携帯型ゲーム所持率7割超 小中学生進む依存、麻雀や大人向けエロゲーも(産経新聞)
場所や時間を選ばずに遊ぶことができる携帯型ゲーム機器を保護者から買い与えられている小中学生が増え、7割を超えていることが日本PTA全国協議会の調査で分かった。小中学生の5~6割は1日30分以上、休日には3時間以上ゲーム機で遊ぶ子も1割超おり、子供のゲーム依存が進んでいる実態が明らかになった。社会とのコミュニケーションが苦手になったり、学習意欲の減退につながったりする恐れもあり、専門家は「ゲーム遊びを制限する必要がある」と話している。
同協議会は平成21年11月~12月に、全国の小学5年生と中学2年生計3869人と保護者3624人にアンケート調査を行った。
その結果、テレビゲームなどゲーム機を持っている子供は20年度と同水準で9割を超え、小5で94・8%、中2で93・1%に上る。携帯型の「ポータブルゲーム機」などを持っている子供は増えており、小5で74・5%(20年度53・2%)、中2で75・6%(同51・7%)だった。
平日にゲーム機などで30分以上遊ぶ子供は小5で52・8%、中2で48・0%に上る。休日はさらに増え、小5は64・8%、中2は57・9%。1割を超える子供たちが「休日に3時間以上、ゲーム機で遊ぶ」と答えており、ゲーム機器の影響力に詳しい森昭雄・日大大学院教授は「子供たちの間でゲーム依存が強まっている」と分析する。
携帯型ゲーム機の所持率が増えているみたいなことが書かれていますが、ゲーム機の所持率には前年度調査から変動がないようです。据え置き型ゲーム機の苦戦が何度となく伝えられているだけに、単にゲーム機内部でのシフトが起こっているだけでしょう。そして「ゲーム機器の影響力に詳しい」との触れ込みで登場するのが「ゲーム脳」で有名な森昭雄氏です。まぁなんでしょうか、専門家と称して登場した人が嘘八百を並べ立てるなんてことは産経新聞に限らずよくあることですから、ゲームだったらこの疑似科学者が登場するのは自然な流れなのかも知れません。
かつては読書が悪徳と見なされ、読書の弊害が盛んに語られていた時代もありました。あるいは野球が青少年を堕落させる悪習と見なされていた時期もあって、戦前の朝日新聞などはしきりに野球の害を取り上げていたそうです。いつの時代も、新しい娯楽ってのはそういうものなのでしょう。何か新しい娯楽が生まれると、それがバッシングの対象となる一方で、時間の経過と共に文化として定着し、それに没頭しても許されるものへと変貌していくのが繰り返された歴史です。蒟蒻ゼリーで死人が出れば規制が論議されますが、餅で人が死んでも規制論など出てこないように、危険視される理由は一にも二にも「新しさ」にあります。
ゲームだっていずれは、社会的に受け入れられる日が来ると思いたいところです。しかるに昨今は娯楽文化の面で反動化が著しい気もします。今回の記事でボーダーラインとして設定されているのは「1日30分以上」ですが、これはどうなんでしょう。私なんかはファミコン世代ですから、高橋名人に「ゲームは1日1時間」と教えられて育ったものです。あの頃は「1日1時間」だったゲームのために許容される時間が、今は「1日30分」に変わってしまったとしたら、これは完全な後退ですね。昨今は性表現などでの保守反動化の気運が急速に高まっているわけですが、ゲームに対する世論も似たようなものなのかも知れません。
調査では、3分の2を超える親たちが家庭内で「食事中はゲームをしない」というルールをつくっているという結果も出たが、森教授は「ひどい場合は、ゲーム社会と現実社会との区別がつかなくなるケースもある。大人がもっと責任を持ってゲームに費やす時間を厳しく制限すべきだ」と訴えている。
で、引用元記事の締めはこんな風になっていました。う~ん、科学的根拠と恣意的なこじつけの区別が付かないゲーム脳の大人にこんなことを言われても、説得力はないですよね。それに産経新聞以外でも、たとえば日刊ゲンダイとか週刊ダイヤモンドとかを読めば、妄想と現実社会の区別が付かない大人がいっぱい社会で活躍していることがわかると思うのですが。単にゲームは新しいだけです。ゲームをやる代わりに産経新聞とか日刊ゲンダイとか週刊ダイヤモンドとかを読んでも、妄想と現実の区別が付かなくなるリスクはつきまといます。ゲームだけが特別に危険なんてことはありません、新しいだけです。
サブカルあるいはオタク向けメディアの中でもとりわけゲーム購買層は、エロ魂より支配欲が強い気がします。登場する女の子よりも、女の子にちやほやされる自分が好きで、だからゲーム内に自分=主人公以外の男が出てくることを嫌うのかな、と。女性の性を主人たる男性が管理する世界観を好む、そういうファンの存在の方が性表現そのものより問題視されるべきなのではないかと私なんかは思うんですよね。
ttp://dic.nicovideo.jp/a/9%E3%83%BB18%E4%BA%8B%E4%BB%B6
こんなことがあったようです。まあ管理人さんの主張などを踏まえて考えるならば「可愛い女の子がいっぱい出てくるゲームのファンはゲームファン全体を見ても保守的な傾向があり、それを見切れなかったメーカーは軽率である」といった辺りに落ち着くのではなかろうかと思います。
ttp://dic.nicovideo.jp/a/%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7%E3%82%92%E7%94%9F%E3%81%BF%E5%87%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%A7%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%83%88%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%88
あとこれを見ると物事が管理人さんのこれまで主張されてきた方向に進んでいるのではないか、と思います。
一般に社会の多数派から悪と見なされるもの(かつてのロックであり、往年のヒッピー文化であったり、そしてゲームなどの「新しい」娯楽全般)は反体制的な色彩を帯びる、サブカルチャーであると同時にカウンターカルチャー的な色彩を帯びる傾向があるはずなのですが、日本の場合は例外なのかも知れませんね。ゲームは社会から危険視されているけれど、それは既存の価値観に抗議するようなものかというと、むしろGXさんが例示したように既存の価値観を追認するようなところも多いと思います。昨今のサブカルは、反体制どころか親体制的で保守的な文化を養う上での貢献が大きくて、下手すりゃ道徳家から推奨されても良いのではないかとすら……
あと、あるゲームにこんなイベントがあったのですが、この「虚構」は「現実」と区別がつけない人は多いのではないでしょうか。
テイルズオブシンフォニアというゲームにゼロスというキャラクターがいます。彼は彼の世界の神子(この設定を完全に説明すると長くなりますので、とりあえず、王族の次に偉い地位だと覚えておいてください。)というキャラです。その彼のサブイベントの中に迷子の男の子の母親を捜すというものがあります。このイベント自体は簡単にクリアできるのですが、その後の話にこんなものがあります。その迷子の男の子は、自分の母は貧乏を理由にどこにも雇ってもらえないから、神子であるあんたがなんとかしてくれよと言ってきます。すると彼はその子に対し「お前は何かしたのかよ。」と言い返し、その言葉に「おいらは子どもだから…。」と男の子が回答すると「子どもにだってできる仕事はるだろ。」と言い、さらに「俺が貧乏人を援助しろと国王に頼んだら、真面目に働いている奴に悪いだろ。」、「救ってくれと言うのは、自分で頑張った奴だけだ。誰かが助けてくれるなんて思うな。」と返してきました。このイベントを見た時、とりあえず自分は「別に援助しなくても、貧乏人を差別するなと呼びかけるか仕事紹介するだけでもいいのでは?(この件も母親をゼロスの自宅で雇うことで解決しましたが。)」と思っていましたが、今はかなりの問題発言だと思っています。まあ、この世界は今現在の社会とは全く構造が異なるので、ゲーム内の世界では「正論」ともとれますが、この発言を受けて「子どもにだって仕事はあるだろ。(だから、学費が払えなくなったら、そいつも働かせろ。)」、「貧困者に生活保護を受給させたら、真面目に働いている人間に悪いだろ。」、「誰かが助けてくれるなんて思うな。(自己責任)」と現実世界で言いだす人が出ないか心配です。もっとも順序が逆で、プレイヤーに受けると踏んだから入れたという可能性も考えられますが…。
まぁ、他紙でも本当に有能な専門家を呼ぶより、安易で読者にウケの良い結論を下してくれる人を呼ぶ傾向にありますから、これも意図した人選なのだと思います。ゲーム「だけ」を悪者にするには最適なチョイスだったのでしょう。
>Elekt_raさん
そういえばヒーローごっこで怪我をするなんてのも子どもの頃はよくあったような気がしますが、これだって「現実の虚構の区別が~」と非難できそうなものですよね。「ごっこ遊び」に没頭して育った子どもも同様なのかという感じです。
>シトラスさん
さらには、産経新聞読者の9割はゲーム機を持っていたとか……
「犯罪者の九割はコンピュータゲームを持っていた」という衝撃の事実を公表してほしいですよね。
そりゃ同じことを何時間もやっていたら他のことに支障を来たすのは当たり前ですが何だってそうでしょうよ。