非国民通信

ノーモア・コイズミ

これもまた、脅しの結果

2012-06-19 23:01:25 | 社会

「放射能危ないから東京においでよ」 福島の女性を風俗店で働かせ殴る 自称DJ逮捕(産経新聞)

 インターネットで知り合って自宅で同居していた女性を殴ってけがを負わせたとして、警視庁城東署は、傷害の疑いで、東京都江東区大島、自称DJ、岡崎雅容疑者(33)を逮捕した。同署によると、「暴行したのは間違いないが、けがをさせるほどではなかった」と一部否認している。

 同署によると、岡崎容疑者は東日本大震災後、福島県伊達市に住む無職女性(28)に「原発事故の放射能がやばいから、東京においでよ」などと持ち掛けて自宅に呼び寄せ、平成23年4月から同居していた。女性とは21年10月、ネット上のコミュニティーサイトで知り合ったという。

 逮捕容疑は、今年3月末に自宅で、女性の顔を殴り、鼻の骨を折るなどしたとしている。

 同署によると、女性は同居を始めて約1カ月後から日常的に殴られるようになったため、同署に相談していた。女性は風俗店で働かされ、給料や財布、携帯電話などを取り上げられていたという。

 

 こういう事例、他にも探せば出てくるんでしょうかね。「平成23年4月から同居」「同居を始めて約1カ月後から日常的に殴られるようになった」とのことで、それが表沙汰になったのが平成24年6月なわけです。似たようなケースは多々あれども、大半は世間の目には触れないままダラダラ続いていくものなのかも知れません。しかしまぁ、これが傷害事件に発展したからこそ容疑者が世間の非難を集める一方で、単に原発事故をダシに女性などを呼び寄せる行為に止まっていたらどうなんだろうと邪推させられるところもあります。原発事故に伴う放射「能」の脅威を煽って、福島からこっちに避難してこいと訴える、ある種の人にとってはそれが「正義」でもあったのではないでしょうか。しきりに福島から離れろと声を張り上げる脱原発論者の一員として、仲間内では大いに賞賛されることもあったのではないかと。

 結局のところ原発事故に伴う被害で、より大きいのは放射線による健康被害ではなく、専ら脅しや煽りによって偏見や恐怖感ばかりが掻き立てられ、それによって風評被害や差別が広まったり、福島周辺地域の住民自身をパニックに陥れてしまうことにあったと言えます。まぁ、原発事故などなくとも地方から都会に出たがる人もいて、それで失敗するのも人生だったりするのかも知れませんが、ともあれ原発事故後の恐怖煽りが冒頭で伝えられているケースを招く要因ともなっているのではないでしょうか。原発事故そのものにも全く関連がないとは言いませんけれど、ありもしない健康被害を騒ぎ立てては「福島から避難しろ」と強弁し続けてきた人こそ、引用元で伝えられている類の被害を産み出した加害者あるいは共犯者としての自覚を持って欲しいと思います。

 「世界」ではなく「世界観」を守るために戦っている人がいるとも言えます。例えば排外主義者などは、実在する日本社会という世界を守るためにではなく「(自分たちの認める範囲での)日本が脅かされている」という世界観を守るために戦っているわけです。彼らの主張や行動は現実の世界を守るためには何の役にも立ってない、ただただ彼ら自身の世界観を正当化するためにしかなっていないですから。そして同様の性質を、昨今の脱原発論も待た示してはいないでしょうか。まぁ、原発事故以前からの脱原発論だって似たようなものだったのかも知れませんが……

 例えば「電力は足りている」論など、そうした虚妄は深刻な電力不足という現実の危機を招き「世界」を危うくするものですが、原発がなくても問題ないとする「世界観」の成り立たせるためには、どうしても「電力は足りている」ことにしなければならないわけです。福島に向けられたデマや脅しの類も同様、これまた風評被害や差別を広め住民にストレスを与えるものであって「世界」に害をもたらしますけれど、しかし原発を悪魔のごときものとする「世界観」に説得力を持たせるためには、原発のせいで健康被害が続出している、福島が人の住めない地域になっていることにしなければならなくなってしまいます。そこで「世界観」を守るか、「世界」を守るかで、その人の誠実さが問われるのではないでしょうか。福島に住み続けても大丈夫ということになれば、ある種の人々の「世界観」は否定されてしまいますが、そこで世界観を守るために声を張り上げる人は、まぁクズですよね。

 石原慎太郎が「この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある」と放言していたのと時を同じくして「原発事故は、低エネルギー社会への転換を促す天からの啓示」などと宣った人もいました。本当に酷い話です。私は絶対に許しません。でも、ある種の思惑を持った人にとって原発事故はまさに天啓だったのでしょう。原発は危険、という自身の「世界観」を布教するためには、この上なく好都合だったのですから。たぶん、その人は心どこかで原発が事故を起こす日を心待ちにしていたのだと思います。そして実際に原発事故が起こると「それ見たことか」と小躍りして、上述のように「天からの啓示」などと言い出すに至ったわけです。あなたの世界観が補強された一方で、世界は困ったことになっているのですけどねぇ。

 反対の立場からは、いっそ大停電になってしまえばいい、と言う人もいました。気持ちは分からないでもありません。実際に大規模な停電が起こってしまえば、「電力は足りている」と強弁する人も少しは頭を冷やすだろう、現実に目を向けるだろうと期待する人もいるのでしょう。まぁ、そうなったらそうなったで陰謀論に逃げ込む、電力会社が「わざと」停電を起こしたのだと言い張るのではないかという気がしますが、ともあれ「電力は足りている」という虚妄の世界観をぶちこわすためには、実際に停電を体験してもらうしかないと考える人もいるわけです。でも、そこは思いとどまって欲しいです。それを期待したら、原発事故を「天からの啓示」と喜んだ人と同じになってしまいますから。

 

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コメント (6)
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