非国民通信

ノーモア・コイズミ

混合診療の話と、私が歯医者を嫌いな理由のほんの一部

2012-06-05 23:11:50 | 社会

 さて、この頃はすっかり「のど元を過ぎた」感もありますが、TPP「交渉」参加を巡って取り沙汰されたものの一つに、混合診療の問題があります。もっとも、この種の問題に関心がある人ならおわかりのように、TPP参加の有無とは無関係に解禁論が叫ばれてきた代物でもあります。中にはTPP「交渉」に参加しただけで混合診療が解禁されるみたいな言い方をしていた人もいたわけですが、TPPに参加することで起こると言われたものの大半がそうであるように、これもまたTPP参加の有無とは独立して動きのある分野なのです。TPP「交渉」に参加せずと、混合診療の解禁が進められることは十分にあり得る話と心得ておくべきでしょう。

 現行の制度上、健康保険の適用対象となる「保険診療」と患者が自費で全額を支払う「自由診療」は組み合わせてはいけないことになっています。つまり、保険で「A」という治療を受けつつ、同時に自費で「B」という治療を受けることはできない、どうしても両方を受けたいのであれば「A」も「B」も両方を自費で払わねばならない、もし自由診療を組み込むのであれば元々は保険診療であった範囲をも自費で払うようにしなければならないことになっているのです。一方で混合診療が解禁されると、保険診療「A」と自由診療「B」の組み合わせが許され、「A」の部分は保険で、「B」の部分だけを自費で払うという融通が利くようになります。

 ……こう聞くと混合診療を解禁した方が何かとメリットが大きそうに見えるのですが、医療関係者に反対論が目立っていたりもします。今以上に医療格差を増大させるという意見もありますし、医療の質を下げるという主張も少なくありません。そして混合診療解禁後に保険診療範囲が狭められると懸念する人もいるわけです。というより、混合診療解禁を説く人の中には最低限の医療のみを保険診療として残し、高度な医療は自費でまかなえば良い、保険診療を縮小できれば公的保険財政の健全化にも繋がる云々と説く人もいるとか。そうなるかどうか未来のことは定かではありませんけれど、可能性としてはどうでしょうかね。

 純粋に混合診療「だけ」が認められるのであればさておき、混合診療を言い訳にして保険診療の範囲が狭められる、あるいは新たな治療法が確立されても保険対象に組み込まれないようになるとなったら、経済力に乏しい患者にとっては大いに損です。では、そうなる可能性つまり保険適用範囲が縮小される可能性はどの程度なのでしょう。貧富を問わず遍く利益があるのは保険適用範囲の拡大ですが、その「代わり」として混合診療が想定されるなら危ういと感じるところもありますし、実質的に混合診療が解禁されていると言っても過言ではない歯科医療を例に考えてみると、その可能性は概ね推定できるようにも思います。歯科医療に纏わる問題は混合診療に由来するものばかりではありませんが、未来を占うには格好のサンプルなのではないでしょうか。もし歯科の保険診療の水準に不満があるのなら、混合診療(というより混合診療に付随して持ち込まれるであろうもの)に警戒心の一つも持っておいた方が良さそうです。

 ・・・・・

 ……で、ここからは余談みたいなものですが、「普通の」医療関係者には混合診療解禁に批判的な人が多いと書きましたけれど、ことは歯医者に限ってみればむしろ逆なんじゃないかという気がしないでもありません。そりゃ事実上の混合診療を既に導入済の業界からすれば、致し方のないところでしょうか。保険ではマトモな治療は難しく、かといって保険治療の10倍(窓口負担では30倍超!)以上が相場の自由診療は敷居が高い、何とも難儀な世界でもあります。自由診療だからと言って適切な治療が受けられる補償はどこにもないにせよ、保険診療で満足な治療が受けられるかと言えば、「不可能」と専ら否定的なことを書いている歯科医師が目立つわけです。まぁ、人知れずひっそり、保険の範囲で懇切丁寧な治療を続けている歯医者もいるのかも知れませんが。

 麻酔の注射を打ったり歯を削られたりは別に構わないのですけれど、それ以外の部分で不満を感じるところが多いので、私は歯医者が嫌いです。例えば無資格の歯科助手なのか歯科衛生士なのか素性のはっきりしない人が問答無用で口の中に手を突っ込んでくることですね。で、こちらの同意なく勝手にスケーリングが始められたりします。この辺はどんな歯医者でも保険診療である限りは共通なのか、今まで一つの例外もなく体験してきたところですけれど、やはり混合診療と同様で歯科助手によるスケーリングもまた違法のはずですし、歯を削るような治療でなくとも事前の説明と承諾は必要ではないでしょうか。しかし、承諾を求められたことは一度たりともありません。で、その分の料金もきっちり請求されるわけです。「頼んでないよ」と断ろうと思ったこともあります。

 まぁ支払い自体は微々たる金額なので気にはしていません。そうでなくとも歯医者の保険診療って安すぎると感じていますから、「ああやって小遣い稼ぎをしないと経営が成り立たないんだろうな」と同情するところもあります。設備の維持に加えて歯科助手、歯科衛生士の給与を支払ってとなると医師が自ら格安の保険診療に時間をかけていては採算が取れないような仕組みになっているのでしょう。だから歯石除去だの歯周ポケット清掃だのと口実を設けてはアルバイトの歯科助手に患者の歯茎をえぐらせて、それを医療行為と称してなけなしの診療費を請求するような脱法行為も横行してしまうのかも知れません。もうちょっと保険の診療報酬を上げるべきじゃないかと思うところですが、そこを高額な自由診療との混合で穴埋めしているのが歯科業界という印象があります。これを行政が放置していいのやら。

 輪をかけて嫌なのは、歯を削ってから補綴物ができるまでの期間です。削った穴に仮の詰め物が入れられるわけですが、これが具合が悪くてたまらない、盛り方が雑で歯がかみ合わず、歯だけではなく顎まで痛くなってくる、「仮」の詰め物であっても最低限の調整は必要と思うのですけれど、どこの歯科医も削った後は歯科助手に任せて他の患者のところに行ってしまいますね。格安の保険診療では数をこなさないと赤字なのでしょうか、そんなわけで「切削面を覆えていない」「変な場所だけ高く盛られて痛い」「冷凍ピラフを食べただけではがれる」と三拍子揃った状態で補綴物ができるまで、満足に飯も食えず痛みをこらえながら過ごす羽目になるわけです。で、土曜日の午後に詰め物が取れて、例によって通院中の歯医者は月曜まで休診、仕方がないから営業中の歯医者を探して仮蓋をしてもらいに行くなんてこともありましたけれど、この場合の請求は「0」だったりします。保険で請求できる範囲でもないのかも知れませんが、「ちょっとぐらい請求してくれてもいいから、もっと丁寧にやって」というのが私の本音です。

 「設備が綺麗」とか「先生が優しい」とかどうでもいいような口コミはあっても、肝心の治療の質までは実際に受けてみるまで分からないのが歯医者の世界です(まぁ、その辺は他の医者も変わらないでしょうか)。なかなか客観的に評価するのが難しいというのはわかります。でも例えばこんなのはどうでしょう、「歯を削ってから補綴物ができあがるまでの期間」とかは客観的な指標として間違いのないところです。いざ歯を削ってから受付で「次は○月×日(1ヶ月後!)です」みたいなことを言われると流石に「次は別の歯医者にしておこう」と思います。保険の銀歯は国内の有資格者に作らせなきゃいけないらしいですが、妙に長い制作期間を聞かされると、中には中国とか人件費の安い外国で作らせているところもあるのではと邪推せざるを得ません。「治療が早い(通院回数が少ない)」を売りにする歯医者はたくさんあるのに、「当院では歯を削ってから1週間以内に補綴物を制作しています」みたいな売り方をしている歯医者を見たことがないのは何でなんでしょうね。私の要望が独特なのか、それとも歯科医師業界が患者のニーズをつかめていないのか。ともあれ私は歯科医療の現状に極めて強い不満があります。

 

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裏切ったのではない、元からだ

2012-06-03 23:00:50 | 雇用・経済

「裏切った民主議員に報いを」 東電労組トップが不満(朝日新聞)

 「裏切った民主党議員には、報いをこうむってもらう」。東京電力労働組合の新井行夫・中央執行委員長は29日、愛知県犬山市であった中部電力労働組合の大会に来賓として出席し、そうあいさつした。

 「脱原発」をかかげる民主党政権のエネルギー政策などに、支持団体トップが不満を示した発言。中部電労組の出席組合員約360人からは、どよめきが上がった。

 新井氏は東電の福島第一原発の事故について「(東電に)不法行為はない。国の認可をきちっと受け、現場の組合員はこれを守っていれば安全と思ってやってきた」と述べた。事故後の政権の対応を踏まえ、「支援してくれるだろうと思って投票した方々が、必ずしも期待にこたえていない」とも語った。

 

 なかなか猛々しい物言いですけれど、敢えてツッコミを入れるとしたら「今まで民主党が味方だと思っていたのか!?」と言ったところでしょうか。労組のトップとして本当に労働者のことを慮るなら、元より民主党なんか絶対に支持してはいけない政党であったと思うだけに、「理解するのが遅すぎる」としか言い様がありません。ただまぁ、遅きに失した感はあるにせよ労組として民主党と距離を置こうとする姿勢時代は支持したいところです。労働者の敵・民主党を労組が支持するようなことがあって良いはずがないですから。

 しかるに「中部電労組の出席組合員約360人からは、どよめきが上がった」そうです。この期に及んで中部電力労組の出席者達は民主党支持を続けるつもりだったのでしょうか。もし、そんな心構えであったのならもはや労組としての役割を忘却しているとしか思えません。一部の国家公務員労組などもそうですけれど、労組である以上は自分たち労働者を守ることこそが本分、世間のウケのために自分たちを生け贄に差し出そうとする政権には報いを与えるべく行動するのが筋です。

 東京電力の企業としての責任はさておき、現場の労働者にまで無限に責任を負わせようとするのは資本主義のルールに照らしてもどうなのか、一般従業員にまで経営責任を負わせようとする日本には資本主義における労使の契約関係を超えた何かがあります。でも道徳本位制の社会では、それが当たり前なのかも知れません。ヒラの従業員だからと言って自分の職責だけを考えて過ごすことが許されない、企業の責任をも労働者が連帯して負担することが求められる、そして労組もまた所属する組合員を守ることよりも「世のため人のため」に行動することが求められるのでしょうか。ゆえに上記引用の東電労組トップの発言は結構な反発を買ってもいるようです。別に東京電力関係者だからと言って、何を言われても頭を下げて黙っていなければならない謂われはない、今回のはむしろ当然の発言だと思うのですが。

 

東電社員年収、来年度46万円アップ 値上げ申請の中(朝日新聞)

 東京電力は、2013年度から社員1人あたりの年収を今年度より46万円増やして571万円にする。全社員を対象にした「年俸制」導入にともなうもので、1千人以上の大企業平均より28万円高くなる。家庭向け電気料金の値上げの算定にも年収アップは織り込んでおり、利用者から反発が出る可能性がある。

 東電は福島第一原発事故の後、社員の給料や賞与をカットし、年収を平均700万円前後から20~25%減らした。家庭向け電気料金の値上げ申請では、12~14年度の社員の年収を平均556万円にしている。これは社員1千人以上の大企業の平均543万円に近い。

 

 さて、歴史修正主義者が南京事件など日本軍の蛮行を「なかったこと」にするのと同じような勢いで東京電力の給与カットや人員削減を「なかったこと」にしようとする否定論者が満ちあふれる昨今です。朝日新聞の見出しではなんと「東電社員年収、来年度46万円アップ」だそうで、露骨にミスリードを狙っていることが窺われます。もっとも本文を読めば分かるように、元々の給与水準を20~25%引き下げた時点を基準にしての「46万円アップ」です。誤解を生まない表現をするならば「給与削減幅を僅かに緩和」ぐらいでしょうか。

 むしろ年俸制の導入は業務量が増大する中で残業代を合法的に抑え込むための策なんじゃないかと思わないでもありません。メディアにはその辺にまで深く切り込んで欲しいものですが、この朝日新聞を含めて猫も杓子も「お客様重視」なのか、読者が喜ぶような記事しか載せないんですよね。その結果がこの煽りとしか言いようのない見出しに繋がっているのでしょう。まぁ、似たようなトリックは他でも使われ続けてきたものです。少年犯罪が最も少ない時期を基準点として「凶悪な少年犯罪が増加している」と喧伝したりみたいな……

 どのみち、企業規模からすれば決して高いとは言えない水準に東京電力の給与は落ち込んでいるわけです。削減された給与が僅かなりとも回復されるとあらば労働者側にとっては好ましいニュースのはずですが、「利用者から反発が出る可能性」が予想されてもいます。公務員給与もそうですけれど、我が国の有権者が喜ぶのは給与カットの決定ばかり、我が国の有権者が要求するのは一層の人員削減と賃下げだったりするのですから奇妙な話です。経済誌の「お約束」では「リストラは最後の手段」とされていますけれど、まずリストラを進めよというのが国民の最大公約数的な見解となっているように思えます。現実の日本では「リストラは最初の手段」なのでしょうね。とりあえず私は、どの会社(役所)であろうとも人員削減と給与の引き下げには反対しますし、これ見よがしに人件費削減を披露しては国民の歓心を買おうとするような経営者/政治家をこそ強く軽蔑しますけれど。

 

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改革という名の退行に背を向けて

2012-06-02 00:17:59 | 非国民通信社社説

 定期的に持ち上がってくる論議の一つに、成人年齢を引き下げるべしというものがあります。現在の日本では20歳が境目ですが、これを18歳とかその辺に引き下げようというわけです。確かにまぁ、世界各地の貧困国では十代の少年少女が大人と肩を並べて労働力として駆り出されている、アフリカの紛争国では年端もいかない子供が自動小銃を手に大人達に混ざって戦っていたり、多少は平和な国でも日本なら淫行条例に引っかかるような年齢の子供が日夜、立派に大人の相手を務めていたりします。それに比べれば、日本の20歳という成人年齢は高いのかも知れませんね。経済面では新興国を目指して後ろ向きに階段を駆け下りてきた日本なのですから、社会面でも相応に退行を志向した動きがあっても不思議ではありません。

 何度か書いてきたことではありますが、将来が決まるタイミングがどれだけ「遅いか」で、概ねその社会の成熟度は測れるように思います。まず未熟な社会では生まれたときからもう将来が決まっている、親の属する社会階層がそのまま子供へと引き継がれます。そして多少なりとも近代化が進むと僅かながらも選択肢も出てきて、例えば中学生までは割と誰でも平等だけれど、そこから先の進路でだいたいの将来が決まってしまうみたいなパターンが挙げられます。もうちょっと社会が成熟すれば進路の変更にも融通が利くようになって、20歳くらいまでは人生のやり直しが可能になる、他の道へと再スタートが切れるようになると言ったところでしょうか。日本の場合、大きな転換点は卒業時ですね。高校でも大学でも専門学校でも、とにかく学校を卒業した時点で、しっかりとした会社に就職できるかどうかが大きな差が付きます。ここで就職機会を逃すと、後に分類上は正社員として就職できたとしてもろくな会社ではなかったりするなど、ほぼ挽回不可能となっているわけです。

 私の大学時代の恩師が定年で退官することになったときのことですが、未練タラタラの先生は「だいたい60歳で定年ってのは、60歳くらいでどんどん死んじゃう人がいた時代の考えでさ……」と愚痴をこぼしていました。そうですね、たとえば平均寿命が50歳かそこらの時代と、平均寿命が75歳を超える時代では社会保障制度の望ましい在り方も変わってくるものです。日本のように世界トップクラスに寿命が長い社会と、もっと寿命が短い社会とでは、アプローチの仕方も多少は変えなければならないものなのかも知れません。そうした面では、上述の成人年齢の引き下げ論はどう見るべきでしょう。昔よりも平均寿命が大きく延びている中で、成人年齢を前倒しするとなると、未成年の期間と成人である期間のバランスは輪をかけて崩れてしまうように思います。むしろ寿命という名の人生のスケールが延びた分だけ、「成人」になるまでの期間も延ばした方が釣り合いが取れるのではないでしょうか。

 年金受給年齢は加入者の同意なく引き上げられることが既に決まって久しいですけれど、まぁ寿命が延びた中で支給開始年齢だけを据え置きというのは難しいのかも知れません。そして我が国の政府としては異例中の異例と言うべきなのが悲しいことですが、引き上げられた年金支給開始年齢に達するまで雇用を延長するよう指針も出されています。制度改革に伴う負担を、個人ではなく雇用側に求めるのは実に珍しいことですね。まぁ、流石に60歳定年で65歳の年金支給開始までは自己責任で済ませというのは無理な話ですから。元より一世代前や二世代前の60歳に比べれば現代の60歳とは随分と健康でバイタリティーに溢れています。もちろん個人差も大きくなる年代だけに一緒くたに扱うのは危険でもありますけれど、だいたいの人にとって65歳まで働いてもらうというのはそんなに難しい話ではないのでしょう。あんまり長く働きたくないという思いはあるにせよ……

 こちらは上手い図ではないですがニュアンスは伝わるでしょうか。とりあえず一番上の段が平均寿命70歳の場合で、次が平均寿命80歳の場合です。成人年齢や年金支給開始年齢を据え置いたまま寿命だけが延びると、どうしてもバランスは崩れます。そして改革モデルと銘打ったのが、現行の政府案ですね、成人年齢と、年金支給開始年齢がそれぞれ動かされているわけですが、これまたバランスの悪いものと言わざるを得ません。そこで最下段の「成熟モデル」は私のオリジナルで、年金支給開始年齢だけではなく成人年齢も「引き上げた」形になります。先述の通り寿命という人生全体のスケールが伸びたのですから、未成年でいる期間を圧縮するのはむしろ不自然、反対に伸ばすべきとの考えに沿って提唱してみました。とりあえず、この成熟モデルの方が未成年、労働年齢、年金受給年齢のバランスは取れているはずです。

 富国強兵、殖産興行的な発想にとらわれていると、どうしても労働人口を増やすことが国力増強の道という考えになってしまうのかも知れません。十数年来の不況で慢性的に求職者側があぶれているにも関わらず、労働人口を増やすことを是とする言論が巷に溢れているのはそのせいでしょうか。高度経済成長期からバブル期に至るまで、高卒でも働き口に困らなかった時代には日本の大学進学率は至って低いものでした。それが不況で企業側が採用を手控えるようになったのと時を同じくして日本の大学進学率は急上昇を続けて来たわけです。まぁ、急上昇した結果がようやく5割に到達したという水準ですので、まだまだ日本は大学生が少ないと言えますけれど、ともあれ日本でも高等教育を受ける人が増加しています。しかるに、こうした大学進学者の増加を快く思わない人が、とりわけ経済系の文脈において目立つのも事実です。

 成人年齢の引き下げ論議と大学進学者の増加を否定的に見る向きは、底の方で似通う部分があるような気がします。より早く「成人」に組み入れたい、より早く労働力人口に組み入れたい、そういう欲望があるのでしょう。そして教育水準の高さを強みとして高付加価値産業へのシフトを目指すのではなく、賃金抑制を徹底して新興国と同じ土俵で戦おうとするのなら、大学進学者の増大など百害あって一利なしと映るものなのかも知れません。必要なのは一握りのエリートと、新興国に負けない低賃金で働いてくれる従順な労働者ですから。もちろん賃金の低下は即ち、その国で働く人が貧しくなると言うことを意味する、つまりは社会全体にも負の影響を及ぼします。それを補うには「頭数」を増やすことですね。年収500万円の労働者が2人いるより、年収400万円の労働者が3人の方が、トータルでは豊かという計算になります。凋落を続ける一人当たりのGDPには無頓着な一方で、国全体のGDPで中国に抜かれた、今度はインドに追い越される云々と騒いでいる我が国の経済言論がどういったモデルを好むかは言うまでもありません。

 少子化が進むと同時に賃金水準の押し下げも進められてきた中、「国全体」のGDPを引き上げるためには個人の貧しさを補うべく労働人口を増やす必要に迫られる、その処方箋として移民の受け入れだったり、女性の活用や定年の延長など色々と出てくるわけです。そして大学進学率の上昇を否定的に見る向きもその延長線上にあるのではないでしょうか。労働人口を増やそうと駆り立てられるのは、当然ながら女性や高齢者だけではない、若年層だって同様なのです。少子化が進んでも労働人口は確保したい、そのためには早くから労働人口に組み込む必要があります。若年層を大学で遊ばせておくより、安価な労働力として日本企業に奉仕させたい、そういう思惑があると本来なら喜ばしいはずの進学率向上も苛立たしい現象に見えてしまうのでしょう。

 しかるに、将来が決まるタイミングだけではなく本格的な労働に従事する時期もまた、社会が成熟すればするほど遅くなるもののはずです。発展から取り残された国では児童労働が横行していますが、多少なりとも進歩すれば児童労働が禁止されるものですし、さらに社会が成熟していけば進学率も上昇、それに伴ってフルタイムで働き始める時期も遅くなるものです。貧しい国では義務教育機関を過ぎたら遠からず労働力として大人と一緒に働き始めるかも知れませんが、曲がりなりにも先進国であれば高校までは進学するのが当たり前になったり、あるいは大学に進む、時には大学院へも進学するなど、いずれにせよ日本で言う「社会人」になるタイミングは後方へとシフトしていくわけです。

 日本では「改革」を気取る人ほど保守的――より思い切って言えば退行志向であるように思えるのは、そういうところからです。むしろ改革を称する人ほど、賃金抑制=新興国と同じ土俵での競争に積極的であったり、進学率上昇に否定的で若年層を早期に労働市場に組み込みたがるなど、そうした時代に逆行する志向が目立つのではないでしょうか。「経済成長の時代は終わった」みたいな日本くらいにしかあてはまらない妄論が経済誌でも当たり前のように幅を利かせていますけれど、日本経済はまさにブリキの太鼓の主人公よろしく、成長すること、成熟することを止めてしまったかのようです。しかし、誰か他の「大人」が日本を養ってくれるわけでもありません……

 

この業界はどこもそうかもしれないけれど、長期勤続というのは歓迎されないんだ。それで会社も「三年くらいで辞めてもらった方が経費的には助かる。そうすれば、また元気のいい新人が入ってバリバリと稼いでくれるし……」と、公然といっているんだから。 (『ホームレスになった』金子雅臣、ちくま文庫)

 

 拡大を続ける非正規雇用を中心に、主として若年層を取っ替え引っ替えする雇用形態もまた随分と目立つようになりました。不当な解雇も相次ぐ昨今ではありますが、それでもなお、もっと社員を簡単に解雇できるようにせよと主張する声がまた喧しいところでもあります。雇用側に便宜を図ることを以て経済政策と勘違いしている人の好む「改革」の一つですね。もっとも、雇用主に自由を!雇用主を法律で縛るな!全ては主の御心のままに!などと率直に真情を吐露する人はいなくて(隠せていない人はいるにせよ)、大方は奇妙にも「若者のため」などと口にするのですから笑うしかありません。彼ら退行志向の改革論者に言わせれば、無能な中高年またの名を既得権益が社員として居座っているから若者にチャンスが回ってこないのだそうです。へー。

 雇用の面で改革と称して提唱されているものの多くは、近年「ブラック」と呼ばれるようになった類の企業であれば既に当たり前のように実践しているものばかりだったりします。たとえば「無能な」中高年を切り捨てて若者に雇用機会を提供するなど、ですね。決して長くは働けない、目立った成果を上げられなければ遠からず追い出される、そういう会社は必然的に社員も若い人ばかりになりがちです。では、このような企業は若者に優しいのでしょうか。改革論者のいうことを政治家が真に受けて日本中をブラック企業の巣窟にした場合はどうなるでしょう。今まで以上に中高年層はリストラされ、代わりに企業が雇うのは若者ばかり、若者の就業機会は飛躍的に増加……する可能性は高いのですが、そこで就業機会を得た若者の10年後、20年後、30年後がどうなるかも考える必要があります。若者もいずれ年を取ります、かつて中高年層に席を譲ることを強いた若者が中高年になったとき、今度は自分が若者に席を譲ることを迫られる、そこまで想像しなければなりません。

 相対的に低賃金で済ませやすい若年層を、それこそ取っ替え引っ替えしながら使い捨てていけば人件費削減は容易、新興国と同じ土俵で競い合いたい人には好ましい世界と言えそうです。もっとも、働く人にとっては捨てられるリスクが高まる、とりわけ齢を重ねるほど危うくなってしまいます。「若者に雇用機会を提供するため」との美名の元にリストラされた親世代を、より低賃金の子世代が働いて支えるという、実に悪夢のような未来が待ち受けていることでしょう。自分が働いて親を養うんだという殊勝な孝行息子/娘にはそれでもいいのかも知れませんが、私は御免ですね。むしろ中高年層(=親世代)の雇用をきっちりと担保して、子世代をじっくり学ばせておく、その方が成熟した社会にはふさわしいと私は考えますけれど……

 平均寿命が延びたのなら、それに伴って人生の「重心」だって動かす必要があります。寿命がこれだけ長く伸びたのに、そう急いで働き始める必要があるのでしょうか。むしろ大人になるのは「ゆっくり」で良いように思います。人生が50年かそこらで終わってしまう国ならともかく、日本の場合は、大人になってから先が随分と長く伸びているのですから。しかるに進学率の上昇を好ましく思わない人々がいたり、あるいは中高年を追い出して若者に職をと説く人もいるわけです。こうした人々の志向しているのは、より「早く」若者を労働力に組み入れることと言えますが、率直に言ってそれは「退行」に他なりません。そうではなく、逆に若者を働かせる時期を、より「遅く」してこそ進歩です。

 とりあえず日本では、児童労働は概ね禁止です。芸能活動や家業の手伝いは別として、普通の会社勤めとかは表面上やってはいけないことになっています。アルバイトを始める子が珍しくなくなるような年齢でも、未成年であれば深夜労働などには制限がありますね。ならばこうした禁止や制限の課せられる年齢を、大きく引き上げてみるのもおもしろいかも知れません。極論するなら、20代のフルタイム労働を原則禁止してみるのはどうでしょう。さっさと学校を卒業させて、さっさと働かせたいという思惑の強い我が国ですけれど、それが行き詰まっているのも現状です。若者を就職戦争で摩耗させ、会社に縛り付けることこそ才能の浪費と言えます。それよりも、なるべく長く大学なりに通わせて、いわゆるモラトリアム期間を可能な限り長くした方がイノベーションも生まれるのではないでしょうか。決して就職を急がせる必要はありません。その代わり、子世代を支える親世代の雇用をきっちりと守っていくことです。一般に、知能の高い動物ほど親が子供を育てる期間は長くなります。ならば寿命も延びて60歳くらいではまだまだ元気な親世代が子世代を養う期間をもっと延ばしたって、それは進歩と呼べることでしょう。

 

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