少しでお約束を間違いそうになったことがある。

頭の中で映像としてカレンダーが入っている場合、手帳かカレンダーかどちらを呼び出すかで(たとえばカレンダーで右端だったから土曜日なのに、手帳では日曜日なのです)手帳を忘れて、頭の中で手帳カレンダーを呼び出すと左から2番目火曜日は空いていたと約束したつもりが、壁掛けカレンダーの2番目は月曜日だった。

こんなことがないように壁掛けカレンダーにあわせて手帳も日曜日から始まるものを探そうと思っていたのです。今日の本屋さんの手帳は皆月曜日から始まっていました。日曜日からのは無いのだろうか? 探してみよう。


19歳の大学生が「もっと戦争を知ってほしい」と書いている。

『戦争が終わって60年以上が過ぎた。原爆の被爆者も高齢化し、私を含め戦争を知らない人たちが大半になっている。

私は広島県で育ち、学校で平和教育を受けた。被爆者の人のお話を聞いたり、平和記念資料館を見学するなど、戦争と平和について学び、考える機会が多かった。

いま、広島と長崎に原爆を投下された日、終戦を知らない人が増え、平和記念資料館を訪れる人も減少していると言う。修学旅行で資料館を見学する学校も減っているそうだ。

資料館を訪れると、何時も見学者の中に多くの外国人がいることに気付く。私達、日本人はもっと平和について考えるべきだと思う。広島長崎に限らず、義務教育の中で、もっと戦争と平和について知る時間を作るべきだ。

日本で60数年前に起きた戦争について知ることによって、若者は今、自分が平和な場所で生きている事を感謝出来るのではないか。

1人でも多くの人が、平和記念資料館などを訪れ、戦争について知って欲しい』

19歳でもこんな考えの人もいる。「広島で平和教育を受けた」其れが元にあるからだろうか。「平和教育と言うのがどんなものかはわからないが、少なくとも「広島、長崎だけが犠牲になった」と言うような教えではないのだろうと言う想像はつく。

沖縄の「集団自決」にどうしても思いがいくが、「沖縄では軍命令で集団自決させられた」と、そのことのみを強調して教えて、だからそんな事の起こった戦争はしてはいけないと言う、その後の事を教えなかったのではないかと言う感じがする。

全ての根源は「何故私達だけが・・・」と言う考えが元にあるような気がする。

戦争で命を失うにしても「集団自決」は特殊な方法だが、広島、長崎は原爆の犠牲に、他の地方だって空襲で沢山の命が失われている。戦争で命を失った人は方法は違えども、この度の大東亜戦争の犠牲者であることには違いはない。

私が平和記念資料館(以前は原爆記念館といっていたと思うが)を再び訪れたのは今年の原爆記念日だったから、沢山の入館者だった。又外国人も大勢いた。中にはアメリカ人も居たと思うが、どんな気持ちで見たのかと思ったものだ。

全ては「戦争」と言う名の元で行われた事であり、許される事だった。

日本中に公平に歴史を教えるのが教科書である。参加人員を水増ししてまで訴えようとした教科書問題、真実を曲げないで欲しい。
コメント
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