神戸花鳥園の球根ベコニア
ダリアと見まがう大輪の花
この種は芥子粒より小さいと信じられますか?
テレビでモニュメントバレーの映像を見て平成13年8月12日孫を連れて2人旅に出たときの事を思い出した。過ってメキシコもニュージーランドも1ヶ月も旅しながら何の記録も残していない。あるのは写真のみ、写っている所は思い出しても細かいところはすっかり忘却の彼方、アメリカの旅も始めは書き留めるつもりも無かったので、メモも無い。必死に思い出して、スペースが限られていたが、その頃所属していた読書会の冊子に投稿したものが次に掲げる文です。
20年ぶりのアメリカ
しょうまと二人グランドキャニオンへと向かった。心細いので初めてツアーにした。関空について驚いた。ツアーといっても行動するのは二人っきりだと言う。お任せで全てやって貰えると思っていたのに、私の頭が忙しく動き始めた。入管では、ホテルでは必要最小限の言葉が通じるかしらと言う心配である。しょうまも初めての海外旅行に興奮しているらしく、つまらない事を話しかけてくる。私を頼りにしていると思うと心配顔は見せられない。頭の中の計算が終われば「折角の旅行だ、楽しもう」と腹は据わった。
ロスに着き荷物を受け取り、ラスベガスへの乗り継ぎ場所に急いだ。そこでやっと同じツアーの人と現地添乗員の人に出会った。それも束の間又別々のホテルへ。翌日のキャニオン行きの飛行場行きのバスに乗り遅れてはいけないと思うと眠りは浅い。
小さな飛行機でキャニオンの上を飛んだ。何故か20年前に比べて緑が増えているような気がした。キャニオンの飛行場に付くと「午前中の雨で道が川になっているので、モニュメントバレーへの飛行機は飛ばない」と言う。老夫婦は「仕方ない、来年又こうか」と言ってる。私達はそんな事出来ない。こんな時、添乗員が居れば何とかしてもらえるのに。私達は今晩は此処泊まりの予定だから、行くのは明日でも良いのに。私はカウンターに行って見た。他のグループの人が何か交渉しているらしい、その成り行きを聞いていた。どうも交渉成立で「何人か?」といってる。「すみません私達二人も入れてください」と叫んでいた。厚かましいかも知れないがどうしても行きたかった。
翌日モニュメントバレー行きの飛行機を待っていると私達だけ呼ばれた。荷物を持ったまま秤に乗れと言う。飛行機に乗るのに何故?飛行機を見てそのわけが解った。なんと6人乗りのプロペラが二つ付いた小さな小さな飛行機だった。今更「行かない」ともいえない。若者二人と私たちと機長と言うメンバーだった。タラップの下で機長が「英語はなせる?」4人同時に「ノー」「じゃーカウボーイソングでも掛けますか」イヤーホーンからカウボーイソング、恐いと言う心を押しのけていた。景色はとても良かった。ぼんやり見ていた景色が「あれ!何か違う?」そ~でした。地平線が90度になっている。「わお!」思わず歓声を上げた。機長がその声に振り向いてニヤッと笑った。すごい経験をさせてもらった。私は嬉しくて「ヒヤ~ウワ~」と喜んでいた。ふとしょうまが大人しいのに気づいた。顔面蒼白、慌てて出したハンカチが間に合った。私の新しい帽子の上に戻してしまったのだ。二人の若者も声なし。男3人だらしが無い。気づいた機長が機体を正常の位置に戻した。折角サービスしてくれたのに、喜んだのは私だけ。その時思った。下からみたら、機体は真横になってた?そんな事無いよね、デモ地平線は確かに90度になってたよ。遠心力か何かの働きなんだろうか?私が夢見ていた?絶対正気・・・自分で説明出来ないだけ。
もう一つ吃驚した事がある。前の晩のグランドキャニオンでキャニオンの宣伝映画があるというので見に行った。室内の前面、上下、左右皆スクリーン、客席はすり鉢のようにそそり立っている。前の人の頭の辺りに私の足がある。そこで自分がカヌーか小船に乗った感じなんですから、その迫力は凄ましい。酔わないと自負している私でさえ、もう少し長ければ気分が悪くなったかもしれないと言う迫力。日本でもサントリー館がこのようなものらしい。一度行ってみたいと思っている。
軽飛行機の機長さんは「きっと軍籍上がりの人で、操縦に自信があり、私達を喜ばせようと思ってやってくれた」と想像した。その他にもぐ~んと岩肌に近づいたりサービス満点だったのに、男3人がだらしないから・・・大きな飛行機の人達はそんな経験は無かったらしい。「あんな小さな飛行機で気の毒に!」と見上げていたそうだ。 《続は明日に・・・》
(80回)
ダリアと見まがう大輪の花
この種は芥子粒より小さいと信じられますか?
テレビでモニュメントバレーの映像を見て平成13年8月12日孫を連れて2人旅に出たときの事を思い出した。過ってメキシコもニュージーランドも1ヶ月も旅しながら何の記録も残していない。あるのは写真のみ、写っている所は思い出しても細かいところはすっかり忘却の彼方、アメリカの旅も始めは書き留めるつもりも無かったので、メモも無い。必死に思い出して、スペースが限られていたが、その頃所属していた読書会の冊子に投稿したものが次に掲げる文です。
20年ぶりのアメリカ
しょうまと二人グランドキャニオンへと向かった。心細いので初めてツアーにした。関空について驚いた。ツアーといっても行動するのは二人っきりだと言う。お任せで全てやって貰えると思っていたのに、私の頭が忙しく動き始めた。入管では、ホテルでは必要最小限の言葉が通じるかしらと言う心配である。しょうまも初めての海外旅行に興奮しているらしく、つまらない事を話しかけてくる。私を頼りにしていると思うと心配顔は見せられない。頭の中の計算が終われば「折角の旅行だ、楽しもう」と腹は据わった。
ロスに着き荷物を受け取り、ラスベガスへの乗り継ぎ場所に急いだ。そこでやっと同じツアーの人と現地添乗員の人に出会った。それも束の間又別々のホテルへ。翌日のキャニオン行きの飛行場行きのバスに乗り遅れてはいけないと思うと眠りは浅い。
小さな飛行機でキャニオンの上を飛んだ。何故か20年前に比べて緑が増えているような気がした。キャニオンの飛行場に付くと「午前中の雨で道が川になっているので、モニュメントバレーへの飛行機は飛ばない」と言う。老夫婦は「仕方ない、来年又こうか」と言ってる。私達はそんな事出来ない。こんな時、添乗員が居れば何とかしてもらえるのに。私達は今晩は此処泊まりの予定だから、行くのは明日でも良いのに。私はカウンターに行って見た。他のグループの人が何か交渉しているらしい、その成り行きを聞いていた。どうも交渉成立で「何人か?」といってる。「すみません私達二人も入れてください」と叫んでいた。厚かましいかも知れないがどうしても行きたかった。
翌日モニュメントバレー行きの飛行機を待っていると私達だけ呼ばれた。荷物を持ったまま秤に乗れと言う。飛行機に乗るのに何故?飛行機を見てそのわけが解った。なんと6人乗りのプロペラが二つ付いた小さな小さな飛行機だった。今更「行かない」ともいえない。若者二人と私たちと機長と言うメンバーだった。タラップの下で機長が「英語はなせる?」4人同時に「ノー」「じゃーカウボーイソングでも掛けますか」イヤーホーンからカウボーイソング、恐いと言う心を押しのけていた。景色はとても良かった。ぼんやり見ていた景色が「あれ!何か違う?」そ~でした。地平線が90度になっている。「わお!」思わず歓声を上げた。機長がその声に振り向いてニヤッと笑った。すごい経験をさせてもらった。私は嬉しくて「ヒヤ~ウワ~」と喜んでいた。ふとしょうまが大人しいのに気づいた。顔面蒼白、慌てて出したハンカチが間に合った。私の新しい帽子の上に戻してしまったのだ。二人の若者も声なし。男3人だらしが無い。気づいた機長が機体を正常の位置に戻した。折角サービスしてくれたのに、喜んだのは私だけ。その時思った。下からみたら、機体は真横になってた?そんな事無いよね、デモ地平線は確かに90度になってたよ。遠心力か何かの働きなんだろうか?私が夢見ていた?絶対正気・・・自分で説明出来ないだけ。
もう一つ吃驚した事がある。前の晩のグランドキャニオンでキャニオンの宣伝映画があるというので見に行った。室内の前面、上下、左右皆スクリーン、客席はすり鉢のようにそそり立っている。前の人の頭の辺りに私の足がある。そこで自分がカヌーか小船に乗った感じなんですから、その迫力は凄ましい。酔わないと自負している私でさえ、もう少し長ければ気分が悪くなったかもしれないと言う迫力。日本でもサントリー館がこのようなものらしい。一度行ってみたいと思っている。
軽飛行機の機長さんは「きっと軍籍上がりの人で、操縦に自信があり、私達を喜ばせようと思ってやってくれた」と想像した。その他にもぐ~んと岩肌に近づいたりサービス満点だったのに、男3人がだらしないから・・・大きな飛行機の人達はそんな経験は無かったらしい。「あんな小さな飛行機で気の毒に!」と見上げていたそうだ。 《続は明日に・・・》
(80回)