ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

すもんとり

2007年10月22日 | 思い出話
             ばら 連弾
          (大井戸公園 07-5-16)

カレンダーの作成を始めました。簡単と書いてあるので、前のソフトより簡単なのかと思いましたが、何の、なんの、既に出来上がっているものに月日を入れていくだけなら、そりゃ~簡単です。でも私の様に白紙から作るとなると、そうは問屋が卸さない。あ~でもないこ~でもないと手探りで2日間。どうにか形が出来てきた。出来てみると楽しかったな~と思うが・・・。

何しろガイドブックが付いてないのです。前のは10ページほどでしたがガイドブックが付いていました。だから隅から隅まで触ってみるしかないんです。これは一寸不親切だな~と思いました。

年賀の方は、まだ入れていませんが、此方は2冊もガイドブックが付いています。見ますと、確かに沢山の絵や字が載っています。これは5年ぐらい買い換えなくってもいいな~と思いました。5年?其れは一生もの同意語だわ。

今年頂いた年賀状で3人ほどの人が「もう年ですので、今年を最後に年賀状交換を止めたいと思います」と言ってこられました。80歳を過ぎた親戚の者、もう1人は、私達の年代の方ですが、癌の手術をして一命を取り留めた方です。私は毎年6種類ぐらい作りますので、そろそろ始めないと間に合いません。


日曜日のたかじんの「そこまで言って委員会」も「お相撲」が主でした。「朝までテレビに出ておられた方がゲストに出てこられました。

昔の相撲は如何だったかと言う話から「昔は大名がお抱え力士を持っていて、参勤交代などにも連れて行き、御前で相撲を取らせた。だからその相撲取りは武士に準じていた。大名達もいい力士を持つのが競争のようになっていた」と言うような話をしておられました。

今までこんな話を聞いた事がないだけに、聞いた事によって、私の長年の疑問が解けました。

祖父の思い出なんですが、祖父は確か「慶応」の生まれだったと思うのですが、「おじいちゃん何してたん?」「すもんとりやってん」「???」「宮仕えるのすもんとりや」「宮仕えって、何?」「お殿さん(明治時代は皇族・家族も多く、そのことだと思う)の前で相撲を取ってたんや」祖父と孫の間でこんな話があったんです。二階の部屋で、向かい合って座って、おじいちゃんの身体にさわりながら、自分が話していたのをはっきり覚えています。

祖父が大きな人だというのは解っていました。周りの人から首一つ大きかったからです。だから相撲が好きで私を連れて大阪に良く見に行っていたんです。

「おじいちゃん大工さんやったんやろ?」「すもんとりやめてからや」祖父は宮大工だと言っていました。大工道具の一つ「からすぐち」と言ったと思うのですが、墨の入った小さな器があり、その中を潜らせた糸を木の表面の端から端に渡して、その糸を指でピンとはじくと木に線が引けて、そこを鋸で切っていくのです。其れをとても大切にしていまして、時々手にとって眺めていたのを覚えています。

「宮仕えの相撲取り」「宮大工」どうして「宮」が付くのだろうと思っていました。やっと解りました。勿論想像ですが、相撲は若いときのものです、体力的に無理になったとき、きっと手先の器用さを買われて、お抱え主のお寺や寺院の修理をする大工に横滑りしたのかと思うのです。お盆前にはお供えを流す為の小さな船を作っていたのを覚えています。

親戚中集まっての餅つきは祖父が搗き手で大活躍です。捻り鉢巻をした祖父の姿が浮かびます、懐かしい光景です。



コメント (6)
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