ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

ノーベル平和賞

2007年10月13日 | 新聞から
          バラ・シュネビッテェン
          (大井戸公園 07-5-16)

30分歩いてジムに着いた私は真夏ほどではないにしても汗だくである。「あ~暑い!」と1人呟いていると、「あ~寒い。今日は寒いね!」と顔見知りの方が入ってきた。「寒いですか?」「寒かったよ、自転車に乗っていると、風が冷たいよ」見ると首にマフラーを巻いている。

野天風呂に入ったのはいいが、ぬるい。次に入ってきた人に「今日は一寸ぬるいですよ」と言うと「私はこれくらいが好きです。長く入っていられるから」次に来た人「本当や、ぬるいね!今そこで、野天風呂は今日ぬるいから、内風呂の方がいいよって言われたんよ」そう注意したのは、今「私はこれくらいが好き・・・」と言いながら早々に出て行った人。私はと言えば、寒くてお湯から出られない。でも思い切って出て内風呂に飛び込んだ。其処には「ぬるい好き」の人がいた。???。

ノーベル平和賞がをアル・ゴア氏と国連の「気候変動に関する政府間パネルIPCC」が受賞した。賞金は1000万スエーデンクローナ(約1億8000万円)で等分される。ノルウエーのノーベル賞委員会はゴア氏の受賞について「彼はおそらく、個人の力で世界中に最も気候変動への理解を広めた人物だろう」IPCCについては「地球温暖化と人類の活動の因果関係を広く知らしめた」と語った。

ゴア氏は受賞に際し「非常に光栄。気候変動は政治問題ではなく、全人類にとっての道徳的、精神的な課題だ。賞金は全額寄付する」と声明を発表したそうだ。元々資産家だからだろう。2000年大統領選に出馬、小差で破れた失意の中で、自分に出来る事を考えて、元々勉強していた「環境問題」を始めた人である。

映画「不都合な真実」を見に行った時、自分に出来る事から始めようと思ったはずなのに、「喉元過ぎれば・・・」の例えどおり、頭の隅にはあるのだけれど、何も出来ていない。

この映画を見て思ったのは、大統領選に破れた際、大差ではなく小差で破れただけに目指した道への未練はあったであろう。しかしその道に綿々とせず、自分に出来る道を模索した事だと思った。あくまで一度目指した道に再挑戦するのも一つの行き方かもしれないが、自分の努力だけで勝ち得る事の出来る道ではない。故に新たに選んだ道で、世界最高のノーベル賞を受けるのは、アメリカ大統領の椅子より凄い事だと思う。

映画に依れば、アタッシュケース一つを持って米国中を講演運動を始めたのです。初めは中々理解を得られなかったようだ。しかし諦める事無く語り続けた。

平成9年12月、地球温暖化防止京都会議に出席した時は、専用機を使って一日で米国にとんぼ返りすると言う強行スケジュールだった。当時のクリントン大統領の反対を押し切って自ら決断した行動であるから、その素地(地球温暖化問題)は既にあったと言うことだろう。

人類に必要な考えを広める為にゴア氏は大統領選に敗れた? 見えない力が「貴方の力が必要なのは、アメリカ一国の問題ではない、世界が1日も早く病める地球に気付き対策を講じる様にするのが貴方の仕事だ」と・・・。

平和賞受賞を期に、ゴア氏を次期大統領選に、政界に引き戻そうと言う動きがある。

ブッシュ政権は京都議定書を「あれはゴアの議定書だ」と切捨て、離脱を決めただけあって、今回の受賞に対するブッシュ大統領のコメントはなかったそうだ。「どの面下げて、祝えるか」と言う事だろうが、大人なら一言あっても良いんじゃないかい?ブッシュさん!。

コメント (2)
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