ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

北朝鮮はるかなり を読み終えて

2006年06月01日 | 気にかかる
          額アジサイ(西洋アジサイ)
       ひさこさんからいただいた小花タイプ
           今年やっと花を付けた

衣替えの日。着物の頃は今日から「袷」から「単」になるわけで、大阪に出ましたが衣装は様々でした。タンクトップの人がいれば厚手のジャケットを羽織っている人も居る。春になってもモノトーンの色が大流行で春を感じさせない、黒々としています。

履物が変わっていましたね。サンダルが増えました。それから高級突っ掛けと私は呼ぶ、ミュールが増えましたね。踵に止まる所が無いので、歩くたびに踵と靴が離れてパタンパタンと音がするのが気になっていました。これはパーティーなどの履物で、踵が沈み込む様な絨毯の上を歩くのが良いのじゃないかな?と思っていました。ミュール(フランス語)とは元来は室内履きの意味だそうです。なるほど、ガッテンダ!

   北朝鮮はるかなり 成葸琅(ソン ヘラン)上下

読み終わりました。彼女は金正日の最初の妻成琳(ソン ヘリム)の姉であり、その子、正男(ジョンナム)=(ディズニーランドに遊びに来た人)の家庭教師として金正日邸に20年間住み、その当時の回想記である。(上)は母の話(下)になって北朝鮮の生活が出てくる。彼女達の母がジョンナムを育てる。ソン一家ジョンナムのことは始めは秘密にしていたから、その生活は金正日邸に閉じ込められる生活だった。ヘランの娘、南玉(ナムオク)をジョンナムの勉強相手として、同居させる。ヘランの息子(従兄弟とはいえ金正日にそっくり、いやもう少し知的で美男子)は韓国に拉致される。

ナムオクがまず北朝鮮から脱出、後に母ヘランを救い出し、現在ヨーロッパの何処かで同居している。金正日の承諾なくしては何も出来ない、娘の結婚相手さえも。
ヘランは言う、物質的には何不自由なかったが、そこは高級監獄であり、無期囚の生活だったと言う。外出さえ許可が要る飼い殺しの様なところに居たくないと母の死に思う。北朝鮮の一般人がいかに貧しい生活をし、人相まで変わっているかを述べている。

この本を何故選んだかと言えばやはり「拉致問題」で、その国を知りたいと思ったから。「拉致問題」で韓国が騒がないのは、ある程度お互いに必要な人を「拉致」と言う形で引き抜いて来ているからだと感じた。韓国から北朝鮮に亡命した人や、拉致された知識人達は当時の友好国、中国を真似て「粛清」を受けたらしい。韓国は同胞がそのような仕打ちを受け、過去に虐げられながらも今「半島は一つ」と願っている。上位に立つのはどちら?推して知るべしそれでいいのか?

1950年頃の北朝鮮の左翼運動の女盟幹部達は「笑うと言う事は弱者の表情であり、余りに軟弱な事と言われ、笑う事はなかったと言う。今はどうなんだろうか。こうなると女ではないね。ヘランの母は理想を求めて家族を残し北朝鮮に行った人である。

「南男北女」と言う言葉があって、南の男は美男が多く、北には美人が多いということらしい。なるほど北朝鮮の「美女軍団」を見れば頷ける。日本の「東男に京女」人間の考える事は同じだな~と感じる。

ヘランの娘ナムオクの婿探しの所でこんな記述があり苦笑した。「田舎者らしくないと思ったら、全部日本からの帰国者だった」って。勿論帰国者は対象外である。

北朝鮮では「必秘厳守」が基本。生活は必要の無い事を知ろうとしてはならず、知った事を語ってはならないのが鉄則である。言論の自由なんて無いんだ。いやおしゃべりの人も住みにくい世界なんだ。

金正日は「政治性」より「人間性」を好んだとある。と言う事は「情にもろい」と言う事だろうか?それならめぐみさんを帰してもらうのは「経済制裁」より「情」に訴えろ、と言う事だろうか?

訳者は言う、この翻訳の過程で韓国の「太陽政策」の影響を受け、2000年6月15日
金大中と金正日の首脳会談以後、韓国に於いて北朝鮮や金正日に批判的な言論が厳しい規制を受ける事になった。そのあおりを受け韓国版には「北を刺激してはならない」と言う韓国政府の意向で削除された部分もあるが、日本語版は全て元通りである。

本を読むと言う事は色んな新しい知識を与えられる事であるが、それを頭に留めて置けない年齢になったのが寂しい。でも何かは笊の網目に引っかかる事もあろうかと、せっせと本を読んでいきたいと思っている。
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コメント (4)
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