ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

青色発光ダイオウド

2006年06月19日 | 新聞から
               南 天
          赤い実はよく知られているが
             私はこの花も好き
       じ~っと目を凝らさないと見えない程小さい
          表側の小豆色がシックで良い

「フィンランドの技術賞に中村氏」の見出しで小さな記事が出ていた。

フィンランド政府がつくるミレニアム技術賞基金は15日、06年のミレニアム技術賞を米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授に贈ると発表した。受賞理由は「高輝度青色発光ダイオウドなど革命的な光源の開発」賞金は100万ユーロ(約1億4000万円)授賞式は9月8日にヘルシンキで行われる。

賞を貰われるのはこれが初めてではない。1996年に仁科記念賞(原子物理学とその乞う広用に関し独創的できわめて優秀な研究成果を収めた、比較的若い個人またはグループに送られる) 1997年大河内記念賞(生産工学の研究開発、高度生産方式の実施に関するもの、個人または5人以内のグループを対象) 2000年本田技研が本田賞第21回目、日本人では3人目に、実用レベルの青色および緑色を発する発光ダイオウドとレーザーダイオードの開発の成功に対して贈られた。

外国からの賞も今回で4回目である。それにしても国内国外にその賞金金額の差である。日本では30万円~1千万円、この度と比べても桁違いである。これは何を意味するのか、研究者に対する、成果に対する評価の差だろうか。2000年から米国へ頭脳流出である。

青色発光ダイオウドの身近にあるものといえば、信号機の青(試験的に徳島と愛知に設置された)、色んな場所で掛けられている時計、それから近年多くなったクリスマスの家の外のイルミネーション等々青く光っているのは皆これらしい。

中村博士が日亜化学工業(徳島)に勤めていた時、特許をとったが会社から支給されたのは特許1件あたり二万円で合計しても200万円だそうだ。一方会社は1208億6012万円の稼ぎが合った。そこで博士は訴訟を起こした。何年前だったか私はその事をテレビで見て以後どうなったのかと思っていたので、このたびの記事を見たとき「あれだ!」と気づいたのだ。

博士は 1.青色発光ダイオウドの基本特許の特許権が自分のものである(会社の支持に従わずに行った発明なので、職務発明ではなく自由発明であるからと言う理由) 2.日本経済の成長を支えたのは製造業であり、そこで働く優秀な技術者だ。だがいくら優秀でも年収はせいぜい1000~2000万円。数億円を稼ぐプロ野球選手二比べてあまりに低い。優秀な技術者が稼げる仕組みを作るべきである。すごい発明でも開発者は数十万円程度しかもらえない環境を変え技術者のやる気が出る環境を作るきっかけにしたい。

結果は特許の所有権は会社にあり。中村氏の発明に対する貢献度は50%、故に会社の稼いだ半分604億3006万円は中村氏の特許に関する相当の対価(財物や行いなどによって人に与えた利益に対して受け取る報酬)である。中村氏が一時請求額を200億円とした為、裁判所は会社に200億円の支払いを命じた。

頭脳流出にはこんな事もあったのだ。日本人は自国の人の発明等を低く評価する傾向にあるように思う。話は変わるが「八木アンテナ」と言う会社がある。この会社が先ほどの戦争中「レーダー」を発明したそうだ。それを軍部に売り込んだが、その威力を信用してもらえず、それが廻りまわってアメリカの手に渡り、日本はレーダーの威力の元に屈して、戦いに負けたと教えられた。

それを聞いたのは「アマチュア無線」の資格を取る為に通った学校の授業で教えられた。当時自宅で寝たきりの姑を看ていた。2~3年は世話以外の時間は本を読んで暮らしたので余り苦にならなかった。しかし友人との連絡も途絶えがちになった時私は無性に人恋しくなった。友人の電話が途絶えるのも無理は無い、病人の世話に明け暮れている私に何の話があるだろう。又私の方からは愚痴になりそうでかけなかった。

どうにかして外部とつながりを持てないかと考えた時、思いついたのが「アマチュア無線」である。今のようにパソコンが普及していればあんな苦労をして資格を取ることも無かったと思うが、何しろ器機に疎い私のことボールペン一本を使いきったほど書いて覚えた。一字一句間違えないようにの丸暗記である。努力は実るもの一発で試験には合格し「JI3OYZ」と言うコールサインを取得した。しかし苦労して取ったコールサイン、一度も発射する事は無かった。機器を買う前に姑が彼岸に旅立ったからである。好きで取った資格ではない。何か外部とのつながりが持ちたい、自分の心を開放してやりたいとの思いで取ったのである。思い出だけが残った経験である。

















コメント (4)
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