非国民通信

ノーモア・コイズミ

左派こそ批判的になるべきもののはず

2014-05-18 22:30:15 | 社会

不快な思いに責任痛感…美味しんぼ問題で編集部(読売新聞)

 小学館の週刊漫画誌「ビッグコミックスピリッツ」連載中の漫画「 美味しんぼ」(作・雁屋哲、画・花咲アキラ)で、原発事故後の健康への影響に関する描写が批判を受けている問題で、同誌の19日発売号に掲載されている編集部の見解が、16日明らかになった。

 「編集部の見解」は村山広編集長名で出され、「福島の真実」編として作品に描かれた内容について、「多くの方々が不快な思いをされたことについて、編集長としての責任を痛感しております」と述べた。

 掲載に踏み切った理由として、健康不安を訴える人の存在などは事実であり、「少数の声だから」などの理由で取材対象者の声を取り上げないのは誤りという雁屋さんの考えは、「世に問う意義があると編集責任者として考えました」と説明している。

 

 ヘイトスピーチとは、果たして何を差すのでしょう。特定の人種、民族あるいは国籍(ルーツ)を対象にしたものだけをヘイトスピーチと呼ぶのか、あるいは特定の国籍に限らずとも対象を誹謗中傷し、それが排除されるよう訴え差別を助長するような言動全般をヘイトスピーチと考えるのか、とりあえず日本国内では一般的に前者であると言えます。特定国のルーツを持った人々への憎悪扇動のみをヘイトスピーチとして問題視するわけですね。しかし、ヘイトスピーチとは呼ばれないヘイトスピーチに晒されているのは、残念ながら特定国のルーツを持った人々には限られていないようです。

 不安を訴える人の存在などは事実であり、「少数の声だから」などの理由で取材対象者の声を取り上げないのは誤り云々との主張を「世に問う意義があると編集責任者として考えました」と、小学館の編集長は述べています。ふむ、では在日外国人や隣国の人間に対して不安を訴える人の存在は事実でしょうか、それとも妄想でしょうか。その「不安」の根拠とは裏腹に、「不安を訴える人の存在」自体は、紛れもない事実のはずです。ではそうした不安を訴える(都合良く選別された)取材対象者の声を取り上げないのは誤りという考えは――世に問う意義があると言えるのでしょうか?

 

「美味しんぼ」一時休載へ 「表現のあり方を今一度見直す」と編集部見解(産経新聞)

 東京電力福島第1原発を訪問した主人公らが鼻血や倦怠(けんたい)感を訴える描写や、「今の福島に住んではいけない」などの表現で議論を呼んでいた漫画「美味しんぼ」を連載する小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」最新号(19日発売)に、「ご批判、お怒りは真摯(しんし)に受け止め、表現のあり方について今一度見直していく」などとする編集部の見解が掲載されていることが16日、分かった。自治体や有識者による描写への賛否両論を並べた特集も掲載された。

 併せて、美味しんぼを次号からしばらく休載することが明らかにされた。編集部によると、休載は以前から決まっていたという。

(中略)

 この中で、立命館大の安斎育郎名誉教授(放射線防護学)は、1シーベルト超の被曝(ひばく)をしなければ倦怠感は表れないが、漫画で第1原発を見学した際の被曝線量ははるかに低く、倦怠感が残ったり鼻血が出たりすることは考えにくいと指摘。「率直に申し上げれば、『美味しんぼ』で取り上げられた内容は、的が外れていると思います」「200万人の福島県民の将来への生きる力を削(そ)ぐようなことはしてほしくない」と訴えた。

(中略)

 一方で、岡山大の津田敏秀教授(疫学、環境医学)は「チェルノブイリでも福島でも鼻血の訴えは多いことが知られています」「『低線量放射線と鼻血に因果関係はない』と言って批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を出せと求めればいい」と擁護。「こんな穏当な漫画に福島県の放射線のことが描かれたからといって文句を言う人のほうが、むしろ放射線を特別視して不安をあおっているのではないでしょうか」とつづった。

 

 安斎育郎氏は、さながら「保守」における「保守本流」的なポジションにいると言いますか、脱原発論者の草分けでありながら昨今の反原発論者の主流からは完全に外れてしまっている人ですね。むしろ敵視されることすらあるくらい。その理由は科学に背を向けなかったからでしょうか、氏の言動は反原発論者の主張を何度となく否定するものとなっています。原発の利用に否定的ではあるけれども科学的事実を曲げない人を、原発否定のために次々と架空のエピソードを捏造し続ける人々が敵視する、そんな構図は往年の「保守本流」と呼ばれた政治家が近年の「真性保守」と称するレイシストから敵視されているのと酷似しています。

 それはさておき岡山大の津田敏秀氏――こんなのでも教授というのですから理研の小保方氏だってそんなに酷い存在ではないと私は感じたところで――が言うには「チェルノブイリでも福島でも鼻血の訴えは多いことが知られています」とのこと、実際に鼻血を出す人はさておき、鼻血の「訴え」は多いのかも知れませんね。100人でしょうか、200人でしょうか。とりあえず「たくさん」ということにしておきましょう。でもそれは、在日韓国/朝鮮人の脅威を訴える声が多いみたいな類と同じようなものです。「訴え」が多かろうとも、その根拠となるものの真偽くらい問うのが理性というものです。

 「『低線量放射線と鼻血に因果関係はない』と言って批判をされる方には、『因果関係がない』という証明を出せと求めればいい」とも津田は語るわけで、要するに被疑者に無実であることを証明せよと迫っているわけです。常識的には嫌疑をかける側が因果関係を証明する責任がありそうなものですが、こういう下らない屁理屈をこねるようなバカが幅を利かせていることには危機感を覚えずにはいられません。まぁ、津田が「津田敏秀の研究室にカバはいない」ことを証明して見せたならば、私も微量の被曝と鼻血には何の関係もないことを証明して見せましょう。

 「不安を訴える人の存在」だの「訴えは多い」だのといった大義名分で、事実無根の中傷や危険視と排除が許されるのであれば、我々の社会は対象の如何によらずヘイトスピーチに抗うことができなくなってしまいます。先日は中日新聞が美味しんぼの描写を指して「主張まで『通説とは異なるから』と否定して、封じてしまっていいのだろうか」と言い張りました。そもそも「封じられた」事実がなく一部で批判を受けたに過ぎないのですけれど、それでも中日新聞的には「行き過ぎ」であり「過剰反応」なのだそうです。ちょうど安倍内閣が集団的自衛権を軸として憲法の歪曲に踏み出したところですが、中日新聞の論理に従えば安倍内閣の憲法観も「主張まで『通説とは異なるから』と否定して、封じてしまっていいのだろうか」ということになる、それを批判するのは行き過ぎということになっていまいます。瀬戸内寂聴が「(原発が稼働する時代より)戦争中の方がまだましでしたよね」などと言い出したときもそうですが、こういう流れには左派こそ危機意識を持つべきではないかと思うところ、しかし実態はどれほどのものやら。

 

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コメント (5)
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