ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

中原の虹 (三)

2007年10月09日 | 読みました
              バ ラ
          (大井戸公園 07-5-16)

昨日買ったばかりの芝刈り機、早く試したいのに雨。昼頃やっと「芝が乾いたから・・・」と主人。「えっ?芝ぬれてるよ・・・?」「いや乾いてる」

何時もは芝を刈るときは刃が錆びるからと、間違って水撒きをした私に文句を言うのに、今日は明らかに芝は水気を含んでいるのに刈るという。早く試運転してみたい気持ちも解らなくは無いと黙ってしまった。

芝刈り機の音が途中で途切れる。新品なのに早故障?音が途絶えたので声を掛けてみる「どうしたん?」「うごかへん。説明書がないので解らん。会社に電話してみてくれる?」店頭品で説明書が付いてなかったんです。私はまず買った店に電話して、製品の搬入先の電話番号を教えてもらいました。

芝刈り機の型を言って、店頭品のため説明書が付いてなかった事、機械が動かないが説明書がないので解らない、説明書を送って欲しい旨伝えました。

電話の方は「直ぐ送ります」と言ってから「ファックスありますか?あれば直ぐ送りますが・・・」送ってくださいました。長々と14ページです。

今は便利になりました。受け取ったファックスを読んで無事芝刈りは完了しました。前の機械は芝の刈り様は一定でしたが、この度の機械は5段階に分かれていて、好みの深さに刈り込めるようになっています。どんなものでもより良く進歩しているのですね。

軽くて、早くてご満足の様です。人間の頭で言うと丸坊主のように刈り込んでしまったので、来春まで御用はないかもしれません。

         ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

       中原の虹(三)     浅田次郎

2巻を読んでから間が空いています。4巻は11月発売ですから今年中に手に取ることは無理でしょう。この様な長編は全巻発売されてから、借りた方がいいかも知れません。

浅田さんの著書で中国のお勉強をさせて頂いています。学生時代、歴史が嫌いだったこと、テストは一夜漬けで、終われば頭から消えている為、恥かしいくらい何も知らない。

「西太后」「孫文」「袁世凱」「張作霖」等々固有名詞としては知っている。でもこの人たちが同時代の人であるとは知らなかった。その上1人の人に幾通りもの呼び名があるので、益々頭がこんがらがります。中国の歴史好きの人が聞けば呆れるくらい、何も知らない。浅田さんの中国歴史系の本で少しずつ体系だってきたように思う。

日本が満州とどの様に係って行ったかとか、何となくおぼろげながら解ってきたような気がします。此の巻は清朝が崩れて、新しい国つくりが始まる所が描かれています。又、題名である「中原の虹」が出てくるのもこの巻でした。

この巻で一番心に残った言葉は『誰とも公平に対話する事の出来る人は、誰の敵でもない中正の人は、同時に誰の味方でもない』と言葉にして読むと、又、変に感心してしまいます。

歴史を知っているのと知らないのでは、名所旧跡を訊ねても、見る目が、感じる心が違います。私は良く旅している方だと思うのですが、歴史を知らないで旅した為に、随分損をしていると思います。

今はテレビと言う媒体を通して見る事が出来るので、過って行った所の説明を受けながら見ていると「そうか」「そうだったのか」と今更ながらにその歴史に感動することがあります。

旅したことは無駄ではなかった。「其処へも行ったね。あ~だったね。こ~だったね」と我家の歴史を語り合える絆でもあります。


コメント
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