非国民通信

ノーモア・コイズミ

反原発と言うより、反福島

2014-05-16 00:02:59 | 社会

福島県内の反発拡大 抗議声明も 「美味しんぼ」被ばく発言(河北新報)

 東京電力福島第1原発を訪問後に鼻血を出す描写が議論を呼んでいる漫画「美味(おい)しんぼ」(雁屋哲・作、花咲アキラ・画)を連載している「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)の最新号が12日発売され、福島県双葉町の井戸川克隆前町長が鼻血の原因をめぐり「被ばくしたからですよ」と語る場面があることが分かった。最新号では、主人公らとの会話の中で井戸川氏が「福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いる」として、被ばくを原因に挙げた。さらに「今の福島に住んではいけないと言いたい」と発言した。福島大の荒木田岳准教授が除染作業の経験を基に「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います」と語る場面もある。また、岩手県の震災がれきを受け入れた大阪市内の焼却場近くの住民が鼻血を出したり、目やのどなどに不快な症状を訴えたりしているとの表現があった。

(中略)

 福島市内などの書店やコンビニエンスストアなどでは軒並み、12日発売号が売り切れた。
 県庁近くの西沢書店大町店では前日までに購入予約が相次ぎ、12日昼までに完売した。同書店の担当者は「話題になっていることもあり、すぐに売り切れた」と話した。

 

 参考、週刊ビッグコミックスピリッツ「美味しんぼ」に関する本県の対応について - 福島県

 さて「美味しんぼ」が話題に上っているわけです。掲載誌のスピリッツと言えば売り上げ的には遠からず休刊もしくは廃刊になってもおかしくな状況であったと認識していますが、美味いこと炎上ビジネスに成功したと言ったところでしょうか。近年ですと東洋経済とか、おそらくは意図的に粗悪な妄想垂れ流しの記事を乱発することで活路を見出そうとしているメディアも散見されます。まぁ、普通からキワモノに転身すれば変化として注目されることもある一方で、逆に元からトンデモ路線だと既に飽きられている、相手にされなくなっているケースも多々あって、そうした点ではこの「美味しんぼ」以外にも世間的な注目度の低いところで風評被害の拡散に努めている輩は少なくない、「美味しんぼ」ばかりが批判されるのも気の毒かなという気はしないでもありません。スピリッツ編集部からすれば、狙い通りなのかと推測されますけれど。

 なんだかもう今さらの感も拭えないのですが、鼻血が出るほど被曝したら「絶対に」鼻血だけでは済みません。鼻以外の色々なところからも出血しますし、かなりの確率で死にます。逆に鼻血だけで収まっているのなら、被曝の影響でないことは確実です。そもそも鼻血が出るほど被曝するためには厳重な警備網を突破して原子炉内にダイブするくらいしないと無理なのですが、まぁ「想像だけで」放射線の――というよりも福島の――害を説く人は今なおいるわけです。こういう、現実に原発事故が起こっても何も学ぼうとしない人には、もうどうすることもできませんね。

 ちなみに「福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いる」と言い張るのは福島県双葉町の井戸川克隆前町長、そのような事実はないと自治体からも地元メディアからも福島在住という無名のネット住民からも氏の言動は否定されています。何でも井戸川氏は「地震津波のあった年の3月3日に、地震津波があることを日本政府は知っていたんですよ。しかし、それを止めたのは、政府と東京電力と東北電力と日本原燃が発表を止めてしまったんですよ。」などと主張しているとか。元々は原発を誘致する側の人間であったそうですが、この辺の支離滅裂さへの転向は小佐古敏荘辺りを思い出させてくれます。

 なお問題の「美味しんぼ」では、「大阪で、受け入れたガレキを処理する焼却場の近くに住む住民1000人ほどを対象に、お母さんたちが調査したところ、放射線だけの影響と断定はできませんが、眼や呼吸器系の症状が出ています。」「鼻血、眼、のどや皮膚などに、不快な症状を訴える人が約800人もあったのです。」などと主張しているそうです。そもそも処理に使われた大阪の焼却場は住宅地から遠く、近隣住民の実在性すらも疑われているようですけれど、それ以前に大阪で燃やされたガレキは岩手県から送られたものです。岩手まで?

漫画『美味しんぼ』での大阪における災害廃棄物の処理に関する記述について - 岩手県

漫画『美味しんぼ』での本府の災害廃棄物処理に関する記述について - 大阪府

 かつて、岩手は陸前高田市から送られた松が住民?の抗議によって送り返されたりなんてこともありました(参考、偏見や嫌悪を煽る声に立ち向かおう)。福島第一原発から陸前高田市まで、どれだけ距離があると思われているのか興味深いところですが、良くも悪くも「東北は一つ」みたいな感覚が蔓延してもいるのでしょう。「美味しんぼ」の作者にしてみれば岩手も福島も同じようなものなのかも知れません。いかに測定が繰り返され影響のないことが確認されても危険を煽り続け、ありもしない被害を捏造するような人もいる、そういう人に媚びる政党・政治家もまた存在するわけです。ガレキ受け入れを巡る賛否は、その人が現実に向き合うか妄想の中に生きるのかを端的に表わすリトマス試験紙的なものがあるようにも思います。

 「この漫画はフィクションであり、実在の個人、団体とは全く関係ありません」云々と逃げを打つなら、まぁ表現の自由を口にする資格も一応はあるでしょう。しかるにスピリッツ編集部に言わせれば「美味しんぼ」は「綿密な取材に基づいて」描かれているとのこと、そうであるからには創作の自由云々よりも前に、風説の流布ではないかと問われねばなりません。ノンフィクション風のフィクションは最もタチが悪いと言いますか、実際には純然たるフィクションであるにも関わらず、それが事実であるかのごとく誤解を招く、作者側が意図して読者を誤解させようとしている類は、より厳しい基準で見られるべきものです。

 

美味しんぼ批判 行き過ぎはどちらだ(中日新聞)

 しかし、時間をかけた取材に基づく関係者の疑問や批判、主張まで「通説とは異なるから」と否定して、封じてしまっていいのだろうか。

(中略)

 問題提起はそれとして、考える材料の提供である。登場人物が事故と被害をどう見ていくのか。作品を通じ、作者は社会に訴えようと試みる。行き過ぎはないか。もちろん、過剰な反応も。

 

 もはや「いつものこと」として「美味しんぼ」ほどの話題を呼ぶことはありませんが、悪質さでは十二分に上を行くのが中日新聞(及び東京新聞)です。この東北地域では売られることのない新聞ほど原発に対する現地の感覚と、離れたところから妄想をたくましくする人々の感覚の乖離を表わしているものはないように思います。放射線への被曝に乗じて得体の知れない製品や粗悪なサービスを売り込む悪質な事業者の提供するネタを大々的に新聞に載せたり、ありもしないことと書き立てて福島が危険であるかのごとくに言い募るヘイトスピーチを擁護してきた前科には事欠きませんが、こういう扇動メディアも「美味しんぼ」と同等かそれ以上に批判されてしかるべきではないでしょうかね。

 中日新聞に曰く「時間をかけた取材に基づく」云々とのこと。しかし、どんなに時間をかけても間違いは間違いです。取材に時間をかけさえすれば無実の人を殺人事件の犯人であると報道しても良いのでしょうか。取材にかけた時間は報道の真実性を担保するものではありません。あるいは「『通説とは異なるから』と否定して、封じてしまっていいのだろうか」とも強弁しているわけですが、根本的に「事実と異なる」ことを主張し、その結果として実在する人々に迷惑をかけるようなことが許されるはずもないでしょう。そして通説と異なるからといって批判するのは行き過ぎというのなら、もはや代替医療やエセ科学の詐欺や、安倍内閣の歴史観や憲法観を批判するのだって行き過ぎということになってしまいますし。

 「問題提起はそれとして、考える材料の提供である」と逃げが打たれてもいますけれど、実態からかけ離れたところで捏造された架空の被害を元にした問題提起など、レイシスト連中の唱える外国人排斥論と何ら変わるものではないでしょう。それは問題提起であって批判するのは過剰反応――そんな中日新聞の論理に従えば、あらゆるヘイトスピーチを野放しにしなければならなくなってしまいます。まぁ、ありもしない危機を煽り立て、福島や東北に纏わる諸々が危険であるかのごとき偏見を広めてきた、それが排除されるよう仕向けてきた中日新聞社としては、こういう論法にならざるを得ないのかも知れません。

 

 ←ノーモア・コイズミ!

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする