ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

心地よい音「ラ」

2006年06月09日 | 今日この頃
              すかし百合
     赤い色が一番写真としては取り難いと知った
        何度も試みてどうにか撮れた
      買った覚えは無いのに去年から咲いている

今日は唱歌の学校の日だった。先生ご夫妻はもうアロハシャツ姿。「昨日から入梅ですから、雨の歌を歌いましょう」「雨の歌?」のりこ先生が引き始めた「何~だ、これか・・・」アメアメ フレフレ カアサンガ・・・の歌だったのです。所々忘れていますが、みなさん歌えます。懐かしい歌です。私はニュージーランドのあの人達の事を思い出していました。歌とは反対に真っ青の海と空、船上での出来事を・・・。

月の始めはドラエモンシリーズ(色んな学科を漫画で優しく教えている)の「音楽おもしろ攻略 楽ふがよめる」で音符のお勉強である。私は音楽が好きな癖に音符が読めないのである。音楽は耳で覚えれば良いと思っている。

今日は「音階7つの音のひみつ」です。ドレミファソラシドはイタリア語、知らなかった、日本語だと思っていたわ。恥ずかしい。後はドイツ語、英語読みがある。

昔、尋常小学校では「ハニホヘトイロハ」と言ったそうだ。何故「イロハニホヘト」でないのか?それはドレミの音階の「ラ」の音が中心で大切な音だそうでその「ラ」の位置に「イ」を当てはめたので、「ド」の位置に「ハ」が来たとか。

又「ラ」の音がいかに大切かと言えばオーケストラでコンサートマスターがチューニングする時の音は「ラ」の音である。時報の音も「ラ」の音、生まれた赤ちゃんの産声も「ラ」の音であると教わった。

グレゴリオ聖歌《<ローマ教皇グレゴリウス一世にちなむ>ローマカトリック教会で修道士や聖歌隊によって歌われる単施律の典礼聖歌》も「ラ」の音を中心に上下しているので心安らぐ。お坊さんの声明も又然りである。心が高ぶっている時にはベートウベンやチャイコフスキーを聞いてはならない、心臓ドッキンと早鐘を打つから身体に良くない等教えられた。

95歳(1911年生まれ)で現役の医師である日野原重明先はピアノを弾かれるで、やはり心ちよい音「ラ」で看護師達に患者に接するようにと教育されているそうだ。今日は本当に色々お勉強した。のりこ先生はお話し上手、私たちの頭にスーッと入り込みやすいようにお話してくださる。

もう何年前になるだろうか常に日本の医療の先端を走っておられる「日野原先生」の講演を聞きに行った事がある。すでに90歳は越しておられたと思うが、90分立ちっぱなしでお話になる。「成人病」を「生活習慣病」と言う言葉に言い換えたり、75歳過ぎても元気で自立した人達を募り「新老人の会」を結成。70歳を過ぎた人を集めて「老人の会」を作ったが、余りにも増えすぎた為「新」を作り分散した。若い頃、肺結核にかかったのは医師としては良い経験であった、患者の立場を理解できる。53歳の時「よど号」に乗り合わせ、生死の境であったこの事件で人生観が変わったこと、幾つになっても生き方は変えられるなど話されたと思う。

「幾つになっても生き方は変えられる」の言葉がが印象に残っている。年齢、健康、環境によって「生き方」は変えられると聞いた時ほっとした。自分を見つめ、自分に合った環境に持っていけば年老いる事は悲しくない。その時その時に合った自分の生き方をすれば良いのだと思った。心が安らいだ。

もう一人、女性の大先輩メイ牛山さんは言われます。「女の人は幾つになってもおしゃれを忘れてはいけません。贅沢をするのではなく、その年なりのおしゃれ、小奇麗にする事は自分の知恵です」「皮膚には水が必要です。水道水で良いのです、顔に水を与えてあげる事」「髪の毛にも水は必要です。少量の水をつけてブラッシングすると白髪が黒くなった人を知っています。それくらい水は必要なんです」

私も70歳なりのおしゃれをしようと思った。お金をかけるのではなく「自分の知恵」で出来るといわれるのですから。若い頃は私はお洒落さんだったと思う。お化粧はしませんでしたが、着る物をそれこそ「自分の知恵」で手作りでお洒落を楽しんでいた。冬物は今も大体自分の手編みで楽しんでいるし、夏はあまり色落ちしたを勿体無いと思わないで処分し、夏物は安いので掘り出し物を探してお洒落していこう。ファンデイションもあまり安物を買わないで地球の引力に素直な私の身体を補正して行こう。何だか考えるだけで嬉しくなってきた、お洒落は精神衛生上も良いみたい!


















コメント (4)
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