非国民通信

ノーモア・コイズミ

人事権を持つ側の能力が問われる

2014-05-13 23:12:54 | 雇用・経済

働き手「70歳まで」…新生産年齢人口に(読売新聞)

 政府の経済財政諮問会議(議長・安倍首相)の有識者会議「選択する未来」委員会が、人口減と超高齢化への対策をまとめた提言案が明らかになった。

 70歳までを働く人と位置づけるほか、出産・子育て関連の給付など支援額を倍増させる。高齢者と女性の活躍を後押しすると同時に出生率の引き上げを図り、50年後の2060年代に1億人程度の人口を維持することを目指す。

 同委の三村明夫会長(日本商工会議所会頭)が「2020年及び半世紀後を展望した日本経済への提言」を5月半ばに諮問会議に提出する。政府は、6月にまとめる「経済財政改革の基本方針(骨太の方針)」に反映させる。

 日本の人口は、60年に現在の約3分の2の約8700万人に減り、約4割が65歳以上になると推計されている。これを踏まえ、提言は「年齢・性別にかかわらず働く意欲のある人が能力を発揮できる」制度が必要とした。

 高齢者について、定年後の再雇用などで70歳まで働ける機会を増やすよう求めた。さらに、20~70歳を「新生産年齢人口」と新たに定義し、60年に約4800万人と見積もった。現在の生産年齢人口(15~64歳)の推計値(約4400万人)より、約400万人多くなる。

 

 どうにも労働力不足云々とは鬼が笑うレベルの話にしか思えないところもあるのですが、まぁ色々と議論だけは盛んな様子が窺われます。ここでは「70歳までを働く人と位置づける~」というのが目玉になっているようですけれど、どうしたものでしょう。60歳が定年という社会的通念ができあがった時代の60歳と現代の60歳とでは健康さの度合いがまったく違う、昔の60歳よりも今の70歳の方が元気であるケースも多いとは言えますし、そもそも年金受給開始年齢が(加入者の同意なく)繰り上げられる中では、そこに至るまでの雇用の保証がなければ制度として致命的な欠陥ができてしまう、定年から年金受給までの間に空白ができれば、それこそ収入を絶たれて生活保護受給を選ぶ人が激増しかねない、その辺の折り合いを付けるにはこのような提案が出てくることは免れないのかも知れません。

 もっとも成人年齢を18歳に引き下げようという議論も盛んな中で、「新生産年齢人口」と新たに定義されたのが「20~70歳」辺りに、私などは首を傾げないでもありません。成人と認める18歳から「新生産年齢人口」に区分される20歳までの空白は、いったい何に当たると政府筋では考えられているのでしょうか。政府絡みのの機関であるからには政府の方針との一貫性も求められてしかるべきものと思われます。むしろ寿命が延びた時代には子供である時間も延ばした方が良い、思い切って成人年齢を25歳くらいまで引き上げて、同様に生産年齢も25~70歳くらいまでに引き上げた方が日本社会の実態に添うのではないかとも私は考えるのですが。

参考、改革という名の退行に背を向けて

 総じて経済系の論者は、中高年をリストラして若者を働かせたがっていると言えます。若者の就業機会の乏しさは中高年が居座っているからだと、あたかも「若者の味方」を装って若年層の被害者意識を人事権を持つ経営層にではなく、中高年世代に向けようと躍起になってきた人がいるわけです。私は正反対で寿命が延びた分だけ中高年を長く働かせて、若者は遊ばせておくべきだと主張してきたところですが、そうした立場を取る人には滅多にお目にかかれませんね。実際に会社を動かしている人々の間にも、中高年を排して若者に入れ替えたがっている様子は色濃いですし。

 日本――に限ったことかどうかは知りませんが――では性別に限らず、年齢でも役割が固定されがちなのではないでしょうか。○○は男性の仕事、○○は女性の仕事、そうした固定観念と同様に○○は若手の仕事、○○は年長者の仕事みたいな先入観が支配しているところがあるように思います。この辺、良くも悪くも若手と中高年の仕事が隔てられていることで定年延長が若手の仕事のニーズを奪わないことにも繋がっている一方、若くなくなった人の使いどころを見いだせずに持て余し、「もっと簡単に解雇できるようにすべきなのだ」と自らの無能の責任を棚に上げて主張し出す人もいるわけです。

 往々にして年長者には管理職としての役割を期待されるところですが、しかし人口増加が続き下の年代ほど人口が多いとか、第一次産業や自営業の家に生まれた子供がどんどんサラリーマン化していくとか、そういう理由で従業員の年齢構成が自然とピラミッド型になっていく時代ならいざ知らず、現代は逆に下の年代ほど頭数が少なくなっていくものです。当たり前のこととして、年長者よりも率いるべき後進の数の方が少ないのです。これからの時代は、「リーダーではない年長者」の存在を会社が認めていく必要があるのではないでしょうか。

 会社に長くいれば誰でも「自分の仕事を奪われる」経験があるように思います。新しく入った若手に自分の仕事を引き継がされて、自分は他の仕事を命じられる、それは日本の会社では当たり前の風景です。ここで新たに割り当てられた仕事でも成功すれば当面のキャリアは明るいと言えますが、逆に元の仕事では上手く行っていたのに新しい仕事では何もかもが悪い方向にしか進まないこともあるでしょう。そうして年を重ねるにつれ、会社からお荷物と見なされるようになる、経済系の論者から無能な中高年だのノンワーキングリッチだのと罵倒されるようにもなるわけです。

 しかし、これは当人の責任なのでしょうか。むしろ適正のある仕事を割り当てることができないでいる経営の問題ではないのでしょうか。困ったことに○○は若手の仕事、年長者なら○○の役目を務めるべき――そうした既成概念に凝り固まった経営陣には配置の適正化による中高年正社員の活用という発想は甚だ乏しいようです。その結果として、リストラされるか、仕事にあぶれたまま窓際に追いやられて放置される中高年正社員が生まれているように見受けられます。70歳まで雇用を延長するのなら、いかにベテランの社員を活用するのか、若手にはコミュニケーション能力、中年以降にはリーダーシップという馬鹿の一つ覚えではなく、もっと本人の適正に応じた人の使い方、とりわけ若くなくなった人の活用法を日本の経営者が身につける必要もあるはずです。トウの立った従業員を退職に追い込んで若手に新たな雇用機会を創出するみたいなブラック企業思考が蔓延しているようでは、人を70歳まで働かせることは至難でしょう。

 

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コメント (4)
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