私たちは「戦後」を知らない/あなたは、共産党が日本国憲法の制定に反対し、社会党が改憲をうたい、保守派の首相が第九条を絶賛していた時代を知っているだろうか――これは『〈民主〉と〈愛国〉』を著した小熊英二の言ですが、「戦後」という大きな括りでなくとも、例えば「自分が生きてきた時代」ですらも、この国の人々はロクに知らないのではないかという気がしないでもありません。単に歴史修正主義者が戦前や戦中に起こったことを歪曲しているだけではなく、中立を装う普通の人までもがこの10年、20年に発生し、自ら記憶していて当然のことを忘れ去るどころか偽りで塗り替えようとしているところがあるように思えるのです。
自民党の谷垣禎一総裁は14日、さいたま市で講演し、中国漁船衝突事件のビデオ映像流出を名乗り出た海上保安官を擁護する声があることについて、「わたしも半分ぐらい気持ちは分かるが、国家の規律を守れないというのは間違っている」と指摘した。
党内の一部にも、「日本の正統性を国民と世界に示した」(安倍晋三元首相)など、保安官の行為を称賛する声もある。谷垣氏は、旧陸軍の青年将校が反乱を起こした二・二六事件を例に「(国民の一部は)若い純粋な気持ちを大事にしなきゃいかんと言っていたが、最後はコントロールできなくなった」として、保安官の行為を称賛する声に懸念を示した。
とにかく谷垣禎一とは煮え切らない人物です。小泉政権下の閣僚として構造改革に荷担しておきながら、その一方で総裁戦では改革路線の見直しに言及したり、あるいは極右勢力とは距離を取るように見せかけながら唐突に靖国神社へ参拝したりと、どっちを向こうとしているのか本人の中でも定まっていない印象を受けます。そして日頃は真性保守的な立場から現政権を非難しているかと思えば、今回の漁船衝突事件では「問題を深刻化させないことが一番大事だ。直ちに国外退去させた方が良かった」とも述べました。そして今回の発言です。このような見解は例によって自民党支持層だけではなく世間一般からも肯定的には受け止められないような気がしますが、でも保守の「本流」や本来の自民党って、こういう立場だったはずです。
元より自民党はハト派が主流であって、ナアナアで付き合うのが外交の基本、アパルトヘイト政策で国際的な非難を浴びていた南アフリカとだって交流を続けて名誉白人の称号を頂戴するなど、実利が優先で事を荒立てることを好まない政党でした。そうした自民党の姿勢を毅然と批判してきたのが野党であり左派政党であり、とりわけ北朝鮮などの旧東側諸国に厳しい目を向けていたのは日本共産党であるなど、自民党とはその対極にいたわけです。それがいつの間にか自民党が猛々しいだけのお子様政党に堕し、それと対立する政党が今なお自民党の逆の立場を取っているかのごとく誤解されるようになったのが近年の誤りと言えます。
漁船衝突事件に関しては共産党もまたある種の「毅然とした」主張を繰り広げているわけで、これをネット世論上ではあたかも奇異なことであるかのように語る向きが目立つわけですが、こういう反応を示す連中とはどれだけ政治に疎いのだろうと呆れずにはいられません。共産党とは昔から、そういう政党なんです。他国と揉めそうになってもナアナアで済ませようとする、それもまた融和路線と呼びうる外交方針を採ってきたのは自民党であって左派政党ではないのですから。ともあれ谷垣発言は古い自民党の名残とも言うべきもので、あの小泉にしたって尖閣諸島に中国の活動家が上陸した際には速やかに中国に送り返してきたわけです。この辺の、自分が生きてきた時代に起こったことをマトモに覚えている人がどれだけいるのか、何かと疑問を感じずにはいられません。
かかる健忘症の世論の元では、改革が足りないと小泉カイカクを右から批判し、何でも民営化、自由化すれば良くなると脳天気に掲げてきた反省なき規制緩和論者が左翼と「設定」されて諸方面からの非難を浴びていたりもします。経済誌で語られていることの多くは目の前で起こっている現実には当てはまらないもので、いうなれば現実の経済問題ではなく経済誌の「お約束」に則って議論されているわけですが、政治も似たようなものです。実際にどういう政治家であるかよりも、世論の中でどういう政治家として「設定」されているか、それに基づいてバッシングしたり支持や不支持を決めたりすることが多いのではないでしょうか。
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武器を持たない公務員に対する世間の反応は憎悪に満ちています。武器を持たない公務員を公衆の面前でこれ見よがしに罵ってみせれば、それこそ拍手喝采が送られる始末です。いかに「武器を持たない公務員」を痛めつけられるかが、国民にとって最も重要な政治家の資質となっているといっても今や過言ではありません。しかるに「武装した公務員」に対してはどうでしょうか。「武器を持たない公務員」への攻撃を競って躍進した党の政治家であっても、「武装した公務員」への賛辞は惜しまないように見えます(参考)。あまつさえそれが曲解に基づくものであっても「武装した公務員」を非難する言動と受け止められようものなら、直ちに撤回や陳謝を与野党双方から求められる有様です。本物の「小さな政府」であれば武装の有無にかかわらず公務員の規模は小さくあるべきと考えられるものなのですが、この国では武装の有無によって蔑ろにされるものとアンタッチャブルで神聖なものとに分かれているのでしょう。
「政治的発言する人、行事に招くな」防衛省、幹部に通達(朝日新聞)
防衛省が中江公人事務次官名で、政治的な発言をする団体に防衛省や自衛隊がかかわる行事への参加を控えてもらうよう指示する通達を、同省幹部や陸海空の幕僚長に出していたことがわかった。
通達は10日付。「隊員の政治的中立性の確保について」と題し、同省や自衛隊が主催したり、関連施設で行われたりする行事に部外の団体が参加する場合(1)政治的行為をしているとの誤解を招くようなことを行わないよう要請する(2)誤解を招く恐れがあるときは、団体の参加を控えてもらう――の2点を指示している。
きっかけとなったのは、今月3日に埼玉県狭山市の航空自衛隊入間基地で行われた航空祭。同基地を支援する民間団体「入間航友会」の会長が式典で、尖閣諸島沖での中国漁船の衝突事件の対応を取り上げ「一刻も早く菅内閣をぶっつぶして」「民主党政権では国が持たない」とあいさつした。これに民主党議員の一部が強く反発したため、防衛省の政務三役が通達を出すよう指示したという。
さてマックス・ヴェーバーのようなマトモな学者からだけではなく、石破茂とか小林よしのりなどのアレな連中からも「暴力装置」として言及されてきた軍隊であるところの自衛隊ですが、その自衛隊と政治的な発言をする団体との距離を取るように通達が出されたそうです。これは自衛隊が国家における暴力的手段を占有しているからには当然の措置、文民統制の原則に照らせば「そうでなければならない」ものと言えます。しかるに「武器を持たない公務員」のチンケな違反には激しい怒りを露わにする人が圧倒的多数を占めながら、「武装した公務員」の明白な意図をもった違反行為には擁護の声が相次ぐ世論の元では、こうした通達ですらも反発を買うものなのかも知れません(記事見出しが「招くな」と命令形に書き換えられている辺りにも、その辺の反発が窺えます)。
この「入間航友会」とやらは極右系の団体なのでしょうけれど、政治的な立場以前の問題として、自衛隊に訴えることの誤りは指摘されてしかるべきです。「一刻も早く菅内閣をぶっつぶして」と自衛隊に訴えたそうですが、暴力装置であるところの軍隊に現内閣を倒せと頼むことの意味を、果たして報道側は理解しているのでしょうか。信頼など置けるはずのない民意によって定まる政治の結果も無惨なものではあるにせよ、その代わりに軍隊の行動によって政治の先行きを決めさせようとする発想がさりとて危険視されることもなく垂れ流されているとしたら、いよいよもって危機が迫っていると言えます。
逆に軍隊からの実際の距離の遠さも、軍隊への憧れに拍車をかけているところがある気がしますね。リアルな軍隊像やリアルな戦争を知ろうともしていないが故に、そこに勝手な理想像を投影できているところもあると思います。水木しげるのように動かされる側を知っている人とは正反対の立場にいる人が多いのでしょう。
なにせ、民間が商売できるのも、役所が行政活動できるのも、政治家が政治活動できるのも、みんな軍事組織が平和を守ってくれるからこそですから、皇軍兵士に感謝する歌であるタイトルの歌詞そのものであり、そんなありがたい軍隊様に意見するとは何事か!という意識なんでしょう。(そんな強い皆さんなのに事ある毎に階級の呼び名や職種の呼び名や勲章の扱いが他国軍と違うくらいで士気に影響するというんですけどね。強いんだか軟弱なんだか…)
まあ、指揮官気取りの石原や橋下からすると、そんなアンタッチャブルで強い組織にシンパシーを感じるんでしょう。もちろんそんな組織を動かす側として。(その点、水木しげるのように自身の体験から、動かされる側の感覚を表現した作品を見るとその感覚の差を実感したりします)
旧軍のゴーストップ事件ではありませんが、暴力装置が強い意思を持って暴走する背景には、このような支持層や民意の後押しが関わることは間違いありません。
頼りない政治家より世界情勢や軍事的知識が豊富で、清廉な軍人にかじ取りを任せたほうが良いと期待した結果が、先の戦争結果であるのですが、支持層には、ほんの少し前に政治の場で軍刀の柄に手をかけて威圧する軍人の姿があったことすら忘れてしまっているのかも知れません。それこそ、真の意味で平和ボケであるように思うのですが。
退職した人が年金受給年齢までのつなぎにハローワークで働いていることなんてもはあるみたいですが、現役の人にとってはどういう影響があるでしょうかね。とかく公務員への偏見が強まるばかりでもあるだけに、公務員のリアルを実体験させるのも見聞を広める意味では有意義なのかも知れません。
市民サマにカチ込まれてリアルに鍛えられるという点では最高だと思うのですが。
あ、むしろ新人より中堅や幹部社員向け研修のほうがいいかも。
国や地方自治体にはぜひ検討してもらいたいですね。
実は既にこっそり計画されているかもしれませんけど。
企業の新人研修でも自衛隊体験入隊定番の一つだったりしますし、軍隊的なものを模範とする風潮は強いですからね。公務員を敵に見立てて攻撃する主張が支持を集めるように、社会保障受給者を敵に見立てて攻撃しようとする軍人など出てきた日には、一躍英雄視されてしまうかも知れません。
本文でも触れたように、武器を持たない公務員が相手となれば、締め付ければ締め付けるほど国民に歓迎されますからね。既にその傾向はないでもないですが、武器を持たない公務員には政治的中立を盾に活動を制限する、その一方で武装した公務員には民意の反発を恐れて何も言えない、みたいなことにもなりそうです。
>kurosukeさん
何度か指摘してきたように本家アメリカの小さな政府論ってのは軍隊も含めて小さな政府を理想とするものなのですが、ある意味で日本人じみた主張を繰り広げるティーパーティーの連中にしてみれば、これまた日本人同様に公的サービスは小さく、軍隊は大きくという結論に至ることもあるのでしょう。アメリカの保守も低俗化が進んだと言うことです。
ところで、アメリカでは「小さな政府」を求めているはずの人々が、軍事に関しては「大きな政府」を選択したそうです。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201011040000/
「縮小する内容」がツボなんですかね。
見えない先行き、案内人は誰か
なんとなく、なんとなく流れに乗って
鬼さんこちら、手の鳴る方へ
恐々としながら圧されるように一寸先の闇へ、闇へ
誰かを罵りながら、
そうしなければ、不安でたまらないから、
高い方へ、高い方へ、見えない光を求めて押しくら饅頭
押し出される羊はだぁれ?
後ろの正面、だぁれ?
公務員の政治活動、政治的発言そのものを
禁じる方向に動いていることです。
それだけでなく、「機密保持」と「政治的中立」をたてにまっとうな批判や内部告発までも封じるような法の制定が検討されています。
以前管理人さんがおっしゃった「民主党政権は社会主義的ではないが『社会主義政権』的だ」
という指摘はまさにその通りだと思います。
公務員労組だけでなく、公益法人や協同組合などに対しても、「『政治的中立』(=政府・与党に忠実)であれ」という圧力が強まっていると聞きます。
むしろ自衛隊や海保内部の方が冷静に見えるのが救いですが、田母神みたいな輩もいるだけに、誰かが暴走しないとは限らないんですよね。そういう可能性に対して国民はどう思っているのか、その辺はなはだ心許ないです。
いや、本気で自衛軍の若手がクーデター紛いの行動お越しても今の世論なら寧ろ支持しそうで怖いです。
少なからぬ人々にとって、自衛隊とは神聖不可侵なもののようですから。暴力装置であるからこそ制限がかけられるのは当たり前のことで、逆に自衛隊に対して否定的な発言は一切許さない、という風潮こそ言論封殺そのものなのですがけれど。
>珍坊痔漏さん
加えて「国の命令」に収まっている内はまだしも、例の海保の件のように、武装した公務員が国の命令ではなく独断で政治的な影響力のある行動に踏み切るケースが出てきたわけですから事態は深刻です。暴力装置であるからこそ国の厳正な管理下に置かれなければならないのに、その箍が蔑ろにされていることの危うさが理解されていない、これこそ危機というものですよね。
>flagburnerさん
とかく「強いもの」と自己を同一視したがると言いますか、個人ではなく権力の側から、あるいは労働者ではなく経営者の側から物事を語りたがる人が目立ちますけれど、今回もその類でしょうかね。武器を持たない公務員は「あいつら」として叩くけれど、武装した公務員に関しては自分のことのように反応したり。報道も含めて、その危うさにあまりにも無自覚な人が多すぎる気がします。
変な表現になりますが、こうした人達は、自分達が使いたくても使えない暴力を行使できる立場に何かの憧れを抱いてるのかもしれません。
この辺りは、死刑制度を支持する人達の心理に通じるものがある、という妙な感覚を持っているのですが・・・。
>暴力装置であるところの軍隊に現内閣を倒せと頼むことの意味を、果たして報道側は理解しているのでしょうか。
多分理解してないのでは、と思います。
あるいは、例の発言の問題点に気づきつつ、「面白いネタ」さえ書ければそれでいい、今なら民主党政権を叩くのが視聴者にウケる -- というノリでやってるかもしれません。
私としては、後者の方でないことを祈りたいです・・・。
自衛隊の基本訓練はあくまでも国を守るための殺人訓練ですから。
まさか、総合演習とかを人命救助活動と勘違いしているのではないでしょうね。
国の命令あらば国民に銃口を向ける事もありえるのですから。
暴力装置ってのはその事を念頭に置いて下さい。
とかく当事者である海保や自衛隊サイドよりも、周りが先走っているところが問題ですよね。映像を流出させた海保の職員は、現地に応援に行く機会の全くない管轄区の所属だったそうで、どうも現場に遠い人ほど無責任に事態を煽りたがっているところがあるように思います。こう言うのが野放しにされているようでは……
>飲兵衛さん
そのように非難されている、とは頻繁に言われますが、実際にそのような非難をしている人を見たことはありますか? 警察はまだしも自衛隊、とりわけ自衛隊員を直接に非難するような言葉が国会議員の口から出たことなど皆無なのですが。せいぜいが埼玉の上田知事が、あくまで賞賛の文脈の中で「人殺しの練習をしている」と語ったことがあるくらいです。にもかかわらず「自衛官は人殺しと蔑まれたり」などと思い込んでしまうのは、ただ単に飲兵衛さんご自身の被害妄想を反映しているだけでしょう。
>頭痛の種さん
ましてや、武器を持たない公務員だって国民の生活を守るために働いているわけで、自衛隊に感謝しろと言うのなら武器を持たない他の公務員にだって同様に接することが求められても良さそうなものです。しかるに世論上では自衛隊がまさに特別扱いで、国民が武器を持った人々にばかりを英雄視し、それに期待する社会って何なんだろうと思います。
>貝枝五郎さん
あの谷垣ですら自覚しているように、軍隊に政治を左右させようとする発想はクーデターを望むのと全く同じなんですよね。この辺は一部の連中の考えることではあっても、それが危険視されることもなく放置され、垂れ流されているとしたら、それは国民全体の政治感覚に問題があることを示している気がします。
『二・二六事件』(中公新書)を大分まえに買ったまま読んでいないのですが、右派どもは漠然と、軍隊によるクーデターを期待しているのではないでしょうか?そして軍隊による政治をこのましいものとしてイメージしているのではないでしょうか?
もしかりに日本のGDPが米国のそれを抜き、世界中のどの国の首脳も日本に対して平伏するようになったとしてもなお、武力による政治を日本において成しとげないかぎり満足しない。右派どもの価値観とはその様なものではないか、と最近おもっております。
ですので多分、問題の本質は、それくらい危険な連中を十分に危険視してこなかった日本国民の約過半数の民度にあるのではないでしょうか?(いや、この表現も下手をすると天皇ヒロヒトの責任を免罪した一億総懺悔の心理にからめとられそうですが、漠然とそうした懸念はあります)
なんて、脅してるのか、自己陶酔に浸ってるのか分からん返事が返ってきます……。
国民だって、どんなアホな自衛官でも
養う為に税金払ってるんですが、それはどうなる?と思います。
そもそも、生活保護費の二倍も金を使うのだから、
厳しい目を向けられてもしょうがないと思います。
特に、その気になれば政府を覆せる暴力集団は。
いずれの組織も一部の面汚しを除けば、割に合わない給料でも文句も言わず頑張っているというのに...
公務員の事を杓子定規だとか融通が効かないとか無能とか罵倒連中も多いが、俺に言わせれば彼らはは法令を遵守し、(彼らにとって)効率の良い業務を行っているにすぎない。法律の執行担当者の対応にブレがあったらマズイし、給料上がらないのに余計な仕事したく無いって思いは誰しも持ってるだろう。
この前の尖閣問題、海保の同僚や職員たちの中には「市民の信頼を裏切ることだ」と憤慨した人が結構いたわけですし、管理人さん引用の記事に見られる防衛省・自衛隊の措置は常識的なものです。しかし、「市民」とそれを煽動するメディアは、不見識で過激なスタンスばかりを称揚する。
恥を知っているのは、どちらなのだろう、と思ってしまいます。基本的な見識を備えない一部の政治家・現場の一部・OBたち、はともかくとして、まだ「当事者」の間ではブレーキが効いている。しかし、メディア・「市民」が変なところから背中を押し続けたら……。
ファシズム台頭の歴史という大失敗は、つい数十年前の出来事なんですよね。それを忘れたのなら酷い忘却ぶりですし、忘れたふりをしているのなら、尚更危険極まります。